第四十二話『理想のあの夜と偽りのこの日』
夕暮れが、地に落ちていく。地面が朱色に染まるのが、一瞬血に塗れたように見えた。
事実、これから大地は血に染まる用意をしている。夜の時間が始るというのに、平野部は全く人に満ちていた。三角帽子を被り、得意げに杖を手にする魔女。唸りをあげて、大地を睥睨する巨人。
誰も彼もが戦意に満ちている。夜の戦は珍しいが、これを決戦と称するだけあり、存在する全ての兵を数えれば三千に届きそうだ。近づく者は例外なく叩き伏せてしまいそうな勢いがある。
篝火を焚き、時に魔力の灯りを使いながら彼らは戦声を上げている。何故態々、夜に決戦などと称して戦役を行うのか。俺にはおおよその想像がついていた。思い出したというより、思い至ったが正しい。
「……そうか、全部五百年前の焼き直しか」
夜という時間、丘の下の平野部という場所。五百年前の魔導決戦において、魔物の本隊を追い散らした戦役の一幕と酷似したシチュエーションだ。
魔女と巨人の軍勢は、かの戦役において赫奕たる戦いを演じた。それこそ、世の人々全ての賞賛を受ける位の。喝采は嵐の如く、万雷の声が彼らを迎えた事だろう。
ひょっとすればそれは、彼らが世界に本当に受け入れられた瞬間だったのかもしれない。
俺は戦場が見下ろせる位置に立ちながら背筋が粟立つ思いがした。
だからこそ、彼らは今も戦い続ける。繰り返し続けるのだ。不合理などと、笑い飛ばす事は出来ない。人の有様を笑える奴は、痛む傷を負った事がない奴だけだ。
目を細める。胸に重いものがあった。
きっと彼らが戦いの中で幸福だったのは間違いがない。けれど、それだけではなかったはずだ。友人も家族も、恋人だっていただろう。
それでも今ここにいるのは、彼らには、迷宮に縛り付けられざるをえない何かがあったのだ。狂気的な幸福を見続けねばならない何か。暴走的に執着させられてしまう何か。
大きくため息をつきながら、傍らのリカルダとココノツを見る。リカルダは難しい顔をして眉間に皺を寄せ、ココノツは両腕を組んだまま何故か堂々と背筋を張っている。
「これを本当に、止めるおつもりで?」
リカルダがココノツには聞こえないよう、ぼそりと言った。眼下には戦意の充満した魔女と巨人の軍勢――いいやもはや戦士の集団といった方が良いかもしれない。彼らは命令によって戦う兵士ではない、ただ自らの意志で戦う者達なのだ。
リカルダの問いに気易く頷いた。
「言っただろうリカルダ。彼らの戦争は、カサンドラの餌だ。彼らが死ねば死ぬほど魔力は発散されて、その度にカサンドラは強固になる」
それは非常に不味い。今のカサンドラに魔力を食わせるわけにはいかなかった。
カサンドラは今日、一度神殿に張られた巨大な結界を張り直した。特筆すべきはそれが以前のものよりはサイズを小さくしたという事だ。
つまりカサンドラをもってしても、あれだけの結界を張り直し維持するのには膨大な魔力を使用したはず。
ならば彼女に注ぎ込まれる魔力の供給を断てば、結界の一角を崩壊させる事が出来るかもしれない。やや憶測に基づいた行動だが聖女が敵である以上、どちらにしろ魔力の供給は止めるべきだ。
「必ず、ここで止める。それに魔女も巨人も昔の仲間だ。俺は無様におおよそ忘れてしまったが。それでも昔の仲間が殺し合ってる理由が、あんなものだと聞かされたら止めないわけにもいかないだろ」
俺は俺がどんな馬鹿らしい死に方をして、どれほどの責任を投げ捨てたのかも忘れてしまったけれど。それでも俺の責任が五百年後のこの世界にも残っているのなら、果たしてやらねばならない。
仲間への責任という奴だけは、合理で選択してはいけないのだ。
「リカルダ殿! 先ほどから何をぼそぼそと呟かれているのでありますか? これとシヴィリィ殿の捜索にどんな繋がりが!?」
ココノツが槍を杖のように地面に突き立てて黒い髪の毛を振るう。待ての出来ない犬みたいだった。
リカルダはこほんと喉を鳴らしてから、俺の言葉を代弁する。
「ココノツさん。貴方は隠密が得意なようですが、人を同行させる事も出来るのですよね?」
「えへん! 勿論でありますな。自分の朧隠れの術ならその程度お茶の子さいさいなのであります!」
こいつ前は秘伝の霧隠れって言ってなかったか? せめて自分の特技くらいはちゃんと覚えろよ。
表情を歪め、重い唇をゆっくり開いてリカルダが言う。
「ならば私を、片方の軍勢に連れて行って頂きたい。無論、誰にもばれないようにです」
「……ぴぎゃ!?」
ココノツが潰れたカエルのような声を出して、表情を大きく崩した。
◇◆◇◆
魔女エウレアは、杖に魔力を集中させる事で自分が万全だと知った。
血の滾りが良い。魔力が循環し、エウレアの身体を奇跡を起こすためのものに作り替えていく。
鉄兜の巨人ガリウスは、その様子を見ながら大剣を肩に担いだ。エウレアが思わずそちらに振り返る。
「ガリウス、調子は?」
「おう。良い調子だわな、エウレア。良いのう、良いのう」
ガリウスもまた弾けそうな鋼鉄の筋肉を漲らせ、尖った歯を強調するように笑った。とてもとても楽しそうだった。いいや事実、楽しいのだ。エウレアにもその気持ちは分かる。たまらなかった。
幾度かの小競り合い、前哨戦。互いを探り合いながら、夜に決戦を行うこの時。そう、あの日と同じ。あの五百年前の夜と同じだ。
我らが栄光の夜。我らが救いの夜。
戦争は良いとエウレアは思う。生き残る事と、死ぬ事しかないからだ。他に何も考えなくて良い。世情も、大切な何かがあった事も、思想も主義も全て放り投げられる。一片の余裕も選択の余地もなく、ただ尾羽を振り上げて抗うしか道はない。
エウレアが笑う。最高だ。素晴らしい。戦場にだけは、真の友情があるのだ。真の平等があるのだ。
――もしかすれば、違ったかもしれないけれど。
そう、信じた。エウレアもガリウスも。周囲の者も。誰もが信じた。だってそうでなくては、ここ以外に幸福があるのだとすれば。こんな場所でしか幸福を掴めない自分達が何なのか、分からなくなってしまう。
「本当に、楽しいわ。ええ、ええ。これで何度目の決戦かしら。何度目のあの夜かしら」
「さぁのう。何度でも構わんが。戦えさえすりゃあの」
ガリウスの言う通りだと、エウレアは頷いた。戦えさえすれば、それで良い。
けど惜しむべくは、一人がいない事だろうか。あの夜、あの戦役。自分達を率いていた、逃げ腰だった自分達を奮い立たせた彼。
もはや名前と顔すら頭に浮かばなくなってしまったけれど。そこに誰かいた事だけは、エウレアは覚えていた。
軍勢が落ち着き始めた頃、エウレアは篝火に照らされるように用意された台の上に立つ。傍らにはガリウスが備える。
誰が決めたわけでもなかったが、間に合わなかった時以外は常に先頭に立って指揮をするのがエウレアとガリウスの役目だった。もしかすると、自分達はそういった役回りだったのだろうか。
欠片も、覚えていないけれど。
「皆、夜が来たわ。あの夜が来たわ。私達の活躍は、永遠に語り継がれているでしょう。未だ生まれぬ国において、未だ生まれぬ言語において」
エウレアが、抑揚をつけて言う。吐息を漏らし、実に手慣れた様子で話した。魔女と巨人の群れは、それに呼応するように杖や武具を鳴らす。それらこそが、彼らが戦場で愛した音楽なのだ。
エウレアは言葉を発し、時に身振りを加えながら最後にこう付け加える。
「ですから――憎悪すべき敵を殺しましょう。それこそが私達の望みなのだから」
魔女と巨人が声をあげる。千を超える彼らは、もはや暴力の顕現だった。殺し合う為に、粉砕し合う為にいる。
では行こうとエウレアが言う。かつての父母を、かつての友を、かつての友人を憎悪しながら殺すために。あの夜をもう一度、味わうために。
最初の閃光をあげようと、エウレアは大杖に魔力を込める。それが何時も、この夜の始まりの合図だった。最後の一人以外誰も生き残らない夜の。死して尚、不死者となって尚戦い続ける彼らの闘争の始まり。
――しかしその戦役の興奮は、思わぬ轟音に打ち消される。
敵方の合図ではない。かといって攻撃でもないだろう。はっきりとは見えないものの、巨大な生物のようなものが戦場に落とされたのは分かった。
「むぅ……あの戦士か?」
一瞬の魔力の煌めきに、ガリウスが言う。一度自分を殺した少女の魔力を、この巨人は忘れてはいなかった。彼女が何故そんな事をするのかが分からない。
しかし神聖な戦場を汚そうとしているのなら許されざる事だ。
全員が敵意や憎悪を伴って、戦場の中心を見た。ある種自らの理想の夜を壊された憤懣が全員にあった。
その段になってエウレアは、それが自分達の視線を集めるための仕掛けだったのではないかと勘づいた。
何故なら、そこに一人がいたからだ。
暗闇の中、足元が篝火に照らされるばかりで顔がはっきりと見えないが。炯々と瞳だけが輝いている。魔女ではない。巨人でもない。この第六層の住人ではない。
「……ぁっ」
しかし、エウレアは瞠目した。いいやガリウスも、他の者も同じ。
それが誰なのか、顔も見ていないのに分かった気がした。
彼は両手を開き、指を鳴らす。彼が好んでいた仕草だった。暗闇の中、瞳だけが動いて声を響かせる。
「よう。諸君」
気品というよりも粗野。しかし重みのある言葉遣い。余りに聞き覚えのある声。
エウレア達が押し黙っていると、暗闇の中、双眸だけを輝かして彼が言う。
「――五百年ぶりで合ってるかな。諸君らと違って、こちらは殆ど寝起きでな」




