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ブロウスたちが解体に使用した刃物の手入れの仕方を教わりながら解体場を掃除した後、俺とセラフィマはシェアハウスのダイニングへと戻ってきていた。ブロウスとベンノは解体場の隣にある水場で体を清めている。
「オズくんは本当に狩人に興味があるの?」
「特にないけど。まあ将来の職業選択の幅を広げるのも必要だよね」
「あらあら、随分と大人みたいなこと言うのね。小さな子が背伸びしたってかわいくないわよ?」
セラフィマはからかうような口調でそういうが、彼女は豊満な胸をテーブルの上に載せているので俺としてはいまいち会話に集中できていなかった。セラフィマの説く子供らしさを聞き流しながら、ブロウスたちを待つ。
10分経たないうちに戻ってきたブロウスたちの手には、彼らの武器が握られている。どうやら俺を待たせないために、ここで手入れをするらしい。ブロウスたちと触れ合えば触れ合うほど、ネルから聞いていた狩人の印象とは剥離していった。
ブロウスの武器は彼の身の丈ほどもある戦斧で、ベンノは弓のようだ。ベンノはともかく、ブロウスの武器はこれを振り回して戦えるのが不思議なくらい重く、大きい。試しに戦斧を持たせてもらおうとしたが、俺の力ではびくともしないくらい重かった。
「よくこんなので戦えるね」
「ああ、俺は朝の魔法が使えるからな」
朝の魔法、ドグレイドにおいて、聖犬を使う騎士たちが使用する魔法である。今の俺にはこのくらいの知識しかなかった。
「犬がいないのに使えるものなの?」
「朝の魔法ってのは自分の体の中にある魔力を使用する魔法の総称だ。身体強化がその代表だな。それくらいなら、修行すれば使えるようになるぞ」
「俺は使えないけどね」
「まあ向き不向きもあるわな」
「朝の魔法について聞きたい! おれも使えるかな?」
テーブルから身を乗り出してブロウスたちを見つめると、彼らはやれやれといった格好で魔法について語り始めた。
朝の魔法とは、自分、あるいは相棒である聖犬の魔力を使用して引き起こす奇跡らしい。人族の魔力量は生まれつき決まっていて、他種族と比較すると少ない。聖犬は鍛えれば人間の5倍から10倍の魔力量を持つことが可能で、騎士は自分と聖犬の魔力を使って身体強化や、自己治癒能力を高めたりするらしい。
また人族は魔力の放出が不得手で、聖犬の魔力をもってしても大きな炎を起こしたり、旋風を生み出すようなことはできない。しかし聖犬ならば大規模な魔法が使えるため、騎士の駆る聖犬は口から大きな火の玉を吐いたり、魔物を切り裂く風を起こしたりできるそうだ。
「まあ犬がいなきゃ人族には、昼の魔法程度の火しか出せないってことだ」
ブロウスの説明は意外とわかりやすかった。時折入るセラフィマの補足も要点をついていて、彼らが語る間俺は余計な質問を挟まずに済んだ。脳筋だと思い込んでいたブロウスの意外な才能を発見した気分である。
「それでそれで? どうやった朝の魔法が使えるようになるの?」
「そうだな……オズ、お前体の中に何か流れているのがわかるか?丁度腹の下あたりに溜まってる感じだ」
そういわれて自分の体に神経を集中してみるが。
「さっぱりだよ」
「まあそうだよな。言われてわかる奴はよっぽど才能のある奴だ」
「おれには才能がないのか……」
「そう気落ちすんなって。俺たちの腹の下あたりに魔力溜まりがある。そこから全身を循環してるんだが、意識してたらそのうちわかるようになるだろ」
「意識って、どうやって?」
「そうだなぁ……」
「魔法の修行って言ったら、やっぱあれでしょ」
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ブロウスたちの解体を見た日から、俺の新たな日課が追加された。瞑想だ。
セラフィマ曰く、自分の中を流れる力を感じるには瞑想が一番効果的らしい。彼女曰く、昼の魔法と呼ばれる小さな火を起こしたりする生活魔法も厳密に言えば朝の魔法に分類される。身体強化や自己治癒活性など、昼の魔法でも上級に当たるものがこの世界では朝の魔法と呼ばれているそうだ。
俺が昼を越えたら夜なのではないか、と尋ねると大人たちは皆微妙な顔をしていた。聞かれたくないことだったようだが子供特権を振りかざし尋ねると、夜の魔法は猫や魔女が使用する禁忌の魔法らしい。それ以上については誰しも、固く口を閉ざしていた。
修行の甲斐あって、一か月もすれば自分の中の魔力らしきものが感じられるようになった。
早速父親に昼の魔法の使い方を聞いてみたが、昼の魔法すら向き不向きがあり、俺の家でも使えるのは次男のザドクくらいらしい。ザドクは台所仕事を嫌ってキッチンには近づかないので、思い出してみると家族の誰かが昼の魔法を使っているのを今まで見たことがなかった。
ザドク自身も昼の魔法の使い方はよくわかっていなかった。本人曰く、感覚らしい。火が出たら便利だなと思ったら使えるようになったと、まったく参考にならないことを言っていた。
魔法の使い方をブロウスたちに聞いてみようと、東側商店街の裏手を歩く。表通りは人が多いし、ブロウスたちについて回っていた俺は、狩人たちに顔を覚えられていた。周りをうろちょろする子供が珍しいのか、絡まれることはないが声をかけられたりして時間を無駄に使ってしまうことも何度かあった。
裏通りは狩人や市民の住居ばかりで、この時間に出歩く人は少ない。そんなガランとした通りを歩いていると、視界の端で何か白いものが横切った。
――猫だ。
ワックハーゲンの町に野良犬は見たことはないけれど、野良猫はたまに見る程度にはいる。猫が横切ると人々は決まりの悪い顔をして、まるで猫など見なかったような素振りで建物の中へと入ってしまう。猫が迫害されているのなら石を投げたり追い払ったりするのではないかと思っていたが、猫にかかわること事態が禁忌になっているようだった。
後からセラフィマに聞いた話だが、猫は強力な夜の魔法を使える種が多いらしい。下手に機嫌を損ねて魔法を食らうより、知らん顔が一番の安全策のようだ。
いつもなら町の人と同じように見なかったふりをするが、今日の俺は一味違った。
何せ閑散とした住宅街、人の目などまったくないのだ。念のため何度も周囲を見回すが、人っ子一人いないようだ。小さくガッツポーズをして、まるで自分の家のように堂々と往来を歩く白猫の長いしっぽを、俺は小走りで追いかけた。
白猫は人間が無害であることを知っているのか、俺が後をつけても逃げることはしなかった。時折足音に反応して振り返るが、一定の距離があることを確認して自分の行きたい方へ行き、したいことをしていた。
久々の猫の観察に、俺は自分が思っていたよりも猫が好きである事を知った。猫がしなやかに飛び上がったり、物に体をこすりつけたり。前世では見慣れたはずのその行動すら、とてもかわいらしく見えた。こんな癒しの塊のような生き物を避けているこの世界の人たちは不幸だとすら感じる。猫が寝ころんで毛づくろいなどしようものなら、無意識に俺の顔はでれでれと緩んでしまっていた。
結局この日はブロウスたちと会うことはせず、白猫に巻かれた後も他に猫はいないかと捜し歩いてしまった。どっぷり日が暮れるまで町を歩き回ったため、リックJr.からは叱られてしまったが、兄のお説教など気にならないくらい、俺の心は弾んでいた。
□
白猫と出会ってから、俺は意図的に人気の少ない道を歩くようにしていた。
たまにブロウスの知り合いの狩人に出会って叱られたりしたことはあったが、取りあえずは平穏無事に過ごせている。ネルは狩人は荒くれものだと言っていたが、ブロウスはこの町の狩人の中でも古参で知り合いが多いらしく、俺によからぬことをしようとする人間には出会っていない。
まあブロウスは俺みたいな子供でも邪見にせず相手してくれるのだ、狩人の、特に彼よりも年若い層からは慕われてさえいるようだった。
猫はたまに見かける。白、三毛、きじ、錆柄。錆柄は他の猫と比較して警戒心が高いらしく、人の姿を見るとすぐにどこかに逃げてしまったが、他は俺などいないように気ままに振る舞っていた。
いつかあのさらさらとした毛皮に指を這わせることを夢見て、最近の俺のおやつは干した小魚が主である。
もちろん猫にばかりかまけている訳ではない。セラフィマから習う昼の魔法の習得も、なめくじが這うような遅さではあるが徐々に進んでいた。つい先日、ようやく指先から火花が出た。まだ一度しか成功していないが、いずれは薪に火を点けられるようになるだろう。
ちなみに昼の魔法に関して才能がない人間の進度は俺と変わらないくらいだそうだ。何か月も練習してできることが火種の作成では、火打石を使った方がよほど早い。魔法の習得を諦めた人間が多いのは納得できた。
現在俺は、小ぶりなナイフ――といっても5歳児には大きなものだが――を手に、ブロウスの取ってきた兎の解体を練習していた。ベンノによって内臓を抜き、水にさらされたそれは後は皮を剥ぐだけである。
「じゃあ、教えたとおりにやってみろ。失敗しても大丈夫だ、俺たちの夕食になるだけだしな」
解体室の机は高いので、布を引いた床の上で兎にナイフを突き立てる。
ベンノとセラフィマはそれぞれパーティを組んで町の外へと行っているので、この部屋には俺とブロウスの二人だけだ。シャアハウスもう一人いるらしい青年は、子供が嫌いらしくまだ顔をちらりと見ただけで名前すら聞けていない。今日も俺が来ているので部屋から出てこないのだろう。
俺はブロウスに習った通りに皮を剥ぐ。兎の足首にぐるりと切れ込みを入れて、ぐいと引っ張るとするりと服を脱ぐように皮が外れた。想像以上の簡単さにブロウスを見ると彼は笑顔で続きを促す。その後は剥ぎにくい部位をナイフでそぐようにして進め、顔まで来たところで耳の骨を切り落とし、完成だ。皮を剥がれた兎は、よく見る肉の姿をしていた。
「うまいな! 手先が器用だ」
「ほんと?」
「はじめてでここまでできれば大したもんだよ。あとはどれくらい時間を短縮できるかが肝だ。まあ、練習あるのみだな」
「うん!」
ブロウスに褒められて調子に乗った俺は次の獲物を解体すべく、手を伸ばした。




