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僕が君を求めても  作者: 麻柚
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ありのままの自分

 俺と美香の仲が本当の意味で戻ってから数日経過した。その後、美香と夏見は想いを通じ合わせ、もう一度やり直すことになったという。正直嫌だけど、もう受け入れるしかなかった。

 そうしているうち、期末テストの時期があっという間に近付いてきた。そんな日の昼休み、俺は食事の前に自販機へ向かった。自販機は体育館近くにある。


「あー、うぜえー」


 財布をぶらぶらさせて廊下を歩きながら、俺は頭を掻いた。悠太と俊也、それに田嶋は俺が戻るのを教室で待っているのだが(つまりパシられたっつうこと)、十秒以内に帰ってこいなどという無茶苦茶な要求をしてきたのだ。俺は勿論そんな要求は鼻から無視し、だらだらと自販機へ向かっていた。

 体育館方向へ出ると、渡り廊下に立つ自販機が見えてくる。その前には先客がいた。


「あれ、陸じゃん」


 新井だった。今日は髪をポニーテールにして、いつもよりさらに明るい印象になっている。

 新井に会うのは、修学旅行以来だった。軽蔑されたままだったことを思い出すと、少し気まずい。俺が目をそらすと、新井は言った。


「陸、ちょっと話そ」

「え」

「ほら、昼休み終わっちゃうから早く!」


 俺はジュースを買う間もなく新井に手を引かれ、連れていかれたのは体育館裏の喫煙所だった。新井と付き合っていた頃ここでキスをしたことを思い返し、勝手に恥ずかしくなる。でも新井はそんなこと全く気にしていない様子だった。

 雨風で色が落ちているベンチに、並んで座る。居心地は、良くなかった。


「美香と、元通りになれたんだね」


 暫しの沈黙の後、新井が口を開いた。


「修学旅行の時は気持ち悪いなんて言って、ごめん」

「……別に、気にするなよ」

「気にするよ。あの後さ、後悔したの。陸は美香を好きでいて、どれだけ辛かったんだろう、どれだけ苦しかったんだろうって考えたら……もう、本当に後悔してさあ」


 新井は何も悪くないというのに。全部、有耶無耶に誤魔化そうとした俺のせいだというのに。新井は、心優しい。


「陸の気持ち、全然考えないであんなこと言って、ほんとにごめん」

「いいって。もう謝るなよ」

「やだ。謝る。ごめんごめんごめん! ごめんったらごめん!」

「……だからいいって」


 若干呆れてそう言うと、新井はにっと笑った。「これで許してね」と言いながら、へへっと声を立てる。


「つうか俺の方こそ、悪かった。新井に黙って誤魔化して。でも新井が信用できなかったとかそんなんじゃない」

「はいはい、そんなこといいって。それより美香のことはもういいの?」


 新井が俺の顔を覗き込み、問いかけてきた。

 正直に言えば、俺はまだ美香を好きだ。でもいくらそれを押し通したところで、美香は夏見しか見ない。


「……完全には忘れられてねえけど、いいんだ。好きな奴の隣で笑ってる美香が好きだから」

「クサっ。でも、そっかあ。陸が失恋するなんてなんか新鮮。ざまあみろってねえ」


 新井はけらけらと可笑しそうにした。でもすぐにふっと、真剣な表情を宿した。俺は、戸惑ってしまう。


「でも、どうして美香だったの? ずっと好きだったの?」


 新井の疑問への解答は、俺自身持っていなかった。

 いつどこで、何がきっかけだったのか。どうして美香を好きになったのか。なんて、分かるわけがない。だから俺が信じている、俺なりの答えを、口に出す。


「美香は本当の俺を知っててくれたから、だと思う」

「本当の陸?」

「……かっこ悪ぃところも情けないところも、あいつは全部知っててくれた。知ってて、それでも好きでいてくれたから、あいつの前では素直になれた。安心するんだ、あいつの隣は」


 他の女子には曝け出せなかった自分も、美香だけには見せることができた。いつも俺を穏やかに見守ってくれた美香の存在が、何より大切だった。恋という感情にまで発展してしまうほどに。


「……なにそれ」


 新井の声が、わずかばかり不機嫌なものになった。あまりにも急激な変化だったので、俺はうろたえてしまう。


「本当の陸? なにそれ。そんなのさ、分かるわけないじゃん!」


 新井が缶ジュースを呷る。それから俺にぐっと顔を寄せた。目と鼻の先に来た新井から逃れるように、身を引いてしまった。


「だって陸、その本当の陸ってやつを少しでもあたしに見せてくれようとした?」

「え、」

「陸はさ、いっつもどっかよそよそしくて、あたしに気ぃ使ってるような感じがした。他の女にもそうだったんでしょ?」


 よそよそしいとか、そんなことを思わせているなんて思いもしなかった。でも確かに、女子といる時は機嫌を損ねないようにっていつも気を張っていた。それが、女子から一歩引いている俺、を演出していたのかもしれない。


「その陸が美香の前でだけは無邪気な笑顔見せてたりとか、心の底から楽しそうにしてて。そんなのさあ、嫉妬しちゃうに決まってるじゃん。悔しいって思うに決まってるじゃん!」

「新井……」

「あたしはすっごい悔しかった。どうしてあたしじゃ駄目なのって。いくら妹でもちょっと特別すぎるよって思ってた」


 新井は、もしかしたら今までの彼女も、そんな風に考えていたんだろうか。

 俺は、不用意な発言や行動で彼女を怒らせたくなかった。傷付けたくなかった。でもそんな俺の考え方が結果的に彼女を怒らせ、傷付けていた。

 だからなのか。これまでの彼女が美香に嫉妬したのも、俺に愛されていないと感じたのも、全ては俺が、無意識に美香だけを特別に扱っていたからだったのか。自分の彼氏が自分より妹を贔屓するなんてそんなの、不愉快に決まってる。


「美香が大切なのは分かる。それは今までの陸の彼女もきっと同じだよ。でも美香に見せる陸の本音を少しでも彼女に見せてあげてたら、もっと違ったんじゃないの?」

「ごめん、新井……」

「あたしはいいの! それよりさ、これから付き合う子にはちゃんと見せてあげなよ。その、本当の陸ってやつをさ」


 俺は、結局自分が面倒事に巻き込まれたくなかっただけなのかもしれない。なんの脈絡もなく怒られたり泣かれたり、事実そういう経験は沢山あった。でもそんなことで一歩引いて、一線を画して彼女や女子と向き合っていたのは、間違っていたのかもしれない。美香に見せる俺の素顔を見せても、その内の誰か一人くらいは受け入れてくれていたかもしれないのに。


「……分かった。そうする」

「うん! そうしなよお。あたしは陸の良いところいっぱい知ってるよ。超モテモテなのに浮気は絶対しないところとか、ぶっきらぼうに見えて結構優しいところとか。だから本当の陸を見せても、きっと大丈夫!」


 新井の放った思いがけない俺への褒め言葉が、少し恥ずかしかった。自分の頰がどことなく熱くなっているのが分かる。そんな俺を見て、新井は缶ジュースを飲みながらにやりとした。


「あれ、陸。もしかして照れてる?」

「て、照れてねえよ!」

「ほんとにぃ?」


 今度からは、もっとしっかり向き合っていこう。過ちを繰り返さないように。互いに本当の相手の姿を受け入れることができたら、きっともっと前向きに付き合っていくことができるはずだ。

 新井は、初めて何故俺に愛されていないと感じるかを教えてくれた。初めて、美香を認めて友人にまでなってくれた。そして初めて、俺に足りない部分を指摘して意識させてくれた。俺にとって新井はやっぱり、どこか特別な存在だ。


「そろそろ戻る? 昼休み終わっちゃうしね」

「ゲッ、そういや俺あいつら待たせてたんだった」

「え、なにそれ。早く行きなよ!」


 俺が立ち上がると、新井も立ち上がる。最後は笑顔で、俺を見送ってくれた。


「じゃあね陸!」

「ああ、またな新井」


 新井と別れ、教室へ走った。

 俺はきっと変わってみせる。自分のためにも、新井のためにも。そうすれば何かが、前進し出すかもしれないから。


 *


「本当の俺ってなんだろうな」


 その日の夕飯の最中、俺はふとそう呟いてみた。


「え、なんだよ兄貴キモい」

「うるせえな! キモいって言うな!」


 ご飯茶碗を持ちながらにやりと笑った海斗を、俺は睨んだ。海斗は気にした風もなく大笑いする。美香も、おかずをつかみながら微笑んでいた。


「でも、急にどうしたの?」

「いや。新井に、もっと本当の俺を見せろって言われたから……」

「綾芽ちゃんに?」


 美香は首を傾げた。恐らく美香は俺と新井が付き合っていたことを知らないのだろう。以前のキスを目撃していたとは言うものの、見えたのは俺の顔と新井の背中だけだったのかもしれない。


「俺はそれやめといた方がいいと思うけどなあ」

「なんでだよ海斗」

「だって、兄貴は色々外面が良いからモテんだろ? 本当の兄貴は、かっこつけてるけどマヌケでゲーム下手な上にシスコンで、そんなの知られたら即幻滅されてフラれるって」

「お前なあ……!」


 よくもまあこれほどスラスラと悪口が出てくるものだ。完全に面白がっている海斗に、益々怒りが込み上げてくる。隣の海斗を殴ってやろうかと考えたが、美香に注意されるだろうからとなんとかこらえた。


「でも私は、本当の陸も素敵だと思うよ」


 俺の向かいにいる美香は、笑顔でそう言った。海斗に散々貶された後のその発言だったので、俺はあからさまに嬉しくなってしまった。


「えー、兄貴のどこがいいんだよ姉貴?」


 海斗は美香の意見に不満があるようだった。美香は苦笑して続けた。


「うんと。かっこいいし優しいし、たまに元気なさそうにして人を頼っちゃうところとか、女の子は好きだと思うな」

「……へええ。兄貴、元気なくして姉貴を頼ったことあるんだ?」


 相変わらず嫌な笑みを湛えたまま、海斗が箸で俺をつつく。


「そんなんだからシスコンって言われんだぜ?」

「うるせえなっ。美香も余計なこと言ってんじゃねえよ」

「あ、ごめん」

「……いや、別に謝らなくてもいいけど」


 美香に八つ当たりをしてしまい、そんな俺の言葉を真に受けた美香に対して罪悪感を覚えた。美香は一々本気で捉えてくるからやりづらいことこの上ない。


「まあ確かに、化けの皮なんていつかは剥がれるからな。それなら始めからありのままでいた方がいいか」

「お前なあ、本当に俺をなんだと思ってんだよ」

「いや、兄貴がモテるのは認めるよ。俺の学校にも兄貴を知ってる女子いたし。兄貴たちの学校にお姉さんが通ってるんだってさ」

「そうなんだ。陸って凄いね」


 凄い、のかもしれないが、俺が顔や名前すら知らない奴らが俺の顔と名前を知ってるというのは、どこか空恐ろしいものがある。今更と言えば今更なんだけど。


「人の心配より自分の心配しろよ、海斗」

「えー。だから今の俺には必要ないって言ってるだろ。それに俺は姉貴がいればいいし?」

「も、もう。なに言ってるの、海斗ってば」

「……アホくせー」


 うんざりしながら俺が呟くと、海斗は此方を見てにやにやした。


「そういう兄貴が一番姉貴のこと好きなくせにー」

「ばっ。勝手なこと言ってんなっ」

「じゃあ姉貴のこと好きじゃねえの?」


 それは極論だろ、と溜息を吐きながら、俺は正面の美香をちらと確認した。美香は箸の先を口に入れたまま、きょとんとしている。


「好きに決まってんだろうが」


 美香を好きじゃなくなるなんて天地がひっくり返ってもありえない。……と、思う。

 顔を赤らめた美香と、淡々と白飯を口に運ぶ俺を交互に見て、海斗は笑った。


「なーんか俺たち、ブラコンでシスコンだな」


 そうかも、と美香が噴き出す。仏頂面を続けていた俺を、海斗が肘で小突いた。気取ってんなよ兄貴、と。


「そうだ。お父さんとお母さんが帰ってくる時どうするか考えよう?」

「あー、そうだな」

「去年みたいな失敗だけは避けねえといけないしな」

「ぷっ。去年の失敗って、あれは全面的に兄貴の責任だろ?」


 俺と海斗の言う去年の失敗、それは二人で手作りしたケーキの味が誠に悲惨だったことを指している。そしてその原因は、塩と砂糖を間違えるという典型的な過ちを仕出かした俺にある、と海斗は主張しているわけだ。


「お前が最後まで気付かねえのも悪いだろうが」

「ええっ、兄貴責任転移すんの? そんなんだから本当の兄貴なんて知られたらまずいって言われるんだぜ?」

「言ってんのはお前だろ!」

「ま、まあまあ二人とも。今年は私も手伝うから。ね?」


 美香がそう言って俺たち二人をなだめた。美香に介入されてしまっては、俺たちもお互い矛を収めるしかなかった。

 ちなみに、去年の美香は他の料理の手配に忙しく、俺と海斗を見ている余裕がなかったのだ。美香がいてくれたら、少なくとも塩と砂糖を間違えるなんてことしなかっただろうに。


「でもあのケーキの処理は大変だったよな。結局クリスマスの後に三人で我慢して食べてさ」

「ふふ、そうだね。あれはちょっと大変だったな。クリスマスケーキも買ったものを出すことになっちゃったし」

「つうかケーキを手作りさせようなんて考えがおかしいんだよ。無理に決まってんだろ!」

「そんなことないよ。塩と砂糖を間違えなかったらあのケーキは上手くいってたと思うの」


 海斗と二人で顔を見合わせて笑う美香は、完全に俺をからかっている。普段は俺が美香をからかう側なのに、時たまこうして立場が逆転するのだ。


「よーし。じゃ、今年は三人で料理したりケーキ作ったりしようぜ!」

「そうだね。楽しそう!」

「……まあ、いいんじゃねえの」

「決まりな。なに作るかとかはまた色々考えようぜ。ごちそうさま!」


 海斗が立ち上がる。俺と美香も続けて立ち上がった。食器を片し終えた後で、海斗が提案した。


「なあ、ジャンケンで負けた人がアイス買ってこねえ?」

「うん、いいよ」


 美香が賛成すると、俺も賛成せざるを得なくなった。海斗が音頭をとり、ジャンケンをする。美香と海斗はパーで、俺はグー。勝敗は一度で決した。


「やーい、兄貴の負けー」

「お前今日俺に対して失礼すぎるぞ!」

「んなことない。あるとしてもいつもの仕返しだって!」


 海斗と俺なら、むしろ俺がやられている方が多いと思うんだが。まあ、仕方ない。

 俺はジャンパーを羽織って玄関を目指した。靴を履いたところで、美香が財布を持ってきてくれる。


「はいこれ、食事用のお金」

「どうも」


 微笑んで俺に財布を手渡してから、美香はじっと俺を見つめた。その様子が可愛くて、なんとなく目をそらしてしまう。


「……なんだよ」

「ふふ。やっぱり陸は、ありのままでいるのが一番素敵だよ」


 美香はそう言って、行ってらっしゃい、と手を振った。

 美香の言葉は、余りにも簡単に俺を揺り動かす。

 俺はやっぱり、お前が好きだ。どんな女子よりも、ずっと。お前だけが好きだ。


「美香」

「うん?」


 俺は美香の耳元にそっと唇を寄せ、小声で語りかけた。


「ありのままの俺が素敵なら、それを一番よく知ってるお前がどうして俺を見なかったんだよ」


 美香から離れ、その表情を確認した。予想していた通り真っ赤になっている美香の額を弾いた。


「バーカ。冗談だっつうの」


 そうして、少しばかり逃げるように家を出てきた。エレベーターに乗ると、設置されている鏡に自分が映る。俺の顔も、美香と同じように紅く染まっていた。


「……アホか、俺」

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