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僕が君を求めても  作者: 麻柚
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舞台上の輝き

 今日と明日、学校では文化祭が行われる。うちの学校はまあ盛り上がる方で、外部から訪れる人間も多い。廊下も各ブースもガヤガヤと人で埋まっている。

 そんな中、俺たちのクラスは擬似プラネタリウムをやっていた。教室を暗くし、投影機で星々を映し出すのだ。解説も割と凝った出来となっている。


「あっ、あそこじゃない? プラネタリウム」

「うわ、マジでちょーかっこいい」

「生の藤村陸とか貴重すぎじゃんね」


 髪を真っ金金に染めた女子集団の、きゃあきゃあとした声が響く。俺の隣の田嶋は、そんな彼女らに笑顔で頭を下げていた。


「あの、プラネタリウム見たら握手してもらえるって聞いたんですけどマジですか?」

「はい。お写真を撮ることも可能ですよ」


 田嶋の言葉を聞くと、大勢の女子(それと女性)がぎゃああと悲鳴をあげて、中へと吸い込まれていった。先程からずっと、こんな調子だ。見たところ八割方、来場者は女だろう。


「なんでプラネタリウムで握手なんだよ」

「仕方ないよ。僕らが断りきれなかったんだから」


 田嶋が肩を竦める。田嶋の身長に対し、その手にある立看板はかなり小さい。

 俺と田嶋は、客引きの役割を半ば無理矢理に引き受けさせられていた。勿論というか、ターゲットは女子だ。始めの計画では教室の前で看板を持って立っていればよかったはずなのに、だんだんとオプションがエスカレートしていった結果、田嶋が言ったようなことをやらされている。一緒に写真とか、握手とか。アイドルかよ。


「所詮僕らは客寄せパンダさ」

「ムカつく響きだな、ほんとに」


 盛大に溜息を吐いて、俺は壁に凭れた。


「つーか写真、俺たちだけを写してく奴らはなんなんだろうな」

「ああ、ね。撮る時二人で手ェ繋がされたりするしね。あれは謎だよ」

「お前と繋いでもゴツくて嬉しくねーし」

「藤村くんの手は案外すべすべしてて気持ちいいね」

「キモいこと言うな」


 立っている以外にやることがないため、田嶋と中身のない会話を続ける。


「でも、やっぱり藤村くんの方が人気だね。嫉妬しちゃうなあ」


 立て看板の柄で床を引っ掻きながら、全然そんなこと思ってなさそうな口調で田嶋が呟いた声をかけてきた女子を中に案内してから、戻ってきた田嶋は教室の方を覗きながら言う。


「なんか、不思議だよね」


 俺が田嶋に目を向けると、田嶋も俺を見た。


「なんとも思ってない子や知らない子にはいくらでも触れられるのにさ。本当に触れたい子には、一ミリだって触れられないんだから」


 目線は俺を捕らえていたが、田嶋はどこか遠くを見ている気がした。

 田嶋の言っている、触れたい人間とは、美香のことなんだろうか。田嶋にとっての美香がどんな存在なのか、正直、読めない。


「あ、ほらほらあそこ! めっちゃ星が綺麗らしいよお」


 突然、聞き覚えのある声が耳についた。別のクラスの方角から、新井が歩いてくる。私服の男を引き連れていた。

 新井は俺に気付くと、一瞬目を見開いた。それから、左目の下瞼を引っ張りながら舌を出す。呆気にとられているうちに、新井たちは此方まで歩いてきた。


「すみません、入れますかあ?」

「只今上映中ですので中にて少々お待ち頂くことになりますが、よろしければ是非どうぞ」

「分かりました!」


 田嶋が答えると、新井たちはさっさと中へ入っていった。新井の隣にいた男が、例の告白されたという幼馴染なんだろう。


「さっきの子、知り合い?」

「ああ、まあ」

「なんか随分君に対して挑戦的だったけど」

「……気のせいだろ」


 ていうか藤村くんも案内の仕事してよ、という田嶋の文句を「やだ」の一言で一蹴する。これだからイケメンは、とよく分からない理屈で田嶋に呆れられた。


「藤村くんはお昼食べたら抜けるんだよね? 演劇部、午後イチだっけ」


 演劇部の発表は体育館で行われる。田嶋の言う通り、午後の部の一番始めだ。今日の発表の、目玉の一つでもあるらしい。


「いいね。僕も見たかったな、藤村さんの舞台姿」

「…………」

「あのポスターは狡いよね。絶対ライバル増えちゃうし、藤村ファンは胃が痛いかも」


 ふふ、と笑う、田嶋の横顔に陽が射していた。色素の薄い髪が、茶色く光っている。


「田嶋」


 目を細めて、真正面の窓の向こうを見ていた田嶋が、ん? と俺の方へ首を巡らせた。


「美香のこと、好きか?」


 俺の言葉に、田嶋は元々大きな瞳をさらに丸々と太らせて俺を見つめた。それから立て看板のてっぺんに両腕を寝かせて、その上に顎を乗せる。


「好きだよ」


 なんの迷いもない、即答だった。


「君には敵わないけどね」


 くすりと微笑む田嶋に、「当たり前だろ」と俺は言った。


 *


 午後の部開演を前にして、体育館内は騒ついていた。用意されたパイプ椅子の席も多くが埋まっており、いかに注目されている出し物かがよく分かる。俺は前から四列目の中ほどに空席を見つけ、確保した。


「大人しいイメージだけど、藤村さんってどんな演技すんだろな」

「聞いた話だとあの役は藤村さんをイメージしながら台本家が書いたらしくて、それで本当に藤村さんが演ることになったらしいぜ」


 ふっと、真後ろから聞こえてきた男子たちの会話に、俺は度肝を抜かれた。美香をイメージして書いた、なんて本当だろうか。


「どうやら間に合ったみたいだね」


 そう言いながら空席だった俺の右隣に座ったのは、客引きをしているはずの田嶋だった。


「……なんでここにいるんだよ」

「やっぱりどうしても藤村さんの舞台姿が観たくて。客引きは小峰くんに託してきたよ」

「俊也に?」

「小峰くんはぼんやりしてるからあれだけど、シャキッとしてれば案外かっこいいからね」


 案外、をわざわざくっつけて発言するところが嫌味な田嶋らしい。

 そのうちに体育館の照明が落とされ、上演が始まった。美香とともにポスターに写っていた女子が、舞台の中央に登場する。


「子供の頃はあんなにそばにいたのに、貴方はもう私の手の届かないところへ行ってしまったのね」

「こんなに好きなのに、私は貴方と結ばれることは決してないなんて」


 メイド服を着た主人公、サラの声は、しっとりとした音響とともによく通った。歌うような、瑞々しい声だった。

 ストーリーは順調に進んでいった。

 幼い頃、一緒に育てられた王子と使用人の娘。しかし成長するとお互い自由に会うことは叶わなくなった。今、一メイドとして王家に仕えるサラは、王子に想いを寄せている。美しい姿形の王子と、みすぼらしくなり下がってしまったメイド。実ることはない、禁断の恋。


「貴方の周りには魅力的な女性がたくさんいる。貴方はきっと、私なんて忘れてしまったのでしょう」


 近頃は、王子の婚約者を探すためのパーティーが盛んに催されるようになっていた。そのシーンで、王子は多くの女に囲まれている。だがサラはパーティー会場に入ることもできず、ただひたすら王子のために裏仕事をしていた。

 そんな時のことだった。サラの前に魔女が現れ、サラを王子好みの、才色兼備な女性に生まれ変わらせてくれると言う。但し代償として、視覚、聴覚、嗅覚など、体の一機能を捧げなければならなかった。

 王子の容姿、声、香り。全てを失いたくなかったサラは、自らの声を捧げることに決めた。そうしてサラは美しく変貌を遂げる。

 舞台の照明が完全に落とされ、中央に一筋のスポットライトが照らされた時。そこには、美香がいた。

 美香は晴れやかな笑顔を浮かべ、ドレスを翻しながらその場で一回転してみせた。


『やったわ! これで私も、貴方に釣り合う女になれたわよね?』


 美香の声ではない。恐らく舞台上の美香の動きに合わせて、舞台裏か音響室から声を当てているのだろう。発声能力を失った主人公の、心の声に違いない。

 美香の笑顔を、久しぶりに見た。

 それから場面は変わる。再びパーティー会場となり、サラはその姿のままでそこに出席した。サラに気付いた王子が、彼女に近づく。


「不思議だ。貴女とは、初めて会った気がしない」

『それは初めてではないからよ。私、貴方のもとへ来たわ』


 話すことができないサラは、ただ微笑む。

 王子がサラをバルコニーへとエスコートする。照れたように、サラは王子の手を取っていた。それが美香と王子役の男との光景に見えてしまい、拳を固く握りしめる。こんなことにすら嫉妬する自分が、嫌だった。


「貴女のように穏やかに私の話を聞いて下さる方をずっと待っていました」

「このパーティーを訪れて下さる女性は、誰もが華やかに着飾った方ばかりです。ですがそんなもので人間は推し量れない」

「私も、お相手の方も。お互いが素直な気持ちで接することができる方を、私はずっと探し続けているのです」

『……素直な、気持ち』


 それを聞いたサラは、王子からわずかに体を引いた。視線を外すように顔を背ける。


『私のこの姿は偽りのものだわ。決して素直な気持ちじゃない。私、王子のこと分かっていなかった』


『馬鹿ね、私。王子が美しさだけで人を判断するお方ではないこと、私が一番知っていたはずなのに』


 サラの心中の思いを、王子は知るよしもない。


「実は私には、兄弟のようにともに育てられた娘がいるのです。その娘の前では、私はいつでもありのままの自分でいられた」


 ハッと、サラが王子を見つめる。


「もう何年も直接会っていません。顔も分からない。でも当時の彼女の笑顔ははっきりと覚えています。僕は彼女のような笑顔を浮かべて下さる女性を、探しているのですよ」


 そこで王子が退場する。舞台には、サラだけが残された。

 再び中央でスポットライトを浴びながら、サラは――美香は、祈るように手を組んでいた。ポスターの写真と同じ仕草だった。


『私、何もかも間違っていたんだわ!』


『王子は今でも私のことを覚えていて下さった。忘れてなどいなかった。それなのに、私は』


 主人公の心の声である台詞が、熱を帯びていく。後悔、悲しみ、自分に対する怒り。全てが籠っていた。

 そして、その瞬間。美香の瞳から、一筋の涙が零れた。はらはらと静かに、嗚咽を漏らすことなく泣いている。ステージから遠く離れた席にいて涙そのものが見えなかったとしても、泣いていることだけは伝わっただろう。美香はまとう空気全部で、哀愁を表現していた。

 会場は、しんと静まり返っていた。


「……凄い」


 その小さな呟きは、俺の隣から聞こえてきたものだった。田嶋ではなく、もう一人の方だ。横顔を盗み見ると、厚い黒縁眼鏡をかけた男子が、食い入るようにステージを見つめていた。俺も舞台に向き直る。ステージ上の美香の涙が、照明に反射して輝いて見えた。


『私、元の姿に戻るわ。いいえ、戻して下さい。お願いします――』


 瞬間、スポットライトが消えた。照明が点き直すと美香はもういなくなっていて、メイド服を着た主人公がとある部屋を清掃する姿が現れた。

 そこからは一気にクライマックスへと向かっていった。サラが清掃するその部屋に王子が登場し、何十年ぶりかの再会を果たす。一度失われた声が戻らなかったサラは、王子に微笑みかける。見覚えのあるその笑みに、王子は全てを悟った。


「君が、サラなんだね?」


 怖々と頷いたサラの手を取り、王子は再会を喜んだ。


「私の初恋の人の笑顔は今でも変わらないのだな。ずっと、君の笑顔が見たかった」

『私も、私もずっと貴方だけを、お慕いしておりました』

「これからは私のそばに離れずにいてほしい、サラ」


 二人が抱きしめ合ったところで、上演は終了した。幕が下りると同時に、体育館内の電気がぱっと点る。会場は大きな拍手で満たされていた。


「ストーリーはありきたりっていうかお伽話のつぎはぎってところもあったけど、割と面白かったね」


 足を組んで拍手しながら、田嶋がのたまった。批評家気どりかよ、と俺はちょっと鼻白む。

 拍手が鳴りやむと、席を立つ音が聞こえ始めた。俺の左隣にいた男も、そそくさと去っていく。その後ろ姿を目で追っていると、再び田嶋が口を開いた。


「あの子、一年生かな。凄い、なんて可愛い感想だね」

「お前にも聞こえてたのか」

「あんなに静かなら嫌でも聞こえるさ。それにしても舞台に立つ藤村さん、なんかオーラがあったよ」


 田嶋が素直に褒め言葉を口にするのも、相手が美香だからだろう。


「サラは王子と結ばれたのかな。受け手の想像に任せるってやつだろうけど、気になるね」

「結ばれねえだろ」

「え、なんでそう思うの?」

「禁断の恋、なんだろ。それがそう簡単にいくわけねえ」


 道徳的に結ばれることが許されないわけでは決してない。でも二人の間にはとてつもなく大きな壁が立ちはだかっていて、それは容易に壊せるものじゃない。

 想いが通じ合っても祝福されない。そもそも、通じ合う過程までもが困難と苦難の連続だ。禁断の恋なんてもの、するべきじゃない。自分がすり減るだけだ。


「……なるほどね」


 田嶋は意味深に言って、席を立った。


「そろそろ戻ろうか。小峰くんに悪いし」

「あいつに押しつけたのはお前だろ」

「君も道連れってことで。さあ行こう」


 いつの間にか、周囲には人がほとんどいなくなっていた。次のプログラムである吹奏楽部の準備が始まっている。

 煌びやかな衣装を着た美香の涙が、瞼の裏に焼きついていた。


 *


「今日悠太がファミレス寄ってくって言ってるけど、お前どうする?」


 文化祭の一日目が終了して片付けの最中、俊也に声をかけられた。行く、と答えると、横から田嶋が口を挟む。


「えー、僕も行きたい」

「分かった、田嶋もな。悠太に伝えとく。じゃあ俺先に悠太のとこ行ってるから、また玄関で」


 俊也が教室を出ていく。客引き用の看板を教室後方のロッカーの上に放って、俺と田嶋も教室を出た。


「お前、俺たち以外に友達いないのかよ」

「あ、僕のこと友達だって思ってくれてるんだ」

「揚げ足取るな。どうなんだよ」

「君がいれば友達なんていらない」


 真顔で、田嶋が言い放った。ドン引きだ。キモ、と呟くと、「僕の一大告白にその感想、ひどい」と額に手を当てて、嘆く真似をした。


「……あ、藤村さん」


 西階段に足をかけようとして、田嶋の言葉に驚いて振り返った。息を切らした美香が、田嶋くん、と名前を呼ぶ。遅れて俺に気付いたのか、美香は少し気まずそうにした。


「ごめんね呼び止めちゃって。急いでるの?」

「私、演劇部のお手伝いをさせてもらったんだけど、それで後片付けの応援に行こうと思って。みんなやらなくて構わないって言ってくれたんだけど、やっぱり申し訳ないから」

「そうなんだね。あ、舞台観させてもらったよ」

「え、ほんと?」


 うん、と頷いて、田嶋が俺の腕を掴む。


「藤村くんも一緒に」


 田嶋の発言に、美香は瞳を大きくさせた。だがすぐに柔らかい表情を作ってみせて、ゆっくりと肩から力を抜いていた。


「すごく綺麗だったよ。それに、あんな風に泣けるなんて凄いね」

「ありがとう。そう言ってもらえると凄く嬉しい」

「ねえ、藤村くんもなんか言ってあげなよ、感想」


 唐突に、田嶋が俺に水を向けた。そのことに俺以上に困った顔をしたのは、美香だった。


「い、いいよ田嶋くん。無理に言ってもらわなくても」

「でも藤村くんの感想、藤村さんも聞きたいでしょ?」


 田嶋の言葉で、美香は黙ってしまった。ほら、と田嶋が俺を急かす。

 ――田嶋くん、優しいし。

 いつか、美香はそう言っていた。どんだけ見る目ねえんだよ、と今まで思ってたけど、そうでもないのかもしれない。少なくとも今の田嶋のこの行動は、微妙な距離感にある俺と美香を繋げようとする、奴なりの気遣いなんだろうと分かった。

 美香が、水気の多い瞳で俺を見ていた。駄目だ、と俺は思う。無垢な、その瞳にすら欲情する俺は、美香を遠ざける以外にすべがない、どうしても。


「なんで演ったんだよ、あんなもの」


 瞬間、怯むように美香の喉が動いたのが分かった。


「お前の柄じゃねえだろうが。似合ってねえんだよ」

「ちょっと、藤村くん。そんな言い方、」

「大丈夫だよ田嶋くん。じゃあ私、行くね」


 苦笑して、美香がそそくさと去っていく。俺も身を翻して階段を下り始めた。そんな俺に、田嶋もついてくる。


「藤村くん、ちょっとあれはないんじゃない? 闇雲に彼女を傷つけているだけじゃないか」


 背後からそう捲し立てる田嶋を無視して、どんどん階段を下りる。藤村くんてば、と俺の肩に手を置いた田嶋を、「うるせえな」と振り払った。


「分かってんだよ、そんなこと」

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