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僕が君を求めても  作者: 麻柚
番外編
41/44

田嶋樹の考察・藤村陸編 前編

 藤村陸。

 この学校で彼の名前を知らない人間はほとんどいないだろう。彼の妹と二人合わせた『藤村兄妹』として、その存在はあまりにも有名だ。


 初め、僕は藤村陸のことが憎くて憎くてたまらなかった。……いや、今もそうだ。あれほど憎らしいと思う人間は彼を除いて他にいない。

 彼に関して言えば、周囲の噂を集めるまでもなかった。それほど彼は常に人の輪の中心に位置し、皆に慕われている。いつでも笑っており、僕のような人間の持つ僻みや卑屈な感情など何も持っていないように見えた。彼には人を惹きつける天性の魅力があった。


 *


 僕が初めて藤村陸を意識したのは高一の一学期、彼の妹である藤村美香の隣にいる男としてだった。当時二人の関係を知らなかった僕は彼女の隣にいる彼に嫉妬していた。それは僕が、藤村美香を好きだったからだ。僕には決して届かないだろう彼女を手に入れている彼が羨ましかった。

 そのうち二人の本当の関係を知っても、僕はやはり彼に嫉妬していた。二人の間には、誰をも立ち入らせない独特の雰囲気が存在した。兄妹なのに、お似合いなのだ。藤村美香への恋心を消し去った後も、僕の嫉妬の炎が消えることはなかった。


 そんな一学期のある日やってきたのが、球技大会だ。ここでの出来事は藤村美香に対する考察と重複するため、其方を参考して頂けると有難い。とにかく、僕は藤村陸によって少ないプライドをズタズタに切り裂かれたのだ。

 それ以後の僕は、今思えば不気味なほど必死だった。必ず藤村陸を見返してやるという思いと、藤村兄妹をバラバラに壊してやるという歪んだ感情だけに部活をして、毎日を過ごしていた。


 *


 藤村陸が僕を初めて認識したのが、高校一年の三学期のことだった。そう、つまり彼は覚えていなかったのだ。僕の顔も何もかも、僕の存在全てを。

 その日もいつもと同じように、無個性な女子どもに囲まれながら部活へ向かっていた。そんな時ふと後ろを振り返ると、彼がいたのだ。二人の友人の間で笑っている、無邪気な彼が。

 僕を傷付けた人間、僕を見下した人間が、僕にはないものを持っている。それに改めて気付かされた瞬間、彼に対する怒りの炎は益々燃え上がった。彼を凝視する僕に気付いたらしい彼は僕を訝しげに見て、知らぬふりをして追い抜こうとする。


「藤村くん」


 ふざけるな。此方を向け。

 僕は彼を呼び止めていた。振り向いた彼は、僕を少し睨んでいた。


「はじめまして」


 本当は初めてなどではない。当然僕は彼から反論が返ってくると思っていたわけだ。


「……どうも。何か用ですか」


 しかし彼は、そのような返答をしてこなかった。彼は本当に、僕たちが初対面だと思っているようだった。

 確かに僕は変わった。外見もバスケの実力も。だが、彼が僕を僕だと認識出来なかった時、僕は一瞬にして彼に殴りかかりろうかという衝動に駆られた。

 ふざけるな。僕だ。あの時お前が蔑んだ、大したことのないバスケ部員だ。理性さえなければ、そう叫んでいたことだろう。

 僕は鎮まりきらない怒りを抱えながら、何とか言葉を吐いた。


「藤村さんって凄く良い子だね。あんな子が妹だなんて羨ましいよ」


 藤村美香についてはこの日のつい数日前、僕では釣り合わないのだと思い知らされた。悔しくて自分が憐れでたまらなかった。そんな彼女を話題に出したのは、彼がきっと彼女を心底大切にしているだろうと思ったからだ。

 そして、その予感は的中していた。


「変な風に美香の名前出すんじゃねぇよ」


 彼は彼女を庇う発言をした。恐らく、その場にいた女子に反感を抱かせないために。

 やはりそうなのだ。藤村陸の弱味は、恐らくただ一つ。藤村美香なのだ。

 その、たった一つの大切なものが傷付けられたら、君はどんな反応を見せてくれるだろう。僕は、好きだったはずの藤村美香を利用して藤村陸を引っ掻き回してやろうという決意を、一人心の中で果たしていた。


「君のこと初めて知ったのは球技大会だったけど、本当にかっこよかったよ」


 事実として彼を知ったのはもっと以前だったが、彼が僕の存在を知らなかったのに僕だけずっと彼を意識していたと思われるのは釈で、若干の嘘を吐いた。球技大会、という単語を出しても彼はやはり僕を思い出しもしないようだった。


 それからは何度も、藤村陸に僕の姿を見せ僕を意識させた。訝しげに僕を貫く彼の視線に、僕は虜になっていった。

 あの藤村陸が、その目に僕を捉えている。そう思うだけで、僕はもっともっとと夢中になっていったのだった。


 *


「お前さ、美香のこと好きなのか?」


 藤村陸はある時、僕にそう言った。


「好きだよ。藤村さんのこと」


 いや正確には、好きだった。この時はただ彼に接近するための口実でしかなかった。冷静に利用してやれるくらいには、藤村美香から距離を置けていた。

 しかし、藤村美香ほど利用しやすい人間も稀だ。こんな醜い僕のことを信じて疑いもしないんだから。


「……単純だし、僕の言ったこと全部素直に信じるし。本当に、可愛いよ」


 思わず出た、本音。彼がそれを聞き逃すことはなかった。僕を鋭い目つきで射抜きながら、彼は言った。


「……お前、何か企んでんのか」


 ぞくぞくとする。

 そうだ。今この時をもって、彼の中で僕という人間は確かな存在となったのだ。単なる一々突っかかってくる怪しい奴、ではない。ふとした瞬間に思い出し考え込んでしまうようなそんな存在に、僕はなったのだ。藤村陸の頭を悩ませる存在に。

 藤村兄妹は、もう僕にとってなくてはならないものとなっていた。彼らが僕を意識している限り、僕はここに存在し続けられる。彼らの目に僕が映る限り、僕は確かにここにいるのだ。


 *


 もっともっと二人から歪んだ心を引き出してやろうと、僕は取り巻きの女子に藤村美香を傷付けさせた。その後彼女が僕を避け出したことを口実に藤村陸に声を掛けた。


「実は最近藤村さんが僕を避けている気がするんだけど、原因は分かる?」


 なんて。真実を知っているのが僕だけだと思うと、実に愉快だった。

 でも、彼女に避けられるのは都合が悪い。僕の計画遂行のためにも、何より彼女自身の身の安全のためにも。彼女に取り付こうと企む連中を排除してきたのが、僕という偽の恋人の存在なのだから。


「僕の邪魔をしないでくれる?」


 僕はそれまで貫いてきた笑顔を掻き消し、出来得る限りの冷たい態度で彼に向かった。


「僕だって僕なりの計画で頑張ってるんだよ。それを部外者に妨げられるのは流石に我慢ならない」


 僕なりの計画で君を陥れようとしているんだ。邪魔されたら迷惑なんだよ。


「だったらちゃんと美香を守れよ。お前のとばっちりでとんだ被害に遭ってたんだよ、美香は」


 彼は少し怒ったようだった。部外者扱いされたことが癇に障ったのだろう。

 そして僕はこの時、取り巻きどもが藤村美香を殴っていたことを聞かされた。口撃を加えることは予想出来たが、まさか奴らが集団暴行にまで及んでいたとは思わず、一瞬間動揺した。しかしすぐに冷静さを取り戻し彼に言った。


「ちょっと藤村さんのことを脚色して話しただけだよ。そうしたらあの子たち怒ってさ……」

「……は?」

「本当、女の子って怖いよね」


 心底恐ろしい生き物だ。藤村美香が抵抗しないのを良いことに、暴行を働くなど。きっと嫉妬心と、彼女に対する劣等感があいつらを駆り立てたのだろう。

 そんなことを考えていると、彼に胸倉を掴まれ壁に押しつけられた。


「てめぇ……! お前のせいでどれだけあいつが傷付けられたと思ってるんだよ!」


 ついに現れた、彼の激情。それをこの目で見ることが出来、ただただ、喜びを感じるほどに興奮していた。思わず笑ってしまった僕に、彼はさらなる怒りを見せた。


「……随分、熱心なんだね。そんなに大切な妹さんなんだ」


 嗚呼知ってるさ。君たちの本当の関係を、僕は知ってしまったんだよ。

 君は本当に、ただの妹思いのお兄さんなのかな。これまで散々見せつけられた光景では、君たちはまるで恋人同士のようだったよ。

 例えばこんなのはどうだい? 血の繋がらない妹に密かに恋する兄、なんてシナリオは。


「……それとも、妹以上に思ってたりする?」


 まあどちらでもいい。こうして目の前にいる彼の感情を乱すことさえ出来れば、言葉なんて何でも構わなかった。


「……あんな子と四六時中一緒にいたら、それは好きになっちゃうよね。自分のものにしたいって思っちゃうの分かるよ」


 彼女はあまりにも魅力的すぎる。独占欲を掻き立てられるほどに。心細げに濡れた瞳で彼女に見つめられたなら、劣情を抱かない男の方が少ないはずだ。


「何言ってんだよ、お前……」

「でもあそこまで純粋で世間知らずだとさ、そんなの通り越して傷付けてやりたくならない? 無理矢理迫ったりしたらどんな顔するだろうって……泣かせてみたくなる」


 だから思い知らせてあげたんだよ。男の本当の怖さを、彼女に。

 こんなことを言われた彼は、おぞましいものでも見るような目で僕を睨んだ。


「お前なんかと……お前なんかと一緒にするな。俺はただあいつが心配で……!」

「そうなんだ。藤村さんを好きってわけじゃないんだね」

「当たり前だろ! あいつはっ……」


 あいつは、何だい? 何故妹だと、言い切らないのさ。

 もしかして本当に、彼女が好きなのか? いつも一緒にいる大事な大事な妹に、恋でもしているのか?

 そうだとしたら、滑稽だよ。だって藤村美香が君を見ていないことは明白だ。つまり君は、片想いだ。君ほどの人が叶わぬ片想いをしているなんて、これほど滑稽なことってあるかい? まして僕のような人間に指摘されて震えているなんて、憐れを通り越して同情したくなるじゃないか。憎くて憎くてたまらないはずの君に。


 *


 一年生最後の日、僕は藤村美香を利用して藤村陸を呼び出した。彼の携帯に連絡を入れてすぐ、彼は息を切らした様子で僕と彼女の元にやってきた。


「美香に何をした?」


 彼は真っ先に彼女の身を案じた。必死に僕から彼女を守ろうとした。

 僕は彼を壁に突き飛ばし、崩れ落ちた彼の姿を見下ろした。そして彼を思いきり蹴り上げた。


「君さぁ、僕のこと全然覚えてなかったでしょ? 本当頭に来るよね、君って人は」


 わざわざヒントだってあげたのに。それでも彼は最後まで気付かなかった。全て彼が悪いのだ。僕はそれを、思い知らせてあげるだけ。

 球技大会のことを話題に出すと、彼はようやく思い出したようだった。


「君、言ったでしょ。あいつバスケ部員のくせに大したことなかったなって。僕にも聞こえたよ」


 事実、あの頃の僕は大したことなかった。だが自分で認識しているのと他人に堂々指摘されるのとでは訳が違う。

 悔しくて悔しくて仕方なかった。恐らくそれは単にプライドを傷付けられたからだけでなく、それを言ったのが藤村陸だったからでもある。いつも人の中心で笑っていて、当たり前のように藤村美香の隣にいる男だったからだ。自らの嫉妬心も相まって、憎いと思う感情を制御出来なかった。


「僕を見下しやがって……! お前みたいな人間、消えれば良い」


 そうだ。いなくなってしまえばいい。君のような人間がいるから、以前の僕のような人間が暗がりに追いやられる。比較されて蔑まれる。劣等感に押し潰されそうになる。君のような光を浴びる人間さえいなければ、僕だって前向きに生きることが出来たんだ。

 これまでの復讐をするように、僕はただ彼を殴った。


「やめて田嶋くんっ!」


 藤村美香はそう叫んで僕に触れてきた。それに動揺した僕が図らずも彼女を突き飛ばしてしまうと、彼はそれまで見せなかった抵抗を始め、僕に対し怒りを露わにした。しかし腹部に入れられた蹴りが響くのか、立ち上がることすら出来ていない。


「君があんなこと言ったりしなければ、藤村さんは今僕に殴られることもなかったし、嫉妬した女どもに殴られることもなかった」


 全部、全部君のせいだ。藤村美香を傷付けたのは藤村陸、お前なんだよ。


「僕が藤村さんに近付いたのはね、全部君にこうして思い知らせてやるためだよ。そのために、たまたま同じクラスにいた君の妹である藤村さんは都合が良かった」


 僕がそう言うと、彼は今までになく絶望したような表情を見せた。

 そりゃそうだろう。大切な妹が傷付いたのは自分のせいだと知って、正気でいられるはずがない。


「どう? 悔しい? 僕を殴りたい?」


 殴ればいいさ。今の君にそれが出来るなら。

 あの藤村陸に自分を意識させ、更に殴りたくなるほどの熱い感情を抱かせた。そう考えれば、殴られることでさえ僕にとっては快感なんだ。だってあの、藤村陸なんだぞ? 少し前まで存在さえ知られていなかった僕が藤村陸の激情を引き出したなんて、震えるほどの心地良さを伴うに決まっているじゃないか。

 再び藤村美香が僕の前に立ち塞がった時、彼女は彼をなけなしの力で庇っていた。憧れの彼女にそんなことをしてもらえる彼が、僕にはやっぱり羨ましくて憎らしかった。


「美しい兄妹ごっこなんか見たくないんだけど」


 この兄妹にはいつも、虚しい思いにさせられる。皆に思われ慕われて、その上身を呈してでも互いを守り合って。僕には、上辺だけで本当に思ってくれる人間なんかいない。それほどまでに強く僕を守ろうとする人間もいるはずがない。僕には、何もないんだ。

 血は繋がっていなくとも、この二人はごっこじゃない。真の兄妹以上に、兄妹だった。

 彼女に危険が及ぼうとすると、彼は立ち上がり僕に頭を下げた。僕が、藤村陸を屈服させた。


「美香には謝れ」


 彼は最後まで、彼女を思っていた。ただそれが、彼女を愛しているからなのか妹だからなのかは、分かりかねた。僕が彼女の手に口付けしたことに戸惑う彼の姿は、少し面白かった。

 藤村陸は、僕にとってずっとずっと遠い存在のはずだった。だけど。


「藤村くんのお陰で夏休みに猛練習してね。今ではこの通りレギュラーだよ。その点では感謝してるかな」


 彼への憎しみが、結果的に僕を彼に近付けた。彼のおかげで、僕は変わることが出来たと言ってもいい。変わることで、僕は憧れだった兄妹に近付くことが出来たのだ。

 僕は結局、この二人のそばにいたかったのかもしれない。直視を躊躇うほど眩しく、妬ましいほど輝いている二人のそばに。

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