第五十六話『諸人の思惑』
――『魔導』は人類種にとっての、小さな火種に過ぎない。
火種を大きく燃え上がらせる事が出来る者もいれば、手元を明るく照らす程度の者もいる。それを左右するのは才覚と言っていいだろう。
魔導という火種を才覚で燃え上がらせ莫大な力を得る。それがこの大騎士教が支配する世界で権力を得る為の大原則だった。
かつて魔導によって魔物を討ち果たし、生存圏を確立した過去があるからこそその信仰は絶対だ。むしろ大騎士教にとって敬うものは『四騎士』ではなく、彼女らが持つ『力』なのかもしれなかった。
彼女らは素晴らしく神秘――即ち血統と力を受け継ぎ続ける存在だ。
魔導が火種、才覚が燃え上がらせる為の着火機構であるならば、才覚を構成するものは血統である。
四騎士が偉大であるのは、始祖の血を物理的に受け継ぎ続けているからだ。血管に、血脈にこそ才覚は現れる。
「だからこそ、大騎士教の統治は今の代まで五百年間。大きな戦乱もなく継続し続けている。力の統制こそ、統治に最も肝要な事です」
彼はレリュアードと呼ばれる男だった。壮年の頃合いで、口元には皺が刻まれ始めている。
温厚そうな顔立ちで、自然に閉じられた唇は僅かに笑みを浮かべているように見えた。ただ一つ奇妙なのは、壮年というにはその所作がやけに年月の重みを感じさせる所だろう。
彼は巨大とすら思われる円卓に座していた。部屋の飾り付けは荘厳だ。至る所に意匠が凝らされた銀色のレリーフが並び、大騎士教、そうして三大国の紋章が並び立つ。
これはこの場において、大騎士教と三大国が同列であり共に世界統治を担う者である事を示している。
実質と内心がどうであれ、建前はそうなっていた。当然、大騎士教には世俗の人間を嫌う者もいるし、三大国側にも大騎士教を鬱陶しがる者はいるが表向きには彼らは協力体制にある。
レリュアードは、大騎士教の剣だった。暗い銀色で整えられた司祭服に袖を通しながら、男は対面するたった一人の人物に声をかける。
「我々は、正しい道を歩いている。ですが理想には五百年経っても尚まだ未到達。自由と平等、博愛と正義が支配する世界を我々は作らねばなりません」
「――だからこそ、魔導と迷宮の管理は徹底するという理屈じゃろう。幾度も聞いたわ」
対面する女性は、まだ少女とも言える年齢だ。円卓に肘をつき、ふぁと欠伸をしてレリュアードの声を聞き流す。だがそんなだらしない所作においても、僅かな気品を感じさせるものが彼女にはあった。
実際、身に着けているものはどれも一目で金のかかるものだと分かった。財産だけではなく、一定の家格がなければ身に付けられないものだ。
レリュアードは少女の言葉に深く頷いたが、彼女は肘をついたまま口角を上げる。
「しかしそれは、迷宮探索の理念に反しておらんかのう。妾達があの墓場を掘り返しておる目的は、物資や素材よりもまさしく力そのものよ。五百年前の遺産を求めているにすぎん。探索者の中には、それを運良く見つける者もおるじゃろうて」
今回の対象者は、まさしくそれだ。
実地確認はされていないが、大騎士教の魔導目録に乗っていない過去の――大戦争前の魔導を用いた者がいる。確かにそれ自体は罪だ。魔導は大騎士教の管理にあるもの以外用いてはならない。
だが先に少女が言ったように探索者である以上、過去の神秘に触れてしまう可能性は幾らでもある。むしろその発掘を目的としている者も多いのだ。大々的に処罰してしまえば、探索者の意志を削ぐだろう。
レリュアードは片眼鏡を取り出して目元に取りつけ、手元の報告書を見ながら口を開いた。
「密偵より。その者は第六層を踏破したと、報告がありました。真偽は別としても、相応の魔導を手中にしたのは間違いがない。手が遅れれば、都市統括官が手を出すでしょう」
途端、少女は声をあげて笑った。
「はっはっは。なるほどそういうわけか。そなたらの仲の悪さは相変わらずじゃのう。妾を呼んだのはその仲介か」
「いいえ――スレピドの姫君。その少女と面談する際の、立ち合いをお願いしたいだけですよ」
レリュアードが片眼鏡を付けたまま、少女――三大国が一つ、大国スレピドの第二公女フェオドラ=ド=スレピドを見つめた。名目上は三大国は王国ではなく公国だが、フェオドラには王者の如き気品が漂っている。
三大国随一の大国であり、周辺国家と部族を食いつくして拡大を続けた猛者の血統が彼女には流れ続けていた。
「我々は、仲の良し悪しによって物事を決定しません。ただ、理を拠り所としてのみ判断を下します」
ぐいと、レリュアードの瞳が大きくなった。温厚そうな表情が僅かに獰猛さを滲ませる。
「迷宮の管理は彼女、しかし魔導の管理は我々だ。手は出させません。五百年前の神秘を持つ者がいるのならば、罪人としてでも、栄誉ある者としてでも、我々が確保するのは当然の事。我々だけがそれを許されているッ」
レリュアードの言いように、フェオドラはその意図のおおよそを察し取った。
詰まりは、これはその探索者を切っ掛けにした都市統括官シルケーと、大騎士教との主導権争いに過ぎないわけだ。三大国は四騎士を使って間接的に迷宮に関わりはするが、彼らほどに対立はしていない。
故に、迷宮都市に賓客として訪れているフェオドラを先に取り込み、大騎士教の立ち位置を有利にしようというわけだ。
フェオドラは一瞬考えてから、あっさり頷いた。
「良かろう。だが妾は好きにするぞ。スレピドは誰の味方でもない。ただ教理に従うのみじゃ」
「無論。それだけで構いません。全ては、大騎士の定めた教理によってのみ動くべきなのですから」
これは密約に等しかった。本来勢力間における取り決めは、そう易々と交わされるものではない。こうもはっきりと物事が進んだのは、互いの思惑が合致したものによるのもしれなかった。
彼らの言動の中心にあった人物――シヴィリィ=ノールアートが大騎士教管理の騎士教会に招かれたのは、それから十数時間後の事だった。
◇◆◇◆
「シヴィリィ」
迷宮都市アルガガタルの小路を歩きながら、思わず声をかけた。前にはローブを羽織った長髪の女が、相変わらずふんふんと鼻歌を歌いながらゆったりとした足取りで歩いている。
「どうしたのよ、エレク」
「ついていくのは止めた方が良い。分かってるだろ」
属領民ギルドハウスに訪れた女は、大騎士教の管理官だと名乗った。どれくらいの序列にいる者かははっきりとしないが、着ているものの質を見るに中々に金回りの良い立ち位置なのではないだろうか。シヴィリィにパンの代金として手渡した貨幣も質が良かった。
「でも悪い人じゃないみたいだし、大丈夫じゃない?」
「彼女本人の問題じゃあない。大騎士教そのものの問題だ」
そもそも、属領民が差別され蔑視される背景は、大騎士教が作り出した支配構造にあるというじゃあないか。属領民は彼らが崇める大騎士に恭順をしなかった勢力の末裔だからという理由でだ。
とすればそんな彼らが態々名指しでシヴィリィを呼びつける理由なんて良いものであるはずがない。
騎士とのいざこざ。いいやそれ以前に、都市内で起こした騒動で目を付けられていたのだろうか。もしそうだとすれば、もはやこの都市で暮らす事は難しい。
亡霊の身体のままシヴィリィに言う。
「シヴィリィ。俺に任せてみろ。目の前の奴一人を何とかする事くらいすぐだ」
「んんぅ。待ってよエレク。その、まだ分からないじゃない。だって私あの人とあったの今日が初めてだし。何かされたわけでもないのよ。得体が知れないからって、避け続けたら何処にもいけないじゃない?」
シヴィリィは考え込むように唇に指を置きながら、ううん、と唸ってから言葉を続けた。
「それに付いていくって言ったのは私だもん。勿論、確信があるわけじゃないけど。それでも言った事を破るのは駄目よ。しかもエレクに全部やって貰うなんて間違ってるわ。――それに、考えてる事もあるの」
彼女らしい、といえば実に彼女らしい言い分なのだが。
シヴィリィだって大騎士教に別に良い思い出もないだろうに。ある意味非常に楽天的とも言えるだろうか。考えている事、というのが何かは分からないが。ある程度人を信じられるというのは素晴らしい才能だ。俺には早々ないものだな。
ふと、前方の女が顔を上げた。つられて見上げると、高々とした建物が目に入る。都市の中でも一際視線を引く、大型の教会だ。この都市には幾つかの教会が整備されているが、ここは礼拝の為に訪れるというより大騎士教の人間が寝泊まりする為に用意された場所だろう。
「さて、ついたわぁ。どうぞどうぞ。入ってぇ。別にとって食べやしないからぁ」
ローブを被ったままの女は、そう言って中へと促す。まるで自分の家に招くかのようだ。
ため息をつき、シヴィリィの顔を見ながら言った。
「分かった。お前の意志を尊重しよう。だが無茶な事はしようとするなよレディ」
「任せて。私、案外臆病者なんだから」
嘘をつけ、と小さく言いながら、肩を竦めた。




