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僕が君を求めても  作者: 麻柚
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知ったこと、言えないこと

 翌日、クラスで嵐山を巡った後バスに乗り新幹線に乗り、帰路に着いた。

 修学旅行最後の日なのに、俺は心から楽しむことができなかった。昨日の新井の言葉が、ずっと胸につかえていた。今日は何故か田嶋もあまり楽しそうではなかった。俊也だけは相変わらず、食べ物を片っ端から美味そうに食べていた。

 新幹線で俺と田嶋は隣に座った。窓際の田嶋はずっと、何かを考え込んでいるようにぼんやりとしていた。

 ふと、田嶋の手から何かが零れ落ちてきた。拾うと、それは一粒の飴玉の袋だった。レモン風味の喉飴だ。


「お前、風邪ひいてんのか?」


 田嶋は首を振り、飴玉を包み込んだ。


「昨日、班長会議の時に咳込んじゃったら、藤村さんがくれたんだ。大丈夫かって、そう言いながら」


 美香に会った時のことを、いつもの田嶋は楽しそうに語る。だが今は噛みしめるように、むしろ苦しそうに話した。


「あのハンドミラーも、あげたら凄く喜んでくれて。ありがとうって、無邪気にそう言うんだ」


 くすくすと、田嶋は笑った。口元だけでなく心からのもので、それでいて静かな笑みだった。笑顔が消えると、田嶋はいつになく真剣な表情をした。


「……藤村くん。ごめん」


 田嶋はそう言って、俺を見据えた。


「僕、藤村さんが好きだ」


 それは勿論、異性として、だろう。

 驚きはそれほどのものではなかった。美香と頻繁に接触している田嶋のことだ、それは半ば覚悟していた告白だった。

 田嶋は膝に両肘を付いて、頭を抱え込むように目を手で覆った。


「ねえ、藤村くん」

「なんだよ」

「藤村さんてさ、馬鹿なのかな」


 急におかしな質問をしてくるものだから、戸惑った。でも田嶋は、大真面目なようだった。


「……馬鹿なんじゃね」

 美香は今、俺たちがこんな噂をしているなんて知るよしもない。そう考えるとなんだか少し、面白かった。


「昨日、何があったんだよ」

「……班長会議で会ったって、さっき言っただろう?」


 頷く。


「その時にさ、藤村くんのこと聞かれたんだ」


 息を呑んだ。昨日の夜、班長会議の後の美香は俺に目も合わせなかったのに、どういうことだろう。


「藤村くんは楽しそうだったかって、聞かれた。それと君に何か変わったことがなかったかって。元気がないとか、そういうことはないかって」


 また藤村さんに何かしたんでしょう、と田嶋は探るように俺を見た。


「まあ、深くは聞かないよ。それで、特に思い当たらないって言った。藤村さんは安心したような、辛そうな、そんな顔した」


 美香がそんな表情をしたのは、恐らく田嶋の言葉によって、俺の態度が違うのは自分に対してだけだと気付かされたからだ。だが自分以外の人間にはいつも通りだと聞いて、安心しもした。そういうことだろう。


「最後に藤村さんは僕にお礼を言ってくれたよ。良い気になって、藤村くんに変わったことがあったら僕が藤村くんを元気づけるから大丈夫って言ってみたりした」

「……お前はどちらかと言えば、火に油を注ぐだけだけどな」

「それは言わないでよ。……そうしたら藤村さん、言ったんだ」


 田嶋はそこで深い息を吐いた。目を覆っている手を動かして、今度は顔を隠す。


「僕がいてくれて、よかったって」


 それが、田嶋を堕とした言葉か。


「藤村くんの隣に僕がいて良かったって。信じられる? 一度は君たちを傷付けた人間に向かってそんなこと言って、微笑みかけて」


 美香ならやりかねない。美香は世の中の汚いものを全く知らなくて、だからこそいつまでも純粋で無垢で、誰にでも優しさを振り撒く。


「花火大会の時だって、あんなことがあった後に僕に笑ってくれた。僕が無理に誘わなければあんなことにはならなかったのに」

「自分を責めるなって言ってんだろ」

「責めるよ。あんなに綺麗な子が汚されかけたんだ。責めるに決まってるじゃないかっ」


 美香は綺麗で、穢しがたい存在。田嶋も、そう思っていたのか。


「藤村さん、本当に懲りないなあとか、馬鹿だなって思ったけど、そんな藤村さんに僕は救われていたんだなって思ったら、愛おしく感じた」


 知らぬうちに、田嶋は美香に支えられていたということか。

 前も後ろも隣も、気分が高揚しているのか、煩いくらいに盛り上がっていた。俺たちの会話は俺たち以外、誰も聞いてはいない。田嶋はゆっくり顔を上げた。


「藤村くん。君に、話しておかなきゃいけないことがある」


 学校に着いたら少し残ってほしい。田嶋は言った。俺は拒否することなく、それを受け入れた。

 その話とやらを聞けば、本当の田嶋が見えてくるかもしれない。散々俺を翻弄してその本音が見せなかった田嶋の、本当の姿が。根拠なく、そう考えていた。


 *


 学校に到着すると、すぐに帰宅を促された。俺と田嶋は学校近くの児童公園に向かった。入り口から全体が見渡せる程度の小規模な公園で、辺りが暗くなったこともあり、人影はなかった。俺たちは公園の奥、大木の下のベンチに腰掛けた。田嶋の手には、つい先程自販機で買った缶コーヒーが握られている。吐く息が白い。


「藤村くんもっとこっち寄ってよ。お互いの体温で温まれるじゃない」

「キモい。そのコーヒーで我慢しろ」

「そうやってすぐキモいって言うのやめてよ。傷付くから」


 そう言う割に全く傷付いた様子もなく、田嶋は缶コーヒーのプルタブを開けていた。俺も手元のココアを開ける。


「じゃあ本題。一年生の三学期、終業式の日のこと、覚えてる?」


 忘れるはずがない。あの日から、美香を見る目が決定的に変わってしまった。田嶋との間に起こったことと二重の意味で、あの日は印象深い。


「藤村くんあの時、僕のこと覚えてなかったでしょ? 今思えば、それも無理ないかなって、思ったんだ」


 田嶋は、自嘲するように笑った。


「あの時は頭に血が上ってたからあれだったけどさ。球技大会の時の僕は、今とは本当に別人みたいだったから」


 田嶋は続けた。一年の球技大会当時の自分は身なりに気を使わなかった上に、バスケに本気で向き合わず中途半端だった、と。


「一年の一学期はそんな感じで自己主張も強くなかったからさ、当然だけど女の子は僕みたいな奴気にもかけなかった。藤村さんを除いて」

「美香が……?」

「藤村くんも知ってるだろう? 藤村さんが誰にでも挨拶すること。あの時の僕みたいな男は女の子に挨拶されるなんてないからさ、それだけで凄く特別だった」


 美香は、席が近い人間やたまたま目が合っただけのクラスメイトにも挨拶をするのだという。その行為は、かつての田嶋や他の男を魅了してあまりあるものなのか。


「おはようって、ただそれだけなのにその日一日が楽しくなるような気がした」


 藤村さんがとりわけ可愛い子だったから余計にね、と田嶋は笑った。


「たぶん藤村さんのこと、好きだったと思う。叶うはずないって分かるからすぐに諦めたけどさ」


 田嶋が変わったのは一年の夏休みの間だったらしい。俺を見返してやりたくてバスケばかりをしていた、と。見た目に気を使い出したら女子に声をかけられるようになった、と。


「おかげでもうモッテモテだよ。そう意味でも藤村くんには感謝してるかな」


 田嶋は皮肉なのか本音なのかよく分からないことを言って、噴き出した。


「……手の平返しってこういうことかって思ってもいたけどね。だからこそ変わらず接してくれた藤村さんは、やっぱり特別だった」


 田嶋に美香への想いを見破られてしまった時の、あの場面を思い出す。田嶋は強い口調で俺に語りかけたが、あれは実際に自分が経験してきたことだったからなのだ。美香のことをよく理解していたのも、田嶋が美香を、好きだったから。


「僕が藤村くんを憎く思ったのって、球技大会でのことだけが原因じゃないんだろうね。いつも当たり前のように藤村さんの隣にいられる君が、羨ましかったんだよ」


 兄妹だって分かってはいたんだけど、いやむしろ兄妹だということ自体が羨ましかった。それが田嶋の言い分だった。

 いつも美香の隣にいた。美香を見かけるとつい声をかけたくなって、からかいたくなって、その時々の彼女にも嫉妬される始末だった。でも事実、美香の隣が一番心地良かった、気がする。


「藤村さんが僕を好きになってくれたりしないかなって思ったけど駄目だったし、藤村くんを殴った時には君たちの絆の深さを見せつけられるし、もう散々だった。なんのための仕返しだったのか、意味はあったのかって考えるよ」

「……あったんじゃねえの」


 少なくとも、俺にはあった。田嶋の一連の行動で、美香が好きだと、気付かされてしまった。

 田嶋は俺の言いたいことを理解したのか、自らの膝に視線を落とした。


「……ごめん。藤村くんに協力しようと思った気持ちは本物だったんだ。それがこんなことになって」

「お前は俺より先にあいつのこと見てたんだろ。謝るな」


 田嶋はコーヒーを飲み干して、その缶を手で凹ませていた。俺も、冷めないうちに、とココアを飲んだ。


「叶わないって分かってるのに、どうして好きになっちゃうんだろう」

「……は?」

「藤村さんには好きな人がいて、僕なんて見てくれない。それなのに」


 田嶋は一度元に戻した缶を、再び凹ませた。がこんという独特の音が、静かすぎる公園に間伸びして溶けていく。俺が何も言わないでいると、田嶋は背凭れに寄りかかり、言った。


「……やっぱり、藤村くんが羨ましい」

「…………」

「藤村くんは想いが届かなくても藤村さんのそばにいられる。それに夏見って男は、藤村さんを手に入れられる。でも、僕は何も得られない」


 俺は、田嶋の方がいいと思う。美香は兄妹である俺を見てはくれない。異性だと認識してすらいない。でも田嶋は、僅かだけど可能性がある。美香を手に出来る可能性が。


「僕だって藤村さんのそばにいたい。いたいのに、全然届かない」

「……奪えよ」


 思わず、そんな言葉が口を突いて出た。


「欲しいなら奪えよ。でなきゃあいつは手に入らない。俺だって、そうする」


 俺も田嶋のように、空いた缶を力強く凹ませた。

 無理矢理にでも此方を向かせなければ、あいつは気付かない。手に入れたいなら奪って、捕らえて、離さずにおくしかない。

 田嶋は缶を握る俺の手に、自分の手を重ねた。


「藤村くん。大山さんとか岡崎さんとか、他の女の子には凄く優しいじゃないか。藤村さんにもそうしてあげてよ。……あんなに優しい藤村さんが傷付くのは、見てられないよ」


 もう、遅い。優しいだけでは駄目なのだ。なりふり構わず奪いに行くくらいでないと、美香は夏見を追いかけるままだ。


 俺たちは立ち上がり、空き缶をゴミ箱に放った。特に会話もなく公園を出ると、田嶋は俺に背を向け、俺と反対の方向へ歩いていった。

 田嶋は素直に、何もかもを明かしてくれた。俺は美香にしてしまっていることを、何も言えないままなのに。


 *


 帰宅した。玄関にある靴は、海斗の分だけだった。


「兄貴、おかえり」


 リビングに入ると、海斗は俺を笑顔で迎えた。ただいま、と軽く返す。

 美香は買い物に行っているらしく不在だった。俺は美香とすぐに鉢合わせることにならずに、ほっとした。


「海斗、土産買ってきたぞ」

「マジでっ。やったあ!」


 あまりにも無邪気な反応が返ってきて、驚き呆れる。尤も、いつまでも子供っぽい一面を持っているのが海斗なんだけど。

 俺は鞄を開けて中身を漁った。内ポケットに入れたそれを取り出し、海斗に手渡す。わくわくした様子で小袋を開けた海斗は目を見開き、慌てたように袋から出した。


「これ――」


 その時、美香が帰ってきた。一瞬視線が交わったが、お互いすぐに逸らした。


「姉貴っ。ちょうどいいところに!」

「海斗、どうしたの?」

「見てくれよこれ! 兄貴が俺にくれたお土産なんだけど」


 海斗は美香の目の前に、俺の土産であるお守りを突きつけた。それを見た美香が、驚いたように体を固めた。


「姉貴がくれたお土産と同じだよ!」


 美香と、同じ?

 ハッとして海斗がいたテーブルの上を見た。そこには確かに、全く同じお守りが置いてあった。


「これ偶然だよな⁉︎ すっげえ、さすが兄貴たちだよ」


 土産が同じものだったことで、海斗はこの上なく興奮していた。違うものがよかったと愚痴を言うどころかむしろ、同じものであったことに喜んでいるようにも思えた。


「うわあマジすげえ。このこと、父さんたちにメールしなきゃ」


 父さんたち。海斗の何気ない発言に、胸が騒めいた。

 父さんも母さんも、俺たちの間に起こっていることは何も知らない。俺は、父さんたちを裏切っていることになるんだろうか。

 恐らく、俺が美香を想っているということよりも、俺が美香を傷付けているということの方が、より強く二人を裏切っている。


「ははっ、ほんとすげえよ。兄貴も、姉貴も」


 海斗は心から喜んでいた。海斗だけがこの場で、笑っていた。


「そうだ。みんなで写真撮って父さんたちに送ろうぜ。お土産と一緒に、記念にさ」


 海斗が張り切って言ったが、俺も美香も答えられなかった。リビングに沈黙が流れた。


「……兄貴? 姉貴?」


 海斗もさすがに様子のおかしさに感づいたらしく、交互に俺たちの顔色を伺っていた。俺は美香のことも海斗のことも、まともに見ることができなかった。


「なあ、なんかあったのか?」


 心細げに、海斗が俺と美香に問いかけた。俺は拳を握るばかりで、美香も俯くばかりで、何も言えなかった。


「……また、教えてくんねえの?」


 海斗の声が震えた。俺より先に口を開いたのは、美香だった。


「海斗待って、違うのっ」

「何が違うんだよ!」


 海斗が美香の肩に勢いよく掴みかかった。その衝撃で美香は持っていた買い物袋を落とし、中から一つ、林檎が転がって出てきた。


「いたっ……!」


 美香が顔を顰めたのを見て我に返ったのか、海斗はゆっくりとその手を放した。


「……ご、ごめん、姉貴」


 お互い目を背ける美香と海斗の間で、俺は何もできなかった。二人を壊した元凶であるはずの俺が、何もできずにいた。


「ち、違うんだよ姉貴。姉貴を責めたいわけじゃなくてっ」


 海斗はやり場のない思いを抱えている。本当は傷付けられやすい美香を思いやっているのに、美香のやるせない顔を見るとついカッとなって、やりたくもないことをやってしまう。その点じゃ、俺と変わらない。


「……ごめん。俺ちょっと頭冷やしてくる」


 海斗はそれだけ告げて、リビングを出た。美香と二人、残されても会話は生まれない。

 以前美香が熱を出したことで戻り始めた家族としての形、兄弟としてのあり方が、再び粉々に砕かれてしまった。それを砕いたのは、紛れもなく俺だった。

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