殺人卿──自殺志願③
掲載日:2026/03/29
殺人卿は、まるで自分の身に起きたことを理解できていないかのように、ふらりと一歩後ずさった。
「……ほう。これは、実に予想外だ」
その声音には怒りも苦痛もない。ただ純粋な興味だけがあった。
まるで珍しい玩具を見つけた子どものように。
淵屋は息を荒げながら、状況を理解しようと必死だった。自分がどうやって反撃したのか、記憶が曖昧だ。ただ、気づけばそうせざるを得なかったという確かな感覚だけが残っている。
殺人卿はゆっくりと顔を上げ、片方の視界を失ったにもかかわらず、笑っていた。
「やはり君は面白い。死にたがりのくせに、生きようとする。
矛盾している。だが──その矛盾こそが、人間という生き物の本質なのかもしれないね」
淵屋は後ずさりしながら、周囲を見渡す。
逃げ道はある。だが、相手が本気で追ってくれば逃げ切れる保証はない。
殺人卿は鉈を持ち直し、愉悦に満ちた声で告げた。
「さあ、続けようじゃないか。
君が本当はどうしたいのか──その答えを、私はまだ見ていない」
夜風が吹き抜け、二人の間の空気が張り詰める。
淵屋は喉の奥で息を飲み込み、覚悟を決めた。
逃げるのか。
戦うのか。
それとも、自分でも知らない第三の答えを見つけるのか。
選択の時が、迫っていた。




