戦いの螺旋
微かな風に煽られて砂埃は移動する。2つの影は次第に輪郭を明らかにし、ゆっくりとした所作で近づいてくる。
「紫竜、あれは・・・」
問いかけを視線だけで制した紫竜は、彫刻のように無機質な表情へと変わっていた。
現れたのは2人の人間。それも女だった。
1人は薄い赤色の着物をまとい、髪は黒で無造作にたれている。切れ長の目に紅を塗ったような朱色の唇が印象的だ。
「こら大物やなー。安達ヶ原の鬼女、岩手さんやんかー。まだ生きとったんかいな。」
唇以外は1ミリも動かさず発される声は、静寂を切り裂く刃のようだ。
(こいつが一番ヤバイ!)
頬につっと冷たいものが流れ落ち、顎を伝い砂を濡らす。敵を見据える紫竜の視線に指一本動かせない。
「隣の子・・・紹介してや。えらい面白そうな子やん。」
傍らに佇む少女は12、3歳に見える。髪は黒く綺麗に切りそろえられている。いわゆるおかっぱだ。漆黒の法衣をまとい、右手には、自身の身の丈よりも長い錫杖を持っている。
日本人?と明人は思ったが、開かれた瞳に燐光が揺れるのを見て間違いに気づく。
「――人間じゃない。」
明人は祈るように呟く。
「黙ってらんとなんか喋れや。用事があるから来たんやろ?」
当然のごとく明人の祈りの声など無視して、妙齢の女に問いかける。
「フフッ・・・相変わらずよく喋るわね。」
岩手は少しうんざりした顔を作り、静かに応じた。
***
「用があるのは貴様じゃなくて隣の坊やよ。」
言い終わると共に明人に視線を這わせる。
視線が合った。まるで恐竜にウィンクされたような寒気。
一瞬で硬直がとけ、飛び退るように後方に距離をとる――と同時に銃を抜き放つ。
「坊や。そんな玩具じゃあ、あたいに傷一つつかないよ。」
嘲笑にも似た言葉の蛇が明人に絡みつく―――が、欠片の逡巡もせず引き金を絞ろうとした刹那―――
「やめろ!!!」
怒号にも似た静止の声が、明人の体を再び金縛りへと導く。当然紫竜が放った声だ。明人は筋繊維一本動かせない。命の恩人は、出逢ったときよりもはるかに濃密な殺気を着込んでいる。
「お前は死にたいんか?相手の力量も見抜かれへんゴミが!そこでじっとしとけ。」
ピシャリと言い放つ紫竜を金色のオーラが包む。銃を構えたままの明人は、自分にも見える金色のオーラを見据え、驚愕し、静かに腕を下ろし、頼もしさを覚え・・・最後に祈った。
まるで強大な魔人が起き上がるような錯覚に見舞われる。俺は夢を見ているのだろうか?そんな間抜けな考えに頭を振り、砂を舐めるような歩法でおとなしく下がる。
―――どうやら相手もやる気らしい。
「とんだお守りが付いてたもんだね。伊左衛門、お前に用はないんだがな・・・。」
岩手を赤いオーラが包み込む。古風な名前を紫竜にむかって投げかける。
「俺は紫竜や!その名で呼ぶなボケが!」
拳に空洞を作りながら、吹き矢のように息を空洞に注ぎ込む。たちまち紅蓮の尾を引いた赤い珠が2人の乱入者に襲い掛かる。
同時にふわりと浮き上がった黒い少女。まるで重さが無いかのように5メートルほど後ろに音も無く降りる。
「魔の者に苦痛の焔を。球焔」
だらりと手を垂らしたまま動かない岩手を侵食していく炎。今回はなぜか3メートルほどで留まる。
すべてを灰にするような紅蓮の球体。焼き尽くすかに思えたが、岩手の腕の一振りで闇夜に消える。
「伊左衛門、貴様遊んでいるのか?」
赤いオーラに護られたのか、衣服すら焦げてはいなかった。そして、先ほどまでは無かった50センチほどの赤黒い爪のような刀身が五指から垂れている。かなり細身の刀身だが、確かな殺傷能力を秘めていることは先ほどの一振りでわかる。
「脆弱な炎があたいに効くもんか。貴様ほどの男が耄碌したかい?」
冷笑
美しく冷たく口角だけで笑う妙齢の女は、どこと無く哀しげで――それでいて儚い印象を受ける。
またしても一歩も動けなくなった明人には、戦いを見守ることしか出来なかった。
***
「いや~。さすが岩手さんやな~。相変わらず強いで~。」
パチパチと拍手を打つように手をたたく。
「相変わらずふざけた男だね。――今度はこっちから行くよ。」
ゆらりと舞うように手を回し、体を深く深く沈めきる。そんなことはお構いなしと言わんばかりに紫竜は舌戦をしかける。溜められた推進力を開放する前に、紫竜の言葉の弾丸が岩手の胸を打ち抜く。
「うわぁ~。恐いな~~。その爪で娘も八つ裂きにしたんやもんな~。」
踊り狂ったマリオネットのように襲い掛かる岩手の刀爪を間一髪横っ飛びでかわす。まるで瞬間移動のような推進力を持て余した紫竜は、もの言いたげな目をチラリと衣服に落とす。
「危なー!服切れてもうたやんか。・・・ちょっとムカついたで。」
今や怒りの鬼女となった岩手が途切れ途切れに呪詛の声を撒き散らす。
「その話・は・・・するな・・と何度・・・も何・・度も。」
呪いの女声などお構いなしに紫竜が声を遮る。
「あっ!ちゃうか。娘殺ったんは爪生える前か。ごめんごめん。しかし自分、まだ人間やったときにようやるな~。」
嘲るように言い放つ紫竜を尻目に、明人は2人の女から目が離せなくなっていた。