第十二話『オークの戦士』
迷宮の中で、勝って見せるとシヴィリィが言う。彼女の意志と言葉に嘘があるとは思わない。しかしその目論見はどこまで現実的なのか。彼女はどこまでいっても、素人でしかなかったはず。
「シヴィリィ、先に言っておくが。俺がお前を助けられるのは魔力があるからだ。お前が魔力を無くせば俺はもう何も出来ない。お前はそのまま死ぬんだぞ」
「……うん。分かってる」
分かってなさそうだった。彼女の瞳は真紅にぎらつき、オークだけを見据えている。それは当初、彼女から最も遠いと思っていた色合い。闘争の興奮。
彼女を説き伏せるべきか。彼女の意志を信じるべきか。
シヴィリィは俺の思考を上書きするように唇を開いて言う。
「どうしたのよ。これは貴方が教えてくれた事でしょう? だから私はやるのよ」
「俺が?」
思わず生返事で聞き返す。シヴィリィは強く頷いた。
「侮られなくする方法は、相手の鼻っ柱をへし折ってやる事だって。だから、そのために教えて欲しい事があるの」
一瞬、シヴィリィと視線を交わす。彼女は本気だった。怯えてびくびくと縮こまっていた癖に。こんな時にだけは燃え上がるような瞳を見せる。確かに俺が言った言葉だが。それを盲信するような真似は止めてほしい。人を信じるというのは、自分を信じないという事に近い。
けれど、彼女が教えを請うたならば。俺はそれに応じる義務がある。
「……レディ。死ぬような真似はするなよ。俺との約束を忘れるな。何を教えれば良い」
◇◆◇◆
オークは左目をぎらりと輝かせ、大広間に集った敵を睥睨する。醜悪な相貌が、毒の呼気を吐き出しながら思った。
コボルドでは相手にならぬと言うだけあって、敵は弱者では無かった。知恵と力も多少はあったのだろう。しかしその程度では、話にもならない。
混ざり者の前衛は魔力を枯渇させ、後衛は機を逸した。勝利を確信した咆哮が、大広間を包み込む。
「――ォォォオオオオッ!」
無意味な叫びではない。体内の魔力と黒血とを活性化し循環させる事によって、自然治癒を促しているのだ。黒血が蒸発する音を立てて、斬り裂かれた両膝の筋肉が再生する。
完全に失った右目は治癒でなくては再生しないだろうが、斬傷や刺傷程度オークにとってはものの数ではなかった。
石剣を振り上げる。眼下では、二振りのククリナイフを持ちながらも息を切らした剣士が一歩を下がった。しかしそこには先ほどまでの機敏さも力強さも無い。魔導による身体強化の果てはこんなもの。彼女はもう戦う力を持たない。
ゆえにオークは――石剣を振り下ろし、自らに向け射出された矢を弾き飛ばす。剣士も同時に打ち殺してやるつもりだったが、器用に身体をひねって地面に転がり込んだ。
「小賢しいのう」
ぎょろりと、巨大な目玉が射手を捉える。矢傷だけで致命傷になるとは思っていない。あの矢では、関節や目玉と言った箇所しか穿てないだろう。自分の石の如き皮膚は砕けないはずだ。それでも鬱陶しい事に替わりはないが、彼が警戒したのはそれよりも魔導士だった。
自分の右貌を完全に破壊し、岩すら溶かす火球を自壊させた魔導。ただ者ではない。
魔導士は、射手と数度言葉を交わしてすぐにオークに向き直る。一見はただの小娘。牙でかみ砕いてやれば、泣き声と絶叫をあげて命を懇願するだけの弱者に見える。
けれどその燃え上がりそうなほどの紅蓮の瞳と、世界をくすませる金髪は見覚えがある。ああいった容姿をした連中は、総じて強い魔力を有するのだ。
「……血の因縁かい」
なら、ここで完膚なきまでに叩き潰しておかなくてはならない。恐ろしいものは、恐ろしくなる前に殺すのだ。
床板を荒々しく踏み潰し、前へと跳ぶ。余りこの場を荒らしたくはないが、迷宮は魔物と同じく自らその壁や構造を回復させる。迷宮そのものが生きているのだ。
「ち、ぃ――シヴィリィさん!」
石剣を振り上げ真っすぐに突進するオークを前に、射手と魔導士は左右に分かれた。魔導士は、右。死角に入りに来たか。しかし甘い。
ごう、とオークの石剣が半円を描く。荒々しく無理やりな軌道だったが、彼の腕力はその斬撃を可能にしていた。それに魔導士の足取りは素人そのものだ。
「戦いにおいては未熟と見たわ!」
「っ!? ぁがッ!?」
オークの切っ先が、魔導士の腕を捉えた。右腕が弾け飛ぶ。斬り裂かれた腕は冗談のように宙を飛び、赤の鮮血をまき散らした。頬に浴びる血が心地よかった。血は魔力の塊だ。
背中越しに矢を打ち込まれたが、鋼の肌がはじき返す。
――勝った。
魔導士は一度傷を負ってしまえば、魔導の威力を激減させる。魔法や奇跡を放つ者はその精神性で著しく魔導の効果が上下するのだ。乱れた心では、魔導の起動すら困難なはず。
唯一の脅威はこれで去った。今までより落ち着きを取り戻した足取りでオークは、部屋の隅に魔導士を追い詰める。足取りは未熟だったが、逃げる為に選んだ道筋は良かった。だからこそ片腕一本の犠牲で済んだのだ。
「小娘。お前はわしがきっちり殺してやるわい」
「……」
身体は悪くない、嬲ってやっても良いがその間に魔力を回復されては元も子もなかった。オークは大広間の隅に蹲り、がっくりと項垂れた魔導士に向け石剣を振り上げる。最後まで警戒は崩さない。万が一彼女が魔導を使ってきても、石剣で相殺出来る位置を取る。
オークに油断はなく――だからこそ、魔導士が震える頬をつりあげたのが分かった。ぞくりとしたものが背筋を走る。石剣を咄嗟に身体の前で構えるオークを無視し、魔導士は地面に指を向けて言った。
「魔導……破、壊」
石床が、悉く破壊される。オークが巨大な目を剥いた。
オークの自重ですら崩壊しなかった床が、いとも容易く崩落し、ぽっかりと穴を開けた。オークと魔導士が、暗闇の中に落ちる、落ちてゆく。
「ォ、ォオオオ!」
咆哮ではない。動揺の声だった。ここに至って初めてオークは、精神の揺れを見せていた。彼が大広間の壁を打ち破ったように、魔導士はオークの想像外の事をしてみせた。
オークは、奇襲を受けた。
巨躯がしたたかに大地に打ちのめされる。辿り着いた先は石の床ではなく、土に塗れた大地だった。
迷宮の、第六層。周囲は森林が覆っており、土の匂いが鼻孔を這う。
馬鹿な。オークは目を歪ませながら呻いた。五層と六層がこのような形で繋がるはずが無い。ここは鍵を持たぬ者が入れる場所ではないのだ。
しかしそんな惑いも、迷いも。抱く暇はなかった。
「魔……導――」
魔導士がオークのすぐ傍に、いた。共に落ちて来たというのに、彼女の初動はオークよりずっと早い。当然だ、彼女は奇襲を仕掛けた側なのだ。
魔力で強化していたのか、身体は右腕を失った以上の損害を受けていない。左手の指が、地面に倒れ込んだオークの体躯を指す。
「ひがっ!?」
オークが思わず、情けない音を鳴らした。魔導士は最初からこれだけを狙っていたのだ。オークから奇襲を受けた時から、奇襲をやり返して思い知らせてやることだけを考えていた。
オークの目前に、死が迫っていた。魔導士の破壊力は知っている。あれだけのものを直撃すれば間違いなく全身が四散する。
けれど――そこが魔導士の、少女の限界だった。
右腕から血を噴き出し、意識を手放して地面に突っ伏す。衣服と頬が泥に汚れた。
はぁ、はぁっとオークが呼吸を乱す。それから醜悪な相貌の眦を上げた。
「こ、の……人間の小娘の分際で。わしを驚かしおって!」
すっくと立ちあがればオークの黒い血が飛び散り少女に降りかかる。動揺の余り、回復に意識が向いていなかったのだ。それに今の彼は、保身よりも怒りに目が向いていた。
オークの脚が、魔導士の頭を踏みつけにする。すぐに殺しはしなかった。自分より弱い人類種に追い詰められた事実が、彼の高い尊厳を傷つける。冷静さは、勝利を確信した事で蒸発した。
そのまま魔導士の身体を蹴り上げた。
「楽には殺してやらんわ! コボルド共の餌にしてくれる!」
蹴り上げ、周囲の樹木に魔導士を打ち付ける。オークは怒りと屈辱の色を露わにしながら、魔導士に近づく。しかし彼女を足蹴にして多少落ち着きを取り戻したのか、左目が冷静にものを見た。
オークは少々やり過ぎかと思う程に魔導士を蹴り飛ばした。死にはしなくとも、右腕以外の欠損があっておかしくないはず。所詮、身体は少女に過ぎない。
だというのに、彼女は右腕以外擦り傷すら負わずにそこにいた。強化、いやその魔力があるなら他に手の打ちようはあったはず。つまりあれは魔導を使わず、それどころかただの魔力操作だけでオークの剛力を殺し切っている?
馬鹿な。
「……こ、ふっ」
そんな真似が出来るはずがないと、オークが一歩近づいたと同時。魔導士は喉を鳴らした。
口元から黒い血が流れ――違う。黒血は魔物のもの。あれは、黒血を啜っている。魔導士の喉が、大きく鳴る。ごくりと、何かを飲み干した。
ふぅ、と呼吸を一つ。
「――流石に、魔力を使い果たされた時はどうしようかと思ったが」
オークが、踏み出した一歩を下げる。そこに何かが、いた。魔導士の、少女の姿をした何かがいた。
彼女は立ち上がり、右腕がない事を意識もせずに眼を開く。
紅蓮が輝いている。
「だけどまぁ、レディ。悪くはない。無事次の階層を見つけ、格上のオーク相手に負けなかった。――お前は十分、探索者になれる」
まるで、ここには無い問いかけの答えを返すような口ぶりで、彼女は言った。左の指先を唇が舐めて、手についた黒血を飲み干していく。
「お、前は……いいや、違う……。貴方は……っ!」
金髪が艶やかに魔力を纏う、紅蓮の瞳は夜に溶ける宝石のよう。姿形はまるで別人。しかしその魔力は、双眸の煌めきは。覚えている。魔物は幾度も魔力を塗り重ね、生存し続ける生物であればこそ。
魔導士が、右腕を欠いたまま美麗に足を鳴らした。
「じゃあ、やろうか。オークの戦士」
何でもないように、彼女は言った。オークが息を飲む。迷いと困惑が脳にある。
しかし、
「……敵、だわな」
呼ばれた通り、彼は戦士だ。オークは覚悟を決めて石剣を取った。
彼女がもはや、自分の敵でしかないと悟ったのだ。歯を食いしばり、次に咆哮する。筋肉が膨れ上がった。
「――ウォォオオオオオッ!」
竜の咆哮を思わせる、空を貫く豪声。同時、真っすぐに石剣を振り上げ、振り抜いていた。踏み込む速度も、振り抜いた軌道も素晴らしい。
気を抜く素振りはなく、また欠片の不足も存在しない。全てをつぎ込んだ渾身の剛撃は、空気すらも歪ませる。
五層で見せていたものは人類種にとっては戦いだったかもしれないが、オークにとって狩りだった。しかしこれは彼の懸命なる戦いであり――彼女にとっての狩りだった。
――オークと彼女が交差した刹那、彼の世界が反転する。地面が天に、天が地面に。
黒血が、噴き出す。オークの巨大な首が千切り取られ、頸椎は粉砕された。彼女の左腕が、オークの頭部を握りしめ、血を散々に浴びている。
「どうして……貴方、が……我々の敵、に」
オークが断末魔を零し、そして絶命する。戦士は戦場で散ったのだ。
「何の話か分からんが。お前が彼女の敵で、俺が彼女の味方だからだろう」
黒血から魔力を補充し、唇を濡らしながらふいと上を見る。
そこに天井は無かった。まるで空に穴が開いた様にひび割れ、石の迷宮とこの大地とを繋げている。
「……帰れるんだろうな、これ」
オークの頭部を掴みながら、一人の探索者が呟いた。




