3 魔王のペットになりました
その場から引き摺られた私は、洞窟の端にあった小さな部屋へと連れて行かれて、そこの足元に書かれていた光る模様の上に立たされて、気付いたら周囲の様子が変わっていた。
ゲームや物語に良くある、テレポーテーションってやつかもしれない。
洞窟だったはずの周囲は石造りの建物に変わっていて、足元には赤い絨毯が広がっている。
「おや、おや、おや、こんな時間にどうしたんだい」
二人の魔物に挟まれたまま歩き出したところで声が落ちてきて、私は視線を上へ上げる。
月を背中ににんまりと笑っていたのは、まるでピエロみたいな男の人だった。
中に浮いているし、何より明らかに右腕が無いのに、右掌だけふわふわと周囲を漂っている。
この人も、人間ではなさそうだ。
「今日はお楽しみじゃなかったのかい?」
「そのつもりだったんだがよぉ? こいつ、『封破り』かもしれねぇんだよぉ」
真横からベルティルデさんが言うと、おや、と宙に浮く魔物が声を漏らした。
それからふんわりと体を漂わせて、私の目の前にさかさまになって降りてくる。
白い両頬には赤く涙の形をしたペイントがされていて、茶髪の向こうから、オレンジ色の目が見えた。
「ふーむ、ふむ、ふむ。『封破り』か」
さかさまの顔にしげしげと見つめられて、少しだけ身を捩る。
魔物だからかも知れないけど、どうして被ってる帽子が落ちないんだろう。
数秒私のことを見つめた魔物が、それから私の前を離れ、ふわりふわりとまた上へ上がっていった。
「それじゃあ魔王様に献上すべきだね。本当に『封破り』なら、魔王様もお喜びになるよ」
「わかってんだよぉ。サンディルタはとっとと仕事にいけぇ」
しっしっ、とベルティルデさんが手を振って、それを見た魔物、多分『サンディルタ』さんがくすりと笑う。
その目が一度だけ私を見てから、すぐにその体が闇に溶けて消えた。
ふん、と鼻を鳴らしたベルティルデさんが歩き出して、私とアルフォルトさんが足を動かす。
逃がさないようにか、アルフォルトさんの手は私の腕を掴んでいて、その爪が紫色をしているのが視界の端に映る。
「……あの」
静か過ぎる廊下を歩きながら、沈黙に耐えられなくなった私はそっと声を掛けた。
「何だ」
それに答えてくれたのは隣の赤毛の魔物で、返事をくれたことに少しだけほっとしつつ、私は言葉を紡ぐ。
「……『封破り』って、なんですか」
さっきの会話の中で、まったく分からなかった単語を聞いてみる。
私の言葉を聞いたアルフォルトさんが、少しだけ考えてから答えた。
「めったに居ない、その存在で術を破る人間のことだ」
「術を……」
そうは言われても、あの檻の扉は開いていたんじゃないのか。
眉を寄せた私の前で、先に歩いていたベルティルデさんが振り返る。
「お前が破ったんだろぉ? 俺がせっかく掛けてった術をよぉ」
「あれは……押したら開いただけなんです、だから、術を破ったんじゃなくって、」
「あの檻には、人間には触れられない術が掛かっていた」
弁解しようとした私へ言い放ち、アルフォルトさんがちらりとこちらを見る。
「押して開いた時点で、術は解けていたことになる。言っただろう、『封破り』というのは、『その存在で』術を破る人間のことだ」
きっぱりとした言葉に私は口を閉じた。
それじゃあ、ちょっと押しただけのあの時に、術と言うやつが解けてしまったということだろうか。
今いち、納得がいかない。
もしもそれが勘違いだったとしたら……私はどうなるんだろうか。
ゆっくりと足を動かしながら、私は目の前の背中を見た。
先ほど一度こちらを見やっていたベルティルデさんはもう正面へ視線を戻していて、どうでも良さそうに歩いている。
あの女の人は、どうなっただろう。
『ちょーっと齧って、舐めて、啜って、食べつくすだけだぁ』
あの台詞からして、無事とは思えない。
同じ目に遭うのかと思うと、体が震えるのを止められなかった。
私の腕を掴んでいるからアルフォルトさんにもそれが伝わったのだろう、私の腕を掴む手に力が込められて、痛い。
それから会話を交わすことも無く、私たちが辿り着いたのは廊下の突き当たりだった。
「失礼します」
ベルティルデさんが扉を叩いた後に、アルフォルトさんが言葉を投げて大きな扉が軋んだ音を立てながら開かれる。
そのまま中へと引き摺られて、私は二人の魔物と共に部屋の中央にあるベッドへと近付いた。
天蓋付きだ。魔王様っていうのはお姫様なんだろうか。
戸惑いながら見つめる私の前で、ベルティルデさんがひょいとベッドを隠すように下げられていた布を捲る。
「ほら、こっちこいよぉ」
そうして軽く招かれて、更にはアルフォルトさんに押されて、私も魔王が居るらしいベッドへと近付いた。
そうしてそこにあったものに、目を丸くする。
そこにあったのは、骨だった。
ただの骨じゃない。骨格標本みたいにしっかりとした骨だ。
その頭蓋骨からは長い髪の他に二本の立派な角が生えていて、明らかに人じゃないのが分かる。
その腕を胸の上で組むようにされていて、両手が大きな剣を一つ抱えていた。
「この剣がぁ、魔王様を眠らせてるんだぁ」
ベルティルデさんが、そう言った。
それからその手が伸びて、魔王の持つ剣に触れようとして、ばりっと放たれた電撃に遮られる。
「魔王様を眠りに付かせる術と魔王様以外には触れることが出来ない術が、その剣には掛かっている。魔王様が目覚めることが出来るのは、勇者が現れ、王都レリアントにある、その剣と対になる剣を抜いたときだけだ」
言い放たれて、私は佇むアルフォルトさんを見やった。
こちらを見つめる瞳が、私に何をして欲しいのかを訴えている。
視線を外して隣を見やれば、ベルティルデさんもまた、同じような眼をしてこちらを見ていた。
つまりこの二人の魔物は、私に魔王の眠りを解けと言っているのだ。
それがどれほど怖いことなのかなんて、この世界に一年も生きていない私にだって分かる。
魔物というのはあの村を焼くような恐ろしい存在で、魔王はその魔物を統べるものだ。
魔王が善人だったなら、王都の王様だって勇者を待ったりはしていない。
もしも私が本当にその『封破り』だったとしたら、私は大変なことをすることになる。
そう、思った。
けれど。
「さっさとやれぇ」
両脇を魔物に挟まれて、拒否できるはずもない。
「………………はい」
どうか弾かれますようにと願いながら、私は手を伸ばした。
けれど願い虚しく、そっと剣へ近付いた指先は、そのまま魔王の抱く剣に触れる。
両脇から息を呑む音を聞きながら、私はそっと慎重に、魔王の抱えるその剣を、その両腕から引き抜いた。
重たいそれを両手で抱えて、それからベッドの上の様子を見る。
びゅう、と風が吹いた。
それは部屋の中の空気を吸い込むようにしてベッドへと流れ込んで、魔王の体へと吸い込まれていく。
それと共に、どう見ても骨格標本だった体が、ゆっくりと変貌していった。
ぼさぼさだった髪に麗しいつやが宿って、その腕にも首にも顔にも肉が付いて。
何だか知らないけど、とてつもなく美形だ。頭から二本、角が生えてるけど。
そして風が止んでから、閉じられていた瞼がぴくりと揺れる。
ゆっくりと開かれた瞳は赤く、銀色の睫に縁取られていた。
「……ベルティルデ……アルフォルト?」
掠れた声が私をここまで連れてきた魔物の名前を呼んで、魔王様、と両方から声が返る。
ぱちぱちと瞬きをしながら起き上がって、魔王は二人を見やって少しだけ笑い、それから私のほうを見た。
怪訝そうに眉を寄せて、そうしてその唇が言葉を紡ぐ。
「…………なんだ、このおかしな生き物は」
とりあえず、魔王は無礼だった。
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私が『封破り』だということは確定してしまった。
もちろんその一番の証拠は、今目の前でがつがつと果物を齧っている、角の生えた魔王様だ。
じゅるりと果汁を啜るのはちょっと行儀が悪いとも思えるけど、寝てる間何も食べていなかったんなら仕方ない。白骨化するほどの間って、一体どれくらいの時間だったんだろうか。
「さあ、さあ、さあ、魔王様、ナプキンをどうぞ」
「ん」
果物を食べ終えて口も手もべたべたな魔王に、さっきここへ来たときに会った魔物が布ナプキンを差し出す。
それを受け取ってから口を拭いた魔王が、それから両手を拭いて、改めてこちらを見た。
「で、それが私の剣を取ったのか」
「はい」
問いかけられて、アルフォルトさんが答える。
それ、で指差されてしまった私は、さっき魔王から取った剣を抱いたままだ。
銀髪で美形で赤い目な魔王が、私をしげしげと見つめて、ふん、と鼻を鳴らす。
「こんなみょうちきりんな生き物が『封破り』だったとはな」
ゆっくりとベッドから立ち上がって、魔王が私の方へと近付いてくる。
下がらされた場所は壁際だったからそれ以上逃げることが出来ずに、私はただ目の前の魔物の王様を見上げることしか出来なかった。
「人間、それを寄越せ」
「あ、はい」
間近まで寄ってきたところでそう言われて、慌てて抱えていた大きな剣を差し出す。
魔王が私からそれをひょいと奪い取って、それから刃をじっと眺めた。
綺麗な輝きを持つ剣は柄が金作りで、魔王の目に似た真っ赤な宝石が刀身から柄まで付いている。
そんな豪華っぽいものを持っても負けて見えないのは、やっぱり魔王が美形だからだろうか。
ぼんやりとそんなことを考えて、それからいやいや、と胸のうちだけで首を横に振る。
そんなことを考えている場合じゃない。
とりあえず、恩を返すような感じで、私をあの村に返してはくれないだろうか。
ここに居たら、確実に私は魔物に食べられてしまう。
それだけはいやだ。
「ふむ」
じっと剣を見つめていた魔王が、そう声を漏らしてから、ぶん、と剣を上下に振った。
びくっと体を震わせたけど、剣は私の体に到達することなく、その切っ先が私の鼻先で止められる。
後少しでも突き出されたら、まずは鼻に怪我をしそうだ。
「人間、お前の名前は?」
人に剣を突きつけたまま、魔王が聞いた。
この状況で黙秘権を行使したら、ぷすっとやられることは目に見えている。
「み、みつ、です。みつ、日暮」
英語圏っぽい感じで答えながら、私は目の前の魔王へ視線を戻した。
ミツ、と私の名前を呼んだ魔王が、剣を少しだけ引いた。
赤い瞳がこっちを見ていて、かなり怖い。
「『従僕せよ、ミツ・ヒグラシ』」
「え?」
そして突然歌うように言われて、私は目を瞬かせた。
部屋の中に、しん、と静けさが過ぎる。
十数秒を置いて、魔王様ぁ? とベルティルデが声を漏らした。
それを無視した魔王が、なるほど、と声を漏らしてから、剣を持っていないほうの手をこちらへ伸ばしてくる。
腕を掴まれて立たされて、私はぱちぱちと目を瞬かせた。
「『封破り』というのは術も効かなかったか」
「いえ、いえ、いえ。『封破り』は術を解くだけ。おかしなこともあるものですねぇ」
魔王の呟きに答えた魔物が、ちょっと興味深そうにこっちを見てくる。
そんな視線はいらないよと目を逸らしながら、私は彼らの言葉の意味を考えていた。
術が効かない、というのはどういうことだろう。
今、私は何か術を掛けられたんだろうか。
「こいつは妙な生き物だが、面白いな。おい、ベルティルデ、アルフォルト」
「はい」
「はい」
名前を呼ばれて居住まいを正した二人が視界の端に過ぎって、ちらりと見やると、私の腕を掴む魔王に、そのままその視線が向けられていた。
それを追いかけて、私も魔王を見上げる。
魔王は私を気にした様子も無く、片手に剣を持って片手に私を捕まえたまま、にやり、と笑った。
「これは俺が貰っておこう」
「どうぞぉ。もともと魔王様にお渡しするものでしたからぁ」
「お喜び頂けたなら光栄至極」
どうやら人身取引をされてしまったらしい。
にやりと笑ったままの魔王の視線が、こちらへと向けられる。
「よし、ミツ。今日からお前は、俺のペットだ」
逃げられると思うなよ、と囁かれて、目の前が真っ暗になった気がした。