第二十話 ありがとう
アンリ・ロークは望まれない子供だった。
元々ローク族は男尊女卑思考が強い種族だ。あのボロス・ロークに続く子供と期待もされたが、それが女だとわかった時点で皆が興味を失った。
更に生まれた子は、すぐに体調を崩す軟弱な子だった。
当時は魔素飽和症というのもわかっていなかった為、ただ体調を崩しやすい弱い子だとしか認識されなかった。
その身に耐えられないほどの魔素をため込む子供は、両親からの愛情は一切受け取ることはなかった。
両親兄弟親族は、いつも殺し合いに奔走していて家にはポツンと彼女一人。
満足に身体を動かすこともできず、自然と一人で遊ぶことが多くなった。
そんなある日だった。
その日は、珍しく兄が家にいた。
どうやら戦いで怪我をして、療養しているらしい。アンリからすればどうでもいいことだったが、一緒の家にいるのも気まずく、庭に出て、花冠を編んでいた。
アンリは花が好きだった。
花は綺麗だし、血生臭くないし、何より彼女を一人にしなかったから。
だから、花を一つ一つ丁寧に編んでいた。
「何をしているんだ。」
そうしていると、背後から声をかけられた。
余りに驚き、心臓が飛び出そうになりながら、恐る恐る振り向くと、そこには不機嫌そうに佇む一人の少年がいた。
自身と同じ黒髪黒目に、黒い耳と尻尾。一目で兄だと気づいた。
自分と違って両親の愛を一身に受けている彼の姿をいつも遠くから見ていたから。
「⁉ お、おにいさまっ⁉ どうしてここに……?」
兄は家で療養中のはずでは?ここなら誰にも怒られないと思っていたのに。
そんな意味合いも含めて発した言葉だったが…………。
「それはなんだと聞いてるんだ。」
「え?」
兄には一蹴されてしまった。
その眼には自分は映っておらず、手元の花冠だけに向いていた。
――――あぁ、やっぱりこの人も私を見てはくれないのだな。
そんな落胆のみが心を支配した。
「これですか? これは『はなかざり』です!」
「………?それは一体、どういう武器なのだ?花の毒を使うのか?」
「どく?いいえ、『はなかざり』はぶ・き・ではありません。」
「武器ではない。では防具か?防御力があるようには見えないが…………」
「ふふふ、おにいさまは、おもしろいですね!」
いつも両親に褒められて、完璧超人のように見えていた兄が見当違いなことを言うことが妙におかしくて、いけないと思いつつ笑いが漏れた。
それが気に障ったのはか、最初から不機嫌そうだった兄の表情は更に歪み、少しだけ語調が強めになった。
「だったら、これはなにで、そして何の意味があるんだ。」
「いみ、いみですか?うーん、たのしいです!」
「は?これでは誰でも殺せないじゃないか。敵兵を殺すことも、敵の攻撃から身を守ることもできない。なんの意味もない行動だ。」
少しずつ語調が強くなっていく兄だったが、不思議とあまり怖くはなかった。
ただ、わからないものに戸惑っている様子が、完璧超人に見えた兄とは違って見えて、だからこそ、彼の言葉に自然と疑問を覚えた。
「? おにいさまは、てきへい?をころしたいのですか?」
「殺したいんじゃない。殺すんだよ。」
「なんで?」
無邪気な問い。子供だから思う、特になんの意味もない疑問。
だが、だからこそ核心を突いた疑問だった。
「――――――――え。」
兄の変化は顕著だった。
今の今までずっと不機嫌そうに歪んでいた表情は、ここにきて初めて子供らしい戸惑いの顔になった。
「おにいさまは、それがたのしいのですか?」
「っ、それは―――。」
更に疑問を重ねれば、兄の顔は先ほどとは別の形で歪む。
それは迷子になったような、そして――――家に一人ぼっちの時の自分のような悲しげな表情。
ここにきて、ようやくまずいことを聞いてしまったのかも、と思い始めたアンリは、どうにか誤魔化せないかと、あたりを見回す。
結果、ちょうど手元にあった、それに目がとまり――――
「えいっ!」
「あ。」
兄の頭に思い切って、花冠を乗っけた。
自分が悲しい時は、これで無理やりに楽しい気分にするのだ。
するとどうだろうか。
衝動的に被せたものの、なかなかにいい出来の花冠。しかも、今も混乱中の兄の耳が冠の中でピコピコ動いている。
眉間の皺がとれ、花冠をつける兄の姿は―――そう。
「うん。ふふふ!おにいさま、かわいい!」
かわいかった。これはいい仕事をしたと、当初の目的も忘れて喜んでいると――――
「―――――。」
「お、おにいさま?ないてるの?」
兄の頬をツーっと雫がつたった。
なにかまずいことでもしたのかと、アンリがアワアワとしていると、兄はアンリの肩を掴み、そしてその耳にこう言った。
「――――ありがとう。」
―――――――――え?
ありがとう?―――――――あり、がとう?
言われた言葉の意味が一瞬わからず、混乱する。
そうだ。たしか感謝を伝える言葉だったはず。――――感謝?兄が私に、感謝?
生まれてから、誰にもその生を祝福されたことがなかった。
ずっといらない子。足手まといの子。そう言われ続けた。兄も、私を見はしなかった。
あの兄が私に、ありがとうと言った。
なんで、そう言ったのかはわからなかったけど――――だけど、その言葉は確かに私に向けられた言葉で、そして何より、私がいてよかったと言ってもらえたということ。
なんでもない言葉かもしれない。なんで言ったのかもわからない。
でも、初めて存在を認められた気がして――――すごく嬉しかったことを覚えている。
――――――それから兄の態度は急変した。
戦いに行く頻度は極端に減少し、代わりの時間をアンリと過ごすようになった。
正直、彼が、何を思って、何を考えているのかはわからなかったけど、それでも、その愛情をアンリに向けてくれたことだけはわかった。
それが心から嬉しくて、呼び方もいつしか『おにいさま』から『おにいちゃん』に変わった。
変えたときは驚いた顔をしていたけど、拒否はしなかったし、何より尻尾は嬉しそうに揺れていた。
一族が滅んだ時も、兄は一番にアンリを助けてくれた。
両親も、他の一族のものも捨てて自分を助けてくれた時は、罪悪感でいっぱいになったけど、やっぱり嬉しい気持ちもあった。
―――――もうすぐ、私は死んでしまうだろう。
日に日に体の制御が効かなくなり、身体強化がぶれる時が増えた。痛みも増している。薬も効かなくなってきた。
恐怖がない、と言ったら嘘になる。
もっと、もっと世界を見てみたいという夢もあった。
でも、――――ようやく兄を解放できる。
兄はすごい人だ。それは近くで見てきた私が一番よく知っている。
彼は誰よりも優しい人だから。もう家族に縛られてはいけない。
両親の呪縛からも、妹の束縛からも解き放たれれば、自由に飛び立って、そして歴史に残る英雄にだってなれるだろう。
どんなに悲しくても、苦しくても、私はそれを祝福しなくてはいけない。
彼から受け取った、ただ一つの愛情を――――私は捨てなくてはならない。
きっと、それがアンリ・ロークの生まれた意味なのだと、そう思うから。
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Side アンリ
「おにいちゃん?」
目が覚めたのは、つい5分前。
樹妖精の花粉により眠らされていた彼女だったが、樹妖精側も、とある狐の相手に掛かり切りになったことで、そちらまで意識がまわっていなかった。
目を覚ました彼女は、状況こそ呑み込めなかったが、自分の体についた兄の匂いを辿ってここまできたのだ。仮にも獣人種。親族の匂いを辿ること程度は余裕だった。
そして、痛みを訴えかける体を押してでも、着いた場所には兄と、昨日会ったユキの姿があった。
周囲の戦闘の跡、兄に至っては武器が砕け、血も流している。
それだけで尋常じゃないことは、把握できた。
「………アンリ。」
「おにいちゃん。これってどういうこと?」
「アンリ。」
「どうしてユキさんと戦ってるの?そもそもここって森の中でしょ?どうしてここに?」
「アンリ。」
「ねぇ、家に帰ろうよ。」
「アンリ!」
「!」
「――――――起きた場所に、戻っていろ。」
そう叫ぶ兄の姿は尋常ではなかった。
血が流れているとか、武器がないとか、そういう話じゃない。
だって、だって――――――
「おにいちゃん!―――――私を見てよ!」
あの兄が私と目を合わせずに、話をすることなどないのだから。
「―――帰れ。ここはお前のいる場所じゃない。お前は、戦場にいるべきじゃない。」
そこまで言ってなお、兄が私に顔を向けることはなかった。
眼をそむけて、そっぽを向いて、そして高圧的に帰れと言ってくる。
そんなの兄じゃない。
だから、私は一歩、一歩と兄に近づいた。
「アンリさん。」
「大丈夫です、ユキさん。任せてください。私、これでも妹ですから。」
途中、心配したユキが止めようとしてくれるが、それを手で制す。
そして、ゆっくりと近づいて、兄の前までやってきた。
兄はそれでもそっぽを向いていた。耳と尻尾もうなだれて、まるで怒られるのを嫌がっている子供のようだと思った。
「おにいちゃん。」
「アンリ、帰れと言っただろ。」
「帰れって言うなら、一緒に帰ろう。こんな森の中じゃなくて、二人の家に。」
「………それはできない。」
「なんで?」
「それは、――――。」
「…………っぷ。ふふふ。」
空気が読めないかも、とも思ったが、なんだかおかしくてアンリは噴き出した。
ボロスはその様子を横目で見ながら、不思議そうな顔をしている。
「どうした?」
「いや、ごめんね。ほら、覚えてる?私たちが初めて話した時のこと。」
「忘れるはずがない!あの時、あの時、俺は――――」
「あの時も同じ質問をおにいちゃんにしたよね。『なんで』って。」
「…………。」
「黙り込むところまでいっしょ。ねぇ、最後にもう一度聞いてもいい?
――――――おにいちゃんは、どうして戦うの?」
兄は、その疑問に即答しなかった。
私から眼を逸らして、口を閉じて――――でも、沈黙も長く続かなかった。
兄は観念したように、私に振り向くと、目と目を確かに合わせながら力強く、だけどどこか弱弱しく口を開いた。
「――――――お前のためだ。」
「うん。」
「俺はお前に救われた。お前の笑顔に救われた。お前の存在に救われた。」
「うん。」
「俺は――――――お前のいない世界を、認められない。だから戦う。お前が生きるためなら、俺は、世界を相手にしたって戦える。」
「…………そっか。」
そういった兄の顔は、迷子の子供のような――――あの日見た兄の顔にそっくりだった。
兄の愛情を私は知っていた。それを受け取ることが何よりの喜びだった。
誰にも祝福されずに生まれた私だから、兄のその愛情だけが私の生きる意味だった。
だけど、それは兄も一緒だったのだろう。
結局、どこまで行っても私たちは――――兄妹だった。
でも、その関係も――――ここで終わりにしなくてはならない。
ちゃんと、さよならを言わなくてはいけない。
「ねぇ、おにいちゃん。知ってる?私にとってもおにいちゃんは生きる意味だったんだよ。」
「…………。」
「私ね、おにいちゃんだけだった。お母様もお父様も私を見てくれなかった。一族のみんなもそう。みんな私をいない子として扱った。でも、おにいちゃんだけが、おにいちゃんだけが私を見て、生きてもいいんだって言ってくれた。私はそれが本当に嬉しかったの。」
「俺は、俺は、あの日、お前に会ったあの日に救われて――――。」
「それも同じ。私も救われてた。その時は幼かったからうまく言葉にできなかったけど、今なら私も言えるよ。」
そうして、少し多めに息を吸って、精一杯の笑顔で、私は口にした。
「―――――ありがとう。」
「アンリ―――ッ!」
兄が私を包むように抱き込む。
少し苦しかったけど、私も同じように抱き返した。
兄の腕の中は、とても温かくて安心できたけど、いつまでもこうしているわけにもいかない。
だから、精一杯の力で、私は兄を突き放した。
「アンリ?」
「ねぇ、ユキさん。」
そうして振り向く相手は、白髪の少年。
もう兄に伝えたかったことは伝えた。あとはお別れだけだ。
「私を――――殺してくれませんか?」
「アンリ⁉」
「…………。」
私の申し出にユキは何かリアクションをしたりしなかった。
まるで、そうすることがわかっていたかのように、ただそこに佇み続けていた。
「私がいるとおにいちゃんはバカなことをしてしまいます。私は、私の存在はおにいちゃんを傷つける。だから、お願いです。私を、斬ってください。」
ユキに出合ったのはつい昨日のことだ。付き合った時間は余りにも短い。
でも、この人は優しい人だと、知っているから。
だから、きっと――――この人なら――――――――
「…………嫌ですけど。」
「え?」
「うん。ごめんね。盛り上がってるところ悪いかなーっと思って黙ってたんだけどさ。俺が目指してるのってハッピーエンドなんだよね。これでアンリさん殺したら、ビターエンドじゃん。」
ユキはやれやれと肩をすくめる。その動作がなんだかコミカルで、先ほどまでやっていたシリアスが一瞬でどっかにいく。
「いやー、ようやくピースが揃ったよ。本当にアンリさんが来てくれてよかった。」
「え、私、ですか?」
「うん。君を見つけるまでの時間だけがネックだったからさ。これで始められる。」
「始める、だと?一体なにを―――。」
「なにって、そりゃ何度も言ってるだろ?」
「ハッピーエンドを始めるのさ。」
そう話すユキの顔は、―――いたずらに成功した子供みたいに楽しそうだった。
次回、ハッピーエンド!
(余りにわかりきったネタバレ予告)




