7.「小学生みたいなマウント取らないでくださいよ。恥ずかしいんで」
複数回にわたってしつこく念を押したとは思うが、明日香と偽装カップル関係を結ぶまで俺には異性と付き合った経験は無い。あと同性と付き合った経験も無い。
それが意味するところは俺が寂しい人生を送ってきたというのもあるが、それ以上に実害となって俺に襲いかかってくるのは、そういう恋人として誰かと関わった経験が無いということ。つまりはデートのノウハウなんて一つも無いのだ。
明日香は気合いを入れてこいと言った。しかし基礎知識さえ無かったら根性論さえ適用され無い。
ここで本だのテレビだのの知識を活用できたならまだ救いはあったが、俺の偏った趣味の中にラブストーリーの知識は無い。
男と女の関係と言えば、どちらかが捕らえられ、もう一方がそれを救い出すものとしか考えていない。
自分でも頭を抱えたくなるような惨状だ。
そんなこともあって、今日のイベントに関してはかなりの不安を抱えていた。
いや最悪の場合、現地に着いてから主催である明日香に全てをぶん投げれば良い。
あっちはあっちで結構モテるタイプの人間だ。そしてモテる人間のほとんどは他人との付き合い方を心得ている。すなわちある程度の品質保証はされているということだ。
けれども女に全てを任せたデートは果たしてカップルらしいデートと言えるのか。いや、きっと言えない。というかそんな無様が父さんにバレたら極大のため息を吐かれるに決まっている。あの人は女性をエスコートすることにおいては右に出ることの無い強者だ。だからといってでかい顔を黙ってさせておくのは俺の信条に反する。
つまるところ本日の俺のミッションは、手探りでこのデートを成功させることにあった。
偽装カップルとしての最初にして最大の難関が来たと俺は考えている。
……今から遊ぼうっていうのに、こんなに肩肘張っている方が問題な気は少しした。
こんな風に必要以上にややこしいことを考えていた俺はさっきから待ち合わせ場所である駅前の広場を落ち着き無くウロウロしている。時折周囲から向けられる視線が少し痛いので明日香には早く来て欲しい。
しかし今は待ち合わせよりも30分早い時間だ。別に早く来ていい顔をしたかったワケじゃ無い。家の中でソワソワしてたら奈月に冷ややかな視線を向けられたことに耐えきれなくなって家を出てきただけだ。
「いっそのこといったん家に帰るか?」
駅から俺の家はかなり近い。徒歩5分圏内だ。一度家に帰ってコーヒー一杯飲むくらいの余裕はある。
このまま同じ場所に留まっているのはせっかちな俺には出来そうも無かったので本当に一時撤退しようかと足を踏み出したその瞬間だった。
「あれ? 先輩もう来てたんですか?」
驚きの色を乗せた、ここ一週間で随分と聞いた気がする声がした。
俺はそちらをゆっくりと振り向いた。一気に振り向くとどこか間抜けなように感じるからだ。
でもそれを抜きにしてもゆっくり振り向いたのは正解だった。
一気に振り向こうものならその衝撃に俺が耐えきれないからだ。
「美少女がいる……」
そこに居たのは私服姿の明日香だ。しかし決していつもの明日香では無い。
気合いの入った明日香だ。ただでさえ美少女なのが本気を出せばどうなるかに関してはわざわざ言うまでも無いだろう。
相手は死ぬ。
「せ、先輩? 口をあんぐりさせちゃってどうしました?」
「いや何でも無いから見なかったことにしてくれ」
思い返せば、ここまで気合いの入った明日香の私服を見たのは今日が初めてだ。
といってもそれも当然だ。ついこの間まで俺達はただの幼なじみに過ぎず、歳が一つ離れているから修学旅行のような一生に一度のイベントを共に過ごしたことも無い。
でも絡むことは多いから私服そのものだけは見慣れていた。だからこそ、女子高生の私服というものに込められた魔力を俺は完全に過小評価していたのだった。
「先輩せっかちだからものすごく早く来るんじゃ無いかと思ってましたけど、本当に早かったですね」
「ほっとけ。それよりせっかくだからさっさと行こうぜ。ずっとここに居たら知り合いとばったりご対面しそうで不安になる」
「そんなに気にすること無いんじゃ? どうせ他人にはバラしていこうってスタンスですし」
「それとこれとは別問題なの」
長い付き合いの幼馴染みの私服に今更ドキドキしてる所なんて見られたら適当な軽犯罪犯して留置場に入りたくなる。
明日香が弄ってこないと言うことは俺の内面は今のところうまく隠せているが、いざボロを出したときがとても怖い。
「予定はかなり前倒しになっちゃいますけど、遅れるよりは良いですからね。電車乗っちゃいましょうか」
というわけでさっそく駅に。普段は徒歩通学の俺達は揃いも揃って交通系電子マネーというものを持っていないので切符を買って改札を抜けた。
休日と言えども朝早い上にこの辺りの駅は利用者がさほど多くないので人でごった返すといったことも無い。ホームは不快感を感じない程度には空いていた。
「そういや電車に乗るのも久しぶりかもな」
「先輩って行けるとこなら全部自転車で行きますもんね。その元気はどこから来るんですか?」
「帰宅部の男子高校生は元気だけは余らしてるからな。その気になれば県境を跨ぐことくらいは造作では無い」
「小学生みたいなマウント取らないでくださいよ。恥ずかしいんで」
「俺はマウント取るよりも一発KOがお好みだからな。覚悟決めとけよ」
言ってる間に電車が来た。満員では無かったが、空席は残り少ない。熾烈な椅子取りゲームが予想された。
扉が開くと次々と降りる客が出てくる。それを待ってから俺達は座席に座るべく早足気味に列車に乗る。
しかしそれでも動きは遅かったようで今から座れるような席は一つしか空いていなかった。
「ほら座れよ」
「心配しなくても大丈夫ですよ。私、体幹には自信がありますから」
「じゃなくて防衛策」
痴漢という直接的な表現を使うことは少し憚られた。
明日香は俺の行動の意味を理解したのか理解していないのか微妙な顔で椅子に座った。
隣に座っているのは両方女性だからそっちは心配無いだろう。俺の方は……男の尻を触る物好きがこの列車に乗っていないことを祈るしか無い。
「そういや結局今日はどこまで行くわけ?」
「このまま終点まで」
「ってことは30分はこのまま電車に揺られるワケか」
扉を閉めた電車が一度走り出したら、あとはすることは特にない。つり革に掴まって目的地に着くのを待つだけだ。
この電車の終着駅はここらで最大級のターミナル駅がある。大きな商業施設は片手で足りないほどあるし、映画館もありすぎて困るほどにはある。
まあ遊ぶとなれば苦労しない場所ということだ。
「ところで先輩。予想はしてましたけど、いつも通りのコメントに困る私服着てますね」
「馬鹿言ってんじゃ無いよ。これでも家にある私服の中からマシな組み合わせ選んできたんだぞ」
「そりゃそうですよ。たまに着てるダサいTシャツでも着て来ようもんならその場で剥ぎ取ってますからね」
「心配せずとも俺にだってTPOを弁える程度の能力はある」
明日香の言っているダサいTシャツとは簡潔に説明すればちょっと意味の分からない名言っぽい言葉が書いてあるTシャツのことだ。
俺が趣味で集めているものだが、デートの際に着れるような代物では無いことは認めている。
想像して欲しい。デカデカと『剥き出しの特異点』と書かれているTシャツを着て美少女と並んで歩く男の姿を。俺なら何も見てないフリをするし、下手をすればどちらかが詐欺の被害に遭っている可能性を考える。
そこのところ行くと、今日の俺の服装は普通を地で行くモノだった。
「でも先輩ってもっとちゃんと考えて服着たらかっこよくなると思うんですよ」
「よく分かってるじゃねえか。自慢じゃ無いけどこれでも俺、ブランド物のスーツとサングラスは似合うんだよ」
「そのファッションは歳不相応過ぎます。というかおじさんのスーツ今でも勝手に着て遊んでるんですか?」
「親戚一同で集まったときにやらされるんだよ。今度写真見せてやる」
「……とにかく先輩はファッションについて考えるべきだと思うので映画終わったあとにでも服見に行きましょう」
「一瞬だけ悩んでからスルーするなよ。余計に傷つくじゃねえか」
「コスプレとファッションは似て非なるものという原則を思い出して踏みとどまっただけです。あと写真は少し見たいので次の機会にお願いします」
「冗談言ったのに……」
まさか本当に食いつかれるとは思っていなかった。
「とにかくですよ。何事も無ければ先輩の服を見に行くのが今日の第二の予定です。分かりましたか?」
「はい分かりました。……何事も無ければ?」
「ん? わたし何か変なこと言いました?」
「いや、何も?」
正直な気持ち、言いたいことはあったが胸にしまっておくことにした。
だって冷静に考えて欲しい。ここ数日間という短い間でもかなりの高密度で面倒なこと(そのどれもが俺の身内関係)に巻き込まれている以上、今日は大丈夫という保証は無い。
自分でも大げさすぎるとは思う。だがここ数日で起きたことはどれも俺を過敏にするには充分な物だった。
そして人間という生き物は想定していた最悪の未来を引き当てないといけないかのごとく、不幸に見舞われる生き物だった。
結論から言えばこのデート、映画を見て、ショッピングして、ラーメンを食べるだけでは終わらなかったのである。