第百十話『誰もが誤り誰もが道を踏み外す』
疾走し、体躯を貫く矢は絶対の象徴だ。
飛沫に触れただけでも人は絶命する。身体を打ちぬかれたならば、その先にあるものは砕け散った肉体と弾け飛ぶ血潮のみ。
例え探索者の『軍団』が、全員万全の状態で残っていたとしても、この神鳴矢はただの一矢で壊滅させられる。
是も非も無い。ただ絶対のみがあった。
ヴィクトリアは瞬き一つしていないのに、次の瞬間には吹き飛ばされた自分の身体が地面を強く叩きつけていた。
視界が数度回転したのを見るに、きりもみをしながら宙を舞ったのだ。
しかし衝撃は、その程度では済まない。身体を貫通した神鳴矢は、その程度で終わらない。
内部から身体が食い殺されていくような、言語を絶する感覚。激痛と呼ぶ事すら生ぬるい。紛れもなく急所を貫かれながら、即死しなかったのが奇跡だった。
「よぉ、ヴィクトリア。俺の勝ちだ。昔と変わらずな――」
ゲイルが、中空で脚を伸ばしながら言った。その間にも、身体の崩壊は進んでいる。ヴィクトリアの体内、その魔力、血脈、骨肉が神の鳴動に噛み砕かれて行く。
振動が、衝撃が、身体を崩していく。
なるほど、これこそが。英雄の持つ必殺。究極の一つ。多くの魔族が死んだわけだ。そんな納得を崩れ行く心の何処かで感じながら、ヴィクトリアは言葉の続きを虚ろな瞳で聞いていた。
「――おう、聞いてやるぜ。どうしててめぇは王に背いてそっちに着いた。少なくとも、てめぇはこっちに着くと思ってたんだがな」
ゲイルの放った言葉は、一見すれば気軽な雑談にさえ思えた。
けれどそれは、彼と、そうして彼女が五百年前から引きずり続ける一つの事実。
無論、ヴィクトリアとて全てを覚えているわけがない。五百年もの間、多くの記憶は欠落している。
けれどその点については、どの記憶よりもはっきりと覚えていた。不思議なほどに明瞭にだ。
ゲイルの言葉に向けて、余りに意外そうにヴィクトリアは言った。
「何を言っているのです。王命に背いたのはそちら側でしょう」
「あぁ――?」
その一瞬生まれた問。互いに生まれた疑問。決定的な差異。
しかしそれが氷解する事は無かった。
ヴィクトリアは崩壊していく身体を維持しながら、その一瞬だけを待っていたからだ。
「――ロザ」
「はっ」
バアルギルドの一人の名を、呼んだ。それが合図だ。ここに入った瞬間から彼らは覚悟を定め、そうしてその時の為の用意をし続けている。
後は、発動の為の間だけが必要だった。
ゲイルは流石の英傑だ。彼はヴィクトリアとの戦いに集中しながらも、意識の傍らでギルドの面々を視界に留めていた。もしも彼らが何かをしでかせば、すぐに動けるようにと、一瞬たりとも集中を切らさずに。
けれどたった今。この一瞬だけ彼はヴィクトリアしか見ていなかった。
その合間を縫うように、ロザが手元の剣を振るう。
「それでは、ヴィクトリア様。どうかご無事で」
そう言いながらロザは――剣で自らの首を突き刺した。
他の四名も、同じだ。次々に手元の武器で首の肉を突き、そのまま血を吐き出していく。
凄惨な光景だった。何をしているのか。とうとう気を逸したのか。常人では到底意味など理解できない。
けれどゲイルには、それの意味が理解できた。
これは魔導では、無い。そんなものでは断じてない。
では、何か。
――儀式だ。時に人が生贄となり神に血を捧げる其れ。
彼女らはこの時、神ではなくヴィクトリアに自らの命を捧げた。蘇生の魔導があるとはいえ、死の恐怖を踏み越えるのは容易いものではない。それに、ヴィクトリアが敗北すれば彼女らは決して生き返れないのだ。
だというのに、彼らは自らの命をヴィクトリアの為に捧げた。
「ご存じですか。我らのギルドはバアルとそう言います、覚えているでしょう」
本来、命を捧げられる事がトリガーになる魔導はない。
けれど時に何かしらの条件を成立させる事で、効力を増す魔導は存在する。
例えば、愛する者を傍らに置く。
例えば、定めた手順を踏んでから魔導を用いる。
それを過去は、儀式とそう呼んでいた。
「ハッ! そうかい、役割ってぇのはそういうわけかい。よぉく覚えてるとも!」
「……忌々しき生贄を求める大魔族バアル。確かに、私は貴方に敵わなかった。しかし五百年も経てば、超える為の悪知恵も働かせるというものです!」
ヴィクトリアの魔導は――人が目の前で死ぬ度にその度合いを高める。
人類を救うという大義の為ならば。人の命を踏み台に、人の悲哀をわが物に、有象無象の全てを糧に。
腹で食らった神鳴矢の衝撃を啜るようにしながらヴィクトリアは呼気を吐く。
「魔導解放――第二位階」
最低条件の、五人が目の前で死亡した。
魔導は一つ次の位階へと歩みを進める。輝きが鋭く、暴風の如き魔力を内に押し留めて唸りをあげる。
尋常ならざる魔力はこの魔導陣地は愚か、世界にすら軋みを起こさんと吠えたてた。
ゲイルが思わず帽子を抑え込んだ。感嘆するように、再び光弓ウルを構える。
先ほどの魔導解放に魔力を注ぎ込みすぎた。迷宮から魔力を補給できるとはいえ、残存魔力はそう多くない。
しかし、神鳴矢とて決して弱体な魔導ではなかった。今もなお矢はヴィクトリアの体内から身体を食らい続けているのだ。後はヴィクトリアの魔力が失われるのが先か、ゲイルの魔力が失われるのが先かという話。
結局の所、物事とは単純な所に帰結するものだった。
「必死でご苦労だがよ。俺は負けてやるつもりはねぇぜ」
ゲイルが呼応するように言った。
そうとも、負けられるわけがない。負けてはならない。
自分達は何百年経とうとも、正しさを証明しなくてはならないのだ。
民衆は愚かだ。彼らはすぐに忘却し、すぐに熱狂し、そうしてまたすぐ忘却する。
五百年前のあの日。自分達が住む場を、国家を誰が作ったのかも忘れ去って、彼らは前線で戦いもしなかった連中の言葉に乗った。
王を魔の王と称し貶めながら、自分達はまんまと魔に唆された。
王に付き従ったはずの騎士は、王ではなくそんな馬鹿げた民を選んだ。
目の前の破滅ではなく、ゆっくりと滅んでいく道を選んだのだ。
ゲイルは思う。
もしも民とかいう連中が賢明であったならば。こんな事にはなっていなかった。
もしも奴らが欠片でも、王を疑うのではなく彼らを疑いさえすれば。こんな醜態にはなっていなかった。
――だから、彼らを皆殺しにしなくてはならない。
――生者を、男を、女を、老人を赤子を。その頭蓋を撃ち抜き殺さねばならない。
――王の栄光の下で生きていながら、その王を足蹴にする者なぞ生きている価値がない。
五百年前、誰が間違ったのかと問われれば、皆が間違った。愚者も、知恵者も、誰もが手を誤った。
その果てにあるのが、このような人の世を割って五百年の間も続く闘争だ。
きっと、ゲイルもいつか何処かで間違えたのだ。
けれどもはや誰も過去を振り向く事など出来ない。何が誤りで、何が正しかったのか誰も分からない。
だから、誰もが。自ら正しいと思う事を貫き続ける。
「――俺が、負けてやるわけがねぇだろうがヴィクトリア! 裏切り者がよぉ!」
「――ハァァアアッ!」
豁然、ヴィクトリアの魔導が振るわれる。巨大な剣でもあり、魔そのものでもあるそれ。
胸を滾らせ、心を燃やし、胸中にある矢の切れ味など遥か彼方に置き去りに。純度の高い魔力の塊が、剣の形を取って顕現する。
闇夜の中は、本来光弓ウルが最も力を発揮する場所。闇にあるからこそ、光は最も映えるのだ。だからこそゲイルは闇夜の帳をその場に降ろす。
けれど、その闇夜が取り払われた。咆哮の如く、解放された魔が吼える。
「『抜剣』――ッ!」
魔導陣地を打ち破り、食い破り。その場を消滅させる如き勢いで一筋の流星が場を切り裂く。
吼えて叫べ。己を信じ打ち勝ったならば、それこそが理想なのだ。
白の剣が空間と大地を両断し、広場そのものを崩壊させて――疾走する。




