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第五十八話『鮮明なる記憶』

 何故こいつが、ここにいる。いいや、何故生きている。余りある疑問と、そうして戦慄が背筋を撫でていく。


 皮肉な事だった。五百年前の生前にはカサンドラを含め多くの仲間たちがいたはずなのだが。彼女らを差し置いてはっきりと思い出せるのが敵であるこの男だというのはどういうわけだろう。


 レリュアード。そう名乗ったのだから、名前はもはやそう呼ぶとしよう。そこにどのような思惑や意図が隠れているのかはさっぱり分からないが。人間としての名であるらしい。


 奴の片眼鏡がぐいと上がる。その瞳がまじまじとシヴィリィを見つめていた。随分と温厚な顔つきになってしまったが。奴がかつて吐いた言葉を俺はよく覚えている。


 今でも、それを思い出せば眦が痙攣した。敵意が吐息に交じる。熱く吐き出せる感情が、全身を漲りそうになる。


 ――エレク。私はさして彼らを存続させる必要を感じていない。彼らは実に愚かで、実に蒙昧だ。即ち、私の敵たりえない。何故貴様は、彼らを庇いたてようとする。


 尊大と、傲慢と、漲る自信を迸らせた、虚偽を司る魔族の王の一角。決して相いれなかった、殺さなければならなかった敵。


 だというのにどうして、五百年経った今人間の社会に溶け込んでいる。彼は明白に、明瞭なまでに人類種の敵であったはず。それが今は何故か大騎士教の一角として、権力者のように振舞っている。


 不味い。


 どういう訳か知らないが、レリュアードが大騎士教の剣とすら呼ばれる存在になっているのは確か。ある種の権力を持っているのも確かだ。


 今、シヴィリィはその男の前に無思慮に立ちはだかってしまった。何を言われるのか分からない、何を要求するかは分からない。


 けれど、その先にあるものが良からぬものである想像はつく。

 

「――シヴィリィ。そいつの目を見るな。最悪は俺が何とかしてやる」


 全てを彼女に伝える時間は無かった。一言だけを告げて、その紅蓮の瞳を見る。彼女が不自然でない程度に頷いた。


「協力とは、どういった事でしょうか。私に出来る事は殆どないと思いますが」


「とんでもない。貴方に出来る事は、幾らでもある。我々に魔導を提供頂けるだけでも良い」


 レリュアードが身を乗り出すようにして言う。吐息の漏れ出る音が聞こえてきそうだった。


 そうか。そりゃあそういうはずだ。こいつは俺の事も、『破壊(ブラスト)』がどういうものかもよく知っているはずだからな。


「どういう事じゃレリュアード。妾を放って話を進めるつもりか」


 フェオドラの囁くような、それでいてよく通る声に反応して、レリュアードは指先で眼鏡をかけ直した。失敬、とそう前に置いてから言葉を続ける。


「彼女の言う『破壊(ブラスト)』は、まさしく五百年前に失われた秘奥ですよ、フェオドラ様。生み出したのは一人、用いたのも一人。もはや存在そのものが迷宮に眠る遺産……『神秘(ミステル)』と言い換えても良い」


「ほぅ」


 説明を受けて、フェオドラの表情が一つ色合いを変えた。好奇心ではなく、より獰猛なものに見える。レリュアードにばかり着目していたが、こいつも安穏な人物には見えない。


 やはり来るべきでは無かったと今更ながらに大いに後悔した。言ってしまえば俺も、相手が四騎士のような存在でなければどうにでもなると甘く見てしまっていた所がある。


 今この場は、完全に虎口だった。シヴィリィの身分では身動きが取れる余地がない。


 しかし、次の一瞬僅かに空気が替わった。フェオドラが唇を緩やかに動かして言ったのだ。


「――それならば妾も口を出したいものじゃな。どうじゃ娘。詳しくは言えぬが、妾にも多少は人を動かす力がある。そなたは属領民(ロアー)じゃろう。便宜を図ってやっても良いぞ」


 同時、レリュアードがフェオドラを僅かに鋭い瞳で見たのが分かった。それは味方を見るというよりも、むしろ何処か敵対意識をもった瞳だ。そこで心に触れるものがあった。


 ――さてはこいつら。同じ正市民(ホーン)と言えども、同じ勢力に与していないな。よく見ればレリュアードは大騎士教の正装を身に着けているにも関わらず、フェオドラの方は普通の礼服だ。恐らくは、ただ利害が一致した時にのみ共にある関係といった所。


 で、あるならば。付け込む余地は、ある。幾らでもある。


 口の中に言葉を並べ立て、シヴィリィの傍らに立つ。魔族と言えど、この希薄すぎる亡霊の身体は見えはしないらしい。好都合だ。


「シヴィリィ、返事はしなくて良い。よく聞け。こいつら二人のどちらについても、必ず面倒な事になる。相手の交渉にただ乗るだけなんてのは、馬鹿げた話だ。常に条件はこちらから出すのが交渉さ」


 相手の条件を全て呑み込むというのは、そいつの人形になるに等しい。それに、レリュアードという魔族が大騎士教に食い込んでいるのだ。もしかすれば、三大国にも魔族の連中が牙を立てていても何らおかしくはない。


 両者からどれほどの飴を与えられても、今すぐに話にのるべきではなかった。シヴィリィの耳元で、彼女を促すように囁く。彼女の瞳が一瞬だけ俺を見た。


 思わず、言葉が止まった。彼女にどう言葉を弄すべきか教えてやろうと思ったのだが。その瞳が僅かに、煌めいているのに気づいたのだ。


 俺の言葉を待たずに、シヴィリィは唇を開いた。


「――私には、過分なお言葉です。ですが。先に都市統括官のシルケー様と約束がございまして」


 レリュアードとフェオドラだけではなく、俺もやや目を見開いた。


 無論、俺達はシルケーとそのような約束はしていない。確かに、後から声をかけるとはリカルダを通して聞いているが。それだけを約束と言い張るのは困難だろう。


 この場でその言葉が相手への牽制になると気づいたのか? 小麦粉を吹き飛ばしたシヴィリィが?


 俄かには信じがたい事だったが、彼女の言葉が眼前の二人の唇を一瞬閉じさせたのは確かだった。


 そこまでは、良かった。問題は次だ。


「なるほど、さようでしたか」


 レリュアードが温厚そうな瞳を細めて、言う。


 瞬間、その場の空気が変貌する気配があった。レリュアードが、かちゃりと音を立ててその片眼鏡をずらしたのだ。


 怜悧な、鈍い灰色の瞳が見えた。もはやそこに交渉をしようという色はない。ただただ、相手を凌駕し組み伏せんとする意志がそこにある。


 ――魔眼。

 

 レリュアードの魔眼は、まさしくイビルアイの名に相応しい、邪視とも呼ぶべきものだ。


 本来、魔眼は見ただけで相手を死に至らせる特級のものもあれば、相手の時を止めるもの、物体を砂へと変えるものなど多種多様に存在する。


 だがこいつのものは、むしろより原始的だ。ただ純粋に、相手の意志を奪い取り自らのものとする。相手を支配し眷属とする為のもの。


 シヴィリィの紅蓮の瞳が、それを見た。見てしまった。


 いいや惹きつけられたというべきか。魔眼には、ある種の『他者の視線を惹きつける力』というものがある。それは魔眼が世界にとって異様であるからなのか、それとも魔導の作用かははっきりとしないが。魔眼を持つものが真にその力を用いようと思ったのなら、常人が幾ら抗おうとしても見ざるを得ない。


 だからこそレリュアードははっきりと魔族の中でも脅威だったのだ。


 ゆえに、俺が取るべき手段は一つだった。シヴィリィの身を守るための咄嗟の事。もはや防衛反応と言っても良い。


 ――俺はシヴィリィの身体を使って、『破壊(ブラスト)』でその邪視を破壊していた。詠唱すらも必要ない。ただ魔眼の効力を打ち砕くだけの些事。


 それこそ、俺が昔こいつと闘争を繰り広げた際にやったようにだ。レリュアードの瞳が、大きく見開いた。思わず、口内で聞こえぬ程度に舌打ちした。


 何せ、五百年前の再現を一瞬とはいえしてしまったのだ。奴に気づくところがあってもおかしくはない。


「貴方は――」


「――レリュアード」


 奴の言葉を切ったのは、俺ではなくフェオドラだった。


 彼女は少女でありながら、自分より幾周りも大きいレリュアードを制しながら、言う。


「良いではないか。ならば、場所を変えシルケーも呼べば良いだけじゃ。ここは迷宮都市。あやつを含まずに話を進めるのも都合が悪かろう」


 のう、とそうレリュアードの瞳を易々と見つめるフェオドラに、一瞬レリュアードは迷いを見せた。だが次には、頷いて受け入れる。


「ええ。ではそう致しましょう。三者会談とは、少々珍しいですが」


 片眼鏡をかけ直し、レリュアードがこちらを見た。温厚な顔つきが、もう舞い戻っていた。


「シヴィリィ=ノールアート」


「……何か」


 シヴィリィの声色を真似て、応じる。少なくともレリュアードの手が分からない以上、未だ邪視を破壊できないシヴィリィに替わるのは危険だ。視線を強めたまま、歯を噛んだ。


「失敬。何もありません。懐かしくなったものですから、つい」


「懐かしく?」


 指を思わず、鳴らした。レリュアードが唇の端を噛んでいた。


「大昔。貴方と同じ視線をする人間にあいました。ええ、大昔の事です。――もう死にました」


 まるで空気を噛み殺すような、それでいて静かな声でそう言った。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] "本来、魔眼は見ただけで相手を死に至らせる特級のものもあれば、相手の時を止めるもの、物体を砂へと変えるものなど多種多様に存在する。" どこかの魔女や南方魔眼みたいなことしでかす奴がこ…
[良い点] 五百年前のレリュアードをはやく見たい!
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