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僕が君を求めても  作者: 麻柚
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震える背中

 中間テストが終わると、修学旅行が迫ってきた。

 今日は担当教師の事情により男子のみ体育が休みとなり、自習をするよう指示された。だが監督教師不在の教室で真面目に自習が行われるはずもない。修学旅行が近付いている今、クラスは余計に落ち着きをなくしていた。

 教室の喧騒を聞きながら適当に課題に取り組んでいると、俺の机に影が落ちた。見上げると、金山が立っていた。金山は何故か、ニヤニヤと笑っていた。


「……なんだよ」


 金山はその場にしゃがみ込んで、俺の顔を覗き込んだ。


「お前さ、なんで彼女作らなくなったんだよ」


 唐突な問いかけに唖然としていると、金山の言葉を聞きつけた周りの奴らも俺に視線を投げてきた。いつの間にか、教室中が俺に注目を寄せていた。


「どうでもいいだろ、そんなことは」


 衆人環視の中、なんとごまかしたらいいのか分からず、俺はそうはぐらかした。


「よくねえよな。陸がフリーだと女子が浮き足立つし俺らが霞むし」

「そうそう、陸には彼女いてもらわねえと色々困るよなあ」


 隣の田嶋は俺をじっと見つめていた。それを気配で感じ取りながら、俺は沈黙を守った。こんな大勢の前でボロを出すわけにいかない。


「でも仕方ねえかあ。あんな可愛い妹いたらそりゃ他の女なんてどーでもよくなるよな」


 誰かのそんな呟きに、クラス中が湧き上がった。


「藤村と他の女比べんなって!」

「でもさ、藤村さん前にも増して可愛くなってね?」

「分かるわ、なんつうか色気が出てきた気がする」

「おいおい、お兄さんの前で変なこと言うのやめとけよ!」


 美香はいつも、男子を惹きつける。

 美香が可愛くなったとしたなら、それはきっと、夏見が原因だ。夏見に、恋をしているからだ。それが現実だ。


「田嶋も藤村さん狙いだったしなっ」


 不意に、話題が田嶋に移った。田嶋はほんの一瞬唇を噛んでから、愛想笑いを浮かべて言った。


「ああ。そうだね」


 弱い声だった。目を伏せた田嶋の表情は、泣き出してしまいそうなほど歪んでいた。

 悪い予測が頭を過ぎった。

 田嶋は美香を特別に思っていても、その感情は恋とは違うものだと俺は考えてきた。でも、本当にそうなのだろうか。もしかしたら、田嶋は。


「あーあ。俺の妹も藤村みたいだったらな」

「分かるわあ、俺の妹可愛げの欠片もねえし」

「マジで陸羨ましいわ。あんな妹がいて」


 妹。妹。大嫌いな単語が、連呼された。

 分かっている。美香が妹であることくらい、理性では分かっているのだ。だが俺と美香は、血が繋がっていない。


「……妹じゃねえよ」

 そんな捉え方をしても、構わないはずだ。

「あいつは、妹じゃねえ」


 美香は、本当の意味での妹ではない。自分にそう言い聞かせることで、美香を手に入れたいと欲する自分を、正当化する。

 クラスが、静まり返っていた。


「……藤村くん、今藤村さんと喧嘩中なんだって。それで拗ねてるんだよ、藤村くんは」

「な、なんだ。そういうことかよ」

「びびったっつうの、急に変なこと言いやがって」


 気を使ってくれた田嶋の手助けにより、俺の発言は深い意味のあるものとして扱われずに流れていった。そこでタイミング良くチャイムが鳴り、それとほぼ同じくして体育を終えた女子が戻ってきた。金山は唇を尖らせていたが、俺の話題はそこで途切れた。


「……ありがとな、田嶋」


 皆が散らばった後で、俺は田嶋に礼を言った。静かに微笑み返した田嶋から、その思いの在り処を探ることはできなかった。

 ぼんやりと田嶋を眺めていると、俊也が俺のもとにやってきた。


「陸、お前発言には気を付けろ。藤村がお前の妹じゃなくなったら、俺はどうやって藤村の飯を食うんだよ」


 真顔でそう宣った俊也を見て、噴き出したのは田嶋だった。クスクスと笑う田嶋に、俊也はムッとしたような目を向けた。二人が可笑しくて、俺も少し、笑った。


「悪い」


 俺が呟くと、俊也は俺に視線を戻した。


「反省したか?」

「ああ。そうだな、妹だと思っておくべきなんだ」


 俺の発言を聞いた俊也は目を見開き、じっと俺を見た。だが田嶋が修学旅行の話題を振ったことで、俊也の目は再び俺から離れた。


 *


 日曜になると、修学旅行まではあと三日になった。俺は朝から荷物の最終確認をし、終えると部屋を出た。朝食を済ませたらもう一度眠ろう、と思いながらリビングのドアを開けようとすると、ドアノブに手をかける前にドアが開いた。奥にいたのは美香だった。

 美香が着ているものは部屋着ではなかった。見たことのない、花柄のふわりとした白いワンピースだった。


「おはよう、陸」


 それだけ言って笑うと、美香は玄関へと向かっていった。すれ違う瞬間、香ったのは常の石鹸の香りではなかった。美香のセミロングの髪からは、バニラのような甘さが仄かに香っていた。そんな美香の雰囲気に、ただならぬものを感じた。


「おい」


 俺は美香に、後ろからそう声をかけた。美香はゆっくりと俺に振り返った。


「どこ行くんだよ」


 一つの嫌な想像が頭の中に存在していた。美香の胸元には、小さなネックレスが光っていた。


「……夏見くんと、映画に行くの」


 普段着けないようなそのアクセサリーや、新調されたワンピース。それと、美香自身の醸し出す雰囲気。全てが魅力に溢れていた。こんな風に、可愛くなろうとしている美香の姿は、初めて見るものだった。


「……遅れちゃうから、行くね」


 俺は手の平に爪を食い込ませるほど強く、拳を作った。美香の想いの結晶を、ぐちゃぐちゃに壊してやりたくなった。

 玄関へと歩いていく美香を、背後から捕らえる。肩と腹に腕を回し、抱きしめるようにして。美香は驚いたのか、すぐには抵抗もせず立ち尽くしていた。


「お前が行かなかったら、あいつはどう思うだろうな」


 美香の耳元で、囁いた。


「もう、愛想尽かされるだろうな」


 美香は体に力を入れ、俺を振り放そうとした。暴れる美香を、俺は益々強く抱き締めた。


「やだ、陸っ」


 美香の口元を手の平で覆い、それ以上は何も言わせなかった。美香の息遣いが俺の肌に当たり、全身に熱が広がっていく。

 美香を放せば、夏見のもとへ行ってしまう。美香をここに、俺の隣に留めるには、どうすればいい。


「……行くな」


 どうすればお前は、俺を見る。


「行くなよ!」


 美香は俺を引き剥がそうとして俺の腕に触れていたその手を、そっと離した。美香の抵抗がやみ、静寂が廊下全体を支配した。

 美香が好きだ。夏見などとは比べるべくもないと確信するほど、好きだ。想いを告白したところで、触れたところで、何もかも足らないほどに。

 それなのに俺は、美香を取り戻すすべを知らない。

 体の力が抜け、美香を少しずつ解放した。俺は自分の行為がもたらすであろう結果に恐怖し、それを目の当たりにする前に踵を返した。


「陸っ――」


 美香は俺の背中に向かって呼びかけた。


「待って……!」


 リビングに入り、ドアを閉めようとした直前、美香が俺の腕を掴んだ。俺はそれを思い切り払い、美香との間をドアによって隔てた。

 永遠ではないと思っていたはずの感情は、時が経てば経つほど熱くなっていった。一日一日、美香を見る度、俺は美香を更に欲してしまう。もう冷めることなどないのではないかと思うほど、俺は美香ばかりを求めている。

 求めれば求めるほど、美香は俺から離れていくのに。

 食卓の上には、美香が俺のために作った朝食が、ラップをかけられて置かれていた。

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