第二十話『では冒険を始めよう』
一口、二口、三口。味わうようによく噛み、呑み込む。焼きたての香りが、霊体の鼻孔すら突いてきそうだ。シヴィリィがため息をつく様子でその頬を大きく弾ませる。
「美味ッしい! 完璧!」
「美味しいでありますなぁ!」
属領民ギルドハウスに響き渡るような声は、周囲の注目を集める。しかも今日はそれが一つではなく、二重奏だったから猶更だ。
シヴィリィが魚の揚げ物を挟んだパンに舌包みを打つのと同じく、対面でココノツが焼き魚に感嘆を漏らす。ココノツはポニーテールにした黒髪を左右に揺らしながら目元を緩ませていた。
「いやぁ~やっぱり魚は良いでありますな。心が洗われるようでありますよ!」
酒場でありながら料理に舌包みを打つ彼女らであったが、案外マスターは満足そうにココノツの手元にエールを置く。蓄えられた鋭い白髭がくしゃりと歪んだ。
「はは、この都市は海に囲まれてるからな。魚は安いし旨い。俺達の主食だよお嬢ちゃんたち」
「ええ、二日ぶりに味のある食べ物を食べたであります! やっぱり味があるものは良いでありますな!」
想像よりココノツが壮絶な日々を送ってるな。良いというもののハードルが大分落ちたぞ。
マスターは笑みを浮かべたままごゆっくり、とまた奥に引っ込んでいく。元々属領民の中でも荒れくれが集まるギルドハウスだ。多少騒いでも、金さえ落とすのなら良客か。
本当に酒場としてしか機能していないこのギルドハウスなのだが。しかし今日は夜が更ける前に何時もより人に溢れていた。テーブルが満席に近い所為か、何時も寝こけているウェイターが働いているぐらいだ。
これも、四騎士の影響なのだろう。栄光を掴んだ人間をみて、次は我もと思う心境は分からないでもない。俺はもう二度と会いたくないが。
そうして俺がシヴィリィの身体から追い出されているのも、彼女らが理由だった。
「なぁシヴィリィ。やっぱり魔力の回復には俺が――」
「――駄目よ。だって貴方だと次から次に女の人に声をかけられるじゃない」
それは受付嬢とココノツとヴィクトリアの事を言っているのか?
とりあえずココノツは除外して欲しい。女のカテゴリーで見るより、珍獣のカテゴリーで見ていたい奴だ。隠し事はともかく、悪い奴ではなさそうだが。
しかしシヴィリィは取り合わないと言うように、つんと唇を尖らせた。黄金の髪の毛が、傾いて俺から離れていく。
まさかシヴィリィに身体から追い出されるとは思ってもいなかった。ヴィクトリアのような劇薬と出会ってしまった故の過剰反応と言える。
「……誰と話しているのでありますかシヴィリィ殿。というより先ほどから雰囲気が違うような」
シヴィリィは一瞬言葉に詰まりながらも、ちらりと俺を見た。本来余り口外すべきでないとは言われたが、大騎士教と遠い属領民ならそれほど問題はないだろう。それにギルドに入れようとしている相手だ。
小さく頷いて応じる。
「ええと、んーと。そう、もう一人の私と話してるのよ!」
その言い方は大分問題がないかシヴィリィ。ココノツはぽかんとしたように目を開いたが。焼き魚を口にいれ、エールで呑み込んでから言った。
「なるほどぉ! まぁなんでも良いでありますかぁ!」
駄目だ。ココノツが本当に隠密さながらの隠蔽能力を見せたのが今になると信じられなくなってきた。いいや事実なのだが。腕組みをしながら清々しい笑顔で言われるともう色々と頭が痛くなってきた。
ココノツは焼き魚を食べ終えると、ようやく満足したように頷き話題を切り出してくる。食事の時間と真面目な時間ははっきり別にするタイプらしい。
「それで、ギルドの話でありますが。いかがでしょう自分はお役に立てるかと思いますが!」
ココノツの問いかけに、シヴィリィが紅の瞳を大きくする。
実際、パーティメンバーとして彼女の能力は魅力的だ。
斥候は、迷宮におけるパーティーの目に当たる。これは決して安く見積もれるものではない。部隊でも軍でも、彼らの活躍が生死を分けるのはよくある事。今は俺が一応代わりを務めてはいるが、それでも限界はあるし霊体でもココノツほど気配を殺すのは困難だ。それほど彼女の隠密は秀でていた。
それにシヴィリィと相性も悪くないらしい。こう、良い意味でも悪い意味でも。
後はどうして種族を隠しているかだけだが。そう思ってシヴィリィの隣に立った時、不意に声がかかった。
「――何、本当にギルド作る気でメンバー集めしてたの」
「……ノーラッ」
「やぁシヴィリィ」
茶色の短髪に、男装とすら思わせる無骨な装備。すらりとした体型と小さな背丈は声変わりをしていない少年のようにも見えた。
傭兵ノーラは、正反対の長躯をもったリカルダと共に現れた。
シヴィリィには穏やかに挨拶していたのに、俺にはやけに苛立った視線を注いできたのは、未だに初対面殴りつけた事を引きずっているらしい。
「遅れてしまい申し訳ありません。話が長引いてしまいまして」
「話?」
俺が問いかけると、リカルダは力強く頷いた。細い瞳と優男の様な容貌は何時も通りだが、どこか芯に深いものが宿っている。彼はシヴィリィと俺に顔を近づけて声を潜めながら言う。
「都市統括官と話をして参りました。ギルドの設立には、閣下のご承認が不可欠ですから」
「……それじゃあ、ギルドに入ってくれるってこと?」
リカルダがテーブルに、羊皮紙を置く。覗き込もうと思ったが、その前にノーラが口を挟んだ。俺を睨みつけたままなのは、余程俺が嫌いなのか。
しかし何だ、ギルドに入るか考えさせてくれと言いながら統括官の許可を取ってきてくれたのか。ノーラは素直じゃないとの事だったが、良い所もあるじゃないか。
「勘違いしないでよ。別にギルドに入るって決めたわけじゃない。傭兵業も惜しいからね。ただ、統括官から条件を貰ってきてあげただけ。感謝してよね。属領民のギルドなんてまず認められないんだから」
前言撤回。やはり素直じゃない。顎をくいと引きながらノーラは勝手に椅子を引っ張って座る。リカルダは苦笑をしてノーラを見ながら、立ったままテーブルに手をついた。俺達にだけ聞こえる声で言う。
「統括官閣下のギルド設立の条件は――六層を調査、探索し詳細を報告する事です。この意味はお分かりになりますね」
シヴィリィは目元を細め、じっくり数秒考えてから俺を見た。ココノツはこくこくと頷きながら話を聞いていると思ったら、ぼぉっとしているだけで全く違うタイミングで頷いたりしている。
うん。相性は良いんだ。相性は。リカルダも諦めて俺に視線を移すのをやめてやってくれ。
「……四騎士達に独占されている六層以降の情報を公開して、勢力を書き換えるのを手伝えって言ってるのか?」
「そういう察しは君の方が良いよね。性格が悪いのかな?」
変だな。今日はノーラがやけに突っかかってくる。昨日までこんな事は無かったはずだが。
シヴィリィからの情報もあり、この迷宮都市の勢力構造はおおよそ理解出来ていた。
四騎士が率いる各国の息がかかった精鋭ギルドらと、彼らの権勢を抑え込もうとする都市統括官側。都市統括官にすれば迷宮の攻略が進むのは喜ばしいが、四騎士ばかりが勢力を拡大すればその分各国からの影響を受けやすくなり自分の立場が危うくなるわけだ。
だから自分の手駒になり、且つ今まで騎士達しか踏み入れなかった第六層に入れるギルドを欲している。
「ま。勢力って意味なら本当はもっと危うい連中もいるんだけど。間違ってないよ。迷宮都市を使って、どの国も勢力を拡大しようとしてる。
そもそもが王権を得て王位につくための探索だからね。四騎士達だって一枚岩じゃない。探索が進んでいないのは各国の思惑だらけってのもあるんじゃないかな。――さながら、迷宮を通した戦争ってわけ」
迷宮戦争とは、言い得て妙な事を言う。霊体のままテーブルに接して口を開いた。
「それで、都市統括官とやらはまさか第六層の情報を渡せばギルドを承認して終わりってわけじゃないだろ。他には?」
ノーラがますます視線を尖らせて俺を見た。リカルダが間を取り持って、すぐに口を開いてくれる。
「……今は確約は出来かねると。しかし、ギルド承認の際には都市統括官にお会いする必要があります」
そこで、話を聞けというわけか。
軽く肩を竦めてから、シヴィリィを振り返る。
「どうするシヴィリィ?」
「ぇ、あ、私!?」
当たり前だ。これはお前の冒険なのだから。
最初の冒険は終わった。シヴィリィは迷宮の危険も、魔物の恐ろしさも知ったはずだ。
その上で、仲間を集い更に奥地に挑むのか。それとも踏みとどまるのか。
俺は改めてその決断を聞くべきだとそう思った。もしかすると俺は心のどこかで、信じられていなかったのかもしれない。
シヴィリィが、ではなく。か弱い少女が意志一つで過酷な道を選べる事が、どこか浮世離れしたものに感じていた。
けれど、シヴィリィはあっさりと告げる。紅蓮の瞳は炯々と輝いていた。
「――勿論、行きましょう。私は完璧になるんだもの。全部、見返してやるの」
あの騎士にだって、負けたりしないから。小声でぽつりと、シヴィリィはそう言った。頷いて応じる。半信半疑だったが、彼女は前に進むのだと決めた。
なら後は、俺も契約に応じ進むだけ。
「聞いた通りだ。俺はシヴィリィに従うよ」
「……そ。後悔してもしらないけどね」
ノーラが素っ気なく言ってエールを口に含み、リカルダが肩を竦める。
「え。結局自分はどうなるのでありますか?」
ココノツは話しの流れが今一分かっていなかったのか、首を傾げていた。
ふと思う。ただ生きるためではなく。しかし死にに行くわけでもなく。希望と意志を持って、シヴィリィは迷宮に潜ると言った。
そこに数多の思惑が絡んでいたとしても。
――これが真の意味で、彼女の冒険の始まりなのだろう。




