第百十一話『苦難の味』
時を少し遡り。ヴィクトリアが広場へと踏み込む前の時間。
勝利の騎士を見送った探索者達は、怪我人と死者を残し、戦役の騎士の下に再編成されていく。戦闘と素早い行動が可能なのは精々が二百名という程度。探索者の集団としては破格だが、攻城戦を行うとなると少数と言わざるを得ない。
唯一好材料と言えるのは、半数以上の探索者が地に伏したというのに未だ彼らの士気が健在という事だろう。
何せ、彼らには未だ二振りの大剣がある。大騎士の栄光と共に彼らはいる。中にはこれを危機とすら思わず、大騎士と共に戦える栄誉を喜ぶものすらいた。
それはある種の防衛本能だったのかもしれない。酷薄な現実から目を背ける為の。
無論、中には愚痴や不安を吐露するものもいたのだが。それは仕方ない事だろう。至って正常な反応だ。
「情けない所を見せました。お力になれず申し訳ない」
「馬鹿を言ってないで寝てなよ。息を吹き返したばかりでしょ」
民家の一角で、ベッドに横たわったままのリカルダに向けノーラが言う。リカルダは可能な限り平静に努めているようだが、その顔は蒼く染まったままだ。
病人というより、むしろ死人に近しいと思えてしまった。
ロマニア=バイロンの『誘惑』は、有象無象の区別を無く、第七層の住人と探索者達から魔力と命とを奪い去った。
リカルダの身体もまた、魔力を根こそぎ奪い取られて死に瀕していたのだ。今もマジックポーションで一時的に気を取り戻したに過ぎない。このまま迷宮にい続ければ命がないのは同じだ。
相変わらず、彼らが戦場で孤立した部隊である事に違いは無かった。自ら立ち上がらねば助かる道などない。
「ええ。私達でどうにかしてくるわ。期待してて」
「……余り期待をしてほしくないでありますがなぁ」
ココノツは唇を拉げさせながら、複雑な表情を浮かべて応じた。
やはり、ロマニアの『誘惑』に対して抵抗を成し得たのは女の方が多かった。同性に対しては効果が薄まる特性を有しているのかもしれない。
逆にそうする事で、男への効力を増加させているのかも。そんな言葉をノーラが言ったのに合わせて、リカルダが口を開いた。
「幸い、と言っては語弊がありますが。深く受けた事でアレがどういったものかはよく分かりました。あれだけの距離がありながら、地上に十分に効力を与えたんです。近づけば性別など関係なく殺されますよ」
リカルダが蒼白の顔に、笑みをはっきりと浮かべた。細い目を僅かに開いて言葉を続ける。
「良いですか、見てはいけない。聞いてはいけない。そうでなくてはアレには近づけません」
「無茶苦茶言うねリカルダ」
「しかし事実です。ですから他の方法で視るしかない」
リカルダが何を告げようとしているのかは、言外にシヴィリィも受け止めていた。金髪をはらりと動かして頷く。どちらにしろ、もう時間はない。対策も、道具を用意する事も出来ない。
ならば、後は成すべき事を成すしかない。
シヴィリィはポーションを一本置いて、踵を返した。
その背中に、リカルダから柔らかな声がかかる。
「シヴィリィさん――」
「? 何、リカルダ」
首だけで振り返る。ぽかんとした無防備な顔つきに、奇襲のようにリカルダは言った。
「――やはりエレクさんは、ご不在のようですね。やられました」
「っ!」
咄嗟に、身体ごと振り向く。
リカルダはくすりと笑い、ベッドに横たわったまま喉をくつくつと鳴らす。それは本当に面白そうで、他の感情は一切見えない。
シヴィリィも緊張した面持ちを浮かべていたが、毒気を抜かれたように肩を落とす。
むしろその言葉に一番反応したのはココノツだった。
「は!? え!? 何の話であります!?」
「……ココノツさんは見えていないのでしたね。ならば仕方がありません」
先ほどの反応で、リカルダは確信すらしたのだろう。流石にここで、今更取り繕う事が出来るほどシヴィリィは器用ではなかった。
それにもうどちらにしろ、彼らも引き返せないタイミングだ。
「何時から、気づいてたわけ?」
「最初の奇襲の段階からです。内心おかしいと思う場所は幾つかありましたが。シヴィリィさん、エレクさんは貴方が思うよりずっと過保護ですよ。貴方が危機にあるのに姿を見せないほど彼は不義理な人間ではないと、私は信じます。貴方の思惑も、おおよそは察しがついていますが――」
「自分は察しがついていないのでありますが!?」
ココノツの反応に笑みを浮かべて返しながら、リカルダが告げた。
「それは、エレクさんが戻られてからにしましょう。生きて帰れる事を期待していますよ、リーダー」
「……ええ、任せなさい。首根っこを捕まえてでも連れ戻してくるわ」
リカルダに再び背中を見せながら、紅蓮の瞳を開いてシヴィリィは言った。ノーラは平然としていたが、ココノツは茫然とした様子を隠さずにシヴィリィの後を追う。
「え、あの。シヴィリィ殿――?」
「待って違うのココノツ。色々あったのよ。色々」
「色々ってなんでありますかぁ!?」
本当に、色々あった。しかしそれを逐一説明している暇があるわけでもない。だから端的にシヴィリィは言う。
「――あの浮遊城に、エレクが捕まえられたのよ。だから取返しにいく。絶対に。良いわね?」
「いやエレク殿がいないのは全くよろしくないんでありますが!」
未だ不服げなココノツの手を取って、腕を引きながら民家から出る。どちらにしろ彼女とて、第七層から出るには浮遊城へと向かわねばならないのだ。ならば結局の所、目的は同じ。
それに彼女は、空位派の統括たるナツメとシヴィリィがした約束を知っているはずだ。ならば、エレクが不在であっても協力を惜しむ事はないだろう。
シヴィリィはようやく抵抗しなくなったココノツから手を離して、自らの手をふっと見つめる。
紅蓮の瞳が深い色合いを落とした。ようやくだ。ようやく、浮遊城へと手をかけられる。
あの日第七層で浮遊城を見上げた頃から考えれば、なんて遠回り。人の手を借りて、手を尽くして、回り回ってようやく再びここにやってきた。
自分には何も無かったから、周囲の流れに無理やり食らいついてここまで来るしかなかった。
しかし、来た。
手の平の指輪が鈍く輝く。まるで意志を持つように色合いが揺らめき、感情の波を強くしていく。
大通りには二百近い探索者と、それにアリナが待機していた。誰もが呼吸すら控えるような緊張感の中にある。それは時に不安であったり、期待であったりした。
男女の比率で言うとやはり女の方が多い。『軍隊』に属している者も、そうでない者もいる。そういえば、最初に出会ったガンダルヴァギルドの面々は無事だったのだろうか。シヴィリィがそんな事を不意に思った瞬間だ。
先頭に立つアリナが、堂々たる振舞いで言った。朱色の鎧を身に着けてはいるが、兜を外していた事でその瞳がはっきりと見える。
「さて、良いか諸君」
何時もの人々をかきたてるような、強い言葉遣いではなかった。しかし何処か心の奥底を奮い立たせるような響きがあった。
「幾つか、諸君らの言葉を聞いた。この大遠征は失敗するのか、成功するのか。無謀だったのか、勇敢だったのか。疑問であるらしいな」
その言葉に、思わず数名の者が肩を揺らす。そういった事を話の種にする者は当然いたが、騎士から指弾されるとは思ってもいない。
しかしアリナは、そんな言葉を欠片も厭わないと言うように表情を作る。
「諸君らの気持ちはよくわかるとも。我らの前には苦難が横たわり、我らと栄光との間には、多くの邪魔者が群れとなって口を開いている。足掻けど足掻けど、茨を踏みつけて血を吐き出し続けるようなもの。時に心に罅が入る事とてあるだろう。本当に己は栄光を掴めるのか、全ては徒労ではないのかとな――」
言ってから、アリナは騎士剣を引き抜きながら、浮遊城を指し示した。
呼気が、鳴る。誰かが唾を呑んだ。
「――己が答えよう! 苦難なき栄光などこの世に無いッ! 今より更に遠くにあろうとも、この腕が栄光をもぎ取ってやる! 同じ意志の者のみついてくるが良い!」
大騎士ではなく、アリナ個人としての言葉にすら思えた。熱が籠り、大気が震えるような大音声。
其れに、探索者の軍勢が応じた。
誰もが、その場で一歩を踏み出していた。




