第三十九話『属領民たるものの心得』
聖女の神殿周辺部。寝転がらせたシヴィリィの身体にゆったりと、数本の薬液を振りかける。それと合わせて魔力を活性化させ、皮膚と内臓の治癒を促進させた。
彼女の身体に入ってみれば、もはや殆ど死にかけだ。よくこの身体であれだけ吼えられたと感心する。
だが幸い身体の欠損はなかった。筋繊維や皮膚組織、炭と化しかけていた骨の一部は治癒と薬液の力を借りた魔力の活性化で間に合う。
一番の問題は、体内の魔力構造だった。『破壊』を体内に充満させるなんて無茶をすれば、魔力を通す為の管はズタズタに断裂する。天稟の魔力操作能力であれば別だが。
目を瞑って、シヴィリィの体内に視界を通す。体内を通る血液は目であり、体内を直接見る感覚をイメージする。血液の循環にあわせ、体内の様子がじっくりと見えて来る。
舌打ちを漏らす。案の定、シヴィリィの魔力構造はぐちゃぐちゃに断裂され、どこがどう繋がっていたのかすら判別困難な状態だ。一つ一つ繋ぎ合わせていくしかないが、暫く時間がかかるな。
唯一喜べるのは、魔力量の回復だけが異常に良かった点か。いや、そうか。これは『大陸食らい』の魔力を吸収したのだ。
不意に、神殿のすぐ近くで息絶えた『大陸食らい』の肉体を見る。
「どう、シヴィリィは大丈夫そう? あんなの真正面から浴びたんだから、どこかおかしくなってそうだけど」
『大陸食らい』から肉や爪といったものを切り取りながら、ノーラが言う。黒血塗れになってはいるが、彼女自身に大した外傷はなさそうだった。
シヴィリィの身体を借りたまま、上体を起こして両手を開き、もう一度閉じる。軽く立ち上がればまだふらつく所はあるが、これは血液を吐き出しすぎた所為だ。
「いや、身体は大丈夫だ。お前らもよくやってくれた。シヴィリィだけなら幾つか手が足りなかったよ。赫奕たるものだ」
「……我々としては、当初の話のままに動いただけですから。未だ実感らしいものが湧きませんが」
「いやまぁ。嬉しいし喜んでるんだけどね? こう、緊張が抜けきらないというかさ」
リカルダもノーラと共に『大陸食らい』を解体し、その羽と骨を回収し続ける。矢等の材料にするらしい。すらりとした長身で顎を引き、苦笑するようだった。
ノーラが言う通り、二人の表情にはまだ緊張が残っている。
自分達より遥かに格上の『大陸食らい』が、今目の前で死骸を晒している事が異様としか思えないのだろう。ノーラの活躍は言うまでもなく、リカルダもまた巨人の如く『変貌』して敵を陽動し、後衛から援護を続ける役割を果たしてくれたというのに。
この時代の人間は、一つの観念に縛られ過ぎている気がする。レベル上限や階層、血統によって上下を決め、それは固定化されたもので動きはしないという考え方だ。
ノーラやリカルダは勿論、シヴィリィさえも何処かそういった節がある。
だが、今回の事でそれも少しは動いたのではなかろうか。紅蓮の瞳を見開いて二人へ視線をやる。両者を覆う魔力量が、明らかに増加し始めている。
やはりレベル上限という思想の根幹はそこか。まだ完全に判明したわけではないが、おおよそ予想はついた。
だがシヴィリィの身体同様、詳しくは地上に戻ってからにするしかない。流石にこの満身創痍の状態で再び探索を続けるのは厳しいし、『大陸食らい』を仕留められた事で良しとすべきだろう。第六層の攻略には一歩繋がったはずだ。
身体と意識が、僅かに蠢動した。どうやらシヴィリィが意識を取り戻したらしい。身体を明け渡して、ぼぉっとした様子の彼女を見る。
「……おはよう。もしかして寝てた私?」
「今起きたんだから、そりゃあ寝てたんだよ」
軽く受け答えをして、ノーラとリカルダがシヴィリィに気づいたのを見計らってから口を開く。
霊体の顔をシヴィリィに近づけた。言わねばならない事が幾つかある。
「シヴィリィ。お前、さっきみたいな魔導の使い方どうやって知った? ――あんなもんはな、イカれた奴が使ってた魔導理論なんだよ。使い続ければ死んじまうぞ」
冗談でも脅しでもない。一度魔力構造が破壊された上で、更に破壊を重ねれば、もう二度と取り返しがつかない事になる。骨も折れただけならまだ治しようはあるが、粉微塵になってしまえば諦める他ないのと同じだ。
そうして、人間にとって魔力は二つ目の血と言える。魔力を持たない人間も、魔力が全身を通らない人間もいない。魔力構造が全て破壊されれば、血の循環を失ったのと同じ。もう人間は生きられない。
だがシヴィリィは紅蓮の瞳をぐいと開き、言った。
「記憶の中で貴方に教わったの。勿論、びっくりするくらい痛かったし、必要ないなら使わない。でも……必要なら使うわ。道具は使ってこそじゃない?」
「命がけだぞ、シヴィ――」
「――エレク」
珍しく、シヴィリィが俺の言葉を食い取って言った。彼女は素直に俺の言う事を聞くことが多かったから、こういった事は稀だ。まだ戦闘の余韻が残っているのか。紅蓮がぎらりと輝いていた。
「属領民は何時だって、命がけだもの。私達が何かをするって、そういう事よ」
弾け飛んだ金髪を再び両手で一つに編み上げ纏め、シヴィリィが言う。炯々と輝くような言葉に、思わず開いた口を閉じた。
恐ろしいのは、シヴィリィの言葉には意気込みも、強がりすら無かった事だ。彼女はただ一つの事実として、それを言っている。
シヴィリィが時折垣間見せる異常性の一端が、見えた気がした。
彼女は本来は臆病で怖がりだ。自信は薄く、調子に乗りやすい面もあるが不安そうな面も見せる。
そんなただの少女に見えるシヴィリィが、一度物事を決めてしまえば命をあっさりと擲って敵と戦争をする。そのギャップが疑問だったが。
そうか彼女は本質の所で、今日しかみていない。明日など、彼女らにはないのだ。だから命を易々と擲ってしまえる。
俺が不覚にも美しいと感じてしまったのは。もしかすると彼女のそういった点なのかもしれない。流石に、愛や思慕といったものではないと信じたかった。第一、俺にはそんなものを語る資格がない。
「ま。とりあえず今日は上に戻ろうよ。『大陸食らい』の本体なら統括官への手土産としては十分。四騎士以来の成果だって大喜びさ」
「確かに。ではココノツさんが周囲警戒から戻られれば……。噂をすればのようですね」
ノーラとリカルダは、シヴィリィの本質に気づいたのか、そうでないのか。多少浮かれている面はあるのだろうが警戒を切らないように声を出していた。
リカルダが視線を向けた先から、ココノツが木々の隙間を抜けて飛び出してくる。とん、とんっと木と木の間を跳ね飛んでくるのは相変わらずの俊敏性だ。
「おおっ! 起きられたのでありますなシヴィリィ殿。いや~もしあれで結局間に合わず、となったらどうしようかと!」
「うん。ありがとう。本当に助かったわ」
ココノツは槍を手元で器用に回しながら、シヴィリィのすぐ傍に着地して言った。ある意味で彼女は、シヴィリィの命を救ってくれた相手と言えなくもない。
しかし俺は、目元を思わず歪ませてココノツを見た。所作の一つ一つに視線を向ける。
姿を消し、気配を失わせ、魔物にあれほどまでに接敵する技量。完全に一流の斥候が有するものだ。勿論、彼女にそれほどの技量があるのは理解していたが。
驚異的なのは、攻撃する瞬間まで敵にそれを悟られなかった事だ。ココノツが当初視線を隠せていなかったように、何等かの意志というものは気配まで隠しきることは難しい。殺意にしかり、害意にしかり。
透過を使用したアサシンも、最後の一瞬で気づかれる事が多いものだ。しかし今回、ココノツはそれをあっさりと上回ってのけた。
奇妙だ。ココノツは本当に、パーティを追い出されてきたのか? それとも他に狙いがあってシヴィリィに近づいた? ただ後者の場合、正直動機が思いつかない。
傍から見れば多少目立った探索者とはいえ、シヴィリィはただの属領民だ。態々ギルドに入る真似をする必要はない。他の動機が、と考えるとココノツの行動は不可解に過ぎた。
「これで無事ギルド設立! クエストを受けて報酬一杯! 自分のお腹も一杯というわけでありますな! いや~よかったであります!」
「待って痛い痛い痛い!?」
ココノツにはノーラやリカルダのような緊張感とは無縁らしく、両手を大きく広げてシヴィリィに抱き着いて喜びを露わにする。
ううむ、これだけ見ると素のような気もしてくる。実際、彼女は俺達に不利益になる行動はほぼ取っていない。やや暴走気味の行動が気になるくらいか。
「ちょっと、シヴィリィは病み上がりなんだからさ!」
「本当無理だからね!?」
幾ら治ったとはいえ、シヴィリィの身体は無理やり継ぎはぎをしているに等しい。ココノツの体重を支えるだけでも悲鳴をあげているらしかった。
ノーラが止めに入ろうとするも、ココノツに押し倒されるようにシヴィリィの身体が神殿に向け倒れ伏していく。
「ちょ、っと――!?」
目を瞬く。咄嗟にシヴィリィが伸ばした指が神殿の結界に、触れた。
何者かの呼気が、漏れた。
僅かな一瞬。空気が蠢動するように慄く。豊潤な魔力の波動が、周囲を覆い尽くす。魔力の濁流が、暴走したかのように咆哮をあげ――。
――その一瞬で、聖女の組み上げたはずの強固な結界が音を立てて崩れた。
「へ?」
それが誰の声だったか分からない。誰もが、状況を受け入れられないまま茫然とする事を強いられた。この一瞬だけは、俺を含めた全員の思考が飛び去っていた。
だからだろう。次の瞬きで、魔導が自動展開したのにすら反応できなかった。
歪な声が響く。
――結界崩壊。魔導展開――『瞬間転移』。
視界が、暗転する。




