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僕が君を求めても  作者: 麻柚
番外編
42/44

田嶋樹の考察・藤村陸編 中編

 新年度、僕は藤村陸と同じクラスとなった。それも、隣同士だった。彼はあからさまに僕を敵視していたが、僕は気にしていない風を装った。


「よろしくね、藤村くん。君とは友達になれそうだよ」


 今後はもう少し、彼ら兄妹との付き合い方を変えていこう。ずっと彼らのそばにいることが出来るように。彼らの視界に僕が映るように。

 だが、何気なく振った藤村美香の話題に彼が狼狽しているように見えた時、僕はまたある種の快感を覚えてしまっていた。


 *


「……美香に近付くなって言ってるだろ」


 藤村美香と僕が偶然出くわした時、彼はそう言った。彼の目は、彼を見つめる僕の瞳にそっくりだった。つまり、嫉妬に駆られた目だ。

 この瞬間に、僕は半ば確信した。彼は彼女が好きなのだ、と。彼女に他の男が近付くことが許せないのだ。

 彼の気持ち。利用すれば、きっと彼を支配出来る。


「ちょっと余裕ないんじゃない?」


 わざと彼を煽った。彼は僕に掴みかかるほど必死になっていた。


 その夜、帰宅した僕は考えた。

 藤村美香を他の男に盗られるのは許せない。彼女はずっと穢れなき存在でいてほしいからだ。だが相手がもし、藤村陸なら?

 彼なら僕も納得出来る。嫉妬心が湧くのは、それは僕が彼を認めている証拠だ。彼は彼女の隣にいるのに足る男だと認めているからこそ悔しくて嫉妬する。

 少しばかり掻き乱して応援してあげよう。そうすれば彼女を愚かな男に盗られずに済む。同時に、彼の近くにいる口実にもなる。

 僕はまだまだ、あの兄妹と繋がっていたいんだ。周囲から羨望を集める彼らの隣にいたいんだ。

 かつて陰キャラ呼ばわりされていた僕が、今や一際強い光たちの傍らにいる。そう思うと、僕の自尊心は満たされていた。


 *


 また別の日、何となく藤村陸を連れていった図書室で藤村美香を見かけた。そこでは見るからに暗そうな……そう、かつての僕のような男子たちが代わる代わる彼女に声を掛けていた。その下心は隠しきれていない。

 ああいうタイプの奴らは大体、藤村美香を好きになる。誰にでも声掛けをする彼女の態度を勘違いして、いつの間にか惹かれていくのだ。それが勘違いだと分かった頃にはもう遅く、彼らは彼女の虜になっている。どうせ告白する勇気なんてないくせに彼女に近付く他の男のことは呪って、本当に醜い奴らなのだ。

 藤村美香は魔性の女。あるいはそういう言い方も可能だろうか。だが彼女本人にその自覚は全くない。だからこそ、一部の女子の反感を買ってしまう。


「あらあら」


 そう言って僕は、藤村陸の顔を盗み見た。彼は唇を噛みしめ男を睨んでいた。

 何と分かりやすいことだろう。彼は本当に彼女が好きなのだ。妹以上の存在として、愛しているのだ。

 しかし改めておかしな光景だ。藤村陸とは正反対の地味で取るに足らぬ男たちに、藤村陸が嫉妬を覚えている目の前の現実は。


「……お前、美香がここにいること分かってて俺を連れてきたのか」


 そんな現実から目を背けようと、彼は僕を見た。だが流石の僕もそこまで彼女の行動を把握しているわけではないし、それほどの策士でもない。


「こんなところだからこそ積極的になれる人間もいるのかな」

「どういう意味だよ」

「そのままの意味さ。……僕もそっち側の人間だったからね。何となく分かるんだよ」


 あのような男子は、教室では周りの目に怖気づき一欠片の勇気も振り絞れない。だが図書室という、周囲に彼らを冷やかすような存在がいない場所では、途端に積極的になるのだ。昨年度一学期までの僕も、どちらかといえばそのような人間だった。


「……先戻る」


 しばらくすると、彼は僕を置いて教室へ戻ってしまった。

 耐えられなかったのだろうか。彼女が他の男と接する様子を見るのは。


「藤村さん」

「あ、田嶋くん」


 彼女に話しかけると、彼女は僕にも変わらず微笑んだ。


「もしかして、図書委員なの?」

「うん。田嶋くんはどうしたの?」


 僕が彼女を傷付けてから二ヶ月ほどしか経っていないのに、それでも彼女は僕に笑いかけた。守りたいのに傷付けたくもなるような、彼女のふわりとした笑顔。

 彼はいつもこんなものを見せられているのか。気持ちを押し殺したまま、この彼女の笑みを。

 僕は少し、藤村陸に同情した。


 その放課後、僕は藤村陸を引き連れて屋上の扉前まで行った。昼休みの終わりに、彼には良いことを教えてあげると言っておいた。


「……何なんだよ。俺別に良いことなんて聞きたくねぇし」

「そうかな? 君にとっては凄く良いことで……重要なことだと思うけど」


 彼には僅かだが同情したから。だから特別に、彼の心を癒せることを教えてあげようと思った。


「……血の繋がらない兄妹って、君が思ってるほど難しくはないよ」

「は……」

「恋愛も……結婚だって、法律で許されてる。禁断の関係なんかじゃない」


 つまり彼が彼女を自分のものにしても、それは合法で、許されないものではない。その気になれば、彼女を手に入れられる。そう教えてあげた。

 むしろ彼には彼女を手にしてほしかった。他の誰にも奪われないために。


「……な、何言ってんだよ、お前……」


 彼は僕の言葉に震えていた。そんな彼に、僕も人知れず震えていた。……興奮していたのだ。


「……君さ、藤村さんのこと好きなんでしょ。妹じゃなく、女の子として」


 彼の顔に、これ以上にないと思うほどの絶望の色が映った。真っ青になって僕を見ていた。

 良い。たまらない。

 藤村陸ほどの人間の感情を、僕がぐちゃぐちゃに掻き乱している。決して手の届かない場所にいたはずの彼が、僕によって左右されている。これが興奮せずにいられるだろうか。

 今僕が、藤村陸を支配しているのだ。


「……そ、そんなわけねぇだろ。ふざけんな……!」


 彼はあくまで否定した。まるで余裕のない否定だった。


「……君、分かりやすすぎだよ。あんなあからさまな嫉妬見せつけられて、気付かない人間がいると思ってる?」


 彼は俯いて僕の声を受け止めていた。

 もっと見たい。彼の困った顔も怒った顔も、苦しい顔でさえ。歪な表情の何もかも全て、僕に与えてくれ。


「はっきり言っちゃいなよ。女として好きだって。愛してるって」


 それを聞いた彼は、僕を壁に押しつけた。


「ふざけたこと言ってんじゃねぇ!」

「……ふざけたこと? 心外だな。僕は君の力になろうとしてるだけじゃないか」


 そうだ。もっと怒ればいい。僕を憎めばいい。醜い顔を見せてくれよ。

 こんなことを考えているなんて、僕は狂っているのかもしれない。でも彼の想いの手助けをしたいというのもまた、事実ではあった。


「さっきも言ったけど、血の繋がらない兄妹の恋愛は許されてる。怖気づく必要がどこにあるの?」


 彼がその気になってくれないと、僕がおかしくなる。こうしている間にも、彼女は見ず知らずの男に言い寄られているかもしれないのだ。穢れた男に彼女が捕まってしまうことだけは防ぎたい。


「……許されてるとか許されてねぇとか、そんなの関係ねぇんだよ」

「じゃあ何で」

「言えるわけねぇだろ!?」


 何故だ。言ってしまえば良いじゃないか。言ってくれよ。言って、彼女をその手で守ってくれよ。

 彼は、彼女が自分を見ていないと分かるから気持ちを伝えないのだと言った。僕にはそれが許せなかった。

 藤村陸には、藤村美香を守る義務がある。

 僕に気持ちを弄ばれたままで、君は悔しくないのか?


「言っとくけどさ!」


 今度は僕が、彼を壁に追い込んだ。


「藤村美香はあんたが思ってる以上の存在だからね」


 君がウジウジと燻っている間に、彼女が盗られないとも限らないんだ。君にはその自覚が、圧倒的に足りないんだよ。

 僕は彼に、彼女がいかなる存在かを語った。彼は焦ったようだった。

 嗚呼、そんな顔も良い。


「僕は、君に後悔してほしくないんだ」


 藤村陸、僕は君が好きだよ。僕に翻弄されている君が、好きで好きで仕方ない。僕をこれほどの快楽に突き落とせるのは、藤村兄妹以外にいない。

 好きだから、後悔してほしくない。

 こんなことを思うのは、もしかしたら僕らしくないのかもしれないね。


「なぁんちゃって」


 僕はいつもの僕であるために、本心を誤魔化した。彼は拍子抜けしたようだった。


「……美香にも余計なこと言ったら、絶対にお前を許さない」


 彼は本当に、彼女に何も伝えないつもりなのだ。だが彼がいつまで隠し通せるのか定かではない。彼は決して我慢強い人間ではないからだ。そして、あまりにも分かりやすいからだ。

 彼は恐らく、自分の心の動きがどれだけ他人に筒抜けか知らないだろう。教えてあげよう、僕は親切だから。


「……帰るぞ」


 そう言って立ち去ろうとする彼を、引き止めた。


「藤村くんさ、藤村さんのことそういう目で見るようになったのつい最近なんだよね?」


 彼は眉間に皺を寄せた。それがたぶん、図星だったからだ。

 君は僕の手の上で転がされているんだよ。それを、君は知らない。


「それってさ、藤村さんを妹以上に思ってるのかって聞いた僕の言葉がきっかけだったりして」


 あの時僕は何も考えず、ただ一瞬だけ彼を動揺させられればいいと思っていた。それがまさか本当に、彼をこんなところにまで導いてしまうなんて。予想外だったけど、そのおかげで僕は彼の様々な表情、姿を見ることが出来た。

 彼は気持ちの悪いものでも見るような目で僕を睨み、逃げるように階段を駆け下りていった。


「……ははっ」


 残された僕は、込み上げてくる笑いを抑えきれなかった。顔を手で覆い、その中で笑う。

 当初藤村陸にとって僕は大したことのない、存在すら知らない男だった。だが現在ではその存在に戸惑い恐怖し、意のままに操られている。これが笑わずにいられるだろうか。

 もっと沢山の感情を見たい。そう思ってしまう僕は、やはり彼が好きなのだろう。


 *


「お前に何が分かるんだよ」


 藤村陸の誕生日の翌日、藤村美香との進展を問うとそう返された。


「分かるよ。君たちのことは、とてもよく知ってるから」


 彼が僕を知るより何倍も早く、僕は彼を意識していたのだ。そしてずっと見てきたのだ。時に嫉妬し、時に愉快に思いながら。

 そして、彼は僕を空き教室に押し込んだ。何が目的で彼に干渉するのか教えろと言ってきた。


「……好きだから」


 そう言った途端、彼は阿呆みたいな顔をした。


「ふざけるな。本当のことを言えって言ってんだよ」

「あはは、ごめんね。でも本当のことを言ったら、君が怒るんじゃないかと思って」


 それが、強ち間違いでもないんだよ。君を好きというのは半分は冗談だが、もう半分は本気だ。君を好きだからこそ、藤村美香を託すのだ。

 それからもう一つの僕の本音。それは。


「……僕は、藤村さんを誰にも盗られたくないんだ」


 何故この時僕はこんなにも素直に本心を吐露したのだろう。後から考えれば不思議だ。ただ何となく、言ってしまったのだった。

 僕の、藤村美香に対する思いを洗いざらい吐き出した。彼は愕然としていた。


「そこまで思ってるなら、何で自分の手元に置いておこうと思わねぇんだよ」


 彼は、驚いていたのだ。僕の思いがあまりに熱いことに。


「何で? ……今まで散々、思い知らされたからだよ」


 出来ることなら僕のものにしたかった。でも彼女が僕を見てくれることはない。彼女の心には指一本も触れられない。彼女の中には入り込めない。


「釣り合わないんだよ、僕なんかじゃ」


 彼は少しばかり憐れんで僕を見た。最も憐れなのは彼だろうに、彼は心優しかった。彼の妹には及ばないまでも。


「……美香はあまりに綺麗すぎる。俺はたぶん、美香を穢すことしか出来ない」


 そうだろう。誰だってそうだ。穢さずに彼女をものに出来る男なんていない。大なり小なり、彼女は穢れてしまう。だが一番彼女の穢れが小さくて済むのは、彼の隣にいる場合だと思うのだ。

 儚げな彼をそっと支えるように、僕は彼に触れた。


「そんなことないさ」


 彼の喜び、怒り、苦しみ、憎しみ。何もかも知りたいと思っていた。知ることに興奮していた。だがこの時見た彼の悲しみにだけは、何故だが興奮しなかった。

 見たくなかった。そう思った。


 *


 僕は藤村兄妹を崩壊させてやろうと彼らに近付いた。でも壊されているのは、むしろ僕の方だった。彼らのそばにいないと駄目になってしまいそうなほど、僕は彼らにのめり込んでいた。その中毒性は、まるで麻薬のようだった。

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