6 魔王は意外と平和主義でした
ペットである私の食事は、魔王が食べていたのと同じ果物だった。
丸ごと渡されたそれを、服を汚さないように注意しながら食べるのはかなり大変だった。
こんなにも汁気の多い果物は、できれば切ってから寄越して欲しい。
そう思いつつも、まさか魔王に切ってなんていえないので、与えられるままにそれを食べる。
同じものを食べた魔王が自分の口と手をナプキンで拭って、そのまま私の口元と手も拭いた。
今は魔王が座る椅子の側に座らされて、ちょっとお尻が冷たい。
この建物は、どうやら城のようなものであるらしい、と私はようやく気付いた。
今いるここは、さしずめ謁見の間と言うやつだろうか。
魔王が座っているのは玉座らしい大きな椅子だけど、まるごと石造りだ。これもまた、腰に悪そうだなと思う。
「魔王様」
呼びかけがあってちらりと声がしたほうを見やると、そこに立っていたのは見たことの無い魔物だった。
半漁人、と呼んだほうがいいんだろうか、そういう見た目をしている。
「どうしたサーティスト」
魔王がそう呼びかけると、サーティストさんというらしいその半漁人が膝を付く。
「お目覚めになったと聞き、こうして馳せ参じた次第です。我が群れは補充を終了致しました。勇者を打ち倒すべく、進軍する許可を頂きたく存じます」
「勇者はまだ来ていない」
「…………何ですと?」
頬杖を付いた魔王の台詞に、サーティストさんが驚いたように声を漏らす。
魔王の手が伸びてきて、椅子の側に座らせたままの私の頭を掴んだ。
「『封破り』を手に入れた。こいつが、俺を目覚めさせた」
「『封破り』、ですか……?」
少し疑わしげな顔をして、サーティストさんがこっちを見る。
なんだろうとその目を見返しながら、私は魔王にされるがままだった。
ここで魔王に逆らってもどうにもならない。
下手をすれば、無礼だと叫んだサーティストさんの、あの手に持っている槍で刺されそうだ。
絶対痛いだろうなあと身を竦めたところで、サーティストさんが私から目を逸らし、魔王を見つめた。
「……では、勇者が現れる前に、王都への進軍を?」
「そうなるな。だが、ただ進軍しても面白くない。武装していない王都に攻め込んだところで、圧勝は目に見えている」
あっさりとした言葉に、ああやっぱり私はどうしようもないことをしちゃったんだな、と思う。
きっと、今まで魔物が王都へ攻め込まなかったのは、勇者が現れないと魔王が目を覚まさなかったからだ。
なのに私がその術を解くことができてしまったから、もう、魔物達には勇者を待つ必要が無い。
私が、この世界の人間を滅ぼした引き金になってしまうんだろうか。
異世界から来ただけの、ただの人間なのに。
自分で着たドレスを見つめて、ぎゅっと膝の上で拳を握った。
魔王が私の頭から手を離し、そうだな、と言葉を零す。
「とりあえず、軍備が整っているのなら、王都近くの村を一つ廃村にしろ。俺が復活したことを伝える為にな。人間は殺さないほうが、数多く伝わるだろう」
「それでは、王都が武装を始めてしまいますが」
「そこを叩くのが面白い。それに、王は『勇者が現れれば魔王が復活する』と知っているからな。俺が復活したことを知れば、王はいもしない勇者を血眼になって探すだろう。滑稽だとは思わんか?」
面白いだろうと言いたげな魔王の提案に、は、と声を漏らしたサーティストさんが頭を下げたのが、視界の端に映った。
「その後は、俺が命じるまで王都の様子を監視していろ」
魔王がそう命令すると、仰せのままに、と言葉を落としたサーティストさんが、そのまま颯爽と去っていく。
大きな尻尾まであったその背中を見送って、私は小さく息を吐いた。
「どうかしたか、ミツ」
声を落とされて顔を上げると、玉座に座った魔王が私を見下ろしていた。
灯りを赤い瞳がてらりと反射していて、その角や髪にも橙の光が落ちている。
「……人間を、滅ぼすのですか」
私は魔王を見つめた。
私を前にした魔王が、どうするかな、と声を漏らす。
「ある程度、俺達と同じ目に遭わせてから、遠くの大陸にでも追い払ってやろうとは思っているが」
追い払う、と言う言葉に、私は目を丸くした。
「遠くの大陸、ですか」
「そうだ」
私の問いに答えて、魔王の視線が私から外れる。
「もともと、レニア大陸は魔物の大陸だ。俺達しかここにはいなかった。それを、増えすぎた人間共が自分たちの生きる場所を探すために侵略してきた」
何かを思い出すように、その目が鋭く眇められた。
「ご大層なことに勇者と呼ばれる人間を召喚して、更には俺の剣に術まで掛けた」
寄越された言葉に、私はぱちりと瞬きをする。
言葉もなく見上げた先で、ふん、と鼻を鳴らした魔王が、その指をぱちんと弾く。
それを受けて、その指先から数センチ浮き上がったところに、突然紫色の炎が現れた。
何も糧などないはずなのに、それはぼうぼうと燃えて、ゆらゆらと揺れる。
「もはや千年も前の話だ。人間達は誰も覚えていないだろう。……だが、俺達はそれを覚えている」
人ではない証拠のように言い放つ、魔王の声は淡々としていた。
「だからこそ、相応の仕返しをして蹴散らすだけだ」
ふう、と息を吹きかけて、魔王はその指先の炎を消した。
それは、つまり、追い出せれば人間を滅ぼしたりはしない、ということだろうか。
煙一つ残さず消えてしまった炎があった場所を見つめながら、私は言葉を見つけることが出来ずに、ただ、そうですか、とだけ呟いた。