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僕が君を求めても  作者: 麻柚
19/44

つかの間の笑い合い

「……よし」


 目の前に出来上がったお粥を見て、頷いた。焦がすこともなく、我ながらまともに出来たと思う。と言っても、お粥なんて失敗する方がおかしいんだろうけど。

 ひとまずキッチンを出て美香の部屋へ向かった。もしまだ寝ていたら起こして、薬を飲ませないといけない。何の躊躇いもなく、俺は部屋のドアを開けた。

 しかし。


「えっ」

「あ……わ、悪い!」


 そこで目にしたのは、着替え途中の美香だった。ちょうどブラウスを脱いだところだったらしく、咄嗟に隠された胸元から少しだけ下着が見えていた。慌ててドアを閉めたものの、心臓がうるさい。つうか、なんでこんなに余裕ねえんだよ。


「ごめんね、もういいよ」


 苦笑しながらドアを開けた美香は、パジャマに身を包んでいた。熱で火照り赤くなっていた頰が、今は青白く見える。俺はベッドに入るよう美香に促した。


「このシート、陸が貼ってくれたんだよね。ありがとう」

「別に大したことじゃねえだろ。それより食欲あるか? お粥作ったんだけど」

「え、陸が?」


 大きな目を丸くした美香が言う。本当に驚いているようだった。少しきまりが悪くなって、唇を尖らせつつ答える。


「なんだよ、悪いかよ」

「ふふ。ううん、陸が料理するなんて思わなかったから」

「アホ。お粥くらい作れるっつの」

「そうだよね、ごめん」


 なおも笑う美香の額を指で弾く。美香は痛いと言って額を押さえたが、それでもまだにこにこしていた。


「お前、絶対馬鹿にしてるだろ」

「そんなことないよ。嬉しい」

「本当か?」

「本当」


 顔を見合わせて笑い合った後、俺はキッチンへ行きお粥を容器に移した。お盆にお粥と水、薬を載せて運んでいく。


「わあ、本当に作ってくれたんだね」

「だから一々嘘なんて吐かねえよ!」

「ごめんごめん」


 美香はずっと、笑うのをやめない。少し腹が立って、俺はお盆を机に載せるとスプーンでお粥を掬った。そのまま美香の口に押しつける。


「ほら!」

「んっ。あつ、熱いよ」

「俺を馬鹿にするからだ」

「もう、横暴なんだから。零したらどうするの?」

「お前のベッドだし。俺関係ねえだろが」

「……ふふ」


 何故かまた美香が笑う。笑うような場面ではないと思うのに、時々美香はよく分からない。


「なに笑ってんだよ」

「なんか、陸だなあって思って」

「は? 俺は俺に決まってんだろ」

「うん。そうなんだけどね」


 やっぱり、意味不明だ。

 でも、美香の笑顔は見ているだけで安心する。俺が笑わせているのだと思うと、嬉しかった。


「陸が変わってなくて、嬉しい」


 俺からお粥を受け取った美香が、それを口にしながら言った。

 変わっていないというのはたぶん、この空間が以前の俺たちのようだからだろう。でも美香、俺は変わったんだよ。お前への気持ちが、歪んで汚くなってしまったんだ。


「……そんなことねえよ」


 変わってなかったら、お前を突き放すことも傷付けることもなかった。俺は変わった。変わってしまった。もう、後には引けないくらいに。

 俺はベッドに凭れかかる形で床に座った。つまり美香には背を向けている。


「食べて薬飲んだら、また寝ろよ」

「……うん」

「あと明日は病院行け。学校には俺が言っとくから」

「ありがとう」


 背中から聞こえてくる声は、だんだんと小さくなっていた。しばらく、沈黙が広がる。

 以前のような光景を取り戻せたのは、ほんの一瞬だった。すぐに、こうしてまた気まずくなってしまうのだ。美香がいると思うとどうしても落ち着かなく、背中が気になってしまう。でも振り返ってもし目が合っても、どんな顔したらいいか分からない。


「……陸」


 美香が、弱々しい声で俺の名を呼んだ。


「今日は本当に、ごめんね」

「気にすることじゃねえだろ」

「でも、」

「しつこい」


 自分ばかり責めんな。お前には海斗がいる。服部や加藤だっている。お前を思ってる奴なんて、いくらでもいるんだ。


「やっぱり私、駄目だよ……」


 涙ぐんだような、か細い声で美香が言葉を発する。俺は思わず美香を見てしまった。そこにはその声と同じように、眉根を寄せて涙をこらえる美香がいた。鼓動が早まる。


「私っ……私ね。どんなに嫌われていても、陸が兄妹じゃないなんて、思えないの」


 美香、そんな顔すんなよ。

 違う、違うんだよ美香。お前を嫌うなんてそんなこと、あるはずないだろ? 俺もお前が好きだ。お前とは少し、違った形で。


「今もこんなに笑ってくれてて、私、凄く嬉しくて。少し前に、戻れたみたいでっ……」

「美香……」

「迷惑なこと言ってるのは分かってるよ。陸は私を兄妹だと思いたくないことも、分かってる」


 違う。何もかも、誤解だ。


「陸はどう思っててもいい。でも私は、ずっと兄妹だと思っていたいの。……ごめんなさい。それだけは、許してほしいの」


 美香は泣いてはいなかった。でもお粥の入った容器を握るその手は、体は、震えていた。今にも泣いてしまいそうなほどに。

 美香の言葉はあまりにも温かくて、でも残酷だった。

 俺は結局、美香にとっては永遠に兄妹なのだ。それ以上にはなれない。でも赤の他人とは違って、美香のそばにいることはできる。最低なことばかりしてしまった俺を、それでもまだ慕っていてくれて、俺を兄妹だと思いたいと言ってくれた。


「ごめん、ごめんね……」


 俯いてそう繰り返す美香は頼りなくて、守ってやりたくなる。救ってやりたくなる。

 俺は美香の頰に手を伸ばし、壊れ物を扱うみたいに優しく柔く触れた。それは、全く意識の外で行われたものだった。


「陸……?」


 だから、美香が俺を見つめるまで自分のしたことに気付いていなかったのだ。


「……わ、悪い」


 目が合ってからハッとして手を下ろす。

 今はこれ以上ここにいない方がいい。そう思って、立ち上がった。


「もう寝ておけ」

「……うん。でも、待って」


 そう言って、美香はベッドの隣にある引き出しから何かを取り出した。


「これ、陸に」


 綺麗に包装された縦長の箱だ。中央に紺色のリボンが結んである。


「ずっと、渡せなくて。遅くなってごめんね。誕生日プレゼント、なの」


 ざわ、と心が揺れる音がした。

 俺の誕生日。それは俺が、美香を深く傷付けた日だ。俺たちの関係が決定的に拗れてしまった日だ。そんな日のために用意した物を、今まで美香は、ずっと持って。


「いらなかったら捨ててもいいから。受け取ってほしいな」


 震える手でそっと受け取る。俺の様子のおかしさは、美香に感づかれなかっただろうか。


「……ありがとう」


 もらったのは俺の方なのに、美香はそう言って微笑んだ。込み上げてくる熱い感情を、必死に押し殺す。

 触れたい。抱き寄せたい。好きだ、と、そう言ってしまいたい。


「おやすみなさい、陸」

「……あ、ああ」


 辛うじて声を絞り出し、美香の部屋を出た。

 隣の俺の部屋で、立ったままゆっくりと包みを解く。箱に入っていたのは、ペンケースだった。


「あいつ……」


 俺はもう何年も同じペンケースを使っていて、だいぶぼろぼろになっていた。でも買い換えるのが面倒で放置していた。きっとそれを美香は知っていて、だから、これを。

 箱の中のペンケースはシンプルな形をしていて、色も俺の好みに合う。俺のために、俺を思って選んでくれたことは一目で分かった。

 美香はずっと、俺を思っていてくれた。それなのに俺は、どうせ俺の気持ちなんて理解されないって決めつけて、独りよがりな考えで美香を傷付けて。あまりに未熟で、最低だった。


「ごめん、美香」


 俺はどうすればいい? どうすれば俺も美香も、笑えるようになるだろう。

 誰か、教えてくれよ。

 美香が好きなんだ。どうしようもなく。


 *


 その夜一人で夕食を摂っていると、海斗が帰ってきた。俺の姿を見て、不思議そうに首を傾げる。


「あれ、姉貴は?」

「学校で熱出した。今は部屋で寝てる」

「は⁉︎」


 海斗はその場に荷物を落として、俺に歩み寄ってきた。


「大丈夫なのかよ?」

「ずっと俺がついてたんだ。心配ねえよ」

「……なんか、それはそれで心配だけど」

「おい」


 俺が睨むと、海斗は笑った。それから、俺の手元にある食事に目を移す。


「それは?」

「今日の夕飯。俺が作った」

「つ、作った?」


 海斗が素っ頓狂な声を上げる。食卓に並んでいるのは、お粥の残りと缶詰、カップラーメン。


「ぶはっ、兄貴! それ作ったうちに入んねえから!」

「はあ? ふざけんなよお前。このお粥だって俺が一から作ったんだぞ!」

「あーはいはい。頑張りましたねー」

「てめっ、文句あるならなんか買ってこい!」

「ないない、ないです。兄貴の、ぷっ、料理なんて貴重だからな。有難く頂くよ」

「お前ほんと覚えてろよ」


 事あるごとに海斗は俺をからかってくるが、少しは兄貴に対する敬意は持ってないのかよ。

 海斗は自分の分のお粥をよそってきて食卓に着き、手を合わせた。


「あーあ。今日は姉貴の美味しい肉じゃがが食べられるはずだったのに」

「だから文句あんなら、」

「ないって。兄貴の美味しーいお粥を食べるよ」


 腹が立つのに、海斗がにこにこしながら食べている様子を見ると怒鳴る気もなくなる。海斗にはどこか、ムードメーカーの気質がある。


「……でもさ。俺、姉貴が風邪っぽいの気付いてたのに。無理させちまったな」


 海斗も、美香のことを大切に思っているのだ。それは勿論、家族として。


「なあ兄貴。兄貴は、姉貴と距離を置くって言っただろ?」

「……ああ」

「それで、姉貴は傷付いてる。……俺、考えるんだ。どうすれば、姉貴も兄貴も笑い合えるだろうって」


 俺もずっと考えている。でも、答えは見つからない。俺が美香を諦めること以外に。そして諦められないから、思考も行き詰まってしまう。


「俺正直、姉貴の気持ちが兄貴に向けばいいのにって思うんだ」

「は……?」

「そうすれば兄貴も姉貴も、幸せになれるだろ? そりゃ、姉貴自身の気持ちだから勿論強制はできないけど」

「海斗、」

「もし、もしさ。姉貴が兄貴を好きだってなったら、その時は二人のこと応援するから。父さんたちが反対しても、兄貴たちの味方するから」


 俺の気持ちを思って、言ってくれているのだろう。海斗の思いやりを感じる。

 美香の気持ちが俺に向けば、そうなったらどれほどいいか。だけど、それはなさそうだ。


「兄貴たちお似合いだと思うんだよ。兄貴は姉貴を絶対守ってくれると思うし、何かと心配な兄貴も姉貴がそばにいれば大丈夫だろうし」

「何かと心配って何だよ」

「まず生活力がないだろ、隙あればサボろうとするだろ、それから……」

「もういい。もう言うな」

「あ、怒ったか?」

「別に怒ってねえよ」


 思いやってくれてる、けど、やっぱりもう少し兄貴を敬う心も備えてほしいものだ。


「……気になるな。姉貴と本を交換してるっていう男の人のこと」

「今日会った。その男」

「ほ、ほんとか?」


 海斗が身を乗り出して俺の話に食いついてきた。俺は缶詰の焼き鳥をつまみながら頷く。


「どんな人だった?」

「分からない。でも悠太の話を聞く限りじゃ、俺と正反対な男らしい」

「広井先輩も知ってるんだ……」


 兄妹でなかったら、あんな男には絶対負けない、と思えただろう。兄妹という壁さえなければ。

 ただ、悪い奴には見えなかった。以前の田嶋のように何か裏がある雰囲気ではなかった気がする。むしろ、限りなく素直で嘘が吐けないような感じだった。それこそ、美香のように。


「……海斗。食べたら、美香の様子見に行くか?」

「ああ。そうする」


 なんにせよ、美香の気持ちがまだ見えない以上、俺は様子を静観してるしかない。

 それから、海斗と二人で缶詰をつつき合い続けた。カップラーメンを啜る音が静かに響く。


「……なあ兄貴」

「なんだよ」

「やっぱり、もうちょっとまともな食事作れるようになった方が良いぜ」

「うるせえ!」


 *


「姉貴ー?」


 海斗が先導して、そっと美香の部屋のドアを開ける。美香は眠っておらず、ベッドの中で本を読んでいた。


「海斗。帰ってたんだ」

「おう。熱、大丈夫か?」

「うん、少し寝たら下がったみたい。その代わりに今寝つけなくなっちゃって」

「じゃあさ、少し話そうぜ。三人で、最近あったことの話」

「最近あったこと?」

「ああ。ほら、兄貴も入れって。……じゃあまず、俺からな」


 海斗はクッションの上に腰を下ろし、俺は勉強机の椅子に腰掛け海斗たちの方を向いた。


「うちの新部長さ、普段は寡黙でそれこそ寝てんのかってくらい存在感なくて、しかも天然なんだ。でも練習中は凄く厳しくてさ」

「そういう奴ってほんとにいるんだな」

「部長の落差はマジでヤバいぜ。それでみんなに厳しいんだけど、特に俺には厳しいように感じてさ。不安に思って副部長に聞きに行ったんだ」


 不安に思って、と言う割に口取りは軽い。俺は腕と足を組んで海斗の話を聞いた。美香も興味深そうにしている。


「で、その新副部長は対照的にいっつも明るい人でさ。部長に怒られた人を後でさりげなくフォローしたりしてくれてるんだ」

「うん」

「それで副部長に、俺部長を怒らせるようなことしましたかって聞いたんだ。そしたらなんて言われたと思う?」

「なんだよ」

「俺に一番厳しいのは、そのぶん俺に期待してるんじゃないかって!」


 驚いた。それだと海斗は、サッカーの名門校で実力を認められているということじゃないか。その海斗が中学だと埋もれていたのは、周りの実力が海斗に追いついていなかったからだろうか。

 美香は海斗の発言を受けて、晴れやかな表情で手を合わせた。


「本当に? 海斗、凄いじゃない」

「だろ、凄いだろ? 俺もう嬉しくてさ、飛び上がっちゃったよ」

「ふふ、海斗らしい反応だね」

「目に浮かぶな。その姿」


 喜びとかそういう感情を、海斗は素直に表に出す。納得できない時も裏で言わず正面から本人に言って、怒りはすぐに忘れる。中々、良い性格をしているもんだ。


「あ、兄貴なんだよそれ。俺は単純だってか?」

「事実だろ?」

「まあな。兄貴みたいにひねくれてねえから」

「なんだよその言い方は!」

「ふふ、まあまあ二人とも。その辺にして」


 俺と海斗がいがみ合っても、たちまち美香が仲裁してくれる。だから喧嘩には発展しない。


「じゃあ、次は姉貴。最近あったことは?」

「うーん、特に思いつかないなあ」

「えー! なんか、なんでもいいから言ってみろよ!」


 海斗が、胡座をかいているその足をパタパタとさせた。


「うーん。……あ、私の友達に千歳ちゃんって子がいるんだけどね」

「ああ、知ってる」

「陸知ってるの? それなら早いかも。千歳ちゃん、前に食堂で見た凄く良い食べっぷりをする男の子が誰なのか気になってるみたいなの。それで話を聞いたら、どうも小峰くんのことみたいで」

「あー、小峰先輩の食べっぷりは見てて清々しいくらいだよな!」


 海斗は度々うちへやってくる悠太と俊也のことを知っている。初めて海斗を二人に会わせた時は、陸の弟とは思えないくらい素直だと散々の言われようをした。


「一学期に一度見かけて以来見つけられないんだって言ってたの。千歳ちゃんも細いけど食べるのが大好きで、あれには同類臭がするーって言って会いたがってて」

「なんだ、じゃあ別に俊也が好きってわけじゃねぇんだな」

「あ……うん。たぶんそうだと思う」

「俊也にも春が来たかと思ったけど、まだ来ねえか」

「でも小峰先輩、結構かっこよくね? その気になればすぐできそう」

「その気にならねぇから駄目なんだよ、あいつは」


 放っておけば、死ぬまで舌を肥やすことだけに生きそうなくらいだ。


「もしよかったら、紹介してあげてくれないかな? 千歳ちゃんは食堂のおじさんとも仲良しだし、凄く面白くて良い子だから小峰くんにとっても悪いことじゃないと思うの」

「分かった。後であいつに言っとく」

「姉貴と兄貴の知り合いが繋がったのか。世間は狭いんだな」


 確かに狭い。あの服部と俊也が繋がるとは想像もつかなかった。


「でも陸、どうして千歳ちゃんのこと知ってたの?」

「……別に。たまたまだ」


 まさか俺のところに、お前を傷付けるなと直談判に来たんだとは言えない。美香の疑問は解消されないようだったが、もう追求されることはなかった。


「最後。兄貴は?」

「俺は……」


 何があっただろう。最近は美香を中心に俺の生活が回っている気がして、それ以外の出来事となるとそれほど思い当たらない。美香が目の前にいる今、話せるとしたらなんだろう。


「……あ、お前」

「え、どうしたの陸?」

「あの……あのさ。噂、知らないよな? 俺と、その、田嶋の」

「噂?」


 美香がきょとんとする。噂、そして田嶋という語を聞いても閃いていないあたり、美香は知らないのかもしれない。心の底からホッとする。


「噂って、何?」

「いや、何でもねぇ。知らねぇならいいんだよ」

「気になるよ。教えて?」


 高い位置にいる俺を見上げる美香は、上目遣いだ。可愛くて何でも教えてしまいたくなるが、こればかりは言えない。


「教えねえよ」

「え。てかさ、もしかしてその田嶋って人、えっと、田嶋……(いつき)。田嶋樹先輩か?」


 思いがけず海斗が田嶋の名前を口にして、美香と二人で顔を見合わせる。


「なんで知ってんだよお前」

「海斗に田嶋くんの話、してたっけ?」

「いやいや。有名だぞ、兄貴たちの学校の田嶋先輩って。地区予選の一回戦負けが当たり前だったバスケ部を県の準決勝まで引っ張っていったって」


 そんなに凄い奴だったのか、あいつ。全くそんな雰囲気は漂わせていなかったが。


「うーわー、ってか兄貴たちが田嶋先輩と知り合いだったとかやべえんだけど! みんなに自慢出来るわ」

「そこまでかあ? 普段のあいつはただの憎たらしい奴って感じなんだが」

「そこまでだって! 俺の学校、バスケも強いからファン多いぜ。特に女子に」

「そうなんだ。やっぱり田嶋くん、凄い子なんだね。そんな子が友達なんて私も嬉しいかも」


 口だけではなかったということか。それはそれで憎らしいが、現実は現実として受け止めておく。


「本当だよ! なんでもっと早く教えてくれなかったんだ?」

「まさか田嶋くんがそんなに凄いなんて思わなくて」


 二人して、随分楽しげだ。


「……で、兄貴。田嶋先輩の噂ってなんだ?」


 思い出した風に、海斗が俺に話を振ってきた。


「教えねえって言ってるだろ!」

「教えろよ!」

「教えねえって!」

「教えてくれなきゃ、兄貴が料理だって言い張った今日の夕飯のこと姉貴にバラすぞ!」


 う、と言葉が詰まる。ニヤニヤと話す海斗に、美香は興味を唆られていたみたいだった。どちらを知られるのも、俺としては恥ずかしいことこの上ない。

 でも、もうやけくそだ。


「ああもう、うるせぇな! 田嶋と俺がデキてるって噂だよ!」

「でっ……⁉︎」

「え……どういうこと?」

「だから! 俺と田嶋が付き合ってるんじゃねぇのって噂!」


 大声を上げれば、美香も海斗も呆気にとられていた。


「ええっ⁉︎ そ、そうだったの?」

「んなわけねーだろ馬鹿!」

「あははっ、でもそれくらい仲良いんだ。凄ぇんだな兄貴」


 凄いのかなんなのか。とにかく、付き合っているという噂は迷惑でしかない。田嶋にとっても、俺にとっても。


「そろそろ、姉貴も寝た方が良いかな」

「うん。……ありがとう、楽しい話聞かせてくれて」

「なに言ってんだよ姉貴。お礼言われるようなことじゃねぇだろ?」

「……そうだね」


 特別でないはずのこうした場面が、今の俺たちにとっては特別なのだ。誰も口には出さないが、美香も海斗も、そう考えていると思う。


「じゃ、おやすみ姉貴」

「おやすみ海斗、陸」

「……おやすみ」


 美香は最後まで笑顔で俺たちを見送った。部屋から出ると、海斗に囁かれる。


「……田嶋先輩、姉貴のことどう思ってんだよ。話を聞く限り、気があってもおかしくなさそうだけど」

「田嶋は、俺を応援してくれてる」

「えっ、じゃあ先輩も、兄貴の気持ち知ってんのか?」

「知ってる。だから田嶋は美香を好きなわけではないと思う。でも、特別に思ってることは、確かだ。それはあいつから感じられる」

「……そう、か」


 海斗が風呂に行くのを見送り、俺は部屋へ入った。

 先程のような瞬間が、次はいつ訪れるだろう。三人で笑える瞬間が、今度はいつ。

 俺は、今日という日だから美香に向き合えた。美香が熱を出すという、非常事態だったから。だから普段に戻れば、駄目なんだ。美香の笑顔に苦しくなる。辛くなる。

 夏見のこと、美香には聞けなかった。

 美香の心が物に出来ないなら、体だけでいい。触れたい。そう思う俺は、やはり穢れているんだ。

 構わない。美香を穢してしまうくらいなら、俺は幾らでも穢れる覚悟だ。

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