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第四十一話『我に策在り』

 聖女カサンドラが宙に指を揺蕩わせて笑う。青白い髪の毛が彼女から輪郭を切り取るようにぼんやりと輝いて見えた。


「別の道筋が、幸福が、選択があったかもしれないというのは、曲りなりにも幸福を掴んだ者の言葉でしてよ。貴方は幸せなのね、お嬢さん。けれど世の中には、幸福を選べない者も大勢いますもの。貴方にならその気持ちは分かるのではなくて?」


「何の話を、しているのよ」


 シヴィリィに、一つ一つ釘を打ち込んでいくような言葉遣いだった。絶句するように唇を噤んでしまった彼女を見て、カサンドラはすぅと椅子から身体を立ち上がらせる。均整の取れた身体つきは、人形でも見ているかのような気分になった。


 先ほどまでの蕩けるような笑みは消え失せ、どこか穏やかすら感じさせる表情をカサンドラはしていた。


「――ごめんなさい。意地悪な質問でしたわ。ええ、わたくしも本当は悲しくありますの。お嬢さんの仰る通り、あの方達の本当の幸福は戦争を続ける事ではありません。今夜にもある決戦も、真に目指したものではない」


 こつり、こつりとカサンドラが大理石の床を靴で叩いて、シヴィリィに近づいてくる。


 その真っ白にも思える相貌は、周囲全ての風景を失わせるほどに人の視線を惹きつけた。シヴィリィが思わず一歩を引く。


 言葉はこちらを受け入れるようなものであるのに、カサンドラには一切妥協をしたような素振りがなかったからだ。いいやむしろ、もっと別のもの。


「それなら――ッ」


「あの方達の望んだ事はただ一つ」


 シヴィリィの言葉を噛み殺し、指を一本立ててカサンドラが瞳を大きくする。


 その瞳には偽りではない悲しみと、そうして遠い時を見通す輝きがあるように思えた。今までどこか達観した様子を見せていたカサンドラから、感情が滲み溢れていた。


「――ただ、王の下で再び戦いたかったのです。彼らにとって、わたくし達にとって、満たされた時とは即ちそれだったのですもの。勘違いをなさらないで。わたくしは彼らが憎くて、あのような事をしているのではありません。

 不死者となって迷宮に縛り付けられるあの方達を、偽りでも救いたいだけなのですよ」


 カサンドラがまた一歩シヴィリィに歩み寄る。それはまるで獲物に近づく獅子のような様子だった。


 魂が吐息をあげる。王と、こいつは言ったのか。魔女と巨人(ギガス)は、王と共に戦っていたのだと。


 魔女も話はしていたが、やはり聖女だけでなく彼女らもまた五百年前の戦役からの生存者――いいや、迷宮(エルピス)に縛り付けられている被害者か。


 しかし奇妙な事だった。この迷宮(エルピス)に入った者は、自ら入りこんだものばかりだと思っていたのに。縛り付けられてしまった者がいたというのは、どういう事だ。


 出来る事ならその場で問いただしたかったが、この場で声を発せるのはシヴィリィとカサンドラのみ。


 シヴィリィが困惑を露わにしながら問う。


「じゃあ、それならどうして。迷宮の外で人を襲ったりするの。探索者を殺してしまったりするのよ。そんな事しなくたって」


 実際、カサンドラと不死者の軍勢は外で幾度も災害を引き起こしている。他に目的を持たないとは到底思えないが。


 そう、思った瞬間。底冷えがするような笑みをカサンドラが浮かべているのに気づいた。今まではどこか慈愛に満ちた表情をしていたのに。今のアレは、そんなものではない。


 言うならば、悪意に近しい。


「お分かりに、なりませんの。――あなた方がわたくし達を追放したのに?」


 カサンドラがシヴィリィにぐいと顔を近づけて問い返した。いつの間にか彼女は、シヴィリィの手を取れそうな距離にいた。死んだように静かな気配で、聖女が笑みを浮かべる。


 瞬間、視点が反転した。否、シヴィリィが態勢を崩したのだ。視点が横たわったまま、一向に立ち上がれない。


 背筋を悪寒が這いまわる。シヴィリィの瞳が痙攣したように痺れを起こした。聖女カサンドラが、冷酷さすら感じる瞳で、こちらを見下ろしている。


「変わったお嬢さんですこと。探索者ならば、わたくしがどういった存在かも知っているのでしょう。だというのに縋るでもなく、かといって武具を抜くのでもなく。本当に、変わったお嬢さん」


 指先が動かない。呼吸が苦しい。心臓の音だけが激しく脳内に響いている。


 やられた。これは攻撃を受けたのでも、魔導を受け止めていたのでもない。ただカサンドラの濃密な魔力を注ぎ込まれ続け、身体の機能を封じられたのだ。


 長話をしていたのはこのためか。体内の魔力構造が断裂された今のシヴィリィでは、抵抗すらままならない。


 思わずシヴィリィの名を呼んだが、届くわけもなかった。


「ぇ……あ……え?」


「ご安心なさい」


 零落の聖女カサンドラは、再び蕩けるような笑みで、頬をあげる。動けなくなったシヴィリィを華奢な身体で優しく抱き上げ、意識を失っていく瞳に向けて言った。


「わたくしは貴方にも、救済を約束致しますわ」



 ◇◆◇◆



 ――視界が、俺の手元に戻ってくる。霊体の感触が、懐かしくなるほどだった。


「――ちょっと。エレクッ!? 急に固まってどうしたのさ! シヴィリィは!?」


 俺へそう呼びかけるのは、顔を青ざめさせたノーラだった。場所は神殿のすぐ傍。先ほどシヴィリィが倒れ伏した時からさほどの時間は経っていないようだ。


 ノーラの狼狽にあわせ、リカルダもまた久しぶりに薄い笑みを消して言う。


「シヴィリィさんはどこにいかれたのか、お分かりになりますか。流石にここで一人はぐれるのは不味い」


 その言葉は冷静さを保ちつつも、どこか不安定な様子を隠している。


 ココノツは俺が見えていないものの、それでも事態は把握しているのだろう。木の上に登りながら、周囲を見渡すように黒い髪の毛を揺すっていた。


 俺は親指で神殿の方を指しながら言った。


「暫く感覚が繋がってた。シヴィリィは神殿の中だ。悪い事にカサンドラに捕まったがな」


「……想像する限り二番目に悪い報告をありがとう」


「一番目はなんだよ」


「殺されてる事に決まってるでしょ」


 ノーラが音を立てて歯噛みしながら、俺と同じように神殿を指さす。その冷静な瞳が今ばかりは熱を起こしていた。


「じゃあ僕らからも悪い知らせ。シヴィリィが消えた後、結界が復活した。一つ目ほど規模は大きくないけど、神殿はばっちり覆ってるよ」


 思わず頭を抱える。どうやらカサンドラはちゃんとした性格をしている。色々と言葉を弄してはいたが、結界を破った者を瞬間転移(テレポート)で移動させるのは、張り直した結界を再び破られない為の措置だったというわけだ。こうなれば残った俺達は手が出せない。


 ノーラが大きく呻いた。


「最ッ悪だ。シヴィリィは囚われたまま。神殿には入っていけない。……どう。シヴィリィは単独で脱出出来そうだった?」


「無理だ。むしろ魔力や魂を弄られる可能性が高い。カサンドラは五百年前の生き残りなんだろう。ならそういう手法は幾らでも知ってるはずだ」


 何せ、俺や仲間たちですらそういった手法はよく知っていたのだから。戦時という狂った時代が、全ての狂気を肯定してしまっていた。


 思い出してみれば、この第六層そのものがあの狂った時代の一角のようだった。


 際限なく戦い続ける者ら。狂気的な目的を抱く者ら。いっそ懐かしさすら感じた。あの時代は、全員がどこかおかしかったのだ。


 リカルダは暫く口元を抑え込んでいたが、深刻な表情を崩さないまま口を開いた。


「どうでしょう。もう暫くもすれば戦役の騎士が探索を始めるとの事です。助力を請うと言うのは」


 第六層に潜る前、ルズノーの奴が言っていた件だ。朱色の鎧を身に纏う、戦役の騎士。四騎士の一人がパーティを伴って降りて来る。


 確かにヴィクトリアと同格の騎士ならば、聖女相手にも手があるかもしれない。殺せてはいないとはいえ、対抗は出来ているのだから。


 しかしあっさりとノーラが首を横に振った。


「無理だね。戦役のが属領民(ロアー)嫌いで有名なのは知ってるでしょ。よりによって金髪紅眼のシヴィリィが聖女に捕らえられたからって、アレが救うわけがないよ」


 ノーラはまるで戦役の騎士を知っているかのような口ぶりだった。言っている事は最もに聞こえたが、リカルダも対抗するように言う。


「いえ。見たでしょうシヴィリィさんが結界を破られたのを。最初は体質から軽度の解錠(アンロック)を宿しておられるものと思っていましたが。こうなれば話は違います。聖女の結界を破れるほどのものは、騎士も利用価値を感じるはず。交渉条件になるのでは」


「……そうは言っても、数日後って話だよ。シヴィリィを数日間聖女に預けておくって? 流石に予定を崩してまで潜ってはくれないと思うよ。それよりも、他に結界を破る術を探すべきじゃないかな」


 言われてリカルダは暫し眉を潜めて言葉に詰まる。あっさりと返答は出来ないが、否定的な様子だった。


 実際、リカルダとノーラ、それにココノツではまず結界を突破出来ない。そこに時間があろうが無かろうが関係はないのだ。ならまだ可能性がある方に賭けるべきだというのは、至極合理的だった。


 それに俺も、シヴィリィが囚われてしまっては出来る事はごく僅か。誰かの身体を借りたとしても、戦闘なら一瞬、それ以外でもそう長くはもつまい。


 喉を鳴らす。


 ――どうする。どうすべきだ。何をすべきか。


 久しぶりに、冷や汗をかいた。霊体でも、汗をかく感覚は覚えるらしい。


 考えろ。劣勢は幾らでもあったはず。どうやって、この現状を切り抜ける。


 リカルダの案は現実的だ。相手側の機嫌次第になるとはいえ、一番可能性が高い。ならノーラが言うように結界を破る術を探しつつ、騎士を待つのが良いようにも思えるが。


 じっくり十秒を考えてから指を鳴らした。


「いや、駄目だ。今すぐ動く、数日は待てない」


「……それは、どうしてです?」


「言っただろ。カサンドラは五百年前の生き残り、俺と同じだ。二日もあれば人は壊れる。せめて今日一日で終わらせないとシヴィリィがどうなるか分からん」


「同じ――?」


 リカルダが一瞬目を歪めたが、今は問答している時間が無かった。もうすぐ夕方になり、日が暮れる。カサンドラは、魔女と巨人(ギガス)による決戦は今夜だと言っていた。


 ノーラとリカルダの視線を受けながら、言った。

 

「ココノツを呼んで、伝えてくれ。手はある。胡乱な記憶と、カサンドラの言葉を繋ぎ合わせた綱渡りだがな。任せろ、これでも修羅場は何度も超えて来た」

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