『冷血皇帝の生贄? 前世が地獄だったので、むしろ天国です』と答えたら溺愛されました
「ミシェル様、謹んでお祝い申し上げます」
執事ローレンスの声が、静かな離宮に響いた。
「ドラクロア帝国、ギデオン陛下との政略結婚が、正式に決定されました」
その瞬間、部屋の空気が凍りついた。侍女たちがひそひそと囁き合う。
「まあ、可哀想に」「冷血皇帝の生贄ですって」「あの無能な第八王女が、よりにもよって」
私――ミシェル・フォン・エルディアは、椅子に座ったまま、内心で絶叫していた。
(やった! 永久就職確定!)
表向きは、淡々と頷く。
「承知しました。父上と母上のご意向に従います」
侍女たちの同情の眼差しが痛い。でも、彼女たちは知らない。私にとって、この「政略結婚」がどれほど嬉しいことか。
(タダ飯生活、継続確定!)
ローレンスが、僅かに眉をひそめた。彼は、私のことを少しだけ理解しているから。
「準備は、こちらで整えます。三日後には出発となります」
「はい」
私は、心の中で小躍りしながら、冷静に返事をした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
さて、なぜ私が「冷血皇帝への生贄」と囁かれる政略結婚を、こんなにも喜んでいるのか。
それは、私の「前世」に理由がある。
私――ミシェル・フォン・エルディア、第八王女。現在18歳。
でも、前世は「桜井美咲」という名の、ブラック企業勤めの経理OLだった。
思い出すだけで胃が痛くなる。
月の残業時間、200時間。休日出勤は当たり前。上司のパワハラは日常茶飯事。
「おい桜井! この資料、明日の朝までな!」
「はい...」
「お前の代わりはいくらでもいるんだぞ?」
「申し訳ございません...」
深夜3時のオフィス。パソコンの明かりだけが、デスクを照らしていた。
疲労で視界がぼやける。頭痛が止まらない。
(あと...あと少しで終わる...)
その瞬間、胸を締め付けられるような痛みが走った。
ガタン、と椅子から転げ落ちる。
床に倒れた私は、薄れゆく意識の中で、ただ一つのことを思った。
(もう...働きたくない...)
そして、気がつくと、私は異世界の第八王女として生まれ変わっていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
転生して6歳の時、「判定の儀」があった。
エルディア王国では、王族は必ず何らかの「加護」を持って生まれるとされている。炎、水、風、光、闇...様々な加護が存在し、それが王族の価値を決める。
大神殿で、神官が厳かに宣言した。
「第八王女ミシェル・フォン・エルディア...加護は、『なし』」
会場がざわついた。
母――王妃ベアトリスの顔が、明らかに失望に歪んだ。父――国王アルフレートは、興味なさげに視線を逸らした。
七人の姉たちは、皆、華やかな加護を持っていた。第一王女アンナは「聖なる光」。第二王女エリーゼは「炎」。第三王女...
そして私だけが、「なし」。
その日から、私は離宮に「軟禁」された。
いや、正確には「放置」されたというべきか。
ボロい離宮。最低限の侍女と執事。教育も最低限。
家族は、私のことなど存在しないかのように扱った。
でも、私は思った。
(これって...天国じゃない?)
だって考えてみてほしい。
衣食住、全部タダ。三食、ちゃんと出てくる。ベッドで眠れる。
残業? ない。パワハラ上司? いない。満員電車? 存在しない。
週に2日は休める。いや、毎日が休みと言ってもいい。
前世では、カップラーメンをすすりながら、深夜のオフィスで泣いていた私が、今は温かい食事を三食食べられる。
(なんて...なんて素晴らしいんだ!)
周囲は私を「可哀想な第八王女」と憐れんだ。
でも、私は毎日、幸せを噛み締めていた。
「ミシェル様、本日の食事でございます」
侍女が運んできた食事を見て、私は感動する。
温かいスープ。焼きたてのパン。新鮮な野菜のサラダ。
(前世じゃ、コンビニ弁当を深夜に流し込んでいたのに...)
「いただきます」
ゆっくりと、味わって食べる。
この幸せ。この平和。
軟禁? 上等だ。
タダ飯最高。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
12年間の離宮生活。私は、暇つぶしに様々なことをした。
最低限の教育は施されていたので、それを独学で深めた。
特に、数字には強かった。前世で経理をやっていたからだ。
ある日、執事ローレンスが、古い帳簿の束を持ってきた。
「ミシェル様、こちらは王宮の古い会計資料です。処分するつもりでしたが...もしご興味があれば」
「いただきます」
暇だったので、ページをめくり始めた。
そして――
(...あれ?)
私の目が、ある数字に釘付けになった。
(この数字...おかしくない?)
収入と支出が合わない。明らかに、誰かが数字を誤魔化している。
いや、「誤魔化している」どころの話じゃない。
横領だ。粉飾決算だ。裏帳簿だ。
前世で散々見てきた、ブラック企業の手口が、そこにあった。
(うわあ...この国、財政破綻するよ?)
興味が湧いた。いや、職業病と言うべきか。
私は、夢中で帳簿を修正し始めた。
「こうすれば、税収が1.5倍になる」「この支出は無駄」「この取引は怪しい」
数日かけて、膨大な量の帳簿を整理し、正しい数字を導き出した。
そして、それをローレンスに渡した。
「これ...どうすれば良いかしら」
ローレンスは、資料を見て、顔色を変えた。
「ミシェル様...これは...」
「暇つぶしよ。でも、もし役に立つなら、誰かに渡してちょうだい」
「...承知いたしました」
それから、エルディア王国の財政は、不思議なことに安定し始めた。
でも、誰もそれが「無能な第八王女」の功績だとは思わなかった。
私も、別に認められたいわけじゃない。
ただ、タダ飯生活が続けばいい。それだけだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そして、18歳の誕生日を迎えた直後。
冒頭の、政略結婚の話が舞い込んできた。
ドラクロア帝国――隣国の大国。
その皇帝、ギデオン・ヴァン・ドラクロアは、「冷血皇帝」として恐れられていた。
感情を表に出さず、冷徹に国を統治する。
戦争では容赦なく敵を殲滅し、政敵は問答無用で処刑する。
そんな噂だった。
「可哀想に、ミシェル」
第一王女アンナが、同情の眼差しを向けてきた。
「あなたには相応しい相手かもしれないわね。『無能』には『冷血』がお似合いよ」
嫌味を言われても、私は動じない。
だって、私には秘密兵器――執事ローレンスからの情報があるからだ。
「ミシェル様、ドラクロア帝国について、少しお話ししてもよろしいでしょうか」
ローレンスが、こっそりと教えてくれた。
「帝国は、実力主義の国です。血筋や身分ではなく、能力で評価される」
(ほう?)
「また、ギデオン陛下は無駄を嫌います。夜会は最低限。宮廷内の派閥争いも禁止。定時退社が推奨されています」
(...えっ?)
「つまり...」
「はい。非常に、効率的な国です」
その瞬間、私の心は決まった。
(それって...ホワイト企業じゃん!!)
内心で絶叫した。
実力主義? 最高。血筋で判断されない? 万歳。
無駄な夜会なし? 素晴らしい。定時退社? 夢のようだ。
そして何より――
(タダ飯生活、永久確定!)
私は、この政略結婚を、全力で受け入れることにした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
三日後、出発の日。
家族との最後の晩餐。
王妃ベアトリスが、涙ぐんだ。
「ミシェル...本当に、可哀想に...」
(泣かないでよ、嬉しいのに)
国王アルフレートは、無関心だった。
「まあ、お前も王族の役には立つということだ」
(うん、厄介払いできて良かったね)
第一王女アンナは、勝ち誇ったように笑った。
「頑張ってね、ミシェル。私たちのことは、忘れないでね」
(むしろ忘れたい)
私は、表面上は従順に、内心では小躍りしながら、家族に別れを告げた。
そして、馬車に乗り込む。
ローレンスだけが、見送りに来てくれた。
「ミシェル様...どうか、お幸せに」
「ありがとう、ローレンス」
彼は、少しだけ微笑んだ。
「陛下は...きっと、ミシェル様の価値を理解してくださいます」
「え?」
でも、馬車はもう動き出していた。
ローレンスの言葉の意味が、分からないまま、私はドラクロア帝国へと向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
帝国の首都に到着したのは、出発から一週間後。
想像以上に、整然とした街並みだった。
道は綺麗に整備され、建物は機能的。無駄な装飾はないが、清潔で美しい。
(おお...これは...)
宮殿に案内される。
エルディア王国の宮殿とは違い、派手さはないが、実用的で効率的な作りだった。
「第八王女ミシェル様、お待ちしておりました」
出迎えてくれたのは、帝国の宰相だった。
「陛下は、現在執務中です。少々お待ちください」
(執務中...仕事してるんだ)
私は、待合室で待った。
そして、1時間後。
ついに、謁見の時が来た。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
玉座の間。
そこに、「冷血皇帝」ギデオン・ヴァン・ドラクロアがいた。
黒い髪。鋭い灰色の瞳。引き締まった体躯。
確かに、威圧感がある。
「お前が、ミシェルか」
低く響く声に、私は思わず身を竦めた。
(噂通り...怖そう...)
でも、次の言葉に、私は驚いた。
「エルディアの財政を立て直したのは、お前だな?」
(...えっ!?)
心臓が跳ねた。
(バレてる!?)
ギデオンは、玉座から立ち上がり、私の前まで歩いてきた。
「答えろ」
「その...暇つぶしで...」
「暇つぶし?」
ギデオンの眉が、ピクリと動いた。
「あの膨大な量の会計資料を整理し、粉飾決算を暴き、税制改革の提案までしたのが、『暇つぶし』だと?」
「はい...」
ギデオンは、一瞬だけ、呆れたような顔をした。
そして――
「面白い」
初めて、彼が笑った。
冷たいと思っていた表情が、僅かに柔らかくなった。
「ミシェル、お前に聞く。私の妃として、この国の財政を支えてくれるか?」
(えっ...これって...)
「私が欲しいのは、飾りの妃ではない。国を共に支えられる、伴侶だ」
その言葉に、私の胸が熱くなった。
前世で、私は「お前の代わりはいくらでもいる」と言われ続けた。
転生後も、「無能」「価値なし」と蔑まれ続けた。
でも、この人は――
「お前の能力を、私のためにも使ってくれ」
初めて、「必要とされた」。
「...はい」
私は、涙を堪えながら、頷いた。
「喜んで」
ギデオンは、満足そうに微笑んだ。
「ならば、今日から、お前は私の妃だ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
それから、私の新しい生活が始まった。
帝国の財政資料を見せられ、「意見を聞かせてくれ」と言われた。
私は、前世の知識を総動員して、分析した。
「この支出は削減できます」「この税率は見直すべきです」「この投資は有望です」
ギデオンは、私の提案を、真剣に聞いてくれた。
「素晴らしい」
彼の言葉に、私は感動した。
(これが...仕事の喜びというものか)
前世では、どんなに頑張っても認められなかった。
でも、ここでは違う。
私の能力が、正当に評価される。
そして、何より――
「ミシェル、疲れたか?」
ギデオンが、毎晩、執務を終えた後、必ず私の部屋に来てくれる。
「いいえ、前世に比べたら楽勝です」
「...前世?」
あ、言っちゃった。
ギデオンは、不思議そうな顔をしたが、それ以上は聞かなかった。
「お前は、本当に面白い女だ」
そう言って、彼は私を抱きしめた。
前世では考えられなかった、温もり。
愛されているという実感。
私は、幸せだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そして、半年後。
エルディア王国から、緊急の使者が来た。
「ギデオン陛下...どうか、我が国に援軍を...」
使者の顔は、青ざめていた。
「財政が破綻し、近隣国が攻め込んできました。どうか、お助けを...」
ギデオンは、冷たく言い放った。
「拒否する」
「そんな...」
「お前たちは、私の妃を『無能』と蔑んだ。価値がないと切り捨てた」
使者は、絶句した。
「彼女が去った後、財政が破綻した理由を、お前たちは理解しているか?」
「それは...」
「ミシェルが、裏で支えていたからだ。お前たちが無視していた『無能な王女』が、国を救っていたんだ」
使者は、言葉を失った。
「そんな国を、なぜ私が助ける?」
ギデオンの言葉に、私は複雑な気持ちになった。
(別に...もう関係ないけど)
でも、少しだけ、スッキリした。
ざまあ、とまでは思わない。
ただ、自業自得だと思った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
使者が去った後、ギデオンが私に聞いた。
「後悔は、ないか?」
「ありません」
即答した。
「あの国は、私を必要としなかった。でも、ギデオン様は、私を必要としてくれた」
ギデオンは、私を強く抱きしめた。
「お前は、私の宝だ」
その言葉に、涙が溢れた。
「ギデオン様...」
「ミシェル、愛している」
「私も...愛しています」
前世では、誰にも必要とされず、誰にも愛されなかった。
でも、今は違う。
私には、居場所がある。
私を愛してくれる人がいる。
私を必要としてくれる人がいる。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
それから一年後。
私は、帝国の財務長官に正式に任命された。
初めて、公的な役職をもらった。
「おめでとう、ミシェル」
ギデオンが、祝福してくれた。
「ありがとうございます」
夜、二人で宮殿のバルコニーに立った。
星が綺麗だった。
「ねえ、ギデオン様」
「何だ?」
「私、幸せです」
ギデオンは、優しく微笑んだ。
「私もだ」
私は、夜空を見上げながら、心の中で呟いた。
(前世の私へ。私、幸せになれたよ)
ギデオンが、後ろから抱きしめてくれた。
温かい。
安心する。
愛されている。
前世では考えられなかった、この幸せ。
全ては、「加護なし」の無能と蔑まれた第八王女から始まった。
軟禁生活を「天国」と感じたことから始まった。
タダ飯最高、と思ったことから始まった。
そして、今――
私は、本当の意味で、幸せを手に入れた。
「ミシェル」
「はい」
「これからも、ずっと一緒にいてくれ」
「もちろんです」
私は、ギデオンの手を握った。
温かい手。
この手を、もう離さない。
前世の社畜生活が、異世界での幸せに繋がるなんて。
人生、何が幸せに繋がるか、分からないものだ。
(タダ飯目当てで始まった人生も、悪くないものだ――いや、最高だ)
夜風が、優しく二人を包んだ。
星空の下、皇帝と皇妃は、静かに寄り添っていた。
これが、私の――ミシェル・フォン・ドラクロアの、ハッピーエンドだ。
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