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(5)

 雄太の苛立ちの声を聞いた彩花はイラッとして、平手打ちの一つでも食らわしてやりたかったが、今は我慢することにした。それは、後からいくらでも出来ると思ったからである。

 が、そんな彩花の反応とは別に雄太の母親がその声にビビってしまったようで、


「ご、ごめんね、雄太。ちょっと紹介する人としばらく家を空けなきゃいけない用事があって……」


 挙動不審になりながら、これから話す内容の前置きを話した。

 しかし、寝起きの雄太の不機嫌さは一向に納まりを見せないようで、


「今、話さないといけないことなのかよ。くだらないことでいちいち起こしてんじゃねーよッ!」


 起こされたことに怒りを感じているらしく、雄太の母親の話を聞く様子一つ見せようとはしなかった。

 いつもだったらここで個人的な判断をするはずの雄太の母親は、彩花に助けを求めるような目で見てきた。

 彩花はしょうがないと言わんばかりに近付き、


「雄太くんにお客さんが来てることと、これから出かけることを簡単に言って、もう部屋を出ましょう」


 小声で指示を出した。

 その指示に雄太の母親はあまり満足していない様子だったが、現状の様子を見る限りではそれが正しいと思ったのか、「はい」と彩花同様に小声でそう答える。


「雄太にお客さんが来てることと、お母さんはちょっとおでかけすることだけ言っておくね。それじゃあ行ってきます」


 当分は会えないことが分かっているからこそ、雄太の母親は雄太から「行ってらっしゃい」の言葉を聞きたかったらしく、寂しそうな表情を浮かべていた。

 しかし、雄太はそんな大事なことよりも眠気が強いのか、すでに意識は眠気に大半意識を奪われているらしく、小さな寝息を立て始めていた。


 ――こいつは……ッ!


 過去に何回かこの光景は見てきたことがある彩花だったが、そのたびにこうやってイラつきを隠すことは出来なかった。なぜなら、この後の雄太の反応と結果は目に見えているからである。


「行きましょう。これ以上はダメですから」


 寂しさから泣きそうになりつつある雄太の母親の背中を軽く擦りながら、彩花は部屋の外へと誘導。

 それに従い、雄太の母親も部屋の外へ出る。

 部屋に出るなり、雄太の母親はさっきの反応が寂しかったのか、その場に蹲って泣き始めてしまう。


「しょうがないですよ、挨拶をするタイミングが悪かったんです。すみません、変なタイミングで挨拶させようとしてしまって……」


 だからこそ、彩花はそのことを謝った。

 それがなければ、こんな風に雄太の母親が泣くことはないと思ったからだ。


「い、いえ……私の育て方が悪かったんです……。だ、だから……気に……しないでください……」


 そうやってフォローする雄太の母親。

 しかし、それを本心でそう思っているから、彩花はちょっとだけ困ってしまう。

 育て方を間違うというのは、理想と現実のギャップを感じてしまっているからこそ感じてしまうものなのである。彩花にとって、雄太の母親が思っていた理想が分からない以上、どんな言葉をかけても心に届くことはない。そんな自分が出来ることは限られている。それは――。


「そのための私です。今の状態より少しだけ良くなるように努力しますので、お母さんも頑張ってください」


 これから期待出来る未来を少しでも想像させ、励ますことだけだった。


「はい……はい……お願いします……」


 その言葉と結果にすがるように雄太の母親は口元を押さえて泣いた。


「すみません、また雄太くんに怒られるのはあれなので……下に行きましょうか」


 ドアは閉めているものの、これ以上泣かれると「うるさいッ!」と怒号がまた飛んで来そうなので、彩花は無理矢理立たせる。

 ハッとしたように雄太の母親は顔を上げると彩花に支えられる形で立ち上がり、一階へ降りる。

 彩花は居間へ連れて行こうとするも、途中で彩花の手から離れて、雄太の母親は一人で台所に移動。そして、今度は一人で泣き始める。声を押し殺して……。


 ――どうしたものかなー、これは……。


 台所に行った時点で見なくても、雄太の母親が泣くことは簡単に予想が付いた。ここまでメンタルが崩れると思っていなかったため、彩花は自分の流した髪の先を撫でながら、ため息を一つ溢した。


「いつも通りの展開ではあるけど、やっぱり私にはこの場面は辛いや……」


 小さくそんなことを呟き、彩花は一度玄関に向かうことにした。

 それは出発準備するまでに時間がかかりそうだと判断したからである。

 一応、タクシーは国の支給金でなんとかるようになってあるが、それでも運転手には運転手の都合があるからだ。

 彩花が外に出て、タクシーの運転手の窓に近付くと、自然とウインドウが下ろされる。


「ごめんね、いつも通り時間がかかっちゃう」


 申し訳なさそうに言うと、


「いんや、構わんよ。それが仕事だからさ」


 そう言って、このタイミングを逃さないとばかりに運転手は煙草を取り出し、火をつけた。


「側にいてあげなくていいのかい?」


 そして、運転手は彩花に問いかける。


「居ない方がいいでしょ。一人でこっそり泣きたい時もあるだろうしね……」


 その問いかけに彩花は迷うことなく、あっさりと答えた。そうすることが経験上正しいかのように。


「時折思うんだが、見た目にしちゃ相当歳を食ってるような気がするのは気のせいか?」

「女の子に失礼だよ、それは」

「おっと、すまない。お詫び出来るものはないが許してくれ」

「いいよいいよ。いつもお世話になってるしね」


 そう言って、彩花はその発言をあっさりと流し、


「とにかく、もうちょっとだけ待ってて。準備出来たら、また来るね」


 それだけ言い残し、彩花は三度みたび家の中に入っていく。

 今度は雄太の母親の様子を見るために。


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