第三十四話『希望を追い続ける姿は美しい』
森を抜ければ第六層が輝かんばかりにその姿をさらけ出す。丘があり森があり川のせせらぎがある。太陽の煌めきは、ここがもう一つの世界だと主張していた。
闘争と憎悪が君臨する世界。巨人と魔女が殺し合う為の世界。
そうして誰も死なない、生者の国。彼らの闘争の理に沿って回転し続ける国家に、俺達は再び足を踏み入れた。
以前立ち寄った魔女と巨人の都市には、案外とあっさり入れてくれた。門番が顔を覚えていてくれたからではない。魔女エウレアと鉄兜の巨人ガリウスの名前を出せば、疑われる事は無かったからだ。
魔女と巨人が名を告げるのは、力を認めた者だけなのだとか。名を知っている時点で、彼らに認められた者というわけか。
通りを真っすぐに進むと、またすぐに歓声が聞こえてきた。この前ルズノーらが戦っていた広場だ。今日はその広場で、客人ではなく巨人同士が戦っていた。
大斧が火花を散らしたかと思えば、片方では鉄鎖がぐるりと宙を駆けまわる。豪快な巨人同士の戦いは、周囲を圧倒させるものがある。街の住人達は巨人も魔女も、熱に侵されている様子ですらあった。
彼らは心の底から、闘争を愛しているのだろう。
「あら、本当にまた来たのね。大抵もう来なくなるものなんだけど」
一番目立つ頭髪のシヴィリィを観客に紛れさせていたからか、人間にしては長身なリカルダがいたからか。もしくは、彼女の名を使って都市に入った事が知れてしまったのかもしれない。
蒼色の魔女エウレアは、三角帽子をくいと上げてシヴィリィ達に話しかけてきた。元々、彼女も観客の内の一人だったようだ。
シヴィリィが一瞬びくりと肩を跳ねさせてから応じる。まだ急に人に話しかけられるのに慣れていないらしい。
「え、ええ。丁度貴方に聞きたいことがあって」
「私と? まぁ、決闘が終わってからにしましょうよ。凄い熱気でしょう。もうすぐ戦争があるからね、皆楽しみでたまらないのよ」
魔女エウレアは長い人差し指で巨人の決闘を指して言う。
瞬間、大斧を持った巨人が、鉄鎖を振り回していた巨人の頭部へと刃を突き立てる。巨大な頭蓋が割れる音がして、脳漿と血飛沫が広場に飛び散った。
「ぴぎぃっ!?」
ココノツが一歩跳びのいたが、同時に訪れるのは背筋が痺れるほどの熱狂と歓声。偉大な戦士と、偉大な死を歓呼する声だ。一瞬目を細める。
かつてここまで熱狂的では無かったけれど。彼らのような者がいたな。誰よりも先頭で、誰よりも果敢に戦う者達が。ヴィクトリアの話を聞いてしまったからだろうか。情景も何もかも違うはずなのに、五百年前の郷愁を俺は彼らに覚えてしまっていた。
暫く広場は歓呼と血の熱狂に埋め尽くされる。が、次には頭を砕かれたはずの巨人がその傷をすぐに塞いで立ち上がった。
「ぐあははっ。やるわな。だが次の決戦じゃあ功は負けんぞい」
「それはこちらも同じ事よ」
巨人同士が軽口を言い合い。互いの健闘を称える。笑顔で腕を組み合う姿は、いっそ清々しいものすら感じた。
「今の今まで殺し合いをしていたとは到底思えんな。逆に幸せそうだぞ」
「まぁ……生き返るなら、そういうものなのかな? 巨人は英雄願望を本能で持つものだからさ。戦いが好きってのは嘘でもないよ」
ノーラが言うと、リカルダが目を細めて眉を上げる。分かってはいてもやはりどこか違和感を隠し切れないようだ。
しかしそんな言葉は聞きもしなかったように、満足そうな顔をしたエウレアが俺達を振り返る。
「良いものみたわね。で、私に話があるんだっけ。良いけど、私あんまり話が得意な方じゃないのよね。戦争の方が得意だから」
階段状になっている広場の一角に腰かけて、エウレアは脚を伸ばす。その姿だけを見れば、俺が知る魔女そのものだ。
彼女に応じて頷いたのはシヴィリィだった。隣に腰かけ、エウレアと視線を合わせる。
「私達が迷宮を探索してるって話をしたじゃない。それで他の人も色々探索をしてて、ここに来た事があるのよ。その人たちから聞いて、確認したかったの」
「確認?」
エウレアはゆっくり頷いて、続きを促す。次に何を問うのか、ノーラとリカルダを含め承知していたものだから、少々の緊張感が伴っていた。ココノツは何故か広場に設置された石柱を登って遠くを見渡していたので関係がなかったが。いや何しに来たんだあいつ。
シヴィリィが唇を開く。
「貴方は、エウレアは。戦争はどれくらい前からやっているの?」
「……変な事聞くのね。そんな事聞かれたの初めてだわ」
もっと、別の事を聞かれるとでも思っていたのだろう。エウレアは毒気を抜かれたように、指を折って回数を数え始めた。それが幾度も幾度も重なり、いずれ指を面倒くさがって折り曲げなくなり。十数秒じっくり悩んでから言った。
「ん、そうね。戦争をやって、死んだ数しか覚えてないけれど。大体、五百年前からずっとだから、数万回かしら」
五百年。この迷宮が作られた時からこの世界は存在し、エウレアは――いいやこの世界の住人全ては、その時から生きているのだとそう告げた。
ノーラの眦が揺れたのが分かった。シヴィリィの横顔を見ていたのだ。本当に、彼女に言わせるのかと俺に視線が飛んできた。
俺だってさせたくはない。しかし、それを知って望んだのは彼女であり、決断をしたのも彼女だ。生きる者は常に、自分で物事を望み決断をする権利がある。死人の俺にそれを止めろというのは無茶だ。
「……じゃあ、その。どうしてそんなに相手の事を、憎んでいるの?」
憎悪するからこそ、戦争をする。前回出会った時に、エウレアはそう言ったのだ。領土やお金、物資のために闘争を行うなど野蛮だと。
しかし、それも奇妙な話だった。互いに死にはしない。しかし殺し合う事は出来る。そんな中戦争をし続け、し続け、果たして憎悪は保ち続けられるものだろうか。ただ一人も残らず、全員が憎悪を共有し続けられるものだろうか。
エウレアは暫く唇を閉じた後に言った。当然というような笑みだった。
「それは勿論――あいつらを憎悪するのをやめたら、闘争が終わってしまうからよ」
ごくりと、シヴィリィが喉を鳴らしたのを聞こえた。紅の瞳が瞠目し、思わずエウレアの言葉に飲まれてしまっている。彼女はそのまま続けた。
「昔ね。私も鉄兜のガリウスもとても強かったのよ。実はあんまり思い出せないんだけど、とても大事なものの為に戦っていたの。私も彼も皆も、嬉しかったわ。戦えば戦うだけ、皆が私達を認めてくれる。生きていいんだって思えたわ。けどね、困る事があったのよ。――戦争が終わっちゃったの。嫌われ者だった私達は、すぐに皆に追いやられたわ。
そういえば巨人と魔女が、どういう種族か知ってる?」
唇を噛みながら、シヴィリィは頷いた。とはいえ、教えたのは昨晩だが。
巨人は英雄願望に囚われて、その血を常に焼き焦がす。戦時こそ彼らは英雄でいられるが、平時には戦乱を呼び込む魔ともなりえた。
魔女は種族ゆえに魔導の神髄に導かれ、いずれ巨大な破壊を好むようになる。破壊願望は彼女らの精神に巣くい、いずれ戦場以外で生きられなくなってしまう。
共に、平時には迫害を受けかねない種族だった。
ノーラが息を飲み、目を細めるようにエウレアを見る。彼女は薄く笑った。
「戦争が終われば、私達は何時だって嫌われ者よ。永遠に戦争が終わらないで欲しかった。永久に戦争が続いてくれれば良かった。けどそうはならなかった。だから、私達だけでここで戦争を続けることにしたの」
「エウレア」
シヴィリィが話の最中に、耐え切れなくなったように呼んだ。言葉と瞳が震えているのが見えた。決断して尚、揺れ動くものがあるのだ。
「それじゃあ、戦争してる相手は――」
「――昔の家族と友人ね。だって戦争を続けたい人たちなんて、私たちしかいなかったから」
だから、自分達は互いに憎悪をしあう事にしたのだと、エウレアは言う。
――白騎士ヴィクトリアは、彼女らの事を見るに堪えず、しかし止められないとそう評した。
闘争の中でしか生きる事が出来ず、闘争の中でのみ生きる希望を見出している者ら。彼女らは間違いなく希望を掴むために生きている。生きる場所を見出す為に戦っている。
魔力を蓄え、それを死に様で吐き出し、次にはまた魔力を蓄える。永遠の循環を繰り返し、永遠に希望を追い続けながら彼女らは死に続けるのだ。
そうしてそれを望むのは――彼女らだけでなく、もう一人いた。
「聖女は、貴方達を止めなかったの。貴方達の味方だったんじゃないの?」
シヴィリィの声に、力が籠っていた。一度聞いてはいても、直接エウレアから聞いてしまえばどう受け取ってしまって良いのか分からないのだろう。けれどエウレアはシヴィリィの心情をくみ取るような真似はしない。
「ええ、聖女カサンドラ様は私達の味方よ。だってカサンドラ様が仰ったんだもの」
エウレアが、誰かの口調を真似る様子で言った。
――哀れな子たち。可哀そうな子たち。救いも得られずに――しまった。
――だから救いを与えましょう。わたくしと共に堕落して、永遠に希望を追い続けましょう。
聖女カサンドラが造り上げた、生者の国。死ぬ者はおらず、永遠に闘争を繰り広げて歓喜に浸る為の国。その為にかつての親と子、友人を恋人を憎悪し殺し合ったとしても彼らは決して止まらない。
カサンドラの救いとは、零落とは、そういうものなのだ。
人は希望があれば立ち上がれる。救いがあれば生きていける。例えそれが、偽物であったとしても。
シヴィリィが痛いほどに拳を握りしめていた。けれど聞くと決めていた事を、彼女はまだ聞いていない。
「シヴィリィ」
声を一言掛ける。紅蓮の瞳は、意志をもって瞬いた。
「……エウレア、は。それで、幸せ……?」
もしも彼女らの幸福が、それならば。例え偽りであっても、それが希望であるならば。
もしかすればそれは、否定すべきものではないのかもしれない。
そんな想いを込めて、シヴィリィは問いかけた。彼女の感情が、どれほどの音を立てているか俺には分からない。
しかしそんなシヴィリィの思いを笑い飛ばすように、エウレアは言った。
「あははっ、当然じゃない。勿論、幸せよ」
エウレアの言葉に、シヴィリィは悲痛な思いを瞳に浮かべながらも頷いた。
四騎士や俺が至った結論に、彼女もまた至ろうとしていたのだ。
彼女らはもう、救えないのだと。例え罪過の者に魔力を供給し続ける歯車になっても、彼女らは幸せなのだから。
しかし、エウレアはシヴィリィを見ながら続けた。
「――だって嫌われ者の私達に許された幸せなんて、これしかなかったんだもの」
ぞっとするほどに、その笑みには喜びの感情は籠っていなかった。むしろ諦めに近いものがあった。




