第四十八話『理想の果てにあったもの』
こいつは、シヴィリィが起きる前に殺さなくてはならない。カサンドラの姿を視界に収めながら、一人思う。
彼女の資質と本性は、余りにシヴィリィと合致しない。腹立たしいや、苦手とはまた違う。
だからこそ、きっとシヴィリィはなんでもしようとするだろう。
空気を吸い込む。空間は張り詰め、周囲を巡る亡霊の魂だけが轟轟と音を鳴らしている。俺を包み込むようにする有様は、まさしく封印だった。結界を張っていないのは、シヴィリィの体質には通用しないと理解しているからか。
だがぐるぐると循環しながら巡る亡霊の檻は、それと同じだけの役割を果たしている。
視界全てが黒に染まり、死の冷たさが酸素すら凍り付かせていた。この聖殿がいやに寒々しかったのは彼らの影響か。確かに脅威だ。亡霊の冷たさは、集えばそれだけで人間の温かみを抜き去り亡者にしてしまう。
だが、カサンドラの結界ほどではない。
目を細めて出方を伺いながら、短く詠唱を紡いだ。
「……『強化』」
手足にのみ魔力を漲らせる。そうして勢いのままに眼前の亡霊を魔力でもって掴み取り――そのまま勢いよく引きちぎった。手足を駆動させ、左腕を振るって亡霊の塊を弾き飛ばす。
魂の根を、生と死の境目をぶちりぶちりと引き裂いていく嫌な音がする。
大理石を踏み潰すほどに力を籠め、宙を跳んで亡霊共の檻を出た。
唇を僅かに噛む。瞳を動かして宙からカサンドラを見た。彼女は間違いなく俺を視線で追っている。まるでこうなる事が分かっていたかのよう。
やはりこれも想像の範疇か。カサンドラレベルの結界なら、シヴィリィの体質がなければ俺でも苦戦する。しかし、ただの亡霊の塊なら魔力の操作で幾らでも対処出来た。
ならば次の手を打ってくるはず。辿り着いた高い天井に足をついて、カサンドラとの間合いを詰めるべく天井の一部を蹴りつぶして跳ねる。
少なくとも彼女が守り手と呼ばれる以上、接近戦は得意ではないはずだ。『万物零落』が破れずとも、空間全てを使った接近戦を仕掛ければ勝機を見出す事も出来るかもしれない。やはりこんな事なら、武器の一本でも持ってくるんだった。
「――」
空中の俺に向けてカサンドラが手を伸ばし、五指を広げる。魔導が来る。魔力を用いて迎撃をしようとした瞬間だ。
「『堕ちなさい』」
ただ一言を、カサンドラは言う。瞬間、空間全てを彼女の一言が制した。
この聖殿の全てが彼女の言う事に従い、空気が捩じり狂う。俺の右腕が、痙攣をしながら――重力と慣性を裏切り地に堕ちていく。
右眼を見開いた。そうかそういえば、亡霊の身体で右腕には傷をつけられた。それだけでカサンドラは干渉するための布石を打っていたのだ。
「世界は、落ちる為に出来ているのですわ陛下。わたくしも、陛下も、万物も世界すら落ち続けている。万物の理たるわたくしに、逆らえる者がいるはずもない」
カサンドラが空間に『万物零落』を展開しながら、両腕を広げる。聖女の如き清らかさ、聖母の如き暖かさ、それでいて魔女の如き苛烈さが表情に浮かんでいる。
「零落もまた理。より安易に、より安穏に、より安楽に。高きから低きを人は堕ちるもの。墜としてさしあげますわ、陛下」
『大陸食らい』が、番鳥をやらされるほどカサンドラに従順であった理由の一端が分かった。万物零落とはよく言ったものだ。空を飛ぶ彼では、彼女には逆らえない。
彼女の魔導は高位なるもの全てを、低位へと落とすのだから。
右腕から大理石の床に勢いよく叩きつけられる。石床の一部が破壊され、欠片が頬を抉って赤い地を噴き出した。
『強化』をかけているというのにまだ腕が少し重いのは、この場全てが彼女の影響下に成ってしまった証左だろう。
間違いなく、時間が経てば立ち上がる事すらできなくなる。彼女に墜とされてしまう。直接的な攻撃能力は薄いが、ただ在るだけで脅威。
それこそが、零落の聖女カサンドラの本質。
立ち上がれば、肩が上下に揺れる。体力の喪失加減に愕然とした、やはりシヴィリィの身体はまだまだ、基礎体力からして足りていない。
そんな俺を、カサンドラが笑みを深くしながら見ていた。そうして感情を内に殺したまま言う。亡霊が彼女の周りを覆うようにして嗚咽を漏らしていた。
「如何でしょう、陛下。決して悪いように致しません」
「……俺は嘘をつくやつは嫌いでな」
「嘘ではありませんわ。どうして疑われるの? わたくしの言葉が信じられません? わたくし、陛下に嘘は申しませんわ」
首を軽く横に振った。彼女は決定的に、その在り方に嘘をついている。
人を騙すのは簡単だ。自分を騙すのも簡単だ。しかし唯一騙せないものもある。それは自分の信念から漏れ出た意志とでもいうもの。
呼吸を整える時間を取りながら、口を開く。
「死と生の循環。永遠の創造。お前は錬金の理想を完成させようとしていたんだろう。それが例え完璧でなくとも、完璧であろうとしたんだろう」
錬金術。魔導の礼式分類の一つだが、その理想は物質の変成。石から金塊を作り出し、一滴の水から秘薬を作り出す。そうして時に、死すら克服するとされた礼式。
彼らはその為に財貨をつぎ込み、その為に生涯を注ぎ込む。魔導を研究する人間達は自らの秘奥を探求すべく、何時か真理におぼれてしまうものだが。
だったとしてもその真理は失われるものではない。
「例え錬金の始まりが腐敗と零落であったとしても、それはより高貴なものに至る為の手段だ。落ちる事は真実でも本能でもない。ただの過程だろうが。人間堕落しようが這いつくばろうが、次には顔をあげてればそれで良いのさ」
錬金術において、腐敗は次の変成の為の準備に過ぎない。新たなるものを作り出す為には、一度先にあるものを壊さねばならないだけだ。
ため息を漏らす。心臓が強く鳴った。
亡霊に噛みつかれた影響だろうか。それとも魔導を使い過ぎたか。もしくは、カサンドラの干渉を受けて魂が目を開いたか。
何が原因かは分からないがそれでも、一つの事実として。
俺の中で彼女が、目を開いていた。問いかけるように言う。
「なぁ、シヴィリィ?」
『――勿論よ。這いつくばったままなんて冗談にもならないわ』
両脚で大理石の地面を踏みしめる。カサンドラが亡霊を轟轟と唸らせながら、俺達を見ていた。黒が紅蓮の瞳を貫いていた。零落の聖女の魔力が、頬に染みて伝わってくる。
カサンドラは瞳を冷たく開きながら、唇の形を変えて言った。
「陛下は、何時もそうですわね。何時も変わらない」
押し殺していた感情を、こらえ切れなくなったようにカサンドラが吐き出す。
「理想論なんて反吐が出るくらい嫌いな癖に、誰よりも理想家であられる。人の気持ちを無碍にしながら、人に寄り添うような真似をされる。――本当に、わたくしの感情を逆なでするのがお得意ですこと」
それは呪詛に近しかった。敵意が吹き飛び、より純然たるものに変貌していく。魔力の質が、一層強くなりはじめていた。
いや、抑えていたのか。俺を壊さないために。
今のカサンドラにそういった緩みの気配はなかった。感情の赴くまま、聖女という肩書など捨て去るように魔力を放出している。地面から沸き立ち揺らめく蜃気楼のようにすら見える。
空気を歪めるだけの放出量は、それだけで毒と等しい。
『エレク』
シヴィリィが俺の中で、唇を跳ね上げる様子で言う。彼女が何を言うのか、俺はもう分かっていた。
だからこそ言う。
「何もいうなシヴィリィ」
『嫌よ、言うわ』
目を細める。ああ本当に、いざという時のこいつは痺れる位に折れないな。
『私はあの子が間違ってるのか、それとも私が間違ってるのかも分からない。思想は、理想は正しいのかもしれない。けど、やり方は絶対に違う。それはきっと彼女だって傷つけてる。貴方がやらないなら、私がやる』
魔力を指先にため込み、空気を巻き込む。頬をつりあげながら、問うた。
「死んじまってもいいってか?」
『死なないわ。死なないように、死ぬ気で頑張るの』
思わず喉を鳴らして軽く笑った。危ういと分かっているのなら、見逃してしまえば良いのだろうに。
それが出来ないから、彼女なのだろう。
大いに結構。この場限りはシヴィリィに任せるより、俺がやった方がマシだとよく分かった。それにこれは、彼女の冒険ではない。
俺が五百年前に残してきた遺産との決着だ。長く伸びた金髪を振り払う。
指先に魔力を込め、それら全てを自らの身体に付与させながら言う。
「行くかシヴィリィ。俺とお前で、あいつを倒そう。堕ちたままで終わりはしないってよ、目にもの見せてやろうぜ」
短く詠唱を、告げた。
「魔導――。魔力解放、術式結合、五重付与『破壊』」




