第百二十七話『世界を平らげてでも』
「責任、責任か」
ロマニアは、そう繰り返すように告げた。噛みしめるように、まるで何か全く別のものを考えているかのようにだ。
しかしそこには悪意や悲しみといった感情はなかった。彼女はただ純粋に、その言葉を噛みしめているのだ。俺には不思議と彼女の表情の機微までが感じ取れた。
それは俺の中に注がれた魔力が、元は彼女が保有していたものだったからかもしれない。彼女の僅かな呟きまで耳に届いたのだ。
「……もう遅い、五百年遅いよ君……!」
それは慟哭だ。衝動的な叫びと言って良い。
ロマニアは表情を変えないまま、歯を食いしばりながら叫ぶ。
「もう誰も止まれない。もう誰も後戻りできない。己らはそんな地平まで来ているんだ! ――君が記憶の一部を取り戻したというのなら、己らの手を取って欲しかった。そちらの、そんな器の手を取るというのなら!」
ロマニアが玉座の近く、再び両手に鎖を携えて言う。
「己は――君の敵だぞ、エレク」
「……そうか」
俺は率直に言えば、ロマニアの言葉に痛みを覚えていた。
カサンドラもそうだが、ロマニアも五百年前傍で俺を幾度も支えてくれた存在だ。
当時彼女は故郷すら打って出て、俺に全てを預けてくれた。まだ何者でもなかったはずの俺に、彼女は自分のあらん限りを与えてくれた。
もしかすれば、ロマニアであるならば俺の言葉に応じてくれるのではないかと、そう思っていたのだが。
しかし違った。そも、ロマニアが応じてくれるのならカサンドラだって同じだったはずだ。
この五百年という固くも長い年月は、俺と彼女らの間にあった縁をもはや結びようのない程に断絶させてしまっている。
ロマニアは形の良い美麗な眦を浮かせて言った。
「……己について来て欲しいと、今一度言葉を繰り返さないのかい、君」
「お前が自分の言葉を曲げはしないのを知っているよロマニア。それにな」
一拍を置いてから言った。
「俺は一度失敗をした敗北者だ。しかしお前は勝利者だった。地の底にある俺が、お前に無手のまま縋りつく愚かな男だと思われたくはない。お前が一度は仕えた男が、そんな愚か者だとは言わせない」
指先に魔力を高速で展開する。この玉座の間であれば、多少の魔力行使は可能だろう。
こんな事は到底言えたものではないが、それでも口に出した。
「――お前の主君に相応しかったと、今からでも証明をしてやろう。この世の全てを平らげてでも」
「――戻って来たじゃあないか。それでこそ、己が主君。それでこそ、エレク=レイ=エルピス。己の鎖で捕らえる甲斐がある」
俺はシヴィリィの物語に付き合っているだけだと思っていたのだが、とんだ勘違いだった。俺は俺の過去に、終止符を打たねばならない。まだ俺の道程は終わってはいなかった。
「騎士ヴィクトリア、アリナ」
「ッ!」
刃を構えたまま微動だにしなかったが二人が言葉に反応する。僅かに視線を送って、問うた。
「お前らはどうする。ロマニアについても良い、傍観をしても良い。自由にしろ。もう俺はお前らの主君じゃあない」
「それ、は……っ」
アリナが震える言葉を漏らす。ヴィクトリアはただ白い刃を構えて、応じるように振るった。それがどういう意味かは分からないが、敵対の意志はなさそうだ。
「シヴィリィ」
「……な、なにエレク」
僅かに竦んだような、どこか居場所を失ったようなシヴィリィの瞳を見た。
「悪いが、力を貸してくれ。どういうわけか迷宮の魔力がお前に繋がってる。お前じゃないと出来ない事がある。良いかレディ」
「っ。ええ! 勿論!」
俺とシヴィリィの経路は接続されているからこそ分かるが、彼女は身体を再生するだけでなく膨大な魔力をため込み続けている。ならばこそ、ロマニア相手に打てる手もあった。
「いいか、シヴィリィ――ッ」
そう告げる瞬間に、それは来た。
殺意の塊の如き鎖の束。相手を地に叩き伏せる為の絶対不壊の拘束具。かつて五百年前の戦争において、数多の魔族を捕らえ魔導の発展に貢献した一端。
ロマニアが有する、たった一節で唱え終わる至高の鎖、不断の鎖。
咄嗟にシヴィリィを抱えたままその場を飛び去り、宙を跳ぶ。それでも尚追い回してくる鎖の一部を魔弾で狙撃して打ち落とした。
「……話す時間くらいくれないものかね」
「どうして他の女と話している時間を、君に作ってやらねばならないんだ?」
ああ、そういえば五百年前からこういう奴だったなこいつ。
流石に片手間で捌けるほどロマニアの鎖は緩くない。幸い騎士の二振りも、俺に敵対するという素振りではなかった。手短にシヴィリィに告げる。
「良いか、簡単に言うぞ。この場ではお前が砲台、俺が盾だ。もう俺には砲台の役割は出来ないからな。お前がでかいのをぶちかましてロマニアを止めろ」
「――砲台?」
そう繰り返すシヴィリィに二、三を告げて、ロマニアを真っすぐに捉える。
流石に手元の魔力だけで彼女を無力化するのは不可能だ。しかし、俺にも五百年前の経験というものがある。
不利、劣勢、守勢は慣れたものだ。むしろ魔族連中との戦いは常にそうだった。
「ふ、ぅ――」
呼吸を一つ、そうして脚に魔力をため込んで、強化をかける。これだけの魔導なら、詠唱など不要だ。
そのまま強く地面を叩き、宙を駆けた。足先で綺麗に弧を描きながら、迫りくるロマニアの鎖を打ち落とす。一瞬でも気を緩めればこちらの手足どころか心臓まで絡みついてきかねない蛇のような軌道をしていた。
やはり、俺には彼女の魔力がしみ込んでいるらしい。その間にも彼女の呟きが聞こえた。
「どうして己の敵に回る。どうしてそちら側の手を取る。かつて君を殺し、君を貶めた者らの手を……!」
悲し気に、咆哮しながら言う。彼女の魂に刻まれた五百年という年月の茨が、彼女に血を噴き出させている。
「彼らの為に……君の目指した王国は滅びたのだぞッ!」
魔力を振るう、鎖の音が鳴る。その一つ一つが、彼女にとっての叫びだった。
やはり彼女は、偉大な英雄だ。
迫害の対象にされたのは自分自身だというのに、間違いなくロマニアは俺の為に怒りを露わにしてくれている。五百年前のあの日も、今日というこの日も。
自らの事を顧みもせず他者を想う事が出来るのだ、彼女は。それの何と尊い事だろう。
だから断言できる。彼女は決して間違ってはいない。当然、他の英雄達も。
「ロマニア。悪かったのはお前らではない。そうして彼らでもない。――誰一人導けやしなかった癖に、王になってしまったこの俺だ。その結果お前らが苦しみ、そうして地上に魔族が蔓延っているというのなら」
一歩を踏み出す。ロマニアの鎖が頬を掠め俺の魔力を奪い取っていった。互いに高速展開をしあう魔導の最中に、言葉を告げた。
「――俺が全ての決着をつけ、お前の魂を救ってやる。迷宮も、地上も。眠りにつくのはそれからにしてやるよ」
「っ、ぅ――陛下らしい、お言葉だ」
ロマニアは言いながら、俺の魔力に弾かれた鎖を収束する。ぐるりぐるりとそれらは互いに食い合うように巻付き合い、そうしていずれ巨大な一本となった。
それを自分の周囲に展開して、ロマニアが形の良い唇をつりあげる。
「だとしても、五百年前の命令は終わっていない。君が真に王たらんとするならば己如き乗り越えてみせろ! ――己が忠誠をここに! 王の御名! 王の偉業! 五百年を超えて語られる神話をここに!」
それは詠唱だった。決して世界に証明されていない魔導。
だがこの城、この階層であるからこそ解放可能となる、ロマニアの秘奥。
「魔導解放――ッ!」
かつて大淫婦の魔名を与えられた一端が、口を開いた。




