第二十五話『壁は目前に』
「いや本当さ。ココノツだけだと思ってたけど君もかなり無茶苦茶するよね」
「俺もそう思う」
太陽が頭上にある中。巨人と魔女が住まう街の外にルズノーのパーティを引きずりだしながら、ノーラが辟易する様子でシヴィリィに向けて言った。愚痴というより、呆れているというのが正しい。
幸い魔女のとりなしで物事は丸く収まったが、ここでは戒律も法も全く違うのだ。一歩誤れば全員が敵に回っていた可能性だってある。
「えっ、自分もでありますか!?」
ココノツはどうかそのまま納得してくれ。第五層の穴に一番に突っ込んだのは誰だと思ってるんだ。
シヴィリィも両手で死体を街中まで引っ張り出し、必死に口元を動かしながら言葉を紡いだ。
「そ、それは自覚してるんだけど。その……あ、あの時はあれしか方法がなくて」
「普通さぁ、正市民だろうが属領民だろうが見捨てるもんだよ。迷宮の中じゃ一番大事なのは自分だからね」
実利主義らしいノーラの言葉は、シヴィリィに強く響いたらしい。意志を見せる時の紅蓮瞳はなりを潜め、気を落として顔を下に向けている。
とは言えやり口が無茶だっただけで、シヴィリィのしたかった事は分からないでもない。彼女らしいといえばらしい。
「いけませんよノーラ。それも方針の一つにすぎません。迷宮の中でも人命救助を第一とするパーティもいますよシヴィリィさん」
「変わり種でしょ、あいつらは」
ノーラがリカルダに向けて肩を竦めて言い、街の外壁近くにガンダルヴァギルドの面々の身体を置いた。二人は死体、生き残ったのはルズノーだけ。三人パーティだ。
死体の懐を探れば、薬液がまだ一本残っていた。恐らくは使う暇もなく殺されたのだろう。巨人相手なら十分あり得る話だった。
シヴィリィはそれをそのまま、ルズノーへと振りかけた。怪我さえ修復できれば直に意識を取り戻す。街の近くには魔物もいない、ここでならまぁ安静に出来るはずだ。
「けど、ここまでだシヴィリィ。流石に彼らを担いで地上まで戻るのは危険すぎる」
「それに彼ら正市民だからね。ここまで来れるなら……ああやっぱり、転移用の魔導具も持ってるよ」
ノーラはルズノーの胸元につけられた紋章を見ながら呟く。恐らくはそれが、彼らのギルドの身分を示すものなのだろう。
彼女がよりによって俺に協調したのは、恐らくこれ以上彼らに関わりたくないというスタンスの為だ。実際、今まで彼らと絡んではトラブルしか起こった覚えがない。
「そんな便利なものがあるの?」
「うん。でも駄目だよ、正市民の一部のギルドにしか渡らないから。僕らが使ったり持ってたりしたら捕まっちゃう」
それはまた、通常通りといえばその通り。しかし余りに第六層が異常だったもので、逆にそういった言葉に癒される面もあった。
第六層。巨人と魔女が住まい、憎み合う勢力と戦争を続ける世界。そしてあのエウレアという魔女と、巨人ガリウスの有様を見る限り。
彼女らは死なないのだ。いいや、死んでもすぐに生き返る。だからこそ戦争は彼らにとって遊戯であり、憎悪すべき敵を心置きなく斬り合えるための場でしかない。
そうして、それらの死を捧げられる聖女――。
駄目だ。情報が足りなさすぎる。探索をするにしても彼ら独自の仕来たりがあれば、どこで何が起こるかが分からない。
「ぴぎゃ!? あれ! 見てくださいあれ!」
唐突にココノツが大声をあげて言った。迷宮の中では警戒の対象になるその声も、ここではすぐに消え去ってしまう。全員がそちらを見上げる。
遠くの空に、大鳥が飛んでいた。ドラゴンと見まごうほどの大きさだ。それが宙を旋回しながら、獲物を探すように飛んでいった。なるほど。運よく出会っていなかったが、ちゃんと魔物もいるわけだ。
「やっぱり、情報がいるな」
それも、とりあえずはこの階層を安全に歩き回れるようになる程度の正確な情報だ。今の俺達ではこの階層に振り回されるだけだった。
「情報と言いましても。ここの情報を持っている者はそういませんからね、どうしたものか」
リカルダが冷静に言った。だが俺には一人だけ、ここの情報を持っている奴に覚えがある。相手をされるかは分からないが。
――ご遠慮なく、お二人のどちらでも結構ですよ。
本当なら行きたくない。もう二度と会いたくないと思ったのに、そんな相手の力を借りなければいけないというのが非情に癪でもある。しかしシヴィリィを含んだ彼女らの為にも流石に無手ではダメだ。
そう思った頃合い。軽く街の壁に隠れて大鳥を見送りながら、ノーラが言った。
「……とりあえず、今日は一度引き返そう。僕らの装備じゃ、相手にならないよ」
ノーラにしては、随分重めな言葉遣いだった。二振りのククリナイフを腰に収めながら、じっくりと言葉を選んでいる。茶色い瞳が、やけに遠くを見ている気がした。この状況では反論が出る事もなく、ノーラの案通りにする事になった。
第六層から上層に戻るのは、殊の外大した問題はなかった。第六層への降り口はさほど街と離れていなかったし、第五層にまで戻ってしまえばココノツを含め遅れをとる事はない。やはり彼らは十分に優秀だった。
しかし、正直を言えば帰路には何処か重い空気が張りつめていたのも確かだ。
第六層が異質過ぎたのもあるだろう。だが問題は、巨人や魔女の存在だ。彼らに俺達の理屈は通用しない。力こそが全てという考えは分かりやすいが、逆を言えばあっさり殺される事もあり得るわけで。
そうして、恐らくノーラやリカルダとさほど力量が変わらないだろうルズノーは、巨人の戦士にまるで通用しなかった。魔女の口ぶりからして、『客人』は相当数死んでいるのだ。上位ギルドの連中でさえそうなっている。では俺達は? そう考えた時、多少雰囲気が重くなるのも無理ない事だった。
「いやぁ~凄かったでありますなあの魔導! どこで覚えたのでありますか!」
「えーと、こう。も、もう一人の私が教えてくれたのよ、うん」
「なるほどぉ! 意味はさっぱり分からないですけど凄いでありますなぁ!」
ココノツは相変わらずすぎてコメントに困る。
まぁ、以前思った通り重く受け止める人間とそうでない人間で役割分担が出来ているのは良いかもしれないが。
――正直を言うと、俺はこの時点でちょっとした予感がしていた。
記憶が少しだけ鮮明になってきている。きっと生前の俺は、同じような場面を何度も見ていたのだと思う。そうして、何度も見送った。
第一層に付けば、もはやココノツが斥候に立つまでもなかった。ノーラが先を急ぐようにククリナイフを片手で取り出し、あっさりとスライムやコボルドを殺していく。その時魔力は一瞬彼女に吸収されていくが――確かに、身体に充填されるだけで魂が飲み込んでいない。彼女らが言うレベル限界とは、これを指しているのか。
英雄の門に踏み入れば、受付嬢が軽く頭を下げてこちらをみた。
「おかえりなさい。今日は死体をお持ちでないのですね」
「……私が何時も死体を持って帰って来てると思ってる?」
「はい」
「違うわよ!?」
本当はコボルド程度の死体なら持ち帰る事も出来たが、ノーラが先にいってしまう所為で回収している暇は余り無かった。まぁ、被害も道具の使用も無かったことだし。一日の稼ぎが薄くなる程度は問題がないのだが。敢えて問題を見つけるなら、ノーラがややその視線を落としすぎている事だろう。
「今日の探索内容は、一度都市統括官に報告してみましょう。もしかすると、シヴィリィさんにもお願いする事があるかもしれませんので。その際にはよろしくお願いします」
リカルダが羊皮紙に丸めた地図を軽く見せながら言った。器用なもので、彼は都市の内部だけでなく森や神殿といった位置関係まで精緻に描いている。細かな作業が元々得意なのかもしれない。
今日稼ぎがなかった分、統括官とやらから何か報酬でも出てくれば良いが。
そうして、一旦会話が途切れた当たりで。タイミングを図っていたようにノーラが口を挟んでくる。ああ、やっぱり来たかと、俺はそう思っていた。
「あのさ、ギルドの話なんだけど」
「ええ。ギルドが認められるか分からないって話よね?」
シヴィリィの返答に、ノーラは首を横に振った。唇を僅かに歯で嚙んで、目元を細めたのが分かった。
「いや、そもそも入るかどうかって話。なし崩し的に入るみたいな話になったけどさ、もう一度考え直してもいいかな」
リカルダは冷静に、しかしシヴィリィは動揺した様子で両肩を跳ね上げた。
「ど、どうして? 今日は別に怪我も何も。その、私が勝手な事したから?」
「いや、違うよ。あれもどーかとは思ったけどさ」
ノーラはククリナイフをしっかりと収めたまま、両肩を竦めた。随分と遠くに話しかけるように言う。
「最初っから第六層の旨味が大きいならって話だったでしょ。
で、見てみた結果、あれは僕には無理だ。そこの、エレクがやったのは見てたけど。僕の技量じゃ巨人は殺せない。多分その前に……。まぁ、死ぬね」
そんなのが大勢いる上、それ以上に大きな魔物がいる階層で探索なんて出来たもんじゃないよ。そうノーラは付け加えて自嘲気味な表情を顔に浮かべた。
「統括官からの仕事があるから暫くは付き合うけど。――ちょっと、考え直したい」




