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第百十六話『彼らの英雄にして我らの敵』

 落ちゆく浮遊城が、シヴィリィの紅蓮の瞳に映り込んだ。


 それはまさしく、落陽の如し。煌めく日輪が、世を儚みながら落ちていく有様に似ている。五百年という長きの間、第七層に君臨していた一つの象徴が魔力という血を流しながら落ちていく。


 アリナは随分と先に行ったようだ。彼女が僅かな手勢で本当に加減をせずに走ったならばもう浮遊城に到着しているかもしれなかった。


 不意に、シヴィリィは足を止める。


「……どうやって入ればいいんだろう、あれ」


 例え地上に降りて来たとしても、城は城だ。城壁が周囲を取り囲み、城門がしっかりと口を閉じている。


 そもそも、ただ在るだけで堅牢であるのが城というものだ。どうやって入るかの術はアリナか誰かに頼ろうと思っていたのだが、あてが外れてしまった。


 城壁や障壁を一つずつ破壊していくのか。入れはするだろうが無駄に魔力を浪費する嵌めになる。


 シヴィリィが微かに唸って、もはや大地に触れる浮遊城を見上げた所だった。


 僅かに気配が、した。首筋を覆うような、ちくりと針が指すような気配。


「っ!?」


 咄嗟に身体を動かすが全てが遅い。首筋に冷たいものがあたる。口元を皮手袋の感触が襲う。喉を這う冷たいものは、ナイフとしか思えない。


 背後に先ほどまで欠片も気配を感じさせなかった男がいた。


 男とシヴィリィが思ったのは、それは自分より随分と背が高かったからだ。それに皮手袋越しでも指先がごつごつとした感覚を思わせる。


 誰だ。魔物にしてはやり口がまどろっこしい。第七層の住人にこんな真似をする人間はいない。自分を嫌う正市民(ホーン)でも、今の状況でこんな真似はしないだろう。


 何時までも突き立てられない刃に動揺を隠せず、眼を明滅させた瞬間だ。ぱっと手袋と冷たいものがシヴィリィから離れた。


「隙を見せすぎだな。正面から戦ってくれる相手ばかりだったのか嬢ちゃん」


 不意に振り向けば、男はフードを被っていた。彼はそのまま手元に握っていたフォークを軽く地面に投げる。


 フードを軽くずらせば、陰影のある輪郭が露わになった。皺は深い渓谷のようにくっきりと刻まれ、彼の顔つきに精悍な色を与えていた。


 シヴィリィが反射的に目をぐいと上げて口を開く。


「ええと、確か……空位派の」


「おいおい、その呼び方は禁句だぞ。オズワルドとだけ覚えておけ。呼び捨てで良い」


「オズワルド」


 そう、オズワルド。頭領であったナツメの印象にかき消されていたが、空位派の数ある頭目の一人であるはずの男だ。どうしてここに。そう問いかける前に彼が口を開いた。


「協力をすると言っただろう。俺達は案外、嬢ちゃんを大事にしてんだぜ。戦場で意外に矢が飛んでこないと思わなかったか?」


「……大事にしてるって言われる事なんてそうないから、何だかむず痒いんだけど」


「かははっ。まぁそれだけものが言えれば上等だ。それで、次はちょいとあいつを落としちまおうってわけだろう。ココノツからよぉく聞いてる」


 フードを被り直して、眼付だけを鋭くしながらオズワルドが言った。


 同じ空位派に属しているのだからココノツと通じていても何もおかしくはないのだが、この第七層にあってもやり取りをしていたとは知らなかった。シヴィリィの動向どころかここに来るのが分かっていたのもそれでか。


 ココノツはやはりどこか秘密主義的な所がある。それは属領民(ロアー)として、ある程度仕方がないのかもしれない。


 オズワルドはフードの奥から笑みを見せながら言った。


「任せとけ。流石の城だが、たかが城だ。大勢が入り込むのを防ぐのに適しちゃいるが、一人が忍び込むのは案外何とでもなる。それに、警備の兵も疎らだ」


 オズワルドはまるで見知ったものであるかのようにそう言った。


 思わずうなずいてから、シヴィリィが金髪を煌めかせる。


「なら、多分アリナも近くにいるはずなのよ。出来れば合流してからの方が……」


「アリナ?」


 ぽつりと、オズワルドが呟いた。


 彼は顎髭に手をやりながら数秒黙り、まるで高価な落とし物を神妙な指先で拾うように言う。


「それは、アリナ=カーレリッジの事を言っているのか?」


「ええ、まぁ。珍しくはない名前だけど――」


 ――言った瞬間。オズワルドがシヴィリィの肩に指をかけた。決して強くはない。けれど、何処か圧するものを覚える不思議な感触。


 無言のまま見つめられる視線に耐えかねて、シヴィリィが顔をあげた。


 オズワルドの瞳は、言葉に尽くしがたい感情を湛えている。しかし間違いがないのは、そこにあるのは怒りなどではなくむしろ悲しみに近かった。


 ゆっくりと彼が唇を開く。


「嬢ちゃん。まぁ、分からんでもない。探索者として共にいるならあいつらは英雄だ。頼り甲斐のある指揮官だ」


「オズ、ワルド?」


「だが、少なくとも俺以外の属領民(ロアー)の前で。そんな親し気にあいつらの名を呼んでくれるな。特にウチの連中の前では血の気の多い連中ばかりだ」


 オズワルドはローブの端を軽く握る。


 シヴィリィは当然、彼の言わんとする所をすぐに理解した。何せ、大騎士は属領民(ロアー)にとっては、敵に等しい。


 大陸は大騎士教が支配し、大騎士こそはその象徴。属領民(ロアー)が貶められるのは、まさしく大騎士教の支配体制の歪としか言いようがない。


 彼らの支配体制が砕け散るか、もしくは余りに長い年月を経ない限り、この状態が変貌する事はあるまい。


 随分とものを学んで、シヴィリィにもそれがよく分かった。地面に寝ころんでいた頃からは到底考えられないほどの知識が今の彼女にはあった。


 だからこそ、口にしようと思ったのだ。

 

 ――オズワルド、貴方は誤解をしているのよ。確かに大騎士教の体制は私達に厳しいけれど、アリナまで悪い人ではない。きっと、分かり合える事だってあるわ。

 

 けれど唇が動かなかった。ローブを頭から外したオズワルドの瞳からは老獪さが掻き消え、シヴィリィには測り切れないほどの感情が、海を思わせるほどの深さで居座っている。


 波打つような言葉が、オズワルドから発せられた。


「――金髪の乙女よ。アレは彼らの英雄でしかない。我らの英雄ではない。彼らと我らが、永遠に分かり合えるはずもない。我らには我らの英雄が必要なのだ」


 オズワルドはその場に跪いて、シヴィリィの手を取りながら言った。


 まるで高貴なものに触れるような在り方だった。


 息を呑んでから、誤魔化すようにシヴィリィが言う。


「何を期待されているか分からないけど……私に出来る事なんて、精々が死体を拾うくらいよ」


「十分だ。聖者はまず死体から救い出すもんだからな」


 オズワルドは響くように言ってから立ち上がった。先ほどの奇妙なほどに恭しい様子は一瞬で失われ、彼本来の掴みどころの無い雰囲気が蘇ってくる。


「行こう、嬢ちゃん。案内するぜ。これでも城に入るのは初めてじゃあねぇ」


「……何をしていた人なのよ」


「おいおい、俺達属領民(ロアー)にそいつは聞くべきじゃねぇな」


 確かに、属領民(ロアー)同士過去を掘り合うのはそう良いものではない。


 何せろくなものが出てこないからだ。しかし老人オズワルドの底知れない感触は、その過去を掘り返してみたいという思いにすら駆られる。


 オズワルドはローブを深くかぶり直して、そこから瞳を覗かせて言った。


「生きて帰れよ、嬢ちゃん。俺達は約束を果たす、だから嬢ちゃんも果たせ。それが人生で一番大切な事だ」


 約束。ナツメと交わした、アレの事か。


 シヴィリィは頷いてから言った。


「生きて帰れたらね」


 浮遊城を見上げる。広場にゆったりと根を下ろし、その巨体を横たえていた。あの無駄に大きな広場は、本来は城があるべき場所だったのだ。


 そこに、彼がいる。


 シヴィリィは紅蓮を輝かせながら、オズワルドに導かれるまま足を速めた。

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