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2.「私ってずるい女に見えてます?」

 朝が来た。

 1人しか居ない寝室の1人用ベッドに1人で入った訳だから、眼を覚ました時も必然的に俺1人。


 昨日、俺は鷹崎明日香の偽装彼氏になった。それは同棲するという意味でも無ければ、一夜を共に明かすという意味でも無い。

 そのことを体現するかのように昨日は、2人でコーヒーを飲んでから明日香を家まで送り届け、1人になった俺は家に帰って飯を食い、風呂に入り、趣味のレトロゲームに興じて日付が変わる少し手前の時間に就寝した。


 ここまで俺にとって特別な変化は何も無く、恋人のフリというのも必死になって断るほどのものでも無かったのではとそんな風に思えてきた。


 ――いや、朝起きて真っ先に明日香のことを考えている時点で、もうそこには大きな変化があるのかもしれない。


 その気になれば無限の時間を費やすことができそうな題目だったが、そうのんびりしていられる余裕は無い。今日は平日、つまりは学校のある日だ。

 紙の試験というのがどうにも苦手でご立派とは言い難い点数を取り続けている俺は、それだけで教師受けが良くない。だからそれ以外のところで点数を稼ぐ必要がある。その一環として俺は無遅刻無欠席を狙っていた。

 時刻は午前7時18分。寝坊したわけでは無いが、今から朝の支度を始めなければ遅刻してしまうという時間だった。


 二階にある寝室を出た俺はそのまま一階のリビングに直行。朝起きてすぐに何をするかについては人によってまちまちだとは思うが、俺は朝食を最優先事項としていた。

 起きてすぐになにかしら食べないとその日一日の力が半減するような気さえしてくる。だから何よりも先に朝食だ。

 昨日仕込んでおいたフレンチトーストに思いを馳せつつリビングの扉を開ける。


「あっ」

「ん?」


 俺がリビングに入るとそこにはテーブルで朝食を取っていた妹が居た。

 大神奈月(おおがみなつき)。思春期真っ盛りの15歳とは思えないくらいに落ち着いたその雰囲気と、腰まで伸ばした綺麗な黒髪から清楚系の見本と中学の頃は呼ばれていた少女である。

 今は俺と同じ高校ではなく、私立の進学校。それもお嬢様校と名高い高校に通っているので縁の無い俺には内部のことは分からないが、きっと同じような評価を受けていることであろう。

 兄である俺からすれば落ち着きすぎていてハードボイルドだと思っているのだがその辺りは割愛する。


 それ以上の問題が目の前にはあった。


「奈月、今日学校休みだっけ?」

「休みじゃないけど……なんで?」

「いやだって制服着てないし」


 今の奈月の服装は真っ白なワンピース。彼女の雰囲気によく似合っている。

だが、今日は平日である。制服を着ていないというのはそれだけでちょっとした問題である。

しかし奈月は表情の変化に乏しいながらも呆れているというのが分かる口調でこう返事した。


「今日は校外学習。だから私服」

「なるほどね。父さんと母さんは?」

「お母さんは朝早くに仕事で出た。お父さんも同じく」


 とりあえず、妹が入学早々に学校をサボろうとしているわけでは無いことは安心した。

 けれど会話はこれでおしまいだ。これ以上はどうやっても続かない。

 奈月との仲についてだが、この通り仲良しこよしという訳ではない。ただ、険悪かと言うとそれも違う。近付くなとも触れるなとも言われないし、理不尽にキレられる訳でも無い。何だったらたまには一緒にゲームをすることもある。

 けれど奈月は他人に壁を作るタイプで、それは家族でも例外じゃない。だからどう接したって距離を感じる。そんな関係だ。


 現に一度会話が途切れたら奈月は自ら話すこともせず、黙々と朝食を食べている。そして一口サイズにまで小さくなったトーストを口に放り込み、しっかり噛んでいないんじゃないかと心配になるスピードで呑み込むと、おもむろに席を立った。


「ごちそうさま」


 テレビもついていない静かなリビングでなければ聞こえないくらいの小さな声で呟いてから食器を流し台につけると部屋のすみに置いてあった鞄を持った。


「行くのか?」

「うん。行ってきます」


 口数がいくら少ないと言っても挨拶はキチンとするのがウチの長女の良いところである。

 俺はリビングを出ていった妹を横目見送ってから、フライパンと冷蔵庫の中のフレンチトーストとバター、それからハチミツを用意する。

 これより至福の朝食が幕を開けるのだ!


 そんな風に息込んでいたが、どういうわけかリビングの扉が再び開かれ、奈月が戻ってきた。それを見て最初の一瞬、奈月が忘れ物でもしたのかと思った。けれどその推測は間違いだとすぐに気付かされた。


 リビングに入ってきた奈月のすぐ後ろ、そこにこの家の住人ではない人間が居た。


「おはようございます先輩! 今日も気持ちのいい穏やかな朝ですね!」

「たった今騒がしい朝になったがな」


 奈月の後ろからひょっこり顔を出したのは制服に身を包んだ鷹崎明日香。すなわち俺の幼馴染みにして昨日づけで偽造彼女になった女子高生だ。

 しかしどうして彼女がここに居るのか、それが分からない。

 いや、方法の話ならもちろん分かる。俺と明日香の家はそう遠く離れておらず、簡単に歩いて行ける位置関係にある。また俺たちは同じ高校に通っているが、その高校から見たときに俺たちの家は同じ方角にあるので通学路をすこし逸れる程度で明日香は俺の家に寄り道ができる。


 じゃあここで浮かぶ疑問は、明日香は何の理由があってわざわざ俺の家に立ち寄ったのか、というものだった。


「明日香、兄さんのこと迎えに来たんだって」

「え?」


 疑問の答えは意外な人物からもたらされた。


「さっき家を出たときにバッタリ会って、そこで聞いた」

「あーそれでUターンで戻ってきたんだな」


 奈月からすれば長い付き合いの友人がいきなり兄を迎えに来た格好になるわけだ。そんなことは今まで一度も無かったために何事かと気にしても何らおかしいことでは無い。

 普段から時間には余裕を持って行動する奈月のことだから多少ゆっくりしても遅刻することは無いだろうし。


「で、どうしてこうなったの?」

「どうしてってそりゃあ……」


 ここで俺は言葉に詰まる。

 何せ理由が理由だ。

 ここで『今俺はお前の友達と付き合っています。ただし偽装で』なんてことを面と向かって言おうものなら何を言われるか分かったもんじゃない。ここは適当な嘘で誤魔化すしか無いが奈月は恐ろしいほどに勘が良い。下手な嘘ならすぐにバレる。


 ここは口の上手い明日香に丸投げするのがベストだ。俺は幼馴染みにアイコンタクトを送る。

 明日香はそれで何かを察してくれたらしく僅かに頷いた。やはり持つべきものは頭の回転が速い友達――じゃなかった彼女だ。偽装という状況のせいで実感なんて持てやしない。


 ともかく、この状況の収拾は明日香の手に託された。これで一安心


「私と先輩昨日から付き合ってるんだ。まあ偽装だけど」

「何最初っからタネ明かししてんだ! さっきの頷きは何だったんだよ!」

「いやこれはしょうが無いです。家族に対して隠し事したっていつかはバレるんだから。こういうのは聞かれたときにすっぱり全部喋っておいた方が後腐れ無くて良いですよ」

「今腐ったらどうにもならねえじゃねえかよぉ」


 俺の思惑はかくも容易く砕け散った。

 それどころか奈月がなんとも言えない表情をしておられる。これは言葉にするまでも無くマズい。


「兄さん。どういうこと?」

「いや、これには複雑かつ怪奇な理由ってのがあってだな。そもそもそっちのソイツがモテて仕方ないから俺に偽装で彼氏やってくれって頼んできてだな」

「ちょっと先輩私のせいだって……私のせいだった」

「ホレ見ろ!」

「いやそれはそうだけどもう少し言い方っていうのがあると思いません!?」

「すっぱり全部喋った方が後腐れなくて良いって言ったのはどこの誰だよ」

「今腐ったらどうにもならないって言ったのは先輩ですよ!」

「2人ともうるさい」


 ヒートアップしつつあった俺と明日香の口論は奈月の一言で一気にクールダウンした。

 俺も明日香もワケあって奈月には頭が上がらない。なので視線一つで俺達を蛇に睨まれた蛙にできるし、言葉一つで強面の教師に叱られた悪ガキにできる。こういうわけだ。

 かくしてさっきの勢いを失った2人を奈月が黙って観察するという構図ができあがった。

 ここに流れるのは凝縮された気まずさのみ。パジャマ姿で家から飛び出したくなるくらいにこの空間に居たくない。

 だが沈黙は決して永遠には続かない。この沈黙を支配していた主が口を開けば打ち破られる。


「…………賢しいカップル」

「え?」


 俺は言葉の意味を理解することができずに聞き返したが、奈月は答えない。

 そのまま家を出てしまった。

 ……何だったんだろう、今の時間。


「先輩」

「何?」

「私ってずるい女に見えてます?」

「少なくとも、正々堂々って感じには見えないわな」


 家の中に取り残された俺達は、ただ妹が出ていった玄関を見つめることしかできなかった


今夜もう1話投稿します。

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