第一話『例え罪人であったとしても』
孤独な時間は自分自身の事すら分からなくさせてしまう。自分がどういう人間なのか、というのを保っていられるのはどうやら周囲との関わりがあってのものらしい。
広い墓場、孤独な棺。魔物や人間がひっきりなしにやってきては騒ぎ立てる中、俺は眠りながらずっと悩んでいた。
どうして俺はこんな所で眠っているんだったかな。
エレクという名前や生前得た知識、細かな事象は不思議と思い出せる。しかし、俺は何をする為にここにいるんだったかというのがぶっつりと断ち切れていた。
何人もの尊敬すべき友がいて、何人もの憎悪すべき敵がいたはずなのに。契約があったはずなのに。そいつらが断片的にしか浮かんでこねぇ。
だがどっちにしろ知り合い連中はもう生きちゃあいないだろうな。随分長い間死んだままだった。下手をすれば俺は亡霊のまま、朽ち果てるかと思っていたのに。
――そいつは来た。
酷い恰好だった。薄汚れたボロ布を身に着けて、灰でも被ったのかってくらい髪の毛はくすんでいる。その上、身体は両断されて臓物が見えかかってた。
亡霊の俺と変わらないほど、そいつにはもう死が近い。
けれど俺を起こしたのはこいつだ。なら、聞いておく必要があった。
「俺の名はエレク。どうする生きるのか、死ぬのか。それだけだ」
俺自身の事で、もう一つ思い出した事があった。
俺は性格が悪いんだ。他人を追いつめるのは大好きだし、他人の苦境なんて笑い飛ばして無視できる。だからこいつがどうなろうが、本当はどうでも良かった。
だが、
『……生きたい、絶対に死にたく、ない――ッ!』
そいつがあんまりにも、俺が思っている事そのままを言うものだから。笑ってしまった。眠って眠って眠り続けて、久しぶりに笑った。
「同感だ。俺もだぜ、じゃあよぉ」
そいつの手を取った。祭殿全体を見渡す。コボルドと複数の人間がばか騒ぎをしながら殺し合っている。コボルドは敵だろう。それでこいつが斬られた傷は人間に作られた剣傷だ。
つまり全員敵か。分かりやすくて良いね。
「身体を借りるぜ、レディ」
女の身体を扱うのは初めてだったが、入り込むのはあっさりと出来た。指先の感触を確認し、神経と魂を繋ぎ止め、足先までに熱を含ませる。魔力を循環させる作業は順調だった。
この女、どうやら殆ど魔力を使わずに生活していたらしい。俺が生きていた頃は日常生活でも魔力を使ったものだが、時代が変わったのだろう。
潤沢な魔力を全て注ぎ込んで、肉を修復する。血を呼び起こす。とは言え流石に足りない部分はあるが、生きながらえれば十分だ。コボルドの肉でも食えば良い。
ふらりと、起き上がる。俺と瞳の色が違う所為か景色が随分と違って見えた。その上手先が妙に柔らかだ。身体のそこかしらが頼りない。足首が華奢ですぐに転げてしまいそうだった。
筋肉の付き方も、重心も全く俺とは違う。そりゃそうだ。本来の俺とこいつでは、体格に差がありすぎる。
立っていられるのが不思議なほど全身が細いのに、胸元や一部だけが重い。余計に動きづらい。遠隔操作の魔導で他人を動かしているのに近かった。
敵は相争っている。戦力はコボルドが残り二体に、人間が三体。こちらは不慣れな身体を持った俺が一人。けれど魔力は潤沢。指を鳴らす。
「後から良い服見繕ってやるから、許してくれよレディ」
細い脚で石床を蹴り砕いて、宙を駆ける。久々の肉体に吐息を漏らした。髪の毛から足先まで魔力の通りが良かった。良い身体だ、使い甲斐がある。一番近かったのはコボルド二体。
獣の面がぎょろりと俺を睨んでいた。一体は爪を伸ばし、一体は拾い上げた剣を構えている。殺意は漲り、人間に対する警戒心は薄い。彼らの本能が、この身体を見くびっているのだろう。
魔物にしては、酷く鈍いな。右拳を握った。
「ウロォォオ゛――ッ!?」
前に出ていたコボルドの頭部を目掛け、ただ真っすぐに拳を振りぬく。魔導を使う必要はなかった。ぎりぎりという軋んだ音が腕からしたが、大したことはない。筋肉が断裂したとして直ぐに魔力でつなぎ留めれば良い。
ぐしゃりという音。飛び散る脳漿と、黒い血。魔物特有の血の色だ。手の中に魔物の命を握り取った感触がある。
「ん? 脆くなってないかぁお前」
昔はもう少し意気地のある方だったが。あっさりと彼は絶命した。魔力の調整を間違ってはいないのだが。
けれど彼らの連携は良かった。一体のコボルドが死ぬのと同時、剣を持った奴がこちらに斬りかかってくる。振り方は滅茶苦茶だが勢いだけはあった、斬れはしないが殴り殺す事は出来るだろう。
「じゃあなコボルド君。懐かしかったぜ」
拳を払う。どれほど勢いがあっても魔力の籠っていない剣は、ただの鉄の塊だ。裏拳でへし折りながら、そのままコボルドの首筋を薙ぎ払った。先ほどより盛大に血が弾け飛んだ。勿体ない。魔物の血も肉も使い勝手があるというのに。
身体も髪の毛も血みどろになってしまった。後で持ち主に怒られるかもしれないが、必要だったという事にしておこう。
軽く手を払って血の塊を地面に捨てた。俺の墓場だ、どう汚しても文句を言われる筋合いはない。
「な、ぁ……っ! 何だお前! 何なんだお前は!? 属領民!」
人間の内一人が叫んでいた。使っている言語は西側の言語か。どうやら生き残ったのは装備を整えていた彼らだけのようだ。他のボロを着た人間は、コボルドに殺されていたり、彼女のように剣で斬りつけられていたり多種多様。全く良く死んだもんだ。
「オレが何であろうとお前に関係があるか? お前らは彼女を斬って生き延びた。なら彼女に命を付け狙われるのは当然だ。さぁ構えろ、戦うんだろう。意気地を見せろよ」
拳を握りこみ、腕を振り上げる。男の顔が一瞬驚愕に歪む。しかし奇妙な歪み方だった。俺が立ち上がってきたことよりもっと別の。まるで言葉を喋らない異物が急に言葉を発したかのような。そんな驚き。
しかし残念だ。彼がそんな驚きを見せてしまった時点で、決着はついている。
床板は蹴り砕かれ、俺の拳は彼の腹から侵入して背骨を握りこんでいた。そのまま彼の身体から、臓物と共に背骨をえぐり取る。例え彼が復活の法を持っていたとしても、こうしてしまえば簡単には復活出来ない。
「……化け物め。俺達を、俺達を騙してやがったな! 人殺しがぁ!」
残った二人の内の、片方が叫んだ。血を頭から浴びながら、鼻で笑った。
死んだ男が持っていた剣を手に取り、勢いをつけて投擲する。ぶぅんっと強い音が鳴り、うるさく騒いだ奴の頭部に突き刺さった。彼もまた呆気なく死んだ。
残り、一人。彼は剣を構えながら、がちりと歯を鳴らす。
「待て、待てよ。重罪だぜ。属領民が正市民を殺したらよ、断頭台送りだ。お前は死ぬ、確実に死ぬぞ!」
「お前は殺したじゃないか。彼女を、彼らを」
「ッ! てめぇだって分かってるだろうが! 属領の人間が、幾ら死んだって罰されるもんかよ! その上迷宮の中、全部不幸な事故だろうが!」
「そうか」
指先を鳴らす。魔力を全身に流し込んで、笑った。
「ならこれも、不幸な事故だな。きっとそうだ」
「こ、の……っ!」
男が剣に魔力を流し込んだのが見えた。ほう、とため息を吐く。もう人間は魔導を忘れたのかと思ったが、そうでもなかったようだ。少なくとも形になっている。男は剣を横に構えさせて、口を開いた。
「魔導――剣技『首狩り』ッ!」
詠唱が、魔導を完成させる。コボルドなどとは比べ物にならない速度で彼の刃は空を駆けた。
しかし残念だ。首狩りは文字通り敵の首を刈り落とす為の剣技であり、本来は狙いさえ定めれば必ず首へと触れる代物だが――練度が低く、稚拙な魔力の込め方では意味がない。
態勢を崩し、長い脚を伸ばす。身体をほぼ横向けにしながら、足先で男の首を薙いだ。男の剣が、何もない空間に向けて振るわれる。
足先を軽く振る。べっとりとした血がこべりついていた。どさりと身体が崩れ落ちる音がする。
「ぁ……が……っ」
男の首が落ちていた。血が華々しく空間に飛び散る。赤色の噴水が、強く空を打っていた。
敵は全て絶え、俺だけが生き残った。また生き残ってしまった。
そこで、ようやく身体の中で彼女が目覚めているのに気付いた。彼女はおっかなびっくり怯えたようにしながら、目を見開いていた。丁度、息苦しくなってきた所だ。これ以上はもたない。身体を彼女に明け渡し、再び亡霊の姿へと戻る。
やっぱりこっちの方が断然良い。女の身体は男には扱い辛い。
「な、ぇ……ぁ!? 何、貴方……何!?」
「何と言われてもな。ただのエレクだ。落ち着けよ、交渉をしよう」
「こう、しょう……?」
彼女と話して、先ほど男達が見せた驚愕の一端が見て取れた気がした。彼女が用いる言葉はやけに訛りがあって聞き取り辛い。属領民と呼ばれていたが、彼女本来の言葉とは違うのだろう。つまりは外国の人間か。姿恰好を見るに、奴隷かもしくは二等市民の類型。
「そう、交渉だレディ。俺は亡霊だがまだ生きたいんだ。良い女も抱きたいし、酒も飲みたい。つまり、身体がなくても生き返れる術が欲しいのさ。だからお前……えーと、名前は?」
そういえば名前すら知らなかった。彼女は俺の言葉を聞き取ったのか、怯えた唇を開いた。
「シヴィ……リィ。シヴィリィ=ノールアート、よ」
彼女の瞳が見える、燃えるような紅蓮だった。彼女の姿はどこをとってもみすぼらしかったが、瞳だけが切り取られたように凛然としている。強い意志を持った瞳だ。
「シヴィリィ。お前は俺に協力をして、俺が生き返れる為の術を探すんだ。これが条件の一つ。代わりに俺も条件を差し出そう」
「条件……?」
シヴィリィは言葉を嚙み砕くようにして頷く。飲み込みは悪くないようだった。これならそう時間はかからないだろう。
「そうだ。俺は性格は悪いが、取引だけは公正だと自負してる。シヴィリィお前、言葉は扱えるか? 字は読めるか? 数字の計算は? 人を騙す手管は? 全部生きるために必要な事だ」
彼女はゆっくりと首を横に振った。けれど怯えるというより、真っすぐに瞳が俺を見つめていたのが意外だった。
「お前が俺に協力するなら――俺はお前に生き方を与えてやろう。お前に世界の動かし方を教えてやる。公正な取引だろう?」
シヴィリィの紅蓮の瞳が、煌々と輝いていた。まるで本当の炎が、燃え盛るように。