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第百二十五話『魔王と器』

 名前を呼ばれない事など慣れている。


 むしろ時折、自分の名はそれであっているのだっけ、と不安になるくらいだ。声にする時、鼻に呼吸を通すのか、通さないのか。まぁどうでも良いのだけれど。


 けれど、人間は弱いもので。一度呼ばれるのに慣れてしまえば、今度はそう易々とは手放せなくなる。悪い薬のようなものだった。


 黒い頭髪が、同色の瞳が。退屈そうに細まりながら今一度問うた。


「どうして私の名を呼ぶ。誰だ、お前は」


 シヴィリィの金色の頭髪が、ふらりと揺れる。


 勿論、どうやらエレクがその意識を逸してしまっているようなのは察し取っている。正気ではないはずだ。


 しかし、けれど。


 胸中は火傷をしそうな悲しみが滲んでいる。意識の外から、暗澹とした思いがこみ上げてシヴィリィの思考を浸食していた。


「エレ、ク……」


 シヴィリィという少女がここに至るまでの道は、決して平坦ではなかった。むしろ殆どあり得ない可能性だったはずだ。


 彼女は五百年前の英雄でも、現代の英雄でもない。本来彼女と彼女の仲間らは舞台に登り台詞を与えられる役目ではない。


 物乞いかそれ以下でしかなかった少女は、それでも嗚咽と弱気を呑み込んで。必死にここまで縋りついてきた。


 だからこそ、思っていたのだ。


 もしかすれば、エレクはもう正気に戻っているのではないだろうか。そうでなくとも自分に会えば、こう言ってくれるのではないか。


 ――よくやった、シヴィリィ。お前は素晴らしい。


 シヴィリィはその瞬間、自分の心に宿っていたらしい感情の正体に気づいた。どうしてここまで、耐え難い航海を耐えてこられたのか。


 助けられてばかりだった彼を、助けたかったのだ。自分の努力を、認めて欲しかったのだ。そんな浅ましい考えでここまで来てしまった。


 それは時に、愛とも言い換えられる感情だ。


 その愛する相手は、傲岸たる振舞でシヴィリィに言う。


「私の名を、そう気易く呼んでくれるな。余り愉快な気分ではない」

 

「っ、貴君! 下がれ! 魔王を目にするな!」


 エレクと三者が突然の闖入者であるシヴィリィに意識を奪われる中、叫んだのはアリナだった。ヴィクトリアを前にしていたエレクの意識が、シヴィリィへと向いたのが分かったのだ。


 魔王の意識は、視線は、それ一つで魔力を着火する。それは時に魅了や死という効能を生む。抵抗方法を知らないシヴィリィではただこの場にいるだけで危険だ。


 自分で自分の首を斬り落とす真似すらさせられかねない。


 けれどシヴィリィは、紅蓮の瞳を開きながらたった一つの詠唱を告げた。


「――『破壊(ブラスト)』」


 音が鳴り、エレクの視線が破壊される。


 それは正規の抵抗方法とは違う力業。そうしてから一歩、シヴィリィはエレクに近づく。


「これを教えてくれたのは、貴方でしょう?」


「覚えはない」


「私の事は、本当にもう覚えていないの?」


「記憶にない」


「そう」


 シヴィリィは問答を続けながら、一歩また一歩と近づいていた。


 どういうわけだろう。その場は奇妙な圧力に包まれていた。


 ヴィクトリアも、アリナも、そうしてロマニアさえも。何故か身体を固くして二人の動向を見守らされていた。それは魔導ではない。


 だがこの戦場の君臨者たる魔王が、ただ一人の少女に意識を向けており。それを阻害する事が、何か一つの爆発に繋がってしまいそうな気配があった。下手をうてば、その場で命を落としてしまうような。


「……陛下、どうかお命じを。これは一時の器に過ぎん。己が排除を――」


 それでもなお、ロマニアが少女に視線を向けて言った。魔王に剣を振るわんとするヴィクトリアよりも、少女に意識を注がされている。それは彼女が魔王の魔導を使用するからか、それともこれこそが危ういと本能が告げているのか。


 しかしロマニアの言葉を遮って、魔王は言った。


「いいや、構わない。ロマニア」


 魔王が指を鳴らす。ため息を漏らすように口を開いた。


「もう、来た」


 瞬間、世界に亀裂が入った。黒い罅は縦横無尽、まるでこの玉座の間を覆い尽くすような彩りで、破壊の限りを尽くしていく。


 その中心地にいるのはたった一人の少女。シヴィリィ=ノールアート。彼女は憤激でも悲哀でもない、全く別の感情を伴って言った。


「――よく分かったわ。私が悪かったのね」


 破壊の色を両腕に籠め、空気に溶けるようにシヴィリィが動いた。まるで間合いすら盗み取り破壊するような有様でエレクに接敵する。


 ああそうだと、シヴィリィは思い直していた。自分が悪かった。


 そもそもエレクに一人で行動をさせるべきではなかったのだ。彼は一人では何をしでかすか分からない。常に見張っておかねばならない人だった。


 では何故、今回彼は一人で行動をしたのか。頬を歪めながら、シヴィリィは思う。


 ――それは私が頼りなかったからだ。つまりは、彼が私を信頼していなかったからだ。


 何て悲しい、なんて虚しい。自分は彼と共に冒険が出来ればそれで良かったのに。彼はそうではなかった。だからすぐに何処かに行ってしまう。


 ならば、


「貴方が魔王だろうが何だろうが私には関係ない。けれど、必ず連れ戻してあげる。二度と離れられないように」


 腕に破壊の魔力を込めたまま、玉座のすぐ傍にシヴィリィはいた。魔王に振り上げ、振り抜くように、ばちりばちりと音を打ち鳴らして。


 相対して魔王は、言った。知らず、唇が緩く歪んでいた。


「――良かろう。ならば本当の戦場というものを教えてやる」


 間近にいたヴィクトリアは、その笑みに僅かな変化を感じていた。


 まるで本当に、楽しんでいるかのような。教え子を諭すような顔つきで。彼は玉座を立った。


「手を出すなロマニア。子犬を躾けてやるだけだ」


 エレクが『破壊(ブラスト)』を腕に纏い、そうしてそのままシヴィリィと相対する。両者の魔導が邂逅した。


 同種の魔導を交わした場合、当然に勝利するのは出力が強く、より洗練されたモノ。


 魔王エレクと少女シヴィリィ。どちらの魔導が、より強度が上か等問うまでもない。


 一瞬の邂逅。一瞬の魔導の輝き。空気を軋ませるほどの魔導を互いに有しながら、すぐにそれは終わった。


 ――瞬間、破壊の音が少女の体躯へと響き渡る。


「っ、ぅぐ……あぁっ!?」


 突き出したシヴィリィの右腕が、勢いよく血を噴き出して肉が断裂した事を告げた。


 背骨が軋みをあげ、内臓がひっくりかえったかのよう。体内の魔力が一斉に悲鳴をあげた。


 これは何か。これが何か。シヴィリィには理解が出来ない。


 しかしエレクにしてみれば、自分の魔力を相手の中へ浸透させただけだ。もはや破壊の性質に馴染みすぎた彼の魔力は、それだけで他者を体内から狂わせる。数多の理由はあれど、この魔力の性質こそ彼を彼たらしめた所以。


「小娘。私からものを習ったとか言っていたな」


「――ッ!」


 シヴィリィは声をかけられて、どうやら自分が地面に倒れ伏しているらしい事が分かった。エレクはシヴィリィの首元を掴みながらぐいと引き上げる。そうして吐き捨てる様子で言った。


「……分からん。私から何を教えられたのだお前は。諦めろ、お前には才能がまるでない。どうしてここにいるのかすらも分からない」


 怪訝な瞳を歪め、エレクはシヴィリィを手放した。本当に興味を失ったとでも言わんばかりだった。


 投げ捨てる様子でそのまま腕をふらりと動かし――シヴィリィが手から離れて行かないのに気づいた。


 彼女が両手で、エレクの腕を掴み取っていた。彼女は眉根を歪めながら無理やりに笑う。


「……私に、才能なんて高尚なものあるわけないじゃない。けど、良かった。やっぱり貴方はエレクじゃないわ」


 両手が離れない。体内を散々破壊されたはずだというのに、ふと気づけば膨大な魔力が彼女に注ぎ込まれて行く。


 それこそまるで、迷宮そのものから供給しているかのように。破壊される度に、また再生を繰り返していく。


 肉が裂ける度、血が噴き出す度に。肉が膨れ上がり、血が生成されていく。思わずエレクが目を開いた。


「諦めろなんて言うのは簡単よ、誰だって言えるわ。エレクなら、才能がない相手でもどうするのが一番良いか考えるでしょうね。やっぱり、貴方は彼じゃない。だから――」


 シヴィリィの紅蓮が、真っすぐに魔王を捕らえた。


「――ここで私が、眼を覚まさせてあげる」

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― 新着の感想 ―
[一言] アリュエノ成分が増えてる なんだか例え断頭台で首を落とされても亡霊として留まって そう簡単に消えはしない感じがしてきました
[一言] ここで何とかしようとするなら巨大な代償が必要な気がするな そもそもアレクに恩と借りはあっても、何かさせる権利めいたものなんてシヴィリィには全くないけどね
[一言] 一瞬うちひしがれたのかと思ったものの、 そこで終わらないのがシヴィリィの魅力ですね。 吹っ切れる方向がちょっとあれですけど…、 怖いもの見たさというかそうなるシヴィリィの心根が最高です。
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