第四十四話『変わったモノと変わらぬモノ』
さて魔女と巨人の軍隊とは、戦場においてどのような役割を演じるだろうか。
魔女の魔導によって並み居る敵を一掃するのか。巨人の渾身で強固な敵を打ち砕くのか。
どれも正しい。破壊本能と闘争本能の持ち手たちは、戦争という場でこれ以上ない役割を演じてくれる。
しかし本質は、それだけではなかった。
かつて彼らを王が最も頼れる者らと賞賛したのは、彼らが軍事行動の全てに秀でていたからだ。
「魔導――風技『真空刃』」
魔女侯エウレアが大杖を振るう。続いて魔女の一部隊は揃って風の刃を森林に向けて、それらをなぎ倒していく。丘には細い小路がある程度に過ぎなかったのに、それがすぐに部隊が行軍出来る程の幅に整地されていった。
「ガリウス」
「おう。任せい」
魔女らが大雑把に樹木を斬り伏せれば、次は巨人らの手番だ。魔物らが森から飛び出てくればガリウスの大剣がそれを振るい殺し、彼らの巨大な足は開拓された土を踏みしめ、道に作り替えていく。
かつてどんな荒地であれど、どんな断崖であろうと、彼らは後続の馬車や部隊が移動する為の道を用意した。そうして攻城戦となれば文字通り地形を変えて失陥させ、野戦となれば特有の獰猛さで敵を食い殺す。
不死者となってからはそんな理性的な戦い方など忘れていたが、今日この日に至ってはその叡智を取り戻して神殿へと進軍する。かつて王の戦車と呼ばれた者らの進軍は、余りに壮絶だった。
「な、何さあれ。というか何がどうなったわけ」
ノーラ=ヘルムートは、軍街道へと瞬きの内に造り変わっていく丘を遠目に見ながら呟いた。
エレクからはこんな話は聞いていない。彼が魔女と巨人の軍勢を止めてみせるから、一瞬でも良いので彼らの気を引けと言われただけだ。
そこで『大陸食らい』の死骸を戦場に投げつけてみたり、他に細工もノーラはしていたのだが。
先ほど唐突に伝達の音が耳に響いたかと思えば、彼らは一斉に丘へと、いいや神殿へと進軍し始めた。
さっぱり何が起こったのか分からない。
だが、誰が起こしたのかは分かる。
エレクだ。伝達の最後に聞こえてきた声は、間違いなく彼のものだった。それに、あの声に込められた熱量はそれこそ、ノーラが手を差し伸べられた時と同じ――。
ぶんぶんと首を左右に振って、ノーラは僅かに腰を下ろした態勢から立ち上がる。今彼女がいるのは、都市や神殿よりも第六層の入り口に近い箇所だ。最悪の場合に備えて、戦場が見晴らせるここにと言われていたがもういいだろう。腰に備え置いたククリナイフに手をかけ、脚に力を込める。
合流しよう。置いてけぼりにされるなんて冗談じゃない。そう思って、脚を駆けさせようとした瞬間だ。
「――うむ! 異変だな! 第六層で初めての事。奴の言っていた通りとは腹立たしい! しかし結構、探索を早めた甲斐があったというもの!」
迷宮に似つかわしくない大音声が響いた。がちゃりと、鎧が地面を踏み下ろす音がする。
ノーラにとって聞いた事のある声だった。しかし聞きたくもない声だった。
常に呼吸全てを吐き出すような声で、周囲を省みもしない様子。咄嗟にその場に身を隠すようにしながら、それを見る。
「しかし何も夜にとは思いましたが。はい……」
「力戦奮闘! 各員、状況の把握に勤めると良い! そういう事は苦手だ!」
「あ。聞いてませんね。はい……」
引きずりまわす一人と、それに引きずられる周囲。間違いがない。ノーラは目を瞬かせる。
緊張の呼気を、漏らした。
――朱色の騎士鎧が、闇夜に輝いていた。それは両腕を重ねるようにしながら言う。
「うむ! ――状況が把握でき次第、好機であれば進軍破壊する! 万事抜かりなく!」
◇◆◇◆
丘の上。神殿に迄進軍した魔女と巨人の軍勢は、部隊を整えながら神殿を包囲し尽くしていた。魔女エウレアが時に魔導を発露させ、ガリウスが号令をかける。
それだけで軍勢は波のように動いた。俺達が平野部で見ていた、ただ個々が好き勝手に動く個の集まりではない。正しく彼らは軍だ。
暫くしてから、エウレアが俺の下に近づいて言う。
「陛下。結界ですが、やはり十分に強固です。守りの術は聖女カサンドラの神髄ですから。そう易々と突破はしかねるでしょう」
「そうか。手だてはあるか?」
エウレアがすぐ頷いて返事をした。
「はっ。私達魔女が一部隊ほど大魔導を一晩照射し続ければ、流石に崩壊は免れないかと。もしくは、結界の反発を覚悟で巨人の軍勢を投入し続ければ綻びが生じますのでそこを――」
「待て。おい待て」
今随分物騒な案が聞こえてきた。
大魔導は魔導の純粋な上位互換のような名づけにしているが、実際はそうではない。
本来人間の血液たる魔力を用いて操作するのが魔導であれば、大魔導は人間の根幹と言える魂の使用だ。それを一晩中続ければ、そんなもの当然魂が摩耗し擦り切れるに決まっている。
不死者になる、ならないよりもっと酷い。永遠に魂が消滅してしまう嵌めになる。
「巨人の部隊も結界に突入し続ければ死ぬだろう。死んで魔力になれば、その分カサンドラの糧になる」
「ご安心ください。我らが回復魔導を使用し続け、絶対に死なせません。悪くとも数十名が正気を逸する程度です」
「……私の言い方が悪かった。もう少し被害の少ない手段を教えろ」
言葉遣いを改めながら、思わず頭を抱えそうになった。
どういうわけかこいつら、あっさりと自分の命どころか魂までも擲つ選択を俺に放り投げて来る。
エウレアは口元を抑えて眉間に皺を寄せながら、酷く考え込むように唸る。蒼い髪の毛が夜闇の中でふるりと震えた。
「しかし陛下。これが最も合理的かと存じますが。陛下のご期待に沿えませんでしたでしょうか」
エウレアに言われて、何故彼女が物騒な案ばかりを出してきて、それでいて拒否すれば不思議そうな顔をするのかようやく分かった。
つまり、五百年前の俺はこういう策を堂々と実行していたわけだ。頭が痛くなってくるな。確かに合理的で、最も上手くいく方法かもしれない。戦争に被害はつきものだ。それは否定できない。
むしろそれを即断するのが俺の本質だったはずなのだが。
指を鳴らし、眉間に皺を寄せる。脳裏でシヴィリィを思い出してしまっていた。少なくともあいつなら、やっぱりこの策は取らないだろうな。
それにあいつは俺の教え子らしい。ならもう少しマシな事を教えてやりたいものだ。彼女にも、ここにいる彼らにも。
もう今は、五百年前ではないのだから。魔物と戦い続け、ありとあらゆる犠牲を払って勝利しなければならなかったような時代ではないはずだ。もしまだそんな時代が続いているのなら、その為に命を賭けるのは俺の役回りだろう。あの戦争の全ての責任は、俺に帰結すべきものなのだから。
口を開いた。
「エウレア、ガリウス。結界の破壊に至らなくて良い。一瞬解れを作るのならどれくらいで出来る」
「一瞬、ですか」
エウレアが怪訝そうな顔をしながらも、頷いて言う。
「それならばすぐにでも」
「魔女部隊が魔導を用い、我らが数度突撃をすれば可能かと」
ガリウスが大剣を肩に抱えて呼応する。むしろそれだけしても一瞬の解れしか出来ないのか。彼らが手を貸してくれて良かった。俺達だけではどうにもならなかっただろう。
ふと思えば、姿を消していたココノツの気配を感じない。流石に状況が状況だ、一時的にどこかに避難でもしたのだろうか。まぁ、この状況ならそちらの方が安全だ。
残念ながらリカルダには直前まで付き合って貰う必要があるが。何せ他に身体がない。
『シヴィリィさんが何時もどんな気持ちか少しわかりました』
しかしリカルダも不服そうな様子は見せながらも、否はないらしい。もし彼が本気で身体を取り戻そうと思えば、無理やり身体を借りているだけの俺などすぐに追い出せる。
彼も何だかんだと、俺の考えに乗ってくれているのだ。
『危険だとは思っていますよ。しかし、こんな経験は二度と出来ません。心なしか、少し期待があるのも事実です。傭兵は案外、好奇心旺盛なものですから』
ほう。意外と良い性格してるじゃないか。その通り、世界なんてものは心が弾まなきゃあ嘘だ。そうでなければ、生きている甲斐がない。
まぁ、彼にまで命を賭けさせる気は俺にも当然ない。直前まで付き合ってくれればそれで良い。
一息を入れて、エウレアとガリウスの瞳を見て言う。
「――では私が中に入って、聖女と相対する。一瞬で良い、解れを作りたまえ。その後は無理をしない程度に結界の破壊活動を継続」
「ッ! 反対致します。我らと同様に聖女も、もはや五百年前と同じとは言い難いでしょう。御身が危険にさらされることが有り得ないとは言えません」
エウレアが即座に言い切った。その上、言葉を続ける。首筋が震え、まるで死を覚悟する様子にすら見えた。
「……申し上げがたいですが。王は、魔力が著しく低下されております。まるで亡霊のように」
「我らも、御身を守るための軍勢であればこそ。どうかあの頃のように供を果たしたい」
ガリウスが巨大な身体を屈めながらエウレアを庇うように言う。その顔にもやや悲壮な色が見え隠れしていた。
怪訝に思ったが、すぐに理解する。彼らは怯えているのだ。
不思議なものだった。俺はきっと五百年前、彼らとこんな風に話した事がない。彼らに言葉など許した事がなかったのだ。だからこそ彼らは、今こんな様子で首を差し出している。
何せあの頃は、ただ合理的に物事を進めるだけだったからな。
あきれ返るほどの時間が経ってようやく、俺は人の言葉に耳を傾ける事が出来るようになったわけだ。我が事ながら、苦笑する。吐息を漏らしてから言った。
「二人とも。良いかよく聞け。私は君らの王であるなら、君らの忠誠に応じなくてはならない。もしも聖女カサンドラが君らを利用していたのなら、私がこの手で彼女に報復しなければならない。ならば突入するべきは君らではなく私なのだ。これは命令ではない。だが――私はそうしたいと思う。聞いてくれるか」
こんなもの、交渉でもなんでもなかった。ただ感情を言葉にしただけで、かつての俺が聞いたら馬鹿らしいと笑い飛ばすだろう。酷い有様だと。
けれど、エウレアはそうしなかった。ガリウスとあわせてその場に膝を付きながら、数秒を待って俺の言葉に応じる。
「――それが、真に王のお言葉であれば。私達に否はございません。万事お任せあれ。ですが、私達にも私達の最善を尽くす事をお許しください」
震えるような声で、エウレアはそう言った。顔を俺に見せてはくれなかった。
だから俺もすっくと立ちあがって応じる。
「では頼んだ、魔女侯爵、巨人将軍。突入の準備を」




