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第三十五話『逃走は甘い蜜』

 永遠に死なず、戦いにのみ幸福を見出す戦徒達。彼女らに戴かれる堕落の聖女。第六層は、それらによって永久戦争の世界を作り出している。


 だが言ってしまえば、ある意味ここはそれだけの階層だった。この地に住む魔女や巨人(ギガス)は出会いこそすれば脅威だが、その生存域は限定的だ。むしろ戦争に拘泥する余り、自ら領域を広げる事は少ない。


 零落聖女カサンドラもまた、自らの神殿と戦争の観覧以外には興味がなかった。彼女らが積極的に探索を妨害する事はない。ゆえに過去は、彼女らを超えて更に深層を探索し続けたギルドもあったとか。それは今のように四騎士やその配下のギルドだけでなく、多くの探索者が危険を承知で潜り続けていたらしい。


 いいや正確にはそれ所ではない。各国は功を競うため、軍隊すら迷宮に押し込んだのだ。


 万を超える軍勢が、第六層に踏み入った。それはそれは壮観な眺めだった事だろう。もしかすれば迷宮から大量の資源を獲得するための行いだったかもしれない。実際そちらの方が効率的とは言える。


 ――けれどそれは同時に問題も引き起こした。人は自然と魔力を持ち運ぶもの。探索者が大勢第六層に踏み入るという事は、それだけ第六層に魔力が満ちるという事でもあった。


 だからある日、唐突にそれは来たのだ。不死者の軍団と、聖女カサンドラが殆ど本体と変わらぬ姿で地上に顕現した。


 それはまさしく、『災禍』と言って過言ではない被害を地上に齎した記録があると、ヴィクトリアは言っていた。それゆえに、一度世界が滅びかけるほどのものだったと。


 その出来事は各国に迷宮の脅威を再認識させると共に、一つの方針を打ち出させる事になった。


 自国の戦力である四騎士と配下ギルドを除いて、他の探索者達が入り込めぬよう第六層以下を一時的に封印し、その情報を可能な限り抹消したのだ。


 それは同じ災禍を引き起こさぬためという建前でもあったし、迷宮都市への影響力を大国間で独占したい意図と、各国の失態で滅びが呼び起こされた事を覆い隠す意味もあったのだろう。


 それゆえに過去深層まで探索を続けたギルドは解散し、迷宮は四騎士を用いた政治闘争の場に姿を変えたのだとか。


 探索者というより、全く国家的判断だった。


 根本的な所を言えば、本来はカサンドラの居城である神殿を攻め落とすのが一番良いのだろう。しかしそうなれば、地上で災禍を引き起こした本体と不死の軍団を僅かな手勢で相手どらねばならない。こちらの人数を増やせば増やす程、相手に注がれる魔力は増えていってしまうのだから。


 だからこそ四騎士も慎重にならざるを得ないのだろう。彼女らは宗教的な象徴であり、死ねば各国が受ける影響は計り知れないからだ。


「じゃあ迷宮になんざ来させずに、自国で安全にさせてろって話なんだがな」


「そう簡単には行かないのが、国ってものなんじゃないの?」


 シヴィリィがなだらかな坂道を歩きながら、真紅の瞳を上向かせて言う。唇を抑えて何かを思い出すような素振りだった。


「戦争だって、普通なら戦うのは貴族じゃない。彼らが一番先頭に立つんでしょう?」


「騎士たる者の義務って奴だね。実際、大騎士教としても彼女らが戦うのには意味があるし。意味がないといけない。ただ、彼女らにとって罪過の者が特別ってのも本当なんだろうね」


 ノーラがシヴィリィに頷いて言う。


 零落した聖女、不義の騎士、偽女神、大淫婦。災禍そのものとすら呼ばれる者ら。四騎士が迷宮において、被害を覚悟しなければならない者ら。それがこの第六層の首魁。


 リカルダが最後尾を守りながら歩いて、言う。


「……我々も避けた方が賢明と思うのですが」


 表情は苦々しいものだった。今俺達がどこに向かっているのか、よくわかっている言葉だ。

 

 向かう先は、カサンドラの居城たる神殿。森に囲まれた丘の上に座する、この世界の神様のいる場所だ。リカルダの気分はきっと、火薬が詰まれた場所に自ら火を持って突っ込む切り込み隊長のようなものだろう。


 一番にそれを言い出したシヴィリィが、びくりと肩を跳ねさせた。


「……いえ、うん。私も分かるんだけど。思うんだけどね? だから一人で行きましょうかって聞いたのに!?」


 シヴィリィが頬をくしゃりと歪めて言う。瞳が忙しなく左右に揺れ動いていた。


 彼女もどうやら自分が言っている意味をよく理解しているらしい。彼女の悪い癖だが、危ないと分かっていれば一人で突っ込めば良いと考えているようだ。それは力を得たからというよりも、むしろ彼女の性分だろうか。


「流石にそーいうわけにもいかないでしょ。パーティなんだからさ。――それに、僕は良いと思うよ。聖女の神殿に行くの」


 ノーラがククリナイフをむき出しにしたまま言う。すぐにでも臨戦態勢に入れるためだったが、少々物騒な姿だった。


 しかし、反面表情は穏やかなものだ。シヴィリィがここぞという時以外には自信がない事をもう知っているのだろう。意外そうにするリカルダに説くようにノーラが言った。


「幾ら血が薄いって言っても巨人(ギガス)は僕の同族だよ。彼らをこんな世界に連れてきて、永遠に戦わせるなんてのはどういう気分なのか聞いてみたいね。これが救い? 冗談じゃないよ。こんなのはね、親に構って貰えない子供が、暴力を振るわれても一緒にいられるのを喜んでいるようなものさ」


 それに、とノーラは言葉を続ける。


「四騎士ですら手を出せてない相手なのは分かるけど。カサンドラがどれくらい強いかって話は聞いた事ない。驚異的なのは不死の軍団の方なのかもしれないよ。なら、近づける内に情報を探ってみるってのは賛成。僕らの今後の為にもね」


 で、君はどうなのさ、とノーラがそうシヴィリィに促すように言う。ノーラの視線が一瞬俺を向いた。何だかこう、やれやれとでも言いたげな視線だった。


 何だろう。お前もなっていないなと煽られた気分だ。昨夜はあんなに大人しかったのにまた生意気さが戻って来たらしい。


 シヴィリィはノーラに促されて、おずおずとではあるが口を開く。


「……ノーラの言う通り、エウレアの話を聞いて色々と思う所があったのも確かよ。けどそれ以前に、私はもっと迷宮の奥に進むつもり。だから、その。死にに行くつもりじゃあないけど、それでもただ逃げ回るのは駄目だと思うの。倒せなくっても、逃げるだけじゃ何も変わらないって知ってるから」


 シヴィリィがぽつりぽつりと漏らす一言は、どこか自信なさげでありながら、強固に彼女の精神に根付いているようだった。


 一度逃げ出してしまえば、自分は二度と立ち向かえない。


 それは果たして彼女の経験則なのか、それとも誰かの教育の賜物なのか。


 しかし、シヴィリィは案外頑固だ。人の言う事を素直に聞く一方で、自分が決めた事を自分自身ですら曲げられない。例え命がかかっていても。


 だが、まぁ。


「カサンドラって奴を見てみるのは良いんじゃないか。それに、王権(レガリア)を持ち去ったのも奴らなんだろう。そこまで調査を進めれば、ギルドの設立だって認めてくれるよな?」


 それがどういった形状で、どれほどの力を持つのかもわかりはしないが。もしもカサンドラがそれを持ち、それを持っているがゆえに権能を有しているのだとすれば。


 王権(レガリア)を持ち出すのは難しいとしても、それが分かっただけでも十分な情報になる。都市統括官のギルド設立条件は、第六層の調査だ。何もカサンドラを倒す必要があるわけじゃない。ノーラとシヴィリィ、互いの意志を尊重した際の妥協ラインはそこだろう。

 

「まぁ、確かにそれならば」


 リカルダが顎に指を置いて軽く頷いた時だった。少し先の方から、陽気な声が飛び込んでくる。


「とっとっと!」


 ココノツが双角を跳ねさせ、槍を回しながら先行の物見から帰って来たのだ。色々と欠点はあるものの、斥候(スカウト)として彼女は優秀だ。誰かに追い回されるような事はなく、脚を止めてからゆっくり顔を上げた。


 そうして腕を組んで堂々と言った。


「う~ん。駄目でありますなあれは! 結界が張ってあって一歩も入れないであります! 警護がいないから変だと思ったのでありますな!」


 はっはっは、と陽気な笑い声をココノツがあげた。


 まぁ、それはそうか。ここまで誰一人にあわず無傷で来られるからおかしいとは思ったんだ。カサンドラが魔女と巨人(ギガス)の崇拝対象である以上、普通は警備くらいおいておくべきだろう。


 それがいないと言う事は、それ相応の仕掛けがあると。


 結界は、こちらとあちらを分ける一つの境界線だ。広範囲には張れないし、張ったのと同程度の魔力を注ぎ込めばすぐに朽ち果ててしまう代物だが。


 ――こんな場所で魔力をため込み続けている聖女の結界となれば、どれほど強固なものかは想像がつく。


 俺と同じ想像に至ったのか、ノーラがすぐに肩を竦めて言った。


「どうしよっか、取り合えず周囲を見て――ッ!?」


 ノーラが思わず言葉を区切る。それは、周囲が唐突に夜になったからだった。


 目を見開く。いいやそれは夜ではなく、ただ暗くなっただけだった。俺達の周辺一帯が、切り取られたように暗く落ち込んでいる。


 一瞬で、その正体を悟る。ココノツが大きく声を出して見上げ、リカルダは目を細めながら大型のクロスボウを取り出していた。


 シヴィリィは歯噛みをしながら、手袋を構える。それは――遥か宙にいた。


 太陽を覆い尽くすほどの大きさ。地上をあっさりと夜にしてしまうほどの両翼。だというのに、接近を直前まで悟られないほどの素早さを有しているそれ。


 ――『大陸食らい』と、そう呼ばれる大鳥の魔物がそこにはいた。


 そういうわけか。


 こいつがすぐに駆け付けるから、警備は置かれていなかったわけだ。

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