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第五十二話『朱騎士の眼光』

 緊迫と静寂。注目と警戒。複数の感情が一瞬の間に絡みあう。


 魔女と巨人(ギガス)。騎士と一団の視線が俺に注ぎ込まれていた。


 不味いな。騎士がいる以上、シヴィリィの身体で余り無茶苦茶も出来ない。それにもう魔力は大部分が尽きた。カサンドラから得られた魔力もまだ身体が吸収しきってはいない。


 混濁した状況に、俺すらも一瞬の逡巡を挟んだ後だった。


 一番最初に、エウレアが反応する。その場に膝を付き、僅かに頭を下げて口を開いた。


「失礼しました。御姿が違いましたもので。――承知致します、それこそ陛下のお言葉であれば」


「邪魔を入らせぬ事こそ、我らの最善と判断しての事。ご容赦を」


 ガリウスがそれに続き身を屈めるのとタイミングを合わせて、魔女と巨人(ギガス)の軍勢が一斉に道を開ける。まさしく号令に従うが如しだった。


 そうか。シヴィリィの身体ではあるが、彼女らが見ている本質は魔力だ。俺の魔力が収まっている以上、彼女らには俺そのものとそう変わりがないのかもしれない。


 しかし待ってくれ。俺はそこまでしろと言っていない。それにだ、俺達だけならまだしも今はすぐそこに、騎士とその一団がいるのだ。


 騎士鎧を全身に見つけた戦役の騎士の顔色は見て取れなかったが、しかし合間から見える眼光が俺を強烈に見据えている。


「金髪紅眼……。なるほど、己ら以外に第六層に入り込んだ探索者とは貴君らかな」


 属領民(ロアー)嫌い。そう称される騎士から向けられる言葉遣いは、意外なほど穏やかだった。先ほどの胡乱な言動とは 一線を画する様子だ。


 しかし、騎士に率いられる一団はそうではなかった。


 明確な敵意と侮蔑がその視線に含まれている。都市で正市民(ホーン)から受ける視線と似通ったもの。魔女と巨人(ギガス)らの動向に気を張っているのもあるだろうが、純粋に他者を見下す様子が彼らにはあった。

 

「色々と話は聞いている。では単刀直入に聞こう! 貴君は何故ここに居り、何をしているのか! どうして彼女らを手懐けているのか、全てをだ」

 

 朱色の騎士は、呼気を噛み殺さんばかりの勢いで言った。熱が瞳に宿り、強い感情が言葉には含まれている。


 それを聞いた時に相手の意図を理解して、指を鳴らす。


 ――こいつ、どう答えようと俺を殺す気だな。


 声色は穏やかに聞こえる。態度は率直なものに思える。


 しかし覆い隠しきれない敵意が騎士の声色には滲み出ていた。それはきっと、直接感情を向けられている俺だからこそ分かるもの。


 まだ間合いはあるが、奴の魔導がどのようなものか分からない。もしカサンドラの結界を揺さぶったレベルを何度も振るえるのであれば、今のままで太刀打ちはできないだろう。


 さてどう答えるか。どう振舞うか。


 金髪を軽く撫でつけ、目元を細めた。


「――全ては答えられない。これは都市統括官シルケーの関わるもの。オレがお前らに言うものではない。分かるかな、朱色の騎士」


「ほう」


 騎士が瞳をぴくりと上げたのが分かった。


 聞いたところ、四騎士連中と都市統括官は派閥的な対立関係にあるらしい。なら名前を出しておけば多少の抑止力にはなるだろう。相手の手のものに手を掛けるのは、それだけでつけ入らせる隙になる。


 無論ここは迷宮の中だ。全員を殺してしまえば、語るものは誰もいない。


 けれども、


「そうだな、ノーラ?」


 何故か騎士の隣にいるノーラに声をかけた。相変わらず彼女がどういう立場か今一分からないが、それでも捕らえられているという雰囲気ではない。むしろ知っている者に対する扱いに見える。


 ならば彼女の言葉は一定の力を持つはずだ。


 ノーラは唐突に話題を振られた事にびくりと肩を跳ねさせて、一瞬俺を忌々しそうに睨みつけたが。観念をしたように頷いた。


 周囲の視線が今度は俺ではなく、ノーラへと向けられていた。


「……本当だよ。今回僕らが第六層に来たのは都市統括官の依頼によるもの。もし他の探索者とのいざこざがあれば、僕とリカルダも報告せざるを得ない。それとも、その時は僕も殺すのかい」


「まさか。己が友を討つほど短絡者に見えるか! 愛とはそれほど儚いものではないぞ!」


 ノーラは騎士の言葉に辟易とした様子だったが、それでも警戒らしきものは見えない。何処か心を許している所すら見えるに、ノーラは騎士を信用しているのだろう。


 確かにその言葉だけを見れば、もはやこちらへの敵意を無くしてしまったようにも受け取れる。


 しかし、そんな事は無かった。


 戦役の騎士が抱いているものはそんな生易しいものではなかった。


 ぐるりと視線を変えて、騎士甲冑が俺を見る。瞳が赫々たる威容を伴っている。


 あの感情はもはや敵意ではなく――殺意と呼ぶのだ。


「良かろう属領民(ロアー)! 愛ゆえに、許容できないものを許容しよう。しかしだ。その顔は、覚えたぞ」


「忘れてくれても良い。オレはどうせお前の事を覚えない」

 

 それに関わり合いたいとも思わない。


 俺とリカルダが前に出て神殿から離れれば、すれ違うように一団と騎士が、神殿の中へと向かう。カサンドラの住処だ。中を改めるつもりだろう。


 だが中にはもう何もない。五百年前の残り香が漂うだけの、誰もいない廃墟だ。


 すれ違う一瞬に――強い視線を感じた。誰のものかを問うまでもない。


 ただ一人の騎士が、まるで俺を憎悪するかのように睨みつけていた。それは俺の言動だとか、この状況がだとか、振舞いがだとかいうものではないと確信する。


 アレはただ純粋に、属領民(ロアー)を憎悪している。属領民(ロアー)嫌いと言われるのはこれが所以か。今この場で殺し合いにならなかったのが奇跡だった。恐らくは結界の解けた神殿を優先したためだろう。


 同時に数秒ノーラとも顔を合わせた。彼女は表情で何事かを告げようとしていたが全く分からなかった。騎士に連れていかれていた所を見るに、何か事情があるのは分かるが。


「――よろしいのですか、陛下。あのような者を生かしておいて」


「良いんだエウレア。それに五百年前とは違う。好き勝手をやるわけにもいかない。死人は死人として振舞うべきだ」


 魔女侯エウレアの言葉に頷き応じる。ノーラは連れられてしまったが、神殿の中を彼らが探る間に俺達はこの場を早く離れるべきだった。


 何せいくら何でも、騎士は俺が――シヴィリィがカサンドラを殺したとは思っていないはずだ。もしそうなら、流石に見逃される事はなかった。例えカサンドラが神殿に不在でも、そこに何かしらの他の理由を考える。


 ならば多少時間の猶予はある。その間に、済ますべき事を済まさねばならない。魔女と巨人(ギガス)の軍勢を率いながら、丘を降りる。


「陛下、一つお伺いしたい事が」


「何だ」


 エウレアが俺の傍らを歩きながら、目線を僅かにずらして言った。


「あの、その御姿は一体……?」


 ああ。魔力で認識しているとはいえ、流石に気になるのか。俺も何時問われるものかとは思っていたが。


 正直、少女の身体を使っている事の説明をさせられるのは少し憚られる。


「……身体がなくてな。必要な時に借りてる。取り戻したかったのはこの子だ。騙すような真似をして悪かったな」


「いえ。陛下である事は承知しておりましたから。しかし身体を取り戻し、無事にお戻りになられたという事は――」


 エウレアが何を問おうとしているかは分かっていた。ガリウスも合わせるように俺を見ている。丘を降りた所で頷きながら言った。


「君らなら、魔力で分かるだろう。死んだよ、聖女は。私が殺した。殺してしまった」


 シヴィリィの身体のまま、二人に、軍勢に向け振り向いて言った。もはやここなら、そう簡単に声を聴きとられる事もないだろう。


 エウレアとガリウスは、大した驚きを持っていなかった。むしろ当然のような振る舞いだ。やはり彼らは聖女と何処かで魔力が繋がっていたのだろう。


 ならば無論、その結果にも想像を向けているはず。


「君らはどうする。いいや、どうなる?」


 気がかりだったのは、それだ。


 魔女と巨人(ギガス)らの軍勢は、カサンドラの魔導とこの第六層があったからこそ不死者として存在し続けていたはず。言わば彼らはカサンドラを生かしながら、彼女に生かされていたとも言えるわけだ。


 ならばカサンドラがいなくなれば、彼らはどうなる。


 応えたのはガリウスだった。

 

「……消えるのに、さほどの時間はかかりますまい。我ら、本来は死者にすぎませんゆえ」


「そうか」


 敢えて短く答え、謝罪の言葉は告げなかった。


 俺も彼らも、カサンドラすらも本来は死人でしかない。そこに謝罪の言葉を向けるのは、不合理な事だ。言うべきはもっと他の、そう例えば。


 魔女と巨人(ギガス)の軍勢を、再び見つめる。


「感謝する。――諸君らがいなければ、カサンドラに決着をつけてやる事も出来なかった。時を超えて、私に手を貸してくれた諸君らに、心からの感謝を」


「……勿体ないお言葉です、陛下」


 エウレアとガリウスが、無言のまま頭を下げた。他の軍勢らも、変わりはない。


 何故かその様子が、新鮮なものに思えた。五百年前の俺は、このような事すら言わなかったのではないだろうか。合理的に動く事こそがこの世の全てだと思っていた俺は、彼らにどんな言葉をかけていたのだろう。


 そんな想いがふと、痛みとなって心を過ぎった頃合いだった。


 エウレアが一人頭を上げて、言う。


「我々は陛下がおられなければ、未だ殺し合いを続けていたでしょう。五百年を経てのご恩返しが出来、これ以上の事はございません。ですが僭越ながら。消える前に、一つお願いがございます」


 頷いて、言葉を促した。


 例えそれがどのようなものであっても、聞いてやろう。それくらいの思いが、俺にはあった。

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