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第百二話『汝は敵なりや』

「……ふむ。魔導陣地、異界か。進まず正解だな。しかし、こうも迷宮本体が活発化するとは。愛のためとは言え難儀な事だ」


 伝令の言葉を聞いて最前衛まで戻り来たアリナが、広場の様子を一目見てそう言った。


 元より、この第七層自体が大淫婦ロマニア=バイロンが有する規格外の異界とも言える。これ一つでも困難であるというのに、更に守護者が異界を展開させるとは。


 部下たちの手前ため息こそ吐かなかったが、胸中は重い鉛が入ったかのような気分だった。


 その上、異界の主は『無尽』のゲイル。『鬼子』グリアボルトと並ぶ紛れもない英雄の一角。


 本来なら力攻めではなく他の手段を考えたい所だが、この第七層で孤立させられた状態では選べる手段は限られる。少なくとも、時間がかかるような方策は取れない。


「カールマルク。『軍団』の被害はどの程度だ?」


「はい……。死者は十数名、戦えない重傷者は五名。軽傷を負った者は一定数いますが、即座に回復できる範囲で今治療をさせていますね、はい……」


「それほど殺したか」


「鬼子の奇襲もありましたので……」


 ある程度の死者は想定の範囲だが、ただでさえ戦力が限られている中で手勢が削られるのは血肉を搾り取られるのに近しい。


 特に第七層は正気を何時失うか分からない階層だ。死傷者が増えればその分危険性は増加する。


「……委細承知! 大元の戦略目標は達成した。ここを拠点として奴らとにらみ合う。皆には良く伝えるがいい」


「まぁ……それを上手く伝えるのが仕事ですから……。首尾よくやっておきます……」


 カールマルクは三白眼の下にある隈をますます深くしながら、軽く歯噛みして言った。鬱憤が溜まっているというより、今後の展開を想像して胃を痛くしているだけだ。


 結局アリナが選択したのは、常道、もしくは慎重策とも言える現状維持だった。


 実際彼女が言う通り、本来の目標は浮遊城に繋がる経路、大通りの確保。その目標自体は達成した。グリアボルトを再び撤退させた事を思えば、一つの勝利とも言えるだろう。


 恐らくカールマルクは、『軍団』全体にはそう伝達するはずだ。彼が得意としているのは、そういった情報操作やアリナが得意としない迂遠させた言い回し。


 ――しかし真実を言うならば、これはまだ勝利などではなかった。アリナは目標を達成したが故に足を止めたのではなく、否応なく足を止めさせられたのだから。


 アリナの瞳が、異界の中で宙に足を延ばす『無尽』ゲイルを見据える。彼も、その異界で陣を張っているエルフ達も、一歩その中に入れば容赦なく魔矢を射かけてくる事だろう。


「よもや、過去の英雄が魔物や魔族と同様の真似をしてくるとは驚愕だな、ゲイルよ」


 故に、互いに交わすことが可能なのは殺意と言葉のみ。


「抜かしやがるな。てめぇらが勝手に捨てただけで、五百年前には俺たちも使ってた礼式さ。大方、力を持ちすぎる奴が出るのを嫌って禁じたって所だろうよ。

 それにな、俺はてめぇらみたいに名誉や名声を気にして戦った事なんざ一度もねぇ。こちとら卑賤の身の上だ。勝つために、ただやるべきをやるだけさ。ああいや――」


 ――そいつはてめぇらも同じだったかい。そう、皮肉げにゲイルが言った。


 ゲイルにとっては、裏切り者である大騎士と地上の民達は、何ら手段を選ばない恥知らずの連中だとそう嘲弄しているのだろう。


 アリナは兜を被ったまま、目線だけで射殺すようにゲイルを見つめた。


「言ってくれる。貴君が有する英雄譚は、実に誇り高いものだと思っていたのだがな」


「……はっ。勝手に言ってろよ。アリナ=カーレリッジ。俺はな、個人的にもてめぇが嫌いだよ。五百年以上前からな。ヴィクトリアの奴の方がまだマシさ。あいつにも虫唾が走るがね」


 そう吐き捨てて、ゲイルは光弓ウルを手元に引き寄せる。これ以上会話する事などないと、そう告げる行いだった。少しは有益な情報を引き出せればと思っての舌戦だったが、流石に甘くはない。


 しかし今のゲイルの在り方が、アリナが知識として知っているゲイルと異なるのは確かだ。


 かつてのゲイルは勝利のために手段を選ばない事はあったかもしれないが、決して卑劣な人格ではなかった。


 時に友軍を逃がすために光弓ウルを持って殿軍を務め、悉く魔族の頭蓋を打ち抜いた事もあれば。故郷を救うためたった一人で『大陸食らい』を射抜き墜落させた逸話は形を変えて現代の地上にも伝わるほど。


 アリナは人知れず、ため息を吐いて思う。己達は、何をしているのだろう。


 かつての戦友たる英雄達が、敵と味方に分かれて五百年も終わらぬ殺し合いを続ける。それも地上にいる多くの者は、五百年前に何があったかも不明瞭になり始めているにも関わらずだ。


 当然、大騎士教は勿論、四人の大騎士の中でもこの考え方は異端だとアリナは知っていた。故に誰かに漏らしたり、相談したりする事はない。恐らくは他の大騎士に比べてカーレリッジの血がやや薄いのが原因なのだろう。多くの記憶を逸失してしまっている。


 けれど、迷宮に存在する彼らの多くがかつての戦友であった事は確かに覚えている。


 それともう一つ、かつて己が殺した――主君の姿も。


 アリナがシヴィリィにある種惹かれるものを感じるのは、その性格とは別に、過去の主君の面影を見て取れるからかもしれなかった。


「難儀なものだ。愛がため、愛を貫くため。その目的が正しくとも、手段が正しいとは限らん。もしかすると正しいのは彼らで、誤っているのは己なのではと思う時もある。

 ――だが、彼らが迷宮に籠っているならばともかく、地上に出て民を殺戮する以上。己らは己らの責務として彼らを討滅しなければならない。そうだろう、貴君」


「いや、あの」


 殆ど独り言のように、本来人に漏らしはしない事をあっさりとアリナは呟く。


 その言葉は鎧の中に籠り――傍らで首根っこを掴まれたシヴィリィにしか聞こえていなかった。


「この扱いは幾らなんでもおかしくない?」


「仕方があるまい。貴君を置いていくわけにもいかん。さて、ヴィクトリアが起きてくるまでは暫し待機だ。それまで貴君の記憶の話でも――」


 しかしその所為で、周囲から無用な注目を浴びているのも確かだった。


 元々属領民嫌いだったアリナがここの所やけにシヴィリィと共にいるのも注目されていたが、今となってはよく分からない距離感で傍らにいる。


 アリナの直下ギルドである『軍団』においても、逆にどう触れるべきか分からず多くの者が遠巻きに観察する事を選んでいた。下手に触れれば、アリナの逆鱗に触れる事になるかもしれない。

 

「アリナ様」


「うん?」


 しかしその中でも、前に踏み出ようという者はいる。


 過剰な忠誠か、それとも他に含むものがあるのか。他の者より一歩踏み出て、『軍団』の兵の一人がアリナに言った。


「その属領民は、こちらで預かります。アリナ様に無礼を働いたのでしょう」


 アリナがシヴィリィの首根っこを摑まえているのを見て、兵はそう言う。彼としては、傍から見ればアリナが金髪紅眼の属領民を取り押さえているのように見えたのかもしれない。


 まるで薄汚いものでも見るかのようにシヴィリィに一瞥をくれてから、口を開く。


「それとも、この場で切り捨てましょうか」


 しかしアリナは、突き放すような声色で応じた。


「不要だ。下がれ。元より、そういった忖度は己には必要ないと告げているはずだが?」


「しかし……」


 兵の一人が、それでも食い下がろうと言葉を継いだ。


 無理はなかったのかもしれない。普段アリナは、属領民嫌いを公言しているのだ。その彼女がシヴィリィを連れているのを見れば、それは仕置きのためだと考えてもおかしくはない。この言葉を失敗と捉えるのは酷な事だ。


 つまり彼の失敗は、一言目で引かなかった事だろう。


「――不要と、己は言った。彼女は戦士であり戦友だ。貴君は彼女を侮辱するのか?」


「っ。も、申し訳ありません」


 切れ長の鋭い瞳が、兜の内側から兵をにらみつける。兵は不憫なほどに青ざめながら、頭を下げてその場から引く。アリナが冗談を口にするタイプでない事は、『軍団』の誰もが理解している事だ。

 

「邪魔が入ったな。さて、話の続きをしようか貴君。聞きたい事は幾らでもある!」


「この状態のまま!?」


 兵一人が退散させられた事で、余計に周囲からは注目を浴び、誰も話しかけられない状態が最前線で続いていく。


 結局シヴィリィの針の筵は、カールマルクに呼ばれたノーラ達が凄く嫌な顔をしながら近づいてくるまで続いた。


 ――けれど、これはある種戦場が停滞しているが故の気楽さと言えたかもしれない。


 戦場が、戦場たる所以。第七層が、第七層たる所以。


 それが、シヴィリィ達の眼前で起ころうとしていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] いやぁ アリナ 好きなキャラだなぁ。 なんとも魅力的。
[一言] 戦場は狂気を生む場所でありこの第七層も狂気を生む場所 それが二重に発生してるとなれば…
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