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僕が君を求めても  作者: 麻柚
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日曜日

 日曜日。俺と美香は電車を乗り継ぎ、高咲市まで出た。高咲市は俺たちの住む市に隣接するくせに、比べものにならないくらいの活気がある。

 美香が予想していた通り、海斗は朝早くから家を出ていった。部の後輩が自主練習に付き合ってくれるのだと言って、張り切って出かけていったのが印象に残っている。

 そして、俺たちはというと。


「ねえ陸、どんなものがいいのかな」

「高校でも使える物だろ」

「うんと、シューズとか?」

「シューズは足に合わなかったら履けねえぞ。となると、ソックス辺りが無難か」


 海斗の合格祝いを買うため、大型のスポーツショップにやってきた。前日の話し合いの結果、やはりサッカーに関係するものがいいだろうということになったからだ。店内は多種多様なスポーツに適した商品が、それぞれのコーナーごとに並んでいる。俺たちはサッカー用品のコーナーで頭を捻っていた。


「俺が一組選ぶから、お前もう一組選べよ」

「分かった。あとタオルも買っていこう?」


 ソックスもタオルも、消耗品だ。激しい練習を繰り返せばすぐに駄目になってしまうことも多い。いくらあっても過剰だということはないだろう。

 そうしよう、と思い、俺は美香に視線を向けた。目に飛び込んできたのは、楽しげにソックスを手に取る美香の姿だった。まるで自分の買い物をしているかのように、目を輝かせている。


「へえ、こういうのもあるんだ……!」


 美香にはこんな、少し幼い一面があった。そんな美香を見ていると俺のちょっとした悪戯心が疼き、ついからかいたくなってしまうのだ。


「お前が手作りしてやれば?」


 にやにやしながら、そう言ってみる。


「タオルを? 流石に無理だよ」

「だよな。お前センスねえから変なもん出来そう」

「もう、そう思ってるなら言わないで」


 俺の言葉に頰を赤くして答える美香を見て、ははと笑う。


「だって面白えし」


 からかわれているのに気付かないで本気になって捉えるところとか。毎回真っ赤になりながら否定してくるところとか。美香の反応は面白くて仕方ない。何度でも見たくなるくらいには。

 例えばそれが彼女相手だったとしても、他の女とこうして気負わず会話することが、俺には出来ない。此方が何とも思わない一言で怒り出したり泣かれたりする、という経験を繰り返してきたせいで、必要以上に気を使うのだ。だが、美香が相手ならそんなことをしなくても構わない。兄妹だからなのか、美香の性質のおかげなのか。

 結局、俺たちは赤と黒のソックスをそれぞれ一組ずつと、タオル一枚を買って、スポーツショップを後にした。


 *


 店を出た瞬間、一月の冷たい風が俺たちに容赦なく吹きつけてきた。この辺りは山から吹き下ろしてくる風が強く、冬は乾燥する上にかなり冷え込む。寒い、と言いながら手を擦り合わせている美香の吐く息は白い。俺は紺のコートを羽織り直した。ふと山の方を見上げると、そこは雲に覆われ輪郭すら見えなくなっていた。きっと、雪が降っている。


「ああくそ、東京に戻りてえ」

「東京は寒くないの?」

「寒いに決まってんだろ。でもここよりマシ」


 俺と海斗、それと父さんは、元々東京に住んでいた。父さんと元の母さんが離婚して、ちょうど俺が小学四年生の時、父さんが本社から地方に異動になった。そこで美香の母さんと出会ったのだ。そして、俺と美香が小五、海斗が小四の時、二人は結婚。新天地で一から始める、という意味で会社のある隣の県、つまり今の住まいに越してきた、というわけである。

 そんなわけで、俺と美香の間に血の繋がりがないことは、学校の人間でも極一部しか知らない。わざと隠しているわけじゃないけど、わざわざ大っぴらに言うことでもないだろう。双子ではないが同じ学年、という珍しい兄妹として、俺たちは認識されている。


「それにしても人が多いね」

「ウザいくらいな。幸せボケしたようなやつらばっかだ」

「そういうこと言わないの」


 日曜ということもあり、街中を歩いていると色んな人間とすれ違う。子供のおもちゃを買う家族に、手を繋いで寄り添うカップル、賑やかに雑談をしながら通り過ぎていく男女のグループ。どいつもこいつも、寒さを感じないんだろうか。舗道に等間隔に植えられた裸の木でさえ、寒々しいというのに。


「美香、ちょっとそこのカフェ入ろうぜ」

「え?」

「後はスーパー寄るだけだし、どうせ海斗は夕飯ギリギリまで帰ってこねえだろ。つーか俺が寒くて耐えられねえんだよ。行くぞ」


 戸惑う美香の右手を引いて、有無を言わせず歩き出した。目をつけたカフェの自動ドアが開いた瞬間、よく効いた暖房がぶわりと俺たちを包む。その温度差に反応して、冷えていた手はじわじわと赤味を帯びていった。

 カウンターで注文するタイプのそのカフェは混んでおり、カウンター前には軽い列が出来ている。やっぱり、寒さに耐えかねた人間は多いようだ。


「結構人が多いね」

「席はまあまあ空いてるし大丈夫だろ。お前なに飲む?」

「カフェオレ、かな」


 しばらくして、俺たちの順番が回ってきた。ブラックコーヒーとカフェオレを注文すると、スタッフが営業用スマイルを見せる。


「カップルの方は、お二人でココアを注文して頂くと無料でカップケーキをお出しさせて頂くキャンペーンを実施しておりますが、よろしいですか?」


 そう言って、スタッフがレジ横に掲げられた広告を手で示した。今日から来週いっぱいまでのキャンペーンらしく、女受けのよさそうなカラフルなデザインで宣伝文句が書かれている。それなりに魅力的で得なキャンペーンだったが、美香はそれに軽く目を通しただけで、苦笑いを浮かべて口を開いた。


「すみません、私たちカップルでは」


 馬鹿正直な美香を遮り、俺は言う。


「じゃあココア二つで」

「かしこまりました。受け取り口に移動なさってお待ち下さい」


 料金を支払い、すぐ先の受け取り口へと移動する。美香が俺の背中をつついた。


「ねえ、いいの……?」

「いいだろ。向こうが間違えたんだし、俺たちは得したし」


 カップルに間違われたのもこれが初めてじゃない。ていうか、むしろ兄妹だと認識される方が少ないのだ。

 スタッフから、ココアとカップケーキが二つずつ乗ったトレーを受け取った。仄かに甘い香りがする。


「俺トイレ行ってくるからお前適当に座ってろ」


 美香にそう告げて、トイレに向かった。用を足し終え手を洗いながら、鏡に映った自分の顔と対面する。そこには、美香と全く似ていない俺の顔があった。目鼻の形やそれ以上に細かいところでも、どこか一ヶ所くらい似ているところがあってもいいだろうに、と父さんたちが冗談めかして嘆くくらいに、俺たちは似ていない。俺も美香も顔の良さを持て囃されるが、系統が違うのだ。そのせいか二人で歩いていても兄妹に見られることはまずないし、学校の人間には、本当に兄妹かよと笑いながら言われることもある。実際、血の繋がった兄妹ではないわけだけど。

 でもまあそんなこと、俺にとってはまだ些細なことだ。俺が何より面倒だと感じているのが、俺と付き合う女子の中にも美香を意識し、ライバル視し始めるやつが多いことだ。何度、美香とは兄妹だからと説得しても収まらない。そもそも、相手もそれは了解の上で付き合っているはずなのにそうなるのだから、もうどうしようもなかった。それが原因でその時々の彼女と喧嘩したことも、一度や二度じゃない。

 もう一度、自分の顔を見つめる。小さく溜息が出た。


 *


 店奥のトイレを出て、美香を探す。人が多く手間取るかと思ったが、すぐに見つかった。というのも、美香がまだ席に着いていなかったからだ。沢山のテーブル席が設えられた空間の真ん中で、美香は立っていた。疑問に思いながらも名前を呼ぼうとして、ようやく事態を把握する。美香の隣には見知らぬ男がいたのだ。金髪でピアスを複数開けたその男は下卑た笑みを浮かべながら美香に話しかけていて、それと対照的な美香の困り果てた顔を観察すれば、何が起きてるのかは明白だった。ナンパだ。

 これも今まで嫌と言うほどあった。少し目を離すと、もう駄目なのだ。美香がきっぱりとした態度を取れる性格ならこんな苦労もしないのに、と何度もそう思ってきたけど、その性格が美香の短所でもあり長所でもあるから仕方がない。俺は美香のもとへと歩き出した。近付いていくと、二人の会話が聞こえ出す。


「どっから来たの? もしかしてこの近くに住んでたり?」

「い、いえ、違います」

「俺はこの近くなんだよね。でもここで会えたのもなんかの縁だしさ、これからどこか行かない?」

「すみません、あの、それはちょっと、」

「えー、いいでしょ。ねえほら」


 男が美香の腕に触れた瞬間、俺は美香の肩を引き寄せた。トレーの上のココアの水面がぐわんと揺れる。俺の肩に、美香の頰がぶつかった。


「あの。こいつに何か用ですか」


 男は俺の顔を一目見ると、悔しそうな表情をして去っていった。自分の顔のレベルくらいは分かっているらしい。やはりこの、兄妹とは見られない容姿を逆手に取ったやり方は便利だ。俺の顔を見た男はほとんどが喧嘩を売ってくることなく大人しく、そしてさっさと去っていく。


「陸、ありがとう」


 申し訳なさそうに見上げてくる美香をしばらく見つめ、俺は美香の額を指で弾いた。


「いたっ」

「バーカ。トレー貸せ」


 美香からひったくるようにしてトレーを奪った。さっきの男も、トレーにココアとカップケーキが乗っている時点で彼氏の存在を察せよ。まあ俺は、彼氏じゃねえけど。


「ったく、あの男も見る目ねえな。お前のどこがいいんだか」

「本当にごめんね、いつもいつも」

「あーもういい。ウザいから謝んな」


 それから俺たちは、窓際の席を確保した。コートを脱ぎ脇に置いて、腰掛ける。カップを両手に持って息を吹きかけながらココアを飲む美香と、乱暴に呷るだけの俺。美香がカップケーキの外装を剥がし出したので、俺は自分のそれを押しつけた。


「やる」


 美香はきょとんとして、首を傾げた。肩より少し伸びた美香の黒髪が、その仕草に合わせて流れる。


「知ってんだろ。俺甘いもの好きじゃねえし」

「でも、それならどうしてココアにしたの?」

「お前は好きだろうが」


 俺が言うと、美香は一瞬間を置いて吹き出した。笑われる意味が分からず、俺は訝る。


「陸って優しいよね」

「はあ? んだよ急に」

「すっごく、優しいよ」


 美香はますます笑った。優しいなどと言われ慣れない俺は少し気恥ずかしくなって、テーブル下の美香のブーツを軽く蹴った。もう、と呟いた美香は、やっぱり微笑んでいた。


 *


 帰宅してから、美香はすぐに夕食の支度に取りかかっていた。家事のほとんどは美香が一人でこなしている。というのも、今年度から両親が揃って海外支部に異動になったからだった。父さんはフランス、母さんはイタリアで、向こうで二人一緒に住むことが出来ない上、この家で家族全員が揃ったのは去年のクリスマスだけ。二人の休暇がクリスマスしか合わないことが原因だった。そのため、風呂掃除など俺や海斗にも出来るもの以外は全て美香の仕事となっている。毎日家事をこなし、学校に通う。成績も、父さんたちがいた頃と比較して落としていない。それなのに、美香の口から文句や愚痴が零れたことは一度たりともなかった。美香はそういうやつなのだ。


「ただいま……って、なんだよこれっ」

「海斗、合格おめでとう!」


 海斗が帰ってくると、二人で祝った。食卓に並ぶ自分の好物と渡されたプレゼントに海斗が涙ぐんでいるのを見て、美香と顔を見合わせて笑った。海斗を喜ばせることが出来たのが、嬉しかった。

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