プロローグ
序章
子供たちの歓声が方々から聞こえる。奈美は手に持った取材用のミラーレス一眼をそちらに向けた。パシャパシャとシャッターを切る。「科学の祭典&防災展」は無料のイベントということで、親子連れに大盛況だ。11月5日の津波防災の日に合わせ、祝日の11月3日に毎年開催されているイベントである。
「日高さん、あれが今回の目玉の『震度7体験マシン』となります」
奈美のとなりで案内をしていた、市立科学館の腕章をつけた職員が先ほどまで大きな声が聞こえていた大型のトラックの荷台を指さした。体験が終わった人々が荷台から下りて、借りていた道具を返している。次の体験が始まるのか、今から体験する人が荷台の中に入っていく。トラックの荷台上に家のリビングを模した『震度7体験マシン』があった。マシンの中にはリビングにあるソファーやダイニングテーブルが置いてあるが、すべて鎖で固定されていた。中にいる体験者たちはイスに備え付けのシートベルトのような安全装置を付け、念のためにヘルメットをかぶっている。
小刻みに1~2秒ゆれただろうか、いきなり、ドンと大きなゆれがマシンの中の体験者を襲い、「キャー」とか「おわっ」とか声が上がった。
「阪神・淡路の震災の時のゆれを再現しています」
科学館の職員が言った。奈美はその言葉をスマホのメモ機能でメモしていく。
「熊本の地震ではなく、ですか?」
奈美が眉根を寄せて疑問を口にした。日本国内で今まで震度7を記録したのは、2004年の新潟県中越地震、2011年の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)、2016年の熊本地震(4月14日・16日ともに)、2018年の北海道胆振地震の5回である。1996年に新しく基準が改訂されて以降、地震計でリアルタイム観測したのはその5回しかないはずだ。
「阪神淡路…兵庫県南部地震は1995年です。古い基準の震度7ということでしょうか?」
「まいったな…私も専門ではないので…」
奈美の質問に返せなかった科学館職員は、白髪交じりの頭をかいた。
「こちらこそ、すみません。昔少しかじったもので」
心の中で職員に毒づく。それぐらい専門外でも勉強しろよ! と。
マシンの中のゆれがとまり、体験を終えた人が下りてくる。次の体験を行う人が準備を始めた。また、体験が始まると、ゆれが一番激しそうなところで奈美は体験者たちに向けたカメラのシャッターを切った。シャッターを切りながら、逆に職員へ解説する。
「私も意地悪しました。すみません。阪神淡路の時のゆれは今の基準に照らしても、震度7です。新しい基準の震度7を作る基準になったので新基準で観測された震度7に入っているんです」
「そうなんですね」
苦笑する職員。この分では、現在のガルという単位を用いた観測震度なども知らないのだろう。
「福岡の高校で学んでいた時に、理科で地学とってたんです。大学から鹿児島なんですけど、鹿児島にもまだ高校にい地学があるって聞いて、結構こういうこと知っている人多いと思ってたんですけどね」
「そうなんですか?」
その答えにがっかりしてしまう。
「インタビュー、してきます」
職員を置いて、『震度7体験マシン』を体験した人のインタビューを行った。タウンかごんまの名を出せば、インタビューに応じてくれる地元の人も多い。「怖かった」や「面白かった」という子供の意見や「家具の固定をしたい」という大人のありきたりな感想をもらう。
中学生らしい子供を連れた父親が印象深いことを言っていた。
「埋立地とかすごくゆれるらしいので、今ここで地震は勘弁したいと思いました」
「今、ここで?」
思わず聞き返す。今ここで…体験の後にすぐそれを思うのもなかなかない。人間は自分は被害に遭わないと思うものだ。
「ええ。ふと、ここが埋立地だってことを思い出したもので」
「なるほど、ありがとうございます」
お礼を言って、その父親のインタビューの内容もメモをしておく。
目玉となったマシンの記事はこれぐらいで材料としては大丈夫だろう。そう判断して、次は科学の祭典の取材に奈美は回ることにした。案内の職員とともに、小動物と戯れたり、人口イクラを作ったり、カルメ焼きを作るブースを回った。
「今日は、ありがとうございました」
科学館の職員に礼を言い、その日の取材を終えた。会社に帰って記事をまとめなくてはならない。仕事は多い。
その日、路面電車で帰宅するときにふとあのインタビューをした父親の言葉がよみがえってきた。
「今ここで…」
今ここで大災害が起こるとしたら…。
窓の外の桜島の噴煙を見ながら、この地が災害に慣れすぎた土地なのかもしれないというテレビに出ていた火山学者の言葉を思い出した。
鹿児島市でイベント「科学の祭典」は夏休み最初の土日ということでした。
この物語はフィクションなので、現実のおすすめについてはここに記載したいと思います。