残された者の物語 ~その後のユキ
『召喚のその後の物語』の続編です。
ユキの母サオリが、故郷の日本に帰った。
ユキは、寂しさよりも、母を日本に返してあげられたという安堵の思いで満たされていた。
アルフォンス殿下の研究室も、召喚が封印されたことで解散となった。
次に何をテーマにしようか、そう殿下に聞かれたが、研究したいことが何も思いつかなかった。
アルフォンス殿下や同じ研究室にいた者たちは、ユキが母サオリとの別れから立ち直れていないのだろうと気遣った。ユキは、しばらく自宅でゆっくりするように言われ、一時的に暇を持て余すことになった。
時間ができると、ユキは母のことが気になった。日本で何をしているのだろう。ユキのことを思い出すこともあるだろうか。どんな所に住んでいるのだろう。気になると、母から渡された日本語のメモを見た。この住所に母は住んでいるというが、文字では景色が想像できなかった。
「また見ているの?」
父のヴィルヘルムが、母のメモをのぞき込んできた。
「うん」
「僕は、サオリさんの話す日本語が好きだったよ。最初の頃、彼女の言葉は自動的に大陸標準語に変換されていたんだけどね、翻訳された言葉じゃ感情が乗らないと言って、現地語を学び始めたんだ。勘が良いのかすぐに覚えて、そうしたら、日本語を話しても大陸標準語に変換されなくなったんだ。不思議だよね」
「ライプニッツ語も、それから覚えたの?」
「そう、この国に来てから。といっても、大陸標準語とそれほど変わらないからね。そういえば、小さい頃、ユキには日本語で話しかけていたでしょう」
「知ってたの?」
「そりゃあ、同じ家に住んでいたからね。内緒にしてても、聞こえることはあったよ」
「話してる内容も分かった?」
「いや、耳慣れない音で、言葉というより音楽みたいだった」
「日本のわらべ歌も、よく教えてもらってたから、本当に歌っていた時かもしれない」
「イリスも羨ましがって真似しようとしたけど、どうしても真似できないって悔しがってた」
「イリス姉さんも知っていたの?」
「でも、邪魔しちゃいけないって思って、黙ってたみたいだよ」
「そうなんだ」
ユキは、少し心苦しくなった。
「いいよ、気にしなくて。サオリさんにも、そういう世界が必要だったと思うから、僕たちは見守るだけにしようって言ってた。もちろん、アルベルトもね」
「そっか。知らなかったけど、ありがとう、お父さん」
ユキは今更ながら、自分たち母娘が、家族に守られていたんだなと思った。
「それで、その住所は、なんて書いてあるの。ユキの話す日本語を聞きたいな」
ヴィルヘルムが、にこにこしながら聞いてきた。
ユキは首を振った。
「読めないの」
「どうして?難しい漢字なの?」
「私、漢字が読めないの。お母さんは、私にひらがなとカタカナしか教えなかったから」
「でも、完璧に話せるよね?」
「うん。だから、日本でこのメモを見せれば、私はお母さんのところにたどり着けると思う。でも、そういうことじゃないの。お母さんは、たぶん、私にここに残れって言いたかったんだと思う。日本で培ってきた何もかも捨てさせられてここに来たお母さんは、私がこの国で必死に頑張って学んだことや、研究したことを捨てないでほしいと思ってるんじゃないかな。だから、日本で暮らせるように漢字まで教えるってことは、しなかったんだと思う」
「そうか。僕には、サオリさんから、ユキに来てほしいっていうメッセージなのかと思ってたよ」
「多分、何かに行き詰ってどうしようもなくなったら、逃げ込む場所はここにあるよって、示したかったんじゃないかな。手がかりが消えたらどうしようもないから、これがあるだけでも、嬉しい」
ヴィルヘルムは何も言わず、ソファのユキの隣に座った。
「あーあ、こんなことなら、もっとゆっくり研究すればよかった。そうすれば、お母さんも、もっと長くこっちにいてくれたのになあ。頑張り過ぎちゃったかも」
ユキは、今頃になってサオリのいない寂しさが身に染みてきた。
「ユキには、僕やイリスや、アルベルトがいるよ。一人じゃない」
そう言ってヴィルヘルムは、ユキの肩を抱き寄せた。ユキは、サオリと別れてから初めて、安心して泣くことができた。
捨てられたんじゃないと思いたい。ユキの幸せを考えてくれたからこそだ。そう思うのに、小さい頃の日本人同盟を勝手に抜けて、一人で日本に行ってしまった母が恋しい。
ユキという名前は、漢字で『雪』と書くと教えてくれた。ほかの漢字は教えてくれなかったのに、これだけは教えてくれた。そうして、雪はライプニッツ人でもあるけれど、私と同じ日本人でもあるからね、だから日本語を教えてあげる。そう言って、日本語でたくさん話をしてくれた。
ライプニッツ語とは、似ても似つかない不思議な言葉。でも、母から聞く日本語は、ユキの体にすっと馴染んだ。ユキは母と日本語で話している時、世界の中でただ二人だけが孤立していて、周りの全てが母を苦しめる敵に思えた。母をいつか日本に帰してあげよう。それができないのなら、この世界に仕返しをしてやる。幼いユキはそう心に誓った。
あの日、日本に帰る母を見送った時、ユキの人生の目標は達成されてしまった。ユキは二十歳にして、生きる目的を失ってしまった。
日に日に言葉が減ってゆくユキに、父のヴィルヘルムは言った。
「今度、イリスと一緒に、孤児院に行っておいで」
「イリス姉さんと孤児院?」
「イリスのとこのビアンカも、もう四歳になる。イリスが孤児院に行くのについていって、一緒に遊んだり、紙芝居を見たりしているんだ」
「私が行って何をするの?私、子どものお世話は苦手だと思う」
「お世話じゃないよ。一緒に遊んでおいで。ユキはさ、人との交流が、圧倒的に足りていない。家にはいつも、アルベルトとイリスがいたし、何よりサオリが君を離さなかったから、君は同年代の子どもと遊んだことがないだろう?子供時代からやり直しなさい。普通の子がする遊びを経験してごらん。身内の年上から構われてるだけじゃ、できないことだってあったはずだ。ライプニッツの子どもに戻ったつもりで遊んでごらん。そのうちに、やりたいことが見つかるかもしれないよ」
「魔法の研究じゃないことが、やりたくなるかも」
「それはそれで良いんじゃないかな。ユキの人生なんだから」
☆ ☆
孤児院でユキは、体中を使って子どもたちと遊んだ。
走るのって、こんなに疲れるのか。追いかけられるのが、こんなに緊張するなんて、相手は五歳かそこらのおチビちゃんなのに。だいたい鬼ごっこに、これほど種類があるなんて、聞いてない。
最初、姉のイリスが子供たちに、
「ユキは大人だけど、ライプニッツの子どもの遊びを知らないの。だから、みんなで教えてあげてね」
と言ったので、子どもたちは張り切って、次から次へと遊びに誘ってきた。
縄を飛び、木によじ登り、掃除用具入れに隠れ、缶けりの意外な心理戦にワクワクした。
体を存分に使って疲れると、室内の大人しい遊びに移行した。
お人形遊びやままごとでは、家庭内の誰かの役をやるというのが新鮮だった。自分の家では、いつでもユキが一番下で可愛がられる立場だったから。ユキがお父さん役をやった時は、そんなに言うことばかり聞く優しいお父さんは変だと言われた。そうなの?という目で姉のイリスを見ると、苦笑された。世間のお父さんのイメージは、もっと怖いらしい。
イリスが孤児院で広めた、お手玉やあやとり、折り紙は、ユキも得意だ。
折り紙で折ったカエルは、おしりをグッと押さえつけて離すと、ぴょんと跳ねる。ユキは、このカエルに少しだけ魔力を込めた。するとカエルは、ぴょーんとかなり跳ぶ。せがまれて次々とカエルに魔力を込めてやる。イリスにも手伝ってもらった。
折り紙のカエルを跳ばすのに大騒ぎをしていると、外で遊んでいた男の子たちもやってきた。彼らには紙飛行機を折らせて、できたはじから魔力を込めてやった。おもしろいほど遠くまで飛んで喜ばれた。
男の子たちは、次々と折り方を変え、魔力を込めてとせがんできた。ユキは元々魔力が少ないので、ごめん、ちょっと休憩しないとできないの、と待ってもらった。
「じゃあ、魔力の込め方教えてよ、自分でやってみるから」
と、しつこくねだる子がいたので、ダメもとでその子の手を取って、魔力を流しながら教えてみた。
「こうかな?こう?あれ?」
などと言いながら試しているうちに、飛行機が彼の手から離れ、浮かび上がった。
「できたかも!」
彼の飛行機は、ユキが魔力を流した時よりも、遠くまで飛んでいった。
「やったー!」
その子は飛び上がって喜んで、紙飛行機の後を追いかけた。
「あの子、貴族の血が入っているの?」
「いいえ、農民の両親を流行り病で亡くした子だから、それはないわ」
長く孤児院に通ってきていたイリスは、彼が赤ん坊の頃から知っているらしい。
ユキは、この出来事に興味を持った。
もしかしたら、魔力を持っているのは貴族だけではないのかもしれない。何らかの条件がそろえば、あるいは今みたいにきっかけさえあれば、貴族の血が全く入っていない子でも、魔法が使えるようになるかもしれない。魔法陣さえ使えれば、起動するコツさえ掴めれば、わずかの魔力でも何とかなる。平民の暮らしが便利になるかもしれない。
ユキは、ほかの子でも試してみたくなった。
折り紙で鶴を折っていた女の子たちの前で、ユキの折り鶴を羽ばたかせてみせた。すーい、と上昇し、くるりとトンビみたいに輪を描いて下りた。
「すごーい!」
あっという間にユキを取り囲み、やって、やってと、自分の折り鶴をユキに差し出した。
ユキはまた、姉のイリスと手分けをして、折り鶴に魔力を込めた。ビアンカも見様見真似で鶴を飛ばした。
「うそ、ビアンカちゃんもできるの?あたしもできるかな」
「やってみたい」
目の前で自分より小さなビアンカがやって見せたことで、がぜんお姉さんたちが張り切りだした。ビアンカに説明を乞うと、ビアンカは、得意げに言った。
「ゆびのさきに、びいいいいいって、するの」
「何を?」
「わかんない、なにか」
「何それ?」
ユキも女の子たちに教えてみたが、誰もできるようにはならなかった。それでも、男の子が一人成功したことで、諦めずに繰り返している。
イリスたちと何回か孤児院に通っているうちに、折り紙に魔力を込められる子が何人か出てきた。
ユキは、その子たちに、どうやったらできるようになったのか、魔力を込める時はどんなふうになるのかなど、細かく聞いてうるさがられた。ユキの研究者としての性が、どうしても途中で止めさせてくれないのだ。今度、魔法陣を教えてあげるから、と言うと、子どもたちは笑顔で協力者に立候補してくれた。
☆ ☆ ☆
孤児院の子どもたちとすっかり打ち解けた頃、ヴィルヘルムから、今度は教会の日曜学校を覗いておいで、と言われた。日曜学校は、日曜日にだけ教会で読み書き計算を教えてくれるところだ。
孤児院の子どもは、背後に誰もいない、むき出しの状態のライプニッツ人だ。教会の日曜学校の子たちは、裕福ではないが、親がいて何らかの職業についている。子どもは家庭の状況や親の職業について、矜持や引け目やいろんな感情を抱いている。それは、王立学園で貴族の子どもたちが、親の爵位や経済状況で、学園での立場が左右されることに似ている。
「ユキは、子爵家の娘であることに頓着しなかったみたいだけど、そもそも貴族でないと王立学園に入学資格がないんだ。まあ、ユキの場合、貴族の生まれでなかったとしても、サオリの娘ということで例外的に入学が許されたと思うけどね。
そういう意味では、王立学園も、日曜学校も、どちらも大人の縮図が裏側にあるわけだ。普段意識するかどうかは別としてね。みんな洋服を着るように、立場を着ている。それに守られたり、それを誇りに思って恥じないように頑張ったりと、良い方向に作用することもあれば、逆に、見栄を張ったり、胡坐をかいたり、威張り散らしたりと鼻持ちならないやつもいる。それらをまったく気にも留めなかったユキは、周りが普通だと思っていた常識が通用しないから、扱いに困ったと思う」
「だから私は遠巻きにされていたし、居心地悪く感じたんだね」
「ユキの場合は、魔法が凄すぎたってのもあるよ」
「そうなの?先生以外でちゃんと褒めてくれたのは、アルフォンス殿下だけで、ほかの人は、やるじゃん、くらいのものだったよ」
「それこそ、誰か高位貴族に睨まれないように気を回していたんじゃないかな」
「なるほど、そういうことなら分かる」
ユキは、一学年末の魔法試験のことを思い出した。
上級生がたくさん見に来ていた。一年生の実力など、少し先に置いてある的を攻撃したり、物を浮かべるのがせいぜいなのに、召喚二世の実力の程を見てやろうと集まったらしい。そして、ユキの持つ魔法陣と魔石を見て、意地悪く笑っていた。二世のクセに、と。
ユキは、静かに呪文を唱えた。
地面から小さな芽が出た。
あまりに地味で失笑が漏れた。
小さな雲を浮かべ、芽の上に雨を降らせた。
芽はみるみる育ち、若木から枝がいくつも分かれ、ユキの背丈の二倍ほどで止まった。
葉は出ないのかと揶揄する声がした。
ポツポツと赤いつぼみが生まれ、ふくらみ、ふわりとほころび、
うす桃色の小さな花が無数に咲いたと思ったら、
いっせいに散りだした。
花びらのふぶきみたい、と誰かが言った。
花びらの嵐が収まると、
若木は青々とした葉を繁らせ、
さらに育つのかと思ったら、
空気に滲むように消えていった。
ユキが、「終わりました」と言ったのに、教師も誰も、何も言わなかった。
少し離れたところから、拍手の音がした。
第二王子のアルフォンス殿下だった。
遅ればせながら拍手が、そこここで生まれた。
後から教師に、魔法陣は自分で描いたのか、母親の力は借りていないのかと聞かれたが、母は魔法陣なんて必要としたことがないので描き方も知らないです、と言ったら、疑ったことを謝られた。
「ユキの魔法は、いつも、時間の流れを伴うものだったよね」
「え?そうだったかな」
「気付いてなかったの?二年の試験では、卵を孵化させて、深紅の火の鳥みたいのが優雅に舞ってたから、思わず見とれたよ」
「ええ~、見てきたように言うのなんで?」
「実は、こっそり、サオリさんと見に行った」
「うそ、何にも言わなかったじゃない」
「そのあと、ユキの腕に舞い降りて来たでしょう。サオリさんが、鷹匠みたいって喜んでたよ。でも、すぐに金色の粒になって消えてしまったから、残念がってた」
「よく覚えてるね、そんな昔のこと」
「覚えてるよ、全部。どれも、時間を早送りにするみたいな魔法だった。あれを見て思ったんだ。ユキは時間を操ろうとしているんじゃないかって。そうして、サオリさんが召喚される前まで、時間を巻き戻そうとしてるのかもって、怖くなった」
「そんな大それたこと考えてたわけじゃないよ、当時は」
「当時は」
「うん、卒業する頃には、そんな研究ができる研究室があればなあって、本気で考えてた。でも、巻き戻したところで、再び召喚されない保証はないし、同じことを繰り返すだけかもしれない。運よく召喚を免れたところで、別の誰かが不幸になるだけだし、だいいち私が、お母さんの子どもとして生まれてこれない。だから、時間を巻き戻すのは無しだと思った」
「そうやって、ユキはサオリさんのためだけに努力してきたの?」
「そう思ってた。それが私の存在意義だと思い込んでた。だから、お母さんを日本に送り返してしまったら、自分の中が空っぽになった気がした。
だけど本当は、お母さんのことがなくても、私は魔法が好きだった。目の前で起きる現象が不思議で仕方がなかった。お母さんから教わった日本の物理の法則がぜんぜん意味をなさないの。手を離したリンゴが下に落ちないなんて、万有引力否定してごめんね、って言いたくなった。
そのことを、孤児院の子たちと過ごした中で思い出したの。その上、あの子たちの中に魔力を持ってる子を見つけて、うわあって嬉しくなった」
「それは、なぜ?」
「解き明かしたいことが見つかったから。試してみたいことが、たくさんできたから。それには、色々な人と出会って、色んな検証をしなくちゃいけない。魔法陣を工夫するのも楽しいけど、違う方向から魔法を考えてみるのも良いかもって思った。今度は急がなくていいから、寄り道しながら研究をしてみたい」
「アルフォンス殿下のところで?」
「それは分からない。似たような研究をしている人がいないか調べてみる。
お父さん、私の休暇、今日で終わりにするから。明日、魔術師塔に行ってみる」
「日曜学校は?」
「今度の日曜に行く。今日はこれから、王立図書館に行って、最近の論文調べてみる。
心配かけてごめんなさい。そして、ありがとう。じゃあね」
ユキは、晴れやかな顔で、慌ただしく部屋を出ていった。
ヴィルヘルムは、思い立ったら一直線なユキの姿に、母サオリの面影を見た。
「サオリさん、ユキはもう大丈夫そうだよ」
ヴィルヘルムは、遥か日本にいるサオリに、そう囁きかけた。
読んでいただき、ありがとうございました。




