(3)
彩花がその設定が終わり、頭の中でスミレの帰り道を追跡がちゃんと出来ていることを確認していると、階段の方からトントンと下りてくる音が聞こえてくる。そして、スミレがちゃんと帰ったことを確認するかのように、雄太が階段の方から顔だけを出し、
「ちゃんと帰った?」
心配そうに彩花へと尋ねる。
「ちゃんと帰ったよ。気になるなら、見送るぐらいはしなさい」
両腰に手を当て、呆れたように見ながら注意すると、
「しょうがないだろ。あんな感じでスミレと顔合わせてたら、『送れ』『送らない』の言い合いになりそうな気がしたんだからさ」
あの時の状況からどんな感じになったのか想像したらしく、そのために回避したと言わんばかりの不満を声の雰囲気で現した。
――雄太くんは雄太くんで考えてるわけね……。
雄太の言う通りの状況になるのであれば、それはそれで彩花が事前に止めに入るのだが、雄太は雄太でそんな風に考えていると知ったスミレは、
「ふーん、少しはスミレちゃんがいるありがたさが分かったのかなー?」
ちょっとだけ意地悪っぽく雄太に問いかけると、
「……う、うるさいなー! ゲーム友達を一人でも減らしたくないだけだっての!」
雄太は一瞬喉に詰まったように黙った後、焦ったように彩花へと言い返す。
ゲーム友達としてでも雄太がスミレのことを必要にしていることだけは成長しているため、
――うん。良い感じだね!
彩花はその成長が嬉しいとしか思えなかった。同時にもう少し何かきっかけがあれば、雄太を学校に通わせることが出来るのに、その糸口がなかなか見つけることが出来ず、じれったく感じてしまうのだった。
しかし、そんなことを考えていても仕方ないので、彩花は先ほどから気になっていることを雄太へ尋ねることにした。
「スミレちゃんをゲーム友達として大切にしようってのは分かったよ。それに関しては私も大事だと思うからいいんだけどね」
「歯切れ悪くない?」
「そう? いや、というより気になってることがあるの」
「うん、何?」
「いつまで階段から顔だけ出してるの? 普通に全部身体を出したらいいと思うんだけど……」
「……いいんだよッ! 訳ありなんだよッ!」
聞かれたくない質問を聞かれた時の反応をした雄太。その声は見事なほどに緊張に満ちていた。
「訳ありねー……」
その訳ありがさっぱり分からない彩花はそう繰り返すことが精一杯だった。が、同時にからかうような状況ではないと本能が告げていたため、彩花の口調は幾分か真面目なものになっていた。
「なんだよ、いけないのかよ」
それに反応するようにケンカを売ってくる雄太。
「ううん、いいよ。その訳ありを教えてくれるなら。あ、言っておくけど笑わないから大丈夫。もしかしたら驚くかもだけど」
「そこまで正直だと助かるけど、驚かないでほしい。いや、まぁ……いいんだけどさ……」
「どっちよ」
「笑わないでくれたらいいよ!」
「分かった分かった。我慢するよ」
「……我慢するのかよ!」
「雄太くんがそういう風なことをするのは分かった。でもね――」
「あ、やっぱりいい。何か言い負かさせられそうな気がしたから」
雄太は彩花に口で勝てないことをすでに実証済みのため、そう言ってこれ以上の論争から逃げた。同時に階段から身体全部を現す。そして、手に持っていたスミレほどは使われていない数学の教科書とノートを彩花へ突き付ける形で見せつける。
「……え?」
この状況が全く飲み込めず、彩花は驚きの声を漏らす以外の反応が取ることが出来なかった。
それは過去に立ち合ったことのない状況だったからだ。
今まではこんな風に教科書を持って来られた時などは、それなりの言動があり、それに従い、それなりの対応をしてきた。スミレから感化されたことは間違いない事実だとしても、そんな様子を一切見せずにこうやって持って来られたため、彩花でさえ反応に困ってしまったのだ。
「なんだよ、文句あるのかよ!?」
雄太もまた自分がこうやって今さらながらに彩花に教科書を見せるようにした行動に恥ずかしさを覚えたのか、顔を真っ赤にしてぶっきらぼうに言い放つ。
それを見て、ハッとした瞬時の次の対応をしないといけないと考えた彩花は、
「ううん。それを私に見せることに関しては何の問題もないよ。問題なのは、雄太くんのやる気の問題。いいの、それで?」
そこから進んでしまったら、もう後にはなかなか引き下がることは出来ないかのように伝えると、
「……進まないと駄目なんじゃないの?」
と、真面目な表情で雄太に返されてしまう。
「駄目じゃないよ。その場に停滞することだって大事なの。その期間が長かったり、短かったりはするかもだけど、雄太くんが進みたいと思うなら……今は進むべき時なんじゃないかな? とは思うけどさ。その代わり、戻ることはさせないよ? そのために私がいるんだから」
そして、改めてそれが自分の役目であることを伝えると、
「いいよ。いつまでもこの状況に甘えてるわけにはいかないし」
雄太はそれなりの覚悟を持って、教科書とノートを持って来ていたらしく、目にも声にも何の迷いもなく、そう言い切った。
「そっか。じゃあ、私も一生懸命教えてあげるから、一緒に頑張ろっか!」
彩花はその意思をしっかりと受け取り、同時に一人にはさせないことを言葉に出して、雄太に微笑んだ。それは作ったものではなく、嬉しくて自然に出た微笑みだった。
――時間はかかりそうだけど、ちゃんと一歩進んでて良かった。
それだけ彩花にも雄太の気持ちを一歩でも進ませた実感がなく、ホッとしたからだった。
それに応えるように、雄太もまた「うん」と静かに頷き、二人して居間へ移動した。
これから勉強を始めるために……。




