修行先は魔境?
自称年上の美少女に半ば強制的に送り込まれた世界で、不思議な香りに鼻をくすぐられ目を覚ます。
霞みかかった思考を振り切るように頭を振り、体をゆっくりと起こし辺りを見渡す。
形容するなら・・・そこは魔境。
じっとりと身体にまとわりつく湿度。
鬱蒼と生い茂った木々。
神秘的な香りを放つ花々。
違う世界と聞いていたので、ある意味予想通りで少し拍子抜けする―――暇などないことを思い出す。
ここは異世界で密林で修行(?)の場なはずだ。紫音の言うことを信じればだが。
周囲に危険がないか確認したあと、装備の確認をする。銃2丁はしっかりとホルスターに入っている。
マガジンも棒手裏剣もある。足元になぜか落ちているが、トレンチコートもあるようだ。
「ん?」
トレンチコートのベルトに何かささっている事に気づく。
「日本刀?長ドス?・・・いや脇差か。」
2本差しで言うところの長物より20センチほど短いその刀は、赤錆色の白木の柄に太陰大極図が彫られている。
鞘は黒く、当然だが鍔はない。
よく見ると、鞘の先端に紙が巻きつけられている。紫音からのようだ。
―幸運を祈る。紫音―とだけ書かれていた。どうやら紫音からの餞別のようだ。
「これで戦えと?銃に気づかなかったのかな?・・・なわけないか。」
長々と独り言をいいながら、すらりと刀を抜く。
刀身に浮かぶ美しい波紋に見惚れたあと、言い知れぬ違和感が襲ってくる。
「!!」
違和感の正体に気づいた明人は慌てて鏡を探すが・・・そんなもん密林にあるわけがない。
それでも何かないかと思い視線をめぐらせると、後方の窪みに水溜りを見つけた。
駆け寄り恐る恐る覗き込む。水面に映る自分の姿に目を見張る。
顔と体系は同じだ。それは間違いない。髪の色と長さ、それに瞳の色だ。
明人の髪は短髪で黒い。瞳も黒だった。
しかし今は―――肩まで伸びる朱色の髪。瞳は緑と金の斑模様。まるで猫のような瞳になっている。
―――このまま獣になるんじゃないだろうな。
皮肉げに口元をゆがめ、不安を振り払いながらも歩を進める。
自分がどうなるか気になるが、とりあえずの食料や外敵の有無を確かめることにしたのだ。
***
・・・暑い。
滝のように流れ続ける汗を拭い、何度も心に浮かぶ言葉を飲み込む。
開けた場所がないため空を確認できない。光が木々の間から明人を射し貫く。
どれほど歩いただろう?
虫の声?小鳥の囀り?風の囁き?そんな雅なものは何一つない。
ただただ草を掻き分ける明人の移動音が耳障りなほど響く。
「これだけ無音だと気味が悪いな・・・。」
「・・・まあ恐竜がいるよりマシか。」
次第に独り言が多くなる。
喉が渇いた。こんなことなら・・・あの水溜りに顔を突っ込み浴びるように飲めばよかった。
衛生面を考えて、飲むのを控えたことを激しく後悔する。
あの水を補給してない-持ち運ぶものはないが、方法を考えない-時点でこの世界を舐めていた。
腕に覚えがあった。知識も豊富だと今でも自負している。
しかしここでは、自慢の腕も知識も何の役にも立たない。密林特有の湿気と熱が、明人の体力と思考を徐々に奪う。
普段なら気づいたであろう違和感にも気づくことが出来ないでいた。
どれくらい時間がたっただろう。
衰えを知らない灼熱の光は相も変わらず降り注ぐ。密林のくせにスコールの気配もまるでない。
腕時計は早々に動かなくなった。きらりと光るIWCのロゴが腹立たしく、ベルトを乱暴に外し地面にたたきつける。
「役立たずが!!」
泡を吹かん勢いで怒鳴り・・・また歩き出す。
苛立つ、とにかく苛立つ。何がこんなに自分を苛立たせるのか・・・。
再び歩き始めてから10分。今までなかった変化を耳が捉える。
―――金属音?
それは静寂の中に走るノイズのように明人の脳内を走りぬける。
立ち止まり後方を油断なく振り返る。移動音以外の音が聞こえるのがひどく不吉だった。
ホルスターから銃を抜き神経を研ぎ澄ます。
異音の正体はすぐに目に付いた。後方にきらりと光る異物。
・・・10分程前に投げ捨てた腕時計が明人を見上げていた。
***
「そんなばかな!?かなり歩いたはず―――」
千切れんばかりに振られた顔が苦痛に歪む。
目に映る景色は、時計を投げ捨てたときとまったく変わって・・・いない?
「!!」
まさか同じところを?
言いかけたそのとき――木々が揺れた。
無音の世界に音が溢れてゆく。
危険を察知した明人が構える・・・いや構えようとした。しかし足が動かない。素早く足元に視線を落とす。
いままで嫌とゆうほど踏みしめた雑草が生き物のように絡みつく。
「くそっ!!」
咆哮とともに素早く銃をしまう――と同時に左手で刀を奔らせる。
しかし、切っても切っても新たに巻きついてくる。それも万力で絞められたようなものすごい力で。
これでは移動が出来ない。
そのとき背筋に悪寒が走る。
決定的なミスを自覚しながら慌てて振り向く・・・がすでに遅い。
3メートルを優に超えるシダの様な植物が体に覆いかぶさる。
「このやろう!舐めんな!」
薙ぎ払うように斬りつけたが、粘着性の液体に刃が滑る。
植物に傷一つつけることは出来なかった。
「役に立たないもの持たせやがってあのクソ女。こんなのがいるなんて聞いてないぞ!!」
絶叫する明人など歯牙にもかけず、体を粘着性の液体が覆ってゆく。
明人は今植物に捕食されようとしている。
-体が動かない・・・。
まるで硫酸を薄めたプールに沈んでいるようだ。
わかる。嫌になるほどわかる。1秒前より身体が溶けている。
-思ったより早く死にそうだな。
不思議と痛みはない。麻酔をうたれた感覚だ。
-まさか植物に食われて死ぬとはな。事実は小説より奇なりだ。
明人は笑おうとしたが上手くいかなかった。
耳を澄ませると、囁くような話し声が聞こえてくる。
(久しぶりの獲物だ。)
(男より女がよかったな。)
(子持ちの女なら最高だったが、贅沢は言わん。)
口々に喋る植物。
-こっちの植物は喋るのかよ。何でもありだな。
狂々とした声を子守唄に瞼を閉じようとしたそのとき、身をよじるように植物達がざわめいた。