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第百三十話『視る者は』

 エレクの身体を鎖が這う。狂おしく、猛々しく。それでいて何処か縋りつくように。


 ロマニアは呼吸すら失った有様で、ただ眼前に鎖を展開する事だけに意識を向けていた。


 視界が黒血で失われて見えやしない。ただ鎖の感触だけで、彼を感じていた。


 四肢に力は入らない。当然だった。誰の『破壊(ブラスト)』を正面から受けたと思っている。誰の渾身を受けたと思っている。


 しかし、因果なものだった。


 かつて地上で栄華を手に入れたはずの王と、その忠臣が今となっては地下の暗がりで互いに殺し合いをしているのだ。


 まるで地獄だな。見えぬ視界を抱えながら、ロマニアは目線を細めた。


 いや、けれど同じか。そうだとも。


 ――生きているだけで地獄だったあの頃と同じままなだけ。


 ロマニアの最も最古の記憶は、砂漠だ。砂に塗れながら、何かを探すように一人で歩いていたのを覚えている。


 その頃にはすでに十分に歩ける年頃だったというのに、それ以前の記憶はどうしても思い出せなかった。何せ数百年以上前の事だ。エルフには幼少期の記憶がないものは多い。


 どうせなら自分も、忘れたままの方が良かったかもしれなかった。何せ、ろくでもない記憶ばかりだ。


 エルフは最古の種族という誇りだけは胸に抱いていたが、誇りだけでものが食べられるほど世界は甘くはない。


 最も大きな問題だったのは、当時エルフが国家を持たない種族だったという事だ。どんな地方に渡っても余所者でしかなく、人間達の間に混じろうとしても長寿であるが故に一か所に留まれば魔族と同一視され迫害される。


 そうならない内に次、そうしてまた次と、移ろう砂のように大陸を転々とする流浪の民がエルフだった。


「次は、どこにいくのです母様」


「今よりは良い所よ」


 ロマニアが覚えている母親との会話はそれだけだ。殆ど記憶から欠落してしまっているのは、流浪の最中に死してしまったからだろう。実際、子供の頃知り合いだった者は殆どが死に絶えた。


 死ぬ数が少なくなったのは、大陸の東端に隠れ里を作ってからの事だ。


 周囲のエルフが死んでいく中、ロマニアは百歳にもならない内に旅団の頭目になっていた。自分より上のもの、同世代のものは殆どが死んでいた。


 その所為か、ロマニアの口調は妙に角張ったものへと変質した。


「ここに、己らの郷里を作ろう。移ろう事もない、飢える事もない土地をだ」


 長き時を経て森の民なぞと呼ばれる事が多くなったエルフだが。ロマニアが聞けば失笑する。


 ただ住まう場所がないがために、森に隠れ潜まなくてはならなかっただけの事。それに森の中であれば最低限食べるものには困らない。


 それからは暫くは、移ろわない日々が続いた。しかし安穏だったかと言えば決してそんな事はない。


 山狩りに来る人間達からは隠れなければならなかったし、魔物の襲撃を受けて里の場所を数度変えさせられる事もあった。


 多くのエルフが、その間にも死んだ。昨日生まれた赤子が今日には死に、顔を覚えた者が気づけば土の下に眠っていた事など日常茶飯事だった。


 その中で、ロマニアは思ったものだ。


「生きている限り、この世は地獄だと信じよう。国もなく、住まう土地もなく、獣のように追い立てられる己らが欲求を満たし幸せになれると思う事自体が、全ては間違いなのだ」


 ひょっとすればロマニアが生き残り続けたのは、そんな信念があったからなのかもしれない。


 何が在ろうと、彼女は絶望しなかった。いいや、絶望し続けていたからこそ折れる事が無かった。ただ淡々と他者の死を見送り、次の生誕とまたその死を見送る。


 何時しか隠里にはエルフ以外の種族も多く住まうようになった。


 緩やかに人間達にも認知され始め、結界により魔物に襲われる事もなくなった。


 ようやく少しは、少しはマシになったのだろうか。そんな風にロマニアが思えた頃に。


 周辺の諸国家から、ロマニアに複数の書状が届いた。


 文面は様々だ。しかし結論からしてしまえば、どれも同じ。

 

 ――さて隠里の亜人らは、どの国家に隷属するのか?


 当時、亜人達は部族を形成する事はあっても国家を持つ事は無かった。人類にとっても魔族にとっても、エルフを含めた亜人らは資産であり戦利品であり労働力だ。


 つまりはこういう事だった。隠里を庇護してやろう。森の中で細々と暮らしていく自由をやろう。けれど代わりにお前達は自分達の奴隷になるのだと。


 少しでもマシな暮らしにしようと、周辺国家と交易をし始めたのが失敗だったか。それとも可能な限りの種族を迎え入れたのが誤りだったのか。

 

「生きている限り、この世は地獄だ」


 丁度、その頃だった。いいやどこかの国家に隷属して暫くが経ってからだったか。ロマニアの記憶は曖昧だ。


 何せ、その記憶は重要ではない。そういった記憶は削ぎ落される運命にある。


 ロマニアにとって、その後の鮮烈な記憶さえ残っていればそれで良い。


 彼はそういえば、あの時にも言ったな。

 

 ――何の手柄もないままに、助けを求める愚かな男だと思われたくはない。必ず、貴方の助力に見合うだけの手柄を持ってこよう。


 辺鄙な里のエルフを捕まえて、変な少年だと、そう思ったものだった。


 しかし、けれども。


 あの頃が長すぎる生涯の中で、最も楽しかった。一番輝いていた時代だった。


「ロマニア」


 その一言で、意識が現代に引き戻される。過去にうつつを抜かしていたのは、一瞬だったのか。それとも数秒だったのか。


 視界が見えないまま、ただその声だけに応じる。


「……やぁ、君。そこに、いるのか」


 意識は朦朧として、自分が何をしているのかもロマニアは定かではなかった。ただ今は、温もりを求めているだけ。


 思う事は一つ。


 彼と出会う以前には。あの地獄にだけは戻りたくない。


「――は、ぁあああ!」


 瞬間、中空を閃光が疾駆する。


 『破壊(ブラスト)』による破壊の亀裂ではない。鮮烈に過ぎる刃の一振り。


 いいや正確には、大騎士たるヴィクトリアとアリナの剣閃が重なったものだった。かつて王の刃であった彼女らの剣が、王に群がる鎖を断ち切る。


 もはや鎖に魔力は通っていなかった。それはただただ、縋りつくだけのエルフの腕に過ぎなかった。


「――すまなかったロマニア。だが今一度、お前の魂を俺に貸してくれ。俺は成すべきを必ず成す」


 そう言って、エレクはロマニアの瞳を見た。彼女の魔力はもはや破壊の一途を辿っている。


 エルフがにこりと、笑った。


「……君の手柄話を、楽しみにしているよ、少年」


 そう言って、エルフは立ち消えた。亡骸の欠片もなく、ただ王に指輪一つを残してかききえた。


 王はただ彼女を見送って、両の瞳を閉じている。


 熱いものがその頬を伝っていた。


 大騎士ヴィクトリアはそれを見ながら、苦味だけが空間に散っていく気がした。長年の怨敵の一角が消えたというのに、喜びの声すらあげる事はなく。


 ただ、見ていた。ただただ、見ていた。


 ――瞳が、その光景を見据えていた。



 ◇◆◇◆



 瞳が、見開かれる。


 視界には背の高い本棚が複数と、長い机、それに必要な分だけ揃えた調度品が見える。


 果て、今まで地下第七層にいたはずでは。


 そう思い違いをした所で、ようやくはっきりと意識を取り戻した。


 魔導によって別チャネルに『接続』されていた瞳が鋭い光を取り戻し、一度瞼を閉じる。今自分が見ていた光景を、反芻するかの如く。


 実際の所、視界の『接続』は感情やものの見方を接続先に引きずられ易い。視界を戻した後には、それを自分の記憶として処理する時間が必要だった。


 特に大騎士ヴィクトリアは第七層で随分と活発に動き、ものを知った。処理をするのには時間がかかる。


 十数秒、じっくりと噛みしめてから男が顔を上げる。

 

「――そうか。帰ったか。帰ってきてくれたか」


 男は壮年だった。温厚そうな表情に、奇妙に年月を重ねたように見える所作。鈍い銀色の衣服は彼の威厳を引き立たせる。

 

 ――大騎士教の剣。虚偽を司る魔族レリュアードは両手を重ねる。そうして初めて、自らの指先が痙攣しているのに気づいた。


 片眼鏡を外し、有する魔眼を堂々と晒しながらレリュアードは、笑った。


 視界を一方的に奪って見てきた光景を、喉を鳴らして何度も楽しんだ。


 手を軽く叩く。


「相も変わらずの様子。これは素敵だ。身震いがするほど嬉しいものだ。――これでまた、戦役が出来る。戦役が始められるぞ、私の敵」


 吐息を漏らす様子で、レリュアードはそう言った。


 まるで、この時を待ちわびていたかのように。

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