第9話 過去編
これは、今から2年前の話である。
中学2年生の夏休みのこと。俺は、部活動に全く参加せず(一応は帰宅部のエースを自称した)夏休みの宿題をさっさと終わらせると家の中でゲームをしているだけの毎日を過ごしていた。それが、夏休み最初の1週間7月の話である。しかし、8月に入るとある転機が俺にはやってきたのであった。それが、偶然当たった国会ツアーのことであった。父さんが現職国会議員としてそして、民自党政策調査会長代理であったこともありどんな場所なのか興味があった。だから、俺はわざわざ8月の暑い季節にツアーのため東京の永田町まで行った。
国会ツアーには俺みたいな中学生はほとんどいなかった。いたのは俺以外に一番若いとしたら大学生ぐらいのお兄さんが2人、あとは50,60代の人であった。
まあ、最近の若者がいかに政治に興味がないということはニュースや公民の授業で聞いたり習ったりしたから知っていたが、実際に目の当たりにするといろいろと感じてしまうことがある。親が政治家であるだけにもう少し興味を持ってほしいと余計に感じてしまう。
◇◇
国会ツアーが始まり衆議院の本会議場や委員会室など多くを見て回った。今は8月で国会は休会中であり会議などは何もしていない状態なのでよほどのことがない場所以外は回った。途中、社会主義民主党(主民党)の前代表である郡山南波参議院議員との接触もあった。彼女は真黄色の服を着ていてとても目立った。
郡山南波。
彼女の年齢は60才であり参議院議員当選2回である。かつては民自党と二大政党として権勢を誇った旧社会主義党の後身である主民党の重役だ。
そんな彼女との話がこの国会ツアーの中では開かれた。
しかし、彼女との話をすることが実際にはなかったからだ。
その理由というのは、大学生の2人のお兄さんのある言葉によるものであった。
「この売国奴っ!」
話が始まる直前に大学生の1人がそんな言葉を言い放った。
「……どういう意味ですか?」
その言葉に対して郡山議員は反応する。しかし、そこは大人であり怒鳴ったたち怒ったりするのではなくその言葉の真意を探ることから始める。
一方の大学生はその言葉に対してさらに畳み掛けるように暴言を言い放つ。
「お前のせいで国益がなくなっているんだぞ」
大学生をはそう言った。
正直、中学生である俺にとっては何が国益で何が国益ではないのかということは正直わからない。
「あなたの名前は?」
郡山議員は大学生の名前を尋ねる。
「そんなことどうでもいいんだよっ! さっさと国のために議員辞職しろっ! 死ねっ!」
大学生は名前を名乗らなかった。そして、続けて暴言を言う。最後には死ねという最大限の暴言までも言ってしまっていた。大学生は興奮気味であった。完全におかしな精神状態にある。俺からはそう読み取ることができた。
「……どうやら正気ではないようですね。話ができればぜひしたかったのですが……わかりました。とりあえず、私は帰るとします」
郡山議員はそう言うと、俺達とは逆の方向へと歩いて行った。
大学生の男は、最後にこうわめいた。
「逃げるのかっ! この売国奴め、さっさと死ねよっ! お前のせいで日本はダメになるんだっ!」
大学生の男はその言葉を言い放つとすぐに国会の警備員に確保されてどこかへと連れて行かれた。同時に、一緒にいたもう1人の大学生も警備員によって連れて行かれた。
そのあと、国会ツアーは特に面白かったり衝撃の出来事というのはなく無事に終えた。最後にお土産を国会の購買で買うこともできたし、俺は満足のまま帰ろうと国会を出て行った。しかし、そんな中俺がずっと考えていたことがあった。先ほどの大学生の行動というものだ。
大学生は郡山議員を売国奴扱いしていた。
俺には、その根拠というものがよくわからない。何を持って売国奴であるのか。そもそも彼女が本当に日本の国益を損なうような行動をとったのか。俺は、父さんが政治家であったがゆえに民自党のことにしか興味を持っていなくて、今ではもうすでに弱小政党でありあってないようなものである主民党のことなどまったく気にしたことがなかった。だから、家に帰ったらそのあたりのことを調べてみたいと思った。
国会の帰り道俺は、地下鉄国会議事堂駅まで向かう途中にデモというか街頭演説を行っている集団を見た。その人達のことはすぐに分かった。いわゆる右翼と言われている集団であった。
右翼。
この言葉の由来はフランス革命時にまでさかのぼる。フランス革命後に行われた国民会議において王政支持派つまりは保守的な人が議長席から右に座っていたからついた名前だ。ちなみに、左翼は反対に議長席から左側に革命的、革新的な思想を持つ人が座っていたことからついた名前だ。
右翼の人たちは、今の国会には売国奴がいる。東亜の国とは手を絶つべきだと主張していた。そのような主張はネットでもよく見たことがあった。だからこそ、その時の俺はばかばかしいとしか思わなかった。
だが、実際に家に帰ってみた後、急に気になり始めた。主民党のこと。右翼のこと。売国奴のこと。すべては一方的な主張であると俺は思っている。しかし、彼らには彼らの信念というものが存在しているはずだ。何が彼らをその主張へと駆り立てているのか。俺は、それを知らないで批判をすることはできないのではないのか。
少しでも知りたいと思った俺は、その日夜遅くまでネットをいじり続けた。
まずは、主民党。
戦後、社会主義党として戦前の無産系政党を吸収して結党された政党である。その後、1940年代後半に両山委員長が内閣総理大臣に就任して両山内閣を成立。短命内閣のあと、続いた手田内閣でも最大与党として引き続き閣僚を輩出。その後、党は内部対立で2つに分かれるも、1955年に統合。同じ年に成立した民自党と並ぶ二大政党として約40年の野党第一党としての繁栄をしたが、1990年代の政界再編のあらしの中で勢力をかなり弱めて現在の党名への変更へと至る。主張的には東亜寄りをしている。松山談話とかが、保守系右翼系の人からの反発を受けているみたいだ。
まあ、俺としても首相談話についての文句はないとは言わない。第一、いつまで俺達は謝罪を続けないといけないのであろうか。過去に過ちをしたことは知っている。戦争は侵略戦争だ。が、同時に自衛戦争でもある。その両方の解釈ができる以上俺は、そこには文句はない。第一戦争は悪いことだ。だから、その過去を反省することは大事であると言える。しかし、それをいつまでも言い続けることには納得がいかない。過去の人が起こしたことを戦争とは全く無関係である俺達若い世代が十字架として背負う。おかしな話ではないのか。
過去のことがそこまで引き続くのであれば第一次世界大戦はどうであったのか。トルコは? オーストリアは? 第一次の敗戦国は今でも責められ続けているのだろうか。日本はいつまで謝ればいいのか。
俺の考えはやっぱり保守的だな。
今のことで改めて思った。
右翼のことを調べて確信を持った。
俺の主張は特定右翼団体の一部の考えと似ている。
売国奴のことは、もういいや。
俺は、日本という国が好きだという気持ちだけで十分だと思ったが、それではまずいみたいだ。だから、俺は、ネットに自分が運営する保守系のサイトを作った。そのサイトの中の掲示板から知り合った人とちょっとした団体を作ったりした。これが、俺の右翼的活動。俺の過去の過ちである。