第十八話『邂逅』
ゴブリンから剥ぎ取った爪や角、臓器の類を皮に包んで布袋にしまい込む。彼らの血肉は大部分が魔力で構成されているので、幸いな事に匂いはさほどしない。腐らない限りは、だが。
本来は爪や角だけにしたいが、魔物の臓器を食べたがる好事家もいるのだ。実際、魔力を多分に含んでいるから多少血流は良くなるだろう。
とはいえ、それでレベルが上がるわけではないから不思議だ。魔力は殺した瞬間の、発露したばかりのオドでなくては生物は吸収できない。
身支度を軽く整え、そのまま英雄の門へと上がる。迷宮から出てきたばかりでも、血みどろというのは印象が悪いだろう。
俺もシヴィリィも正市民の連中を見返してやる思いがあるとはいえ、全員を敵に回すわけではないのだ。特に英雄の門にいる受付嬢や、道具を売る商人は中立くらいにしておきたい。今の所は殆ど用がないが、彼らにそっぽを向かれれば不利益を被るだけだ。
それにここ数日で分かったが、英雄の門に勤める者らは正市民や属領民といった区別を敢えて曖昧にしているようだ。探索者はそれらが常に混在しているから、露骨な事は出来ないのだろう。
受付嬢に目線を送りながら、軽く挨拶をする。彼女は目を丸くして言った。
「おかえりなさい……それも死体ですか?」
「どう考えても違うでありましょう!?」
「あらまぁ」
……。今日ばかりは首根っこを捕まえたココノツの所為で奇異な目で見られるのは仕方がないが。いや、昨日はオークの首を持ってきたのだから。もしかすると印象が良い場面は全くなかったかもしれない。
ふと見れば、やけに英雄の門の中の探索者がすくない。迷宮同様、がらんとした様子だった。
「今日は凱旋式ですから、よほどの物好きな方以外は外に出られていますよ」
唐突に、受付嬢に声をかけられた。無機質な丸い瞳が、こちらを見つめている。
驚いた。今まで挨拶も殆どしていなかった上に、会話らしい会話を交わした事は無かったはずなのに。
しかし納得は言った。そういえば昨晩からその準備で騒々しかったな。
「ありがとうレディ。それじゃあまた」
「いえ。我々は探索者を支援する事が仕事ですから。またのお越しを――探索者シヴィリィさん」
ああ、そういうわけか。今の言葉で受付嬢の態度にも合点がいった。
『……よくわからないんだけど、私も探索者って認められたってこと?』
シヴィリィの声に頷く。
彼女らはあくまで探索者を支援する役割であって、探索者でない者に声をかける必要はない。つまり昨日までは、探索者と認められていなかったというわけか。
そういえば、彼女が声をかけていない探索者は他にもいた。悉くシビアな都市だ。
この都市は探索者の為に造られ、探索者によって使われ、探索者を食い物にして生きている。当然、そこに生きる人間も、探索者達もより適応していく。必要ないものを切り捨てるようにだ。
「それで自分は何時までこうしていれば良いのでありましょうか! 良い加減手を離してくださってもよろしいでしょう!?」
はずなのだが。ココノツはどうしてこうなのだろう。
『私にも分からないわ』
シヴィリィの冷静な声が今はありがたかった。
「手を離したらお前は気配を隠して逃げるだろう」
「逃げませんが!? ギルドに入りたいと言ったではないですか!」
「そうだとしても、話をする前にちょっと付き合って貰いたい所があってな」
金髪を跳ねさせ、ココノツを引きずるようにして大通りを歩く。視線はまだ感じるが、以前のような明白な敵意は減ったように思えた。
オークの生首が効いたのもあるだろうが。今日ばかりは皆きっとそれ所ではなかったからだ。
大通りはいつも以上に人がひしめきあい、そして一様に笑みを浮かべていた。人々はどこか浮かれた様子で、軽い足取りで通りを歩いている。
景気よく馬車を走らせながら声をあげる商人。勢いよく屋根を駆けて物を運ぶ亜人の少年。楽し気に笑う少女の声。街の光景のどれからも活気が感じられた。通りには人の波が作られ、あっさりと埋もれてしまう。
都市全体を使った、騎士達の凱旋式。騎士達は各地に散っていたと聞いたが、魔導を使って転移してきたのだろう。
「……おお。流石、大騎士が帰ってくるとなると違うでありますなぁ」
引きずられながら、ココノツが零すように言う。やはり亜人の中には、彼らの血統に思う所がある者も多いのか。
大騎士。勝利、戦役、天秤、落陽の二つ名で語られる彼らは、かつてシヴィリィやココノツらの故郷を征服した筆頭だ。遥か昔の事、今を生きているのはその血統を受け継いだ人間とは言っても、思う所は必ず残る。
『……わぁ』
しかしシヴィリィは、素直に感嘆したように呟いた。
ごぉ、っと歓声が鳴る。人の波が呻いた。大通りは街の正面門から一直線に続いているから、どうやら凱旋に出くわしたらしい。小柄なシヴィリィでは人の波をかき分けてみる事も出来ないが、状況は分かる。
――人垣の中、大通りの中心を稀代の英雄が通ったのだ。
「大騎士様」と讃える声がする。
「我らが騎士」と咆哮する者がいる。
「今、こちらを見られたわ」と黄色い声をあげる者がいる。
ほんの一瞬だ。人垣の合間から、三人の騎士が見えた。
――威風堂々と、朱色の鎧を身に纏って歩く騎士は兜を被りその相貌は見て取れない。泰然とした様子の黒鎧の騎士は短い髪の毛を大人しくなだめつかせながら民衆の声を意に介さない。最後を歩く、鈍く輝く蒼色の騎士は民衆に軽く手を振りながら長躯を目立たせていた。
一瞬で、通り過ぎる。俺が視えたのはその程度。俺達はその横を、人垣の波に埋もれるように通り過ぎ――そうして駆けた。
「わぷ、ぴぎゃ!?」
ひきずられるココノツが、おかしな声をあげた。
けれど俺は、気にせずに人垣を駆けていく。とん、とんっと魔力すら使って走る。
『――エレク!? ねぇ、どうしたの』
シヴィリィに声をかけられて、俺は自分が駆けだしていた事にようやく気付いた。久しぶりに呼吸が荒れている。こんな非合理な事をするのは何時ぶりだろう。
一瞬垣間見ただけでは、騎士達の様子は殆ど分からなかった。分かったのは特徴的な鎧の色と態度だけ。しかし奇妙に、胸騒ぎがした。魂が揺さぶられる気がしたのだ。いいや違う。正確に言うなら。
――アレらに言い様のない感情を覚えていた。
俺は騎士達に出会った事などないはずなのに。
『大丈夫? 無理はしちゃダメ、って私に言ってたのに』
「……いやほら、人込みが面倒だっただろう? 突っ切っちまった方が楽だしな。オレは楽な方が好きなんだ」
「人込みが面倒という理由でひきずられたのでありますか自分はぁ!?」
黒髪を振り回しながら、呼吸を荒げて手足をばたつかせていたココノツがそこにいた。
うん。これは俺が悪かった。
「……まぁ、何だ。後でギルドハウスで良い魚を奢るから」
「え~魚だけでありますかぁ~?」
どうしてだろう。こいつに譲歩するのは凄い癪だ。その上もう余裕綽々で腕組みをしてやがる。じぃっと彼女の瞳がこちらを見て来るものだから、思わずため息をついて言った。
「エールもつけるよ、ここの後でな」
「わーいであります! それで用事は……教会でありますか?」
こくりと頷いて、軽く目の前の建造物を見上げる。
街道から少し走り、一つ小路に入った所にそれはあった。
大騎士教の教会。大鐘と騎士紋章が特徴だとシヴィリィから聞いている。
建物自体は古めかしいが、手入れはよくされているようで汚れは少ない。草木が生い茂っている事もなかった。属領民が使うような建物とは大違いだ。普段は敬虔な教徒達で賑わっているのだろうが、大騎士が到着した今日この時は最低限の人員しかいないはず。
何せシヴィリィは金髪紅眼。よく分からないが大騎士教では禁忌らしい。余りこういう場所に立ち寄りたくはないのだが、しかしノーラやリカルダの話を聞くと、レベルを測れるのはここだけだ。なら一度その魔導は拝んでおきたいし、シヴィリィの今後を定めるためにもレベル鑑定は必須だ。
それこそ俺の時代は、魔石に魔力を込めた際の色加減で判断していたものだが。どうやっているのか。
「ギルドに入るなら。お前もレベルを測っていた方が良いだろ?」
「自分、数値で測れない所に自信があるのでありますが~。あっ、ですが身体の方にならそれなりに自信が!」
「分かった分かった」
彼女のノリに付き合っていては駄目だ。短い付き合いでここまで自分の内面をさらけ出してしまえる彼女はある意味で豪傑だな。
教会の古びた扉に手をかける。胸中でシヴィリィが、僅かに小さくなったのが分かった。
『……教会って、苦手なのよ。子供の頃から。嫌な事ばかり起こるから』
「俺の知ってる教会と随分違うな」
しかし、彼女の容姿だと正直何が起こってもおかしくはない。一定の警戒をしながら、俺にひきずられるままのココノツを連れて中へ踏み入る。とうとうこいつ、自分で歩く事をしなくなったな。
迷宮都市という大都市にあるにしては、質素な教会だった。天井は高く、清掃は行き届いている。燭台や並べられた椅子の隅にすら埃が見えない。
ここに通う人間達の信仰心の高さがうかがえる。
最奥に飾れるのは騎士紋章。光が差し込む構造にしてあるのだろう。日光を反射して、神々しく輝いて見えた。
しかし最も目に入ったのは、騎士紋章でも、その下で祈りをささげるシスターでもなかった。
騎士紋章に向けて傅くようにしながら、長い薄緑の髪の毛を揺蕩わせている女だった。後ろ姿しか見えない。けれど、その女の在り方は鮮烈だった。彼女の周囲だけ切り取られたかのような、膨大な存在感。
指先を、鳴らした。どういうわけか、自然に魔力が昂ってくる。
俺達の存在に気づいたのか、不意に女は立ち上がった。こちらを見る。
「あら――」
彫刻にそのまま魂を吹き込んだかと思うほどの美貌。
しかし同時、鋭利な瞳が輝いて俺達を刺し貫く。
「――こんにちは」
心臓を鷲掴みにするような声で、そいつは言った。
白い鎧を、当然のように身に着けて。




