(9)
自室の部屋の扉を開けるなり、彩花はその部屋に置いてあった座布団を二つに折り曲げ、倒れるように仰向けに寝転がる。そして、目を隠すように手で隠す。
「あー。久しぶりに思い出しちゃったなー……」
なるべくは思い出さないようにしていたことを思い出してしまったため、そのことが頭の中を駆け巡り、雄太に対して、あんな発言をしてしまったことを反省するような余裕さえない状態になってしまっていた。
「本当に情けない……」
――そんなこと思ってもないくせに……。
口から出る発言に自分の心が反発してしまう。
「駄目だ、雄太くんの前だからしっかりしないといけないのに――」
――心が反抗しちゃう……。
そこばかりは同意するように、心の声で続きのことを言った。
彩花の心は雄太のために発言しようとする言葉に、心反抗し、指導員としていられるような状態ではなくなってしまっていた。
そして、彩花の脳裏にある映像が再生し始める。
――や、やめて! それだけは駄目だってッ!
声には出せないため、心でそれを必死にその映像を止めようと訴えるも、それは止まることなく動き出す。
順調だった幸せな日々から一気に絶望へと変わる瞬間。自分なら平気だから身代わりにならなくて良かったのに、その人は身代わりになって命を落とす。そして、月並みな台詞として言われる最期の言葉――『愛してるよ』。
――ああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!
声に出せない分、心の中で絶叫を上げる。
絶叫を上げたところで、あの時感じてしまった気持ちや血の温かさを忘れることは出来なかった。それでは足りないほど後悔が蘇り、なるべく思い出さないようにしていた気持ちが続いてしまうから。
――ダメダメダメッ!
発狂してしまいそうな状態の中でも、限りなくギリギリに残った理性で彩花はヨロヨロと身体を起こす。
「ッ!!」
あの映像のせいで彩花は頭に痛みが走ってしまったものの、それでも自分がこういう時どんな行動を取ればいいのか分かっているため、その行動を取ることしか出来なかった。それが自分の中で助かる方法だから。
充電していたスマホを充電器から乱暴から抜き取ると、そのまま窓際へとズリズリと這うようにして移動。そして、朝明けたばかりカーテンを閉めて、スマホを操作し、室長へと電話をかける。「プルル……」というコール音が今は「ウザい」としか思えなかったが、そんなことを考えている間に、
『もしもし』
と、相変わらずの不愛想な声が彩花の耳に入った。
「相変わらずの不愛想な声ですねー」
本当はすぐにでも弱音を吐きたかったが、空元気を出し、その声質に対して不満を漏らす。
『ほっとけ。それで何かあったのか? 弱々しい声になってるみたいだが』
が、室長は彩花の様子から何か感じるものがあったらしく、そう尋ねた。
瞬間、室長のその言葉に驚きからピクッと反応し、自分のおかしさに気付いてもらえたことに対し、喜びから心がドクンと跳ね上がる。
――この人には敵わないなー……。
自分では決して弱音の声を吐いたつもりはないけれど、それをあっさりと見抜いてしまった室長にそう思わされてしまう。
「何、バカなこと言ってるんですか? 私に何かあるわけないじゃないですか」
しかし、そう簡単に弱音を吐きたくなかった彩花はそう言って、自分の心を誤魔化す。
――心を隠されることが一番嫌だってこと分かってるはずなのに、それを自分自身が隠しちゃうなんて皮肉だよね……。
そして、心はその矛盾に突っ込んだ。
『……そうか。じゃあ、雄太くんで変わったことは? 成長したことでもいい』
室長は彩花の変化ではなく、雄太の変化を尋ねた。それは、彩花が自分のことを言わないことを分かっていたからである。
「じゅ、順調と言えば順調かも知れませんね。引きこもりをし始めた頃あたりからの勉強をしてくれるようになりました。もちろん、私だけじゃなくて、スミレちゃんの力があってのおかげですけど……」
『ほう。かなり進んだな。とりあえず頑張っているようでなによりだ』
「はい、ありがとうございます」
そこで二人は無言になる。
お互いがタイミングを計っているらしく、電話越しからは室長が何かを書いているような微かな造作音がきこえるだけとなった。
――どうしよ……。
本当だったら、自分が悩んでいることを言いたかった。しかし、この話は直接も話した。こんな風に何度も駄目になった時に電話でも聞いてもらっていたため、またこの話をすることに対し、迷惑だなという気持ちが溢れ始める。それは、それだけ心に余裕が生まれている証拠ではあったが、それでもこうやって電話した以上、何かを話さないといけないような気がしてしまっていた。
『ヤバそうだったら、別に辞めてもいいからな』
そんな風に彩花が考えていると、不意に室長からその言葉がかけられる。
「え!? な、何をいきなり言ってるんですか!?」
不意打ちで駆けられた言葉に彩花は驚きを隠せずに、動揺してしまう。それは見透かされていたという意味で。
『ここで無理して、お前が壊れる方が大変だろ。彩花が続けられるというのなら、それでいいんだがな』
「大丈夫に決まってるじゃないですか。私を誰だと思ってるんですか?」
『本名・速水彩花。そこでの偽名・柊彩花だろ』
「……」
そう答えられると思っておらず、彩花は呆れた様子で前髪を手で掻きあげる一連の動作の流れで後ろ髪をガシガシと掻く。
「誰がそんなことを言えって言いました?」
ちょっとだけムスッとした様子で問うと、
『さあな? 誰か言えって言ったか? オレはオレの判断で言ったに過ぎないんだけどな』
あっさりとした口調で反省の色もなく、そう答える室長。
――この人は……こんな状況で……。
真面目なのか、それとも不真面目なのか分からない発言に彩花は小さくため息を一つ溢した後、クスクスと失笑してしまう。自分自身、何が面白いのか、それは分かっていなかったが、思わず笑いが零れてしまったのだ。




