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第百十五話『軍隊』

 ノーラが二振りのククリナイフを空に晒しながら、シヴィリィの一歩前に立った。


 視線の先には鬼子グリアボルト。その威圧を戦士である彼女は肌で感じとれる。


 グリアボルトは一個で軍隊のようなものだった。魔力量は勿論の事、その在り方そのものが自分達とは違うのだ。ノーラはそう思いながらも、口ずさむ様子で言った。


「シヴィリィ。それにアリナ。ここで立ち止まってる場合じゃあないんじゃないのかい」


「ノーラ……」


 シヴィリィはようやく態勢を立て直して、ノーラを見た。思わずその紅蓮の瞳を振り返って、ノーラは口元を僅かに固くする。


 ノーラが思わず前に出てしまったのは、その紅蓮の瞳の所為だった。


 率直にものを言うなら、ノーラはグリアボルトの存在に竦みをあげたのだ。脳裏に、はっきりと背骨をへし折られる自分を幻視してしまった。


 ああ、自分はここで死ぬのだと。


 それは本能が、相手を格上と捉えている証左に他ならない。ノーラだけでなく、この場の探索者の多くが痛感した事だ。


 けれど、アリナとそうしてシヴィリィだけは違った。


 グリアボルトを、この鬼子を、打倒すべき敵としか捉えていなかった。その上で、先を見据えている。


 それは何とも、悔しい事ではないか。


「僕らも別に物見遊山でここまで来たわけじゃないよ。必要な時に戦うくらいの事はするさ。傭兵だからね」


 ならば、自分ももう一歩先を見なくてはなるまい。そうでなくては、より高みを目指す事など出来ない。レベルとて、そうでなくては上がらない。


 ノーラは魔力を充足させ、ククリナイフに這わせる。一瞬で、詠唱を完結させた。


「魔導――付与『巨躯の剛力(ギガント)』」


 詠唱と同時に、ノーラが跳んでいた。たった十数秒、だが彼女は小さな体に似合わぬ巨人の如き力を得る。


 ククリナイフの銀色が、円を描き空を裂いてグリアボルトへと接敵する。突き出された右手がするりと、間合いを奪い取るように鬼を襲った。


 幾たびも戦場で振るわれてきた刃は、決して力任せのものではない。

 

「あぁん?」


 そこに、巨躯の剛力が備わっているのだ。一振り一振りは、間違いなく鬼人(オグレス)の皮膚とて容易く切り裂く。グリアボルトの顔が怪訝に歪みながら、一歩を引いた。


 その一瞬だ。


「――ノーラ、任せるぞ。皆、己らは進む! ついてこれる者のみついて来い!」


 大騎士たるアリナが率先して、大地を踏んだ。彼女の中の戦士としての直感が、ここでグリアボルトという危険を置き去りにしてでも、浮遊城に攻め入るべきだと判断したのだ。


 そこで、何人が犠牲になるとしても。第七層を陥落せしめたのならば数多の人間が死ななくて済む。


 幾名かの探索者がその後に続く。シヴィリィもすぐに態勢を整えて足を駆けさせた。


 しかし、


「あんたは逃がしやしないって言ってんだろうがっ!」


 グリアボルトの瞳は、そう易々と敵を逃がしはしない。特に、王のような振る舞いで自分を呼んだ怨敵を許すはずがない。


 肩が駆動し、長い腕が弾けるように宙を打つ。ただそれだけで中空は衝撃を伴って距離を失った。縮地とはまた違う、衝撃を中空を伝って遠方へと擲つ技術。


 それがシヴィリィの身体を目掛けて放たれ、それが彼女の足を止める――瞬間。


 他の物体によって、その伝達は防がれた。鈍い音を立てながら、衝撃が砕け散る。

 

「っ、ぐ……ああ痛ぇ!」


 同時、グリアボルトに向けて複数のダガー、それ以外にも魔導が飛び交う。多くの探索者がただグリアボルトを足止めんせんと歯を食いしばって睨みつけていた。ノーラの行動に触発されたかの如く、僅かに遅れて咆哮をあげる。


「全員、ここで鬼を止めるぞ! 覚悟を決めろ!」


 勝てるかは分からない。それでも、自分達はここに立っている以上、立ち向かわなければならない。そんな想いが何処かにあった。


 そんな中、シヴィリィを庇って前に立ったのは重鎧の戦士だ。彼女は思わず見上げながら、言う。


「貴方――」


「――俺は何も知らねぇ。偶然だ。てめぇは行くんだろ。行けよ」


 それだけで会話は終わりだった。この場で改まって話す事はなにもない。ここは戦場なのだ。だが一言だけ、シヴィリィが黄金の頭髪を跳ねさせながら口を開く。


「ありがとう!」


「はっ!」


 それで終わりだ。探索者達の前に居座るのは、一体の鬼とエルフの兵隊たち。遥か格上の化物共。


 ギルドハウスに問えば、絶対に戦ってはならないと言われるだろうランクの魔物。


 流石に、全員がどこか緊張に満ちていた。土煙を這わせながら、ノーラが態勢を整え直した重戦士に口元を僅かに緩めて言う。


「……へぇ、そういう所もあるんだ。大抵の正市民(ホーン)はあの子の事嫌いかと思ってたけど」


「知った事かよ。俺は何もしらねぇ」


「素直じゃないなぁ」


「黙ってろドゥゼ」


 そんな軽口は、現実逃避の一環だったのかもしれない。何せ、そこに死の顕現が確かにいたのだから。


 すぐに、現実は迫りくる。


「――はん。あたしをあんたらがどうにかしようってのかい?」


 グリアボルトは思いのほか冷静だった。敵には逃げられ、足止めを受けても尚笑みを浮かべる余裕がある。


 理由は明瞭だった。


 今目の前にいるのは、ややも煩わしい獲物でしかない。


 ――敵ではない。


「笑わせるね、舐められたもんだ。あんたらあんまりに地上に鬼人(オグレス)がいないから、忘れちまったんじゃあないだろうねぇ」


 鬼が笑う。失った左眼からすら、炯々と輝きを感じるほどだった。


 次に、鬼が疾駆した。それを感じ取った瞬間に探索者一人の首が飛ぶ。赤い血が迸り、嗚咽を漏らす時間すら無かった。素手で人の肉を引きちぎり、骨をむしり取って殺す鬼の姿。


 御伽噺の世界だな、とノーラは思った。


 この大陸の昔話には、亜人が悪役となった者が多い。それは属領民(ロアー)への偏見もあるが、元は亜人が人間と対立する立場や国家であった事が何よりも大きかった。


 当然、鬼人(オグレス)においても同様だ。こういった夜話がある。


 昼に男と出会ったらば、奴らはその骨を抉り取る。


 夕暮れに女と出会ったらば、奴らは肉を腹に収める。


 夜に子を浚っては、奴らはその腸を食い尽くす。


 そこには敵対種族への嘲りだけではなく、明確な恐怖を孕んでいる。即ち、勝ちえぬ敵。勝ちえぬ敵対者。人類を『食らう』天敵。

 

「ふ、ぅ――ッ!」


 その恐怖心を拭い取るように、ノーラはぐるりとククリナイフを回し、遠心力を備えさせて振るい抜く。周囲からはグリアボルトとエルフ兵を目掛けて魔導が弾け飛んでいた。接近戦を行えば誤爆を受ける可能性もある。


 それで結構だった。こんな場で連携が取れるはずがない。戦場でも、死者の幾分かは味方の誤射だという話だってある。


 誰かが前に出なければならない。


 ノーラの一閃は紛れもない技量の鋭さを有し、レベルを超えた洗練さを保有していた。見る者によっては、そのままするりとグリアボルトの首が落ちる姿すら幻視しただろう。


「ふん。そんなもんかね」


 だが、ただ洗練されたというだけでは、鬼子は些かも怯まない。


 繰り出されたククリナイフの峰を拳の裏で叩きつけ、そうして次の一振りを迎え撃つ用意を整える。二振りの刃を扱う等というのは、作り出した相手の不意を突く為の技術。すぐに対応されてしまえば、それだけで苦しい。


 グリアボルトは両手を構えながら――それを瞬きすら許さぬ速度で、二度空を穿つ。


 ククリナイフの一振りが、それで終わった。刃が砕け落ち、ぎぃん、という軽やかな金属音が断末魔として響く。


 そうしてもう一振りは、無防備になるだろうノーラの頭蓋へ――。


 死の手の平が、ノーラを掴み取らんとしていた。ただその一瞬、走馬灯すら過ぎる間際。


「――が、ぁあっ!」


 大声と共に、一部の重戦士達がグリアボルトへと突貫する。その態勢が、僅かとはいえ揺らいだ。


「前に出ろ! 俺達が盾にならなきゃすぐに全員死んじまうぞ! 列になれ!」


 盾と戦斧を構えながら、件の重戦士が言った。


 紛れもなく、グリアボルトは一個にして軍隊そのものだ。


 けれど今、探索者の軍勢も真の意味で一つの軍隊になろうとしていた。


 思惑は違えど、一つの意志の下。勝利へと向かう為に。

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