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第百十三話『理解者にして不理解者』

 人は予兆的に目を覚ます事がある。


 地震が起こる数秒前。暗殺者が刃を振り上げる瞬間。身に危険が起こる迄の僅かな間。


 ありとあらゆる事象が無音のままであったとしても、どういうわけか人の本能が呼び起こされる事があるのだ。


 それは防衛本能からも隔絶した無意識の集積。


 今、俺の身に起こったのは間違いなくそれだった。


 浮遊城の一室、寝室で目が覚める。魔力で構成された身体であっても、睡眠という形の休息は必要だ。人は誰しも睡眠の間に数多の物事を体内で処理する。


「――っ!」


 次の瞬間、寝室がぐらりと揺れた。それは一瞬俺自身の眩みかと思ったが。違う。この建物全体が揺らいでいる。


 即座に反応したのは傍らにいた大淫婦ロマニア。彼女は俺のすぐ傍で眦を跳ねさせながら、表情を変えないままに驚嘆の色合いを声に滲ませる。


「――何と。ゲイルが遅れを取ったか。五百年前なら考えられない事だな、君」


 浮遊城が僅かな傾きを起こしながら、悲鳴を漏らす。いいやそれは、魔力を吐き出す現象がそう聞こえるだけだ。


 ぎぃと鳴るようにも、ごうと唸るようにも聞こえてくる。どういうわけか、それを俺は懐かしいとすら思っていた。


 思考の裏にある記憶の欠片が、実物を見て少しずつ解きほぐされて行く感触。


 そうか。そうだ。かつての俺の城も陥落した時には同じような有様だったな。落城などというのは悲惨なものだ。城が落ちた瞬間、城主は全てを失う事が定められている。もはや降伏も意味をなさない。


 惨めに最後の抵抗をし、血を吐き捨てながら剣を振るい、そうして最期は誰かに討ち取られる。


 ――俺を討ち取った奴は、誰だったか。四人。そう四人いたな。


 剣や弓を持ち、全員が見事なまでに俺の命だけを狙い討って来た。あの日の光景が瞼に浮かぶ。


 しかしそれは、ロマニアの声により打ち消された。


「広場、なるほど。都市の中核を砕いたか。流石は武芸の騎士、制圧力なら抜きんでている。ふぅ、む」


 そう言いながらロマニアは寝具から立ち上がり、寝間着ではなく正装に堂々と着替え始める。俺の目の前で着替えるな。


 城内のエルフ達の足音が、俺の耳にも聞こえてきた。すぐに多くの者がこの異常に気付いたのだ。


 けれどロマニアは焦燥する素振りもなく、軽く首をひねらせて聞いた。


「寝起きに一つ、良いかな君」


「どうした、ロマニア」


 一つ気になる事があってね、とそう口を開く。銀縁の眼鏡が、彼女の美麗な顔つきに彩りを与えた。


「浮遊城は、この希望の国そのものを楔として存在している。都市の姿は過去のままに。住民達も欲望を糧に、かつての者らのように存在している。だからこそ、この浮遊城は健在であり続ける」


「……ヴィクトリアの奴が、広場をぶち壊したんだろ。ならこの有様も不思議じゃあない」


「うん、そうだね。都市が壊されれば、己の魔導もそう長くはもたない」


 ロマニアは衣服に袖を通して、室外へと迫った伝令に声をかけてから口を開く。


 目つきがじぃと、俺を見ていた。


「――で、君は何をしたのかな」


「……どういう意味だよ。分からんね」


 ロマニアは一歩、俺に近づいた。長身の彼女が傍に来れば、ベッドに腰かけたままでは見上げるような恰好になる。


 心臓が僅かに、動揺して動悸を早めた。


「――分かっているだろう、君。幾ら都市の中核が崩れたとはいえ、それで易々と傾くような城が五百年もの間不沈であれるはずがない。己の魔力こそが、この城が稼働する最大の条件だ。多少都市が揺れ動いた所で、数十年は何てことはない。けれど城はまるで楔が外れたかのように魔力を吐き出している」


 ああ、そうか。流石にバレているな、これは。


 ロマニアが俺の右肩へと手を置いて、そのままベッドへと押し込む。俺を見下ろすようにしながら、彼女は言葉を僅かに強めた。


 感情の薄いエルフにとっては、それしきの事でも十分に珍しい。


「さて、ではそんな事が出来るのは誰で、何のためにそんな事をしたのか。気になる所だ。一つ目は、己以外であれば――当然君しかいない。なぁ、エレク」


 ロマニアは俺の首筋に指を這わせながら言う。


 肌がややも痺れを起こす。今の魔力では、多少の抵抗をした所でロマニアに握りつぶされるだけだ。両腕から力を抜いたまま言った。


「そうだとしたら、どうなる? 例えば俺が、お前と城の魔力の繋がりを破壊したんだとしたら?」


 もはや俺が彼女の魅了の影響から外れている事は理解しているのだろう。


 ややも感情を荒くして、ロマニアが目を見開いた。


「……分からない。どうしてそんな事をする。ここは君の城で、迷宮は君の領土だ。地上の人間は君を裏切り――そうして君を殺し、地下へと押し込めたじゃないか」


 必死に言葉を選びながら、淡々とロマニアが告げる。


 だから、探索者に力を貸す意味などない。


 だから、地上の人間は殺戮すべきだ。


 そう、彼女の表情が雄弁に物語っている。そこの言葉は、カサンドラの告げたものとそう変わらなかった。


 俺はゆっくりとロマニアの手を取りながら、身体を起こして彼女の瞳を見る。本来であれば視るもの全てを魅了するだろう瞳が、今はまるで幼い少女のように弱弱しいものに変わっていた。


 多くのものを忘れ、五百年も眠り続けていた俺が彼女に何かをいう資格などない。俺は彼女が知る多くを知らない。けれどそれでも、言わなければならない事がある。


「――俺はまだ、お前の記憶も朧気だ。だから言って聞かせたかどうかも覚えてない。聞いてくれるか」


「ああ、何の話だ」


「俺が子供の頃の事さ。俺の生まれは知ってるだろう。地方小国の傍系。とはいえ魔族の侵攻に晒されて、その上生き残った子供がロクデナシの俺だったんだから親父も不幸だったよ」


「……知っている。よく知っているとも。君の事で己が知らない事など五百年前は何もなかった」


 それが文字通りなのか、それとも比喩表現なのかは分からないが怖い事を言ってくるなこいつ。もうちょっと安穏な言葉遣いをして欲しい。


「だから、誰もを俺が見返してやるのだと君は言ったじゃないか。……それが君の最初なのだと! なら見返してやるべきだ! 今も地上では、君の功績は忘れ去られ、名前すら棺の中だ! 君がどれだけのものを踏み越えて来たかもしらない連中が、君の名を踏みにじる。己が、己たちがどんな気持ちで五百年を生き延びてきたと思う!? 血みどろになり、泥をすすりながら人の為に尽くした結果がこれだ!」


 燃えるような瞳、そうして言葉。ロマニアの中に渦巻き、積み上げられて来たであろう感情がただ俺だけを向いている。ロマニアに再会して、今初めてその胸中を聞いた気がした。


 取り繕ったものではない。ロマニア本人の言葉。懐かしくすらなってくる。


「……ああ、言ったな。その通りだ」


 過去の記憶が、零れだしてくる。そうだ思い出した。俺も最初はそんな風だったな。


 しかしそれも当然の思考だ。


 ロクデナシだった俺が、大国や魔族に呑み込まれるしかなかった領地が、ただ安穏と生きていて幸福であれるはずがない。


 思わず口元を緩めた。かつてシヴィリィに語った言葉は、かつて俺が俺自身に定めた言葉であったわけだ。

 

 ――お前は復讐しなくてはならないシヴィリィ。お前を嘲笑った連中に目にものを見せて、失ったものを取り戻さなくてはならない。お前が味わった屈辱の痛みに見合うだけのものは、もはや普通の生活では手に入らない。


 余りに遠い俺の原初。全ての始まりは、結局の所そこだった。思えばだからこそ、シヴィリィに感じ入る所も多かったのかもしれない。


 その言葉を今更否定する気はない。ロマニアが語る所も、一つの真実だ。正しくないなどとはいうまい。


 けれど、だとしてもだ。


「ロマニア」


「何だ、言ってみるがいい――ッ!」


 ロマニアは歯を、唇をかみしめるようにしながら俺を見る。


「確かにかつての彼らは、もしかすれば裏切り者かもしれない。俺の尊厳を踏みにじったのかもしれない。だが、だったとしてもだ。それがどうした」


 目を、細める。シヴィリィの表情が瞼の裏に映り込んでいた。


「それは今を生きる彼らの責任ではない。そりゃあ見返してもやりたかった。ただ相争うばかりの連中にも、俺達を見下している魔族にも目にものを見せてやりたかったさ。

 だが、本質はそんなもんじゃあない。――ロマニア=バイロン。なぁ、姫君」


 吐息を漏らして、眼を見開いた。思わず魔力が全身から零れ出ていた。


「赤子が生まれる前に死んだ、女は食い物にされ男は頭蓋を射ち殺されて死んでいった。万人が万人、前を向いて進む事すらできやしない。そんな世界を壊してやりかったから、俺達は戦争を始めたんだろう。それを俺の側近だったお前が、分かっていないとは言わせない。それで何だこの有様は」


 数秒、沈黙が訪れた。


 ロマニアは不意に目を見開き、そうしてくしゃりと緩める。

 

 それはまるで、彼女の中で何かが切り替わったかのようだった。


「ああ、勿論。分かっているとも。――ははは、よく分かった。とてもよく分かったよエレク」


 ロマニアは俺の怒気すら含めた言葉に、しかし笑みを浮かべて応じた。


 それは、受容というよりむしろ、嘲笑に近しい。何だ。何を彼女は笑っているんだ。


 そんな俺の感情を置き去りに、ロマニアは言った。


「――やはり、君は何も分かっていない。己たちを見ようともしていない。ああ、よくわかった。どうすればいいのかもね」


 彼女は震える指先で、そう言った。

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― 新着の感想 ―
[良い点] エレクの見える地雷を全部踏んでいく感が好きです [一言] これは良いイチャイチャ(ぐるぐる目)
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