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ある日の昼下がり、勉強を済ませてザドクから遊びに行っていい許可を得て、俺は町の東側へと来ていた。家族にばれないように、前回の訪問から10日は空けている。俺のアリバイ工作は完璧だった。
ブロウスの住んでいる家のドアをノックするが、反応はなかった。ブロウスもその日暮らし狩人だから忙しいのかもしれない。井出の隣にある狩人向け物件であるこの家は、俺たちの住む家とは作りが違うらしかったので見学したかったのだがアテが外れた。どうやって時間を潰そうかなと考えていると、ブロウスの家のドアが開いた。
「ブロウス!」
俺はドアを開けた人物に突進するように抱き着く。ふにゃりと、柔らかい感触がした。
――おかしい。
ブロウスは全身鉄でできたみたいながちがちの大男だったはずだ。それにブロウスからはこんなにいい香りはしない。もっと男臭い、野生的な感じの匂いだった。違和感を感じながら頭を上げると、俺の頭上で何かが視界をふさいでいた。抱きついている相手の顔は見えそうにない。
「ちょっと、ぼく、私はブロウスじゃないわよ?」
その声を聞いて素直に離れると、そこに立っていたのはブロウスではなく桜色の髪の、黒いワンピースを着た女性だった。胸がとても大きい。俺の視界を邪魔していたのは、彼女のおっぱいだったのだ。
俺はすっかり忘れていた。ここはブロウスの家ではなく、狩人のシェアハウスなのだ。シェアハウスというぐらいなのだから、ブロウス以外の人間がこの家をシェアしているのは当たり前だ。
「ご、ごめんなさい!」
「別に怒ってないけど、ここには足に固い鉄の防具をつけてる人だっているんだから、相手を確認せずに飛び込んじゃだめよ?」
「わかった!」
「それでぼく、お名前は?」
「オズワルド」
「オズくん、残念ながらブロウスは今外に出てるのよね。彼に何の用だったの?」
「いそがしくないなら、遊ぼうと思って……」
「そう……」
少女は大きな胸を潰しながら腕を組む。少し考え込んだ後、俺に視線を合わせてこういった。
「たぶんもうすぐ帰ってくるから、待ってる?」
□
何を隠そう、オズワルドとして接したことのある女性はネルくらいだ。母親はあまり記憶がないので除外する。父親の店で商品を卸に来るおばさんと会話したことくらいはあるが、それも簡単な世話話程度だ。
つまるところ俺は、目の前の胸の大きい女性と二人きりという空間に、少し緊張していた。
「あ、あの! お名前聞いていいですか!」
「私はセラフィマよ、よろしくね、オズくん」
早々に会話が終了してしまったのでセラフィマの出してくれたお茶をすすりながら、彼女を眺める。
セラフィマ見れば見るほどきれいな人だった。腰まである桜色の髪は後ろで一つに束ねてあり、体に沿って柔らかな曲線を描いている。大きな青い瞳に、すっと通った鼻筋。肌は雪のように白く、こんな人が町の外に出て魔獣を狩る狩人をしているなんて信じられないくらいだ。とがった耳には緋色の石のついたピアスついていて――とがった耳?
「耳がとんがってる?」
「そう、私実はエルフなの」
この世界にエルフが実在したとは。ファンタジーの王道とも呼べる種族、エルフ。妖精のような容姿に、強力な魔法を操るというのが定番だ。そのエルフに出会えたことに、俺は言葉も忘れて歓喜に打ち震えた。
「あら? 驚かないのね。もしかして私以外のエルフを見たことがあった?」
「……おどろかなきゃいけないことなの?」
「ああ、知らないのね」
セラフィマがふふと形のいい唇でほほ笑む。
「エルフって結構珍しいのよ。数も人属に比べたらずっと少ないし」
「人間よりもずっと長生きだから?」
「そうねぇ、確かに長生きだわ。だけど私たちエルフの数が少ないのは、猫に加担した種族だからよ。人属に滅ぼされてしまったの」
「猫に!」
「今では協定が結ばれて、エルフだからってすぐ殺されてしまうことはなくなったわ。だけど、特に聖犬崇拝の強いこの国では、エルフは珍しいでしょうね」
なんともない顔で穏やかにほほ笑むセラフィマに、俺はなんと返していいかわからなかった。
俺は猫は嫌いではない、むしろ好きだ。ドグレイドの猫には出会ったことはないが、仲良くなりたいと思っている。だけどこの世界の人間にとっては、猫は宿敵で、おそらく猫に加担したエルフも同じだ。きっとセラフィマたちエルフにとって、ドグレイドは生きづらい世界なのだろう。
「じゃあさ、セラフィマって20歳くらいに見えるけど、実はすっごいおばあちゃんなの?」
場の空気を変えるべく俺の発した言葉に、セラフィマは本日一番いい笑顔を見せてくれた。
□
セラフィマと穏やかな時間を過ごしていると、シェアハウスの奥の方からごとごとと物音が聞こえた。俺が不思議がって視線を向けていると、セラフィマが家の裏手に解体場があることを教えてくれる。どうやら誰かが帰ってきたようだ。ここでブロウスだと断定しない辺り、俺の成長がうかがえる。
「ブロウスたちね」
「ほんと?」
「多分ね」
「解体場、見たい!」
「子供が見るものじゃないと思うけど」
渋るセラフィマの手を引き、音のする方へと進む。ブロウスの住む家は玄関を開けてすぐがキッチンとリビング、廊下を中心に5部屋人名の書かれた私室らしき部屋があって、一番奥が解体場という作りらしい。
セラフィマが扉越しに中にいるブロウスたちへと声をかける。
「ブロウス、あなたにお客さんが来てるんだけど」
「客だ? 今解体してんだ、後にしてくれ」
「それがその解体を見たいらしいのよ」
「あぁ? いったいどこの物好きだ」
大きな扉が開き、俺くらいの大きさの鉈のような刃物を持ったブロウスが出てくる。作業を中断した苛立ちからかセラフィマをぎろりとにらんだブロウスは、彼女の後ろにいた俺を見つけると、左手に持っていた獲物の足らしきものを床へと落とす。
「オ、オズ!」
「ブロウス、物好きが来たぞ!」
「セラフィマと待ってたのか? 何もされなかっただろうな!?」
「……大丈夫だよ」
「何で視線を逸らす? 本当に何もしてないんだよな?」
「やだわぁブロウス、私ってそんなに信用ないの?」
「この前新入りが気に入らねぇって魔物寄せの術式刻んでただろ! 基本的にお前は信用ねぇよ!」
「子供相手にそんなことしないわよ。楽しくお話ししただけ、そうでしょう?」
「セラフィマお姉ちゃんはとても優しいよ」
こういった場合は女性につくのが正解だ。舌戦では女という生き物に男は勝てないようにできているのだ。
「ああもう兎も角、解体なんて子供は見る必要ねぇ。飯が食えなくなるぞ」
「そんな! せっかく遊びに来たのに、解体場見れないの?」
「駄目だ」
「そこをなんとか!」
「何とかもならねぇよ」
「おれ三男だし、家は継げないからもしかしたら将来、狩人になるかもしれないよ? 後学のためだって!」
「……お前、そんな言い回しどこで覚えてきた」
「おれはブロウスが思うほど子供じゃないってことだよ。それにさ、こういうのって小さいときに慣れてた方が耐性がつくって言うじゃん。ブロウスはおれに英才教育をすればいいんだよ」
ブロウスは額の汗をぬぐい、大きく息を吐く。そして俺を睨むように瞳を向けてきたので、俺もそれに答えて目は逸らさなかった。
「……わかった。見ていい。今日は獲物も大したもんじゃないし、解体もあらかた終わってはいるからな」
「やったー!」
ブロウスに続いて解体場に入ると、血の匂いがした。解体場の奥は井出とつながっているらしく、水が流れている。その井出にさらす形で、四足の獣がつるされていた。壁にはいくつかの解体用であろう刃物が下げてあり、どれもピカピカに磨かれていた。部屋の中央には大きな机があり、真新しい血で汚れている。金色の髪をした優男風のの青年が、その机の上でうさぎのような魔物の腹をさばいていた。
「こんにちは! オズワルドです!」
「ああ、噂のブロウスのお友達か。俺はベンノ、ブロウスとよく組んで狩りをしている」
「見学させてもらいに来ました。よろしくお願いします!」
「別に構わないよ。それにしてもオズワルド……怖くないの?」
俺は首を振る。死んでるんだから魔物は怖くない。解体作業だって、ちょっとは気持ち悪いけど怯えるほどのものでもなかった。魚を裁くのとあんまり変わらないな、という感想だ。
「今日は何が取れたの?」
「鹿と黒毛兎だよ」
「魔物?」
「黒毛兎は下位の魔法を使うから魔物だね。弱い割に肉がうまくて、ここら辺では当たりの獲物だよ」
「ふーん」
俺と会話を交わしながらもベンノは手際よく兎の内臓を抜き、それを鹿と同じように、吊るして水にさらした。
「なんで水につけるの?」
「血抜きと獲物を冷やすためだよ。うまい肉を作るにはこの作業を一番手早くしなきゃいけない」
「今日の作業はこれでおしまいだ。どうだオズ、狩人の仕事は」
「なんか、意外と地味。さばいたりとかはギルドに任せるのかと思ってた」
俺の正直な感想に、ブロウスはがははと笑う。
「ギルドに任せると結構な手間賃が取られるんだ。それに自分で解体すると好きな部位も選べて、肉屋と直接交渉もできる。ギルドを挟まない分、そっちの方が儲かるわけだ」
「それに狩り事態も派手なものじゃないわよ。魔物相手に大立ち回りなんて騎士くらいしかしないわ。大半の狩人は罠を仕掛けてから魔物を狙うの」
「まあオズみたいなガキが憧れるような華々しいもんじゃねぇかもしれないが、意外と悪くないぞ、狩人は」
ブロウスの言葉に、狩人たちは同意するように笑みを見せた。