約束の丘
ある丘の上に人が座るのにちょうど良さそうな石がある。そこに、六歳の男の子と女の子がいた。
「ねぇ、私たちまた会えるかな……?」
女の子が泣きそうな声で男の子に問いかける。
「ああ、もちろん。」
「本当に?」
「本当に。」
「本当の本当に?」
「本当の本当に。」
「本当の本当の本当に?」
「少しは信じてくれよ……」
男の子は呆れた顔で女の子を見るが、女の子はそんなこと気にしない。女の子は頬を赤く染めて真剣な顔で男の子の方に振り向く。
「じゃあ、また会えた時、一緒にこの丘に来ようね! そして、私にある言葉を言って!」
「ある言葉?」
「そう。一度しか言わないからよく聞いてね? ―――――。わかった?」
「わかったけど……それってどういう意味だ?」
「それはまた一緒にこの丘に来た時に教える。あなたがそれを言ってくれたら、私は絶対に……」
「絶対に?」
「な、何でもない!」
二人はそれだけ約束し、別れた。しかし、二人は再会することはなく、時間は流れていく。
そして、十年後。二人の物語は動き始める。
ある高校へと続く大通り。その高校へ行く高校生たちのほとんどはここを通る。大通りの桜は満開……ではなく、もうほとんど散ってしまっている。今は四月下旬。桜が満開であることはない。入学当初よりも寂しくなってしまったその通りを、高校一年生である俺は考え事をしながら歩いていた。今日の夕飯は何を作ろうかと。俺は母と姉と三人で暮らしている。母は仕事で忙しく、家事をしている暇がない。姉は家事ができないわけではないが、なぜか料理だけが壊滅的である。料理が俺の担当になったのは自然だった。俺は毎回通学しながら夕飯のメニューを考えている。一人で通学するため、何か考えていないと暇で暇でしょうがないのだ。
もう一度言う。俺は考え事をしている。だから気づかなかったのだ。後ろにいる俺と同じ高校に通う生徒たちが何かを避けるために道の端に寄っていることを。後ろから猛烈な勢いで走ってくる何者かがいることに。
「遅れちゃう! 遅れちゃう!」
そんなことを叫びながら走る人に。
「ちょっと! そこのあんた! どいてー!」
「ん? 今後ろから何か言われた気が……って、ちょっ、え~~!!」
どいてと言われても、考え事をしていた俺は咄嗟に反応ができずに走ってきた人とぶつかってしまう。
「いたたたたた……」
「いてて……ぶつかってごめん! でも、どかなかったあんたも悪いからね! それじゃ、急いでるから!」
まるで嵐のような人だった。誰だったのか気になり、颯爽と駆けていくその姿を見る。俺が通っている高校の女子用制服を身に着けた、黒髪ショートの女の子。見た限りでは、これしか情報は得られなかった。
「まあ、そこまで気にするようなことではねぇか。ぶつかったのは俺も悪いというのは心外だが。」
俺はようやく慣れてきた道をまた歩き始めた。
「今日から転校生が新しくこのクラスに入ります。それでは、小野崎さん、自己紹介お願いします。」
「はい! 私の名前は小野崎千咲です! これからよろしくお願いします!」
驚いた。こんな時期に転校生が来たことに対してではない。その転校生が、朝ぶつかった女の子であることに対してである。
こんな偶然があるのか。今までの人生の中で驚いたこと、十位以内には入るぞ。
その後はいつも通りに朝のHRが行わた。HRが終わるとすぐに、クラスの人たちは小野崎の元へ駆け寄る。
「前はどこにいたの!?」
「もしよかったら私が学校を案内しようか!?」
「どんな異性が好みなのか教えてください!!」
小野崎は早速質問攻めされていた。それもしょうがないだろう。見た目の可愛さならこのクラスの中で一番だろう。そんな人を放っておくわけがないだろう。それにしたって、最初に異性の好みを聞こうとするバカがいるとは思わなかったが。
小野崎は戸惑いながらも、答えられる質問に順番に答えているようだ。そんな小野崎がクラスに馴染むのに時間はそう必要なかった。
「あんた! ちょっと待って!」
「ん?」
早くもクラスに馴染んだ小野崎が昼休みに俺に声をかけてきた。
俺は早く購買でパンを買って、友人たちと食べたいのだが。
「朝はぶつかってごめん。でも、なんでどかなかったの?」
「いや、あんな直前でどけと言われてもすぐにどけないだろ……」
「それってあんたの反応速度が遅いだけじゃない?」
「はっ!?」
「まあ、いかにも遅そうだけど……あの時は必死だったから気づかなかったの、ごめんなさい。」
「ちょっ、お前ふざけるな! 確かに反応速度が速いとは言わないが、俺は人並みの速さのはずだ!」
「はぁ!? 人並みだったら今朝のは避けられるはずでしょ!?」
「いや、無理だから! お前ぐらいしか避けられねぇよ! このゴリラ女!」
「へ~、喧嘩売ってるようね。いいわ、覚悟しなさい……!」
「ちょっと二人とも~~!? 仲良くして~~!!」
このクラスの癒し的存在の女子に仲裁されて、俺たちは言い争うのはやめたが、お互いの印象はそれぞれマイナスになっただろう。
しかし、俺たち二人が関わる機会はなぜか多かった。日直で一緒に仕事をしたり、飼育係として学校で飼われてる動物たちの世話を一緒にやったり、授業のグループ活動で同じグループになって一緒に活動をする、等々。
最初はお互いにいがみ合い、関わる機会が多いことを恨んだ。しかし、小野崎と過ごすうちに、俺の小野崎に対しての印象は変わっていった。
日直の仕事では俺の見落としていたところをさりげなくカバーしてくれ、飼育係の動物の世話も一生懸命にやり、グループ活動では毎回小野崎が仕切って誰か一人に負担がかからないように自然と仕事を割り振っていた。
俺の小野崎に対しての印象は、がさつなゴリラ女から、がさつだがまっすぐで他人を思いやれるゴリラ女へと変わった。
ゴリラ女は変わらない。気に入らないことがあるとすぐに俺にちょっかいをかけてくるのだから……主に暴力という手段で。
そんなこんなで時間は流れ、夏休みがやってきた。
俺が家でゴロゴロしていると、一通のメールが俺のスマホに届いた。
「小野崎から……? え~と……今度の夏祭り、一緒に行きませんか……?」
俺はその文を五秒見つめた後、なんて書いてあるのかをもう一度念入りに確認した。
「いやいやいやいやいや、これはさすがに間違いメールだろ。なんであいつが俺を夏祭りに誘う。送るところ間違えているぞって伝えてやるか。ついでに、誰に送ろうとしてたのか問いただしてやるか……!」
俺は早速その旨を伝えるメールを送った。すると、すぐに返信が来た。
「え~と……間違ってない、誘ったのはあんたで合ってる。そうなのか……って、はぁ~~~~!?」
「うるさい!!」
あまりの驚きに叫んでしまい、隣の部屋にいる姉に怒られたが、そんなことを気にしてる場合ではなかった。
夏祭り当日。
例年通り、多くの人が祭りに来ていた。人が多くいるところで待ち合わせはできないので、ほとんどの人は祭りをやっている場所の近くにある大きな木の下を待ち合わせ場所に使っている。
俺も例外なく、小野崎との待ち合わせ場所をそこにしていた。女子と二人で祭り。そう考えるだけで妙にドキドキした。相手があのゴリラ女だとしてもだ。友人たちから一緒に回らないかと誘われて小野崎に相談したが、小野崎は二人きりで回りたいと言ってきた。そのため、正真正銘二人だ。俺はもう小野崎が良いやつだと知っている。可愛いことも認める。だからドキドキするのはしょうがないだろう。
「あっ! いた! おーい!」
小野崎の呼ぶ声が聞こえ、声がした方向へ振り向いた瞬間、驚いた。
そこには、浴衣を着た小野崎がいた。浴衣を着ていることに対しては驚いていない。むしろ、予想していた。しかし、予想外だった……小野崎にこんなに浴衣が似合うことは。浴衣を着た小野崎は普段の印象と違い、自然と魅かれてしまう。
「おーい? どうした?」
いつの間にか俺の近くに来ていた小野崎が不思議そうな顔をして再度声をかけてくる。
「い、いや、何でもない! それより早く行こうぜ!」
「それには賛成だけど……」
素直にお前に魅かれているなんて言えるわけがなく、俺は誤魔化すように祭りがやっている場所へと急いだ。
「あ~!! なんで取れないの!?」
金魚が取れなくて叫んでいるのは俺の隣にいるゴリラ女だった。浴衣で見た目の印象はいつもと違うが、中身は変わっていなかった。
「悔しい~~!!」
俺が見た限り、取れる見込みはほとんどないだろう。小野崎はやり方を全くわかっていない。屋台のおっちゃんもそれがわかっているようで、小野崎がお金をどんどん落としてくれる未来を思い浮かべてか、ニヤニヤしていた。
「一回俺がやるところ見てろ。」
「えっ? あんたできるの? 私にできないのに?」
「よし、やっぱり教えるのやめるか。」
「ごめんごめん! 謝るから教えてください!」
最初からそう言えばいい。俺はおっちゃんにお金を渡し、心の準備をする。
そして、始めた。一匹。二匹。三匹、四匹……面白いようにどんどんと取っていく。いつの間にか、屋台のほとんどの金魚を取っていた。
「すごい……! あんた、やるじゃない!」
俺は縁日での腕なら誰よりも上手いことが自慢なのだ。……意味がないのは自分でもわかっているから何も言わないでくれ。
「ほら、次はお前の番だ。自分で取らなきゃ意味ないだろ。」
「うん! ありがとう!」
俺はおっちゃんと交渉し、俺が取った金魚を全て返す代わりに小野崎に一回だけ無料でやらせてもらうようにした。
さっさと結果だけ言うと、さすがは小野崎だった。俺のを見てただけで、マスターしやがった。
俺と小野崎は花火を見ていた。屋台で定番の焼きそばやイカ焼きなどを食べ、金魚すくいや射撃で遊び、俺たちは祭りを楽しんだ。そして、今は花火も。
実は、俺は花火を楽しみにしてなかった。毎年見ているのだ。それは飽きるだろう。腹の底まで響く音。多彩な色、光を使い夜空に咲く花。周りから聞こえる、花火を楽しむ声。いつものままだ。一つを除いては。
小野崎だ。花火を背景にした小野崎の姿はなんとも幻想的な光景だった。いつから俺はこんなに小野崎に―――
「あんたもこっち来なさいよ~!」
いや、今は考えなくていい。今は楽しもう、この瞬間を。
花火が終わり、俺たちは帰り道を歩いていた。
普通の会話をした。お互いをいじったりするような冗談、最近あった面白いこと、祭りでの出来事。
しかし、小野崎は突然いつもと違う雰囲気で話を切り出す。
「ねぇ、あんたは本当に覚えてない?」
「えっ?」
一体何のことだかわからなかった。さっきまで話していた内容とも関係なさそうだ。
「やっぱり覚えてないか。まあ、しょうがないね。ずっと前のことだし。」
「何を言って……」
「今日からちょうど一週間後の日って空いてる?」
「お、おう、空いてるけど……」
「あの丘へ来て。私たちが出会い、約束した、あの丘へ。」
そこでちょうど小野崎の家の前に着き、小野崎は家へと入った。
「丘……俺たちが出会い、約束した……」
何かが頭に引っかかった。何か大事なことを忘れているような……
「思い出した……!」
「…………」
「…………」
俺たちは例の丘で向き合っていた。小野崎が何も言わないので、俺が確認したいことを言う。
「俺と小野崎は十年前に会っていた、この場所で。そうだよな?」
「うん、そう。」
「だけど、出会ってまだ数ヶ月ぐらいの時にお前は引っ越さなきゃいけなくなった。それで、最後の別れるときに約束をした。」
「合ってる。」
「いつから……いつから気づいてた。俺が十年前に会ったやつだって……」
「転校初日に教室で見た時。」
「えっ?」
「あの日の朝にぶつかった時は気づかなかったの。転校の書類の確認とかで職員室行かなくちゃいけなくて急いでいたから。だけど、教室で見た時、すぐにわかった。十年前のあの子だって。でも、あんたは全く気づいていなそうで……それであの日の昼休みはちょっと嫌な態度取った。」
そうだったのか。小野崎はそんなに早く気づいていたのか。
「約束の言葉……覚えてるの?」
「ああ、覚えてる……いや、正確には思い出したか。」
「言葉の意味は?」
「調べた。」
「そっか……」
小野崎は深呼吸をして、真剣な口調で話す。
「でも、無理に言わないで。無理に約束を果たさないで。所詮、昔の約束。昔の大事なものよりも、今の大事なものに目を向けてほしい。だから……」
「ありがとな。だが、そこは気にしなくていい。」
「どういうこと?」
「そんなの簡単だ。昔の大事なものも今の大事なものも変わらないからだ。」
「っ!!」
小野崎は目から溢れ出る涙を抑えられなかったらしく、涙をふき取ってもふき取ってもどんどん溢れ出していた。
「私でいいの……?」
「小野崎、いや、千咲、お前がいいんだ。」
俺は千咲に近づき、千咲の手を握りながら約束の言葉を声に出した。
「ザクシャ イン ラブ」
ザクシャ イン ラブの意味が分からない方は、グーグル先生で調べていただければと思います(>_<)